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2015年11月7日土曜日

FPSにおけるWASD設定の起源について2 [Quake覇者とHalf-Life編]

WASD
95年頃には、北米DoomシーンはDoomというゲームの特殊性と言いますか、著しいキー設定の制限によりESDF/RDFG設定を確立していました。95年の北米DoomシーンとはマイクロソフトがWindows 95普及の為のキラーソフトとしてDoom95を大々的に宣伝し、今日のオンラインマルチプレイヤーゲームの前身となる月額制ダイアルアップマルチプレイヤーゲームサービスDwangoにDoomを遠隔地の人と遊びたくて毎月9.95ドルを支払う人が1万人に迫る勢いで存在した…そんな時代です。

2015年9月13日日曜日

FPSにおけるWASD設定の起源について1 [はじまりはいつもDoom編]

アメリカ最初の競技プロゲーマーことThresh
しかし彼が今日でも成功者として広く知られているのは、
引退後に起業家としてアメリカ資本主義ゲームを勝ち続けているからです。
1337 MagazineによるThreshの記事に彼がWASD設定を普及させた旨がざっと記載されているのですが、言葉足らずというか内容的にモヤモヤしたので今回はWASD設定、いわゆるThresh Bindについてその歴史的背景など掘り下げてまとめておきます。

WASDとは上下左右のアローキーです

ビデオゲームにおける今日のWASD設定、Thresh BindとはThreshことDennis Fongによって96年に体系化され、98年リリースのHalf-Lifeがゲームデザインレベルでこのキー設定を取り入れた事で世界的な規格として一定の完成をみました。WASD設定は96年という時代とThreshという支配的勝者によってシーンへ浸透した事はまず間違いないでしょう。しかしThresh BindはQuakeの為の当時最も合理的なキー設定の一つでしたが、同時にQuake以前の時代には適用できないキー設定でもあった事を忘れてはなりません。

ugh