第13回小室哲哉の午前5時46分「本当の応援歌に」 起こしたムーヴメント
狂熱の夜は終わろうとしていた。
6万人の聴衆は巨大な波のように揺れ、声を上げながら最後の曲を待った。
小室哲哉に背中を押され、ステージ中央へと走ったのは浜田雅功だった。
1995年8月26日、東京・豊洲の野外会場で開催された「avex dance Matrix '95 TK DANCE CAMP」は、寵児(ちょうじ)による時代の席巻を象徴するような祝祭だった。
自らプロデュースするtrf、安室奈美恵、globe、hitomi、篠原涼子らと共に小室は歌い踊り、音楽を奏でた。親交のある坂本龍一もゲストアーティストとしてステージに上がった。
無数の花火が夜の闇を照らす。
フィナーレを飾ったのは、ダウンタウンのツッコミ役として芸能界の頂点へと駆け上がった浜田をボーカリストに迎えたユニット「H Jungle with t」だった。
新曲「GOING GOING HOME」の後、ダブルミリオンを記録した「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」へと移行していく。
Aメロの途中、浜田の声はわずかにテンポを外してしまう。
けれど、歌い損じて解放されたのか、自由を手にした歌は強烈な叫びとなって響き渡った。浜田は汗を流し、手を振って聴衆をあおり、最後は壇上で大の字に倒れるまで歌い果てた。
あの夜から30年が経とうとしている。
小室は当時の記憶を明かしてくれた。
「ライブが終わって15分くらい過ぎた後、浜田さんはステージ上で僕に……」
◇
――小室さんにとって1995年とはどんな年だったのでしょうか。前年に「TMN」の活動を一時終了してプロデュース業を本格化させ、trfや篠原さんの楽曲でミリオンヒットを連発した後に迎えた年でした。
「95年に入って突然、うそでしょ……というような未曽有の震災や事件が立て続けに起きて、何でも信じちゃいけない、でも、生きていかなくちゃいけないという時期になって、僕は余計に流行歌を作らないといけないと思うようになりました」
「TMでデビューした80年…
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- 【視点】
「刷新のスピードが速すぎて、熱狂し、余韻が広がる前に次の人が現れてしまう、というようなことはあるんだろうな、と思います」と。 この記事を読んで、流行のもつ積極的、また、消極的な意味について考えている。流行は新しい文化を創ることにつながるの
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- #1995からの現在知
- 【視点】
小室さんの活躍に比べるべくもないのですが、僕も神戸の震災があって、地下鉄サリン事件も起こった1995年にFantastic Plastic Machineという名前でデビューをしました。世の中に厭世観と世紀末感が溢れ始めたのもあって、音楽的
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- #1995からの現在知