新しく猫写真を中心としたブログを始めました。
自分が廃墟などに行かなくなったのもあり、少々ブログから遠ざかっておりましたし、しばらく更新することもなさそうです。
そこで、より長く続けるためにもう少し手軽で簡単な猫写真のブログを始めてみました。
http://catandman.blog.fc2.com/(猫の写真のブログ。)
今回はコンセプトが明解でひたすら猫の写真を上げるだけのブログです。
猫好きな方、そうでない方も是非ご覧なさってください。よろしくお願いします。
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奄美大島・手安集落にある旧陸軍弾薬庫跡
鹿児島県の奄美大島と加計呂麻島には多くの戦時の遺構が遺されています。
その奄美大島の南部・手安集落に日本陸軍が使っていた弾薬庫が、今も綺麗な状態で一般に公開されています。
陽が落ちた後に訪れたので外部の写真は撮れませんでしたが、ここは地下弾薬庫なので地下がメインです。
今から入っていく壕は出入口が2ヵ所、地下弾薬庫2棟が収まっているとても大規模な地下空間。
今から紹介していく壕の他にも1つ、壕が現存していますが、そちらは地震観測器具が収められていて入ることはできません。
大きく掘られた地下空間の中に、地下弾薬庫が独立した状態で建てられています。
その周りに緩衝空間が設けられているのは関ヶ原の弾薬庫と同じですね。
かなり規模が大きく、戦時中は南西諸島及び南方防衛の海陸空軍弾薬貯蔵補給基地として使われていた、と
現地の案内板に書いてありました。納得の大きさです。
さらに中へ。中の弾薬庫は玉の火薬庫と全く同一の造りです。
少し幅が広い気もしましたが、電燈が設置されているせいかもしれません。
落書きもありませんし、電燈はしっかり整備されていますし、ゴミも落ちていません。
普通の奄美観光ついでに立ち寄っても良い位でしょう。
奥まで入ってみました。かなり奥行きのある壕です。それに管理が行き届いているのが余計に異質な印象を与えてくれます。
書いていて気づきましたが、玉の弾薬庫とは微妙に石の区切りの大きさが違います。
それにやはりこちらも黒い塗料が全体に塗られていたのかも知れません。天井にそのようなものの跡が見えます。
弾薬庫の脇には連絡路があり、この先にも全く同じ弾薬庫があります。
…と、当時は思っていましたが奥行きが微妙に違うそうです。写真で見る以上は特に大きな違いはありません。
緩やかな弧を描く天井。
整然と積まれた石と何もない空間。
空けられた穴ぼこ。
旧陸軍弾薬庫跡
この弾薬庫跡は、旧陸軍により昭和七年に構築完成され、
戦時中は南西諸島及び南方防衛の海陸空軍弾薬貯蔵補給基地として厳戒態勢がとられていたため地元民は、
この壕の存在すら知らなかった。
終戦により、武装解除とともに大量の弾薬が運び出され、
当地沖の大島海峡にすてられて、初めて弾薬庫という事がわかった。
この施設の内部は網の目に組まれた鉄骨を厚いコンクリートで固め、さらに銅板を張りめぐらせ空気が漏れないように、
又、湿気防止のため周囲は空間を設け風圧に耐えるため二重壁の構造になっているなど、
当時の弾薬庫としては珍しく規模、構造とも日本で最も優れた施設であったと言われている。
大瀬戸町
↑
現地の看板を書き写してみました。
奄美大島・手安の旧陸軍弾薬庫跡については以上です。
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関ヶ原の弾薬庫を取り上げたのでなんとなく構造が似たこちらを取りあげてみました。
訪問は2013年の3月。もう大分昔の事になってしまいましたが、この施設は教習所の裏手にあることもあり、
おそらく他の軍事遺構のように荒らされることはないでしょう。
見ごたえのある、迫力ある遺構でした。
午前6時の伏見稲荷(2016年7月6日)
再訪:玉の火薬庫(2015年8月5日)
昨年の8月5日、関ヶ原の玉の火薬庫に再訪しました。
きっかけは覚えていませんが、ネットで綺麗にされて見学しやすくなった、とか京都新聞か何かで見たからだと思います。
今年も同じように公開されているとは限りませんが、とりあえず記事にしときます。
折しも鍾乳洞ブームに沸き立っていた私は、近くの関ヶ原鍾乳洞に行きたいのもあって暑い盛りに関ヶ原に向かいました。
見学しやすくされた壕はひとつだけ。
玉の火薬庫の地下式火薬庫群は関ヶ原鍾乳洞に隣接する所にあり、一番鍾乳洞に近い壕がこれです。
これまでに上げてきた廃墟然とした壕は関ヶ原鍾乳洞から歩いて3分くらいの所でこれとは別。ただし造りは全く同一。
シャッターがつけられ、何故か植木鉢が置いてあります(笑)
前室。パネルが置いてあって火薬庫の特徴や造りが結構細かく書いてあります。
ここの整備をした人は大分熱意のある人のようで、なかなか面白いパネルでした。
鍾乳洞に朝一番でタクシーで突っ込んだ時には開いていなかったので、おそらく鍾乳洞の人が管理しているのでしょう。
床と電灯が設置された以外は大きな手を加えられておらず、私が潜り込んだ濠と同じ雰囲気を感じることができます。
そして後室。ここからが本番だろ!と言いたい所ですが、柵が置いてあっちゃあ仕方ありません…
でも壁に触れないように中まで誘導路を入れた方が面白いと思うのですけどね。
奥にライトが設置され、人がのぞき込むと点灯するようになっています。なるほど見学しやすい。
奥をのぞき込んでみる…ライトがあればさぞ撮影しやすいでしょう。入ってみたいですねえ…
ちなみに私、以前の記事で『このような黒塗りの火薬庫は初めてだ。他にないのではないか』とか書いちゃいましたが、
ここ関ヶ原以外にも2ヵ所あって、実際に行ってきました。
奄美大島の片隅の手安にある旧陸軍弾薬庫(黒塗りではないですが)と、福岡県の絶海の孤島の小呂島にある弾薬庫です。
どちらも相当アクセスに難がありますが…他にどっかないかな??
それにしても酷い落書きです。黒塗りを残したままで落書きだけ消すなんて無理でしょう…
…まあ、公開壕はこんな感じです。
非公開壕は…こんな感じです。
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久しぶりの更新になってもうたなあ
次回は記事中に出てくる関ヶ原鍾乳洞についてでも書こうかな…