エッセイ44 感謝
2023-09-21
今回で私のエッセイは終わりになります。
一つ一つを毎日、投稿することで自分の文章の欠けているものに思い当たることができました。
視覚障害者のもっと辛い部分に本来ならスポットを当て、文章に挟み込むべきかもしれません。
けれど、できれば見える方々に楽しく読んでもらって少しでも視覚障害者の世界に関心を持ってもらいたいという私のコンセプトがあるので、この文章のまま、また前回のエッセイのように電子書籍にしようと思います。
読んで下さった方々に感謝です。
44.[感謝]
見えにくかったり、見えなかったりすると、当然人に助けてもらうことが多くなる。
その都度、感謝の気持ちを込めて「ありがとう」の言葉を伝えているが、以前はできていたことができなくなり、人にお願いしたり、助けてもらうことばかりで、時々、自分の存在価値を見失うこともある。
以前、神戸アイセンターで、高橋政代先生が旦那さんに向かって言った言葉「これだけ見えていないで、家事をするのって大変なことなのよ。褒めてあげてね。」に、泣きそうになった。
泣いてないけど。
神戸アイセンターの先生方の丁寧な対応や白内障手術、ロービジョンケアの受診で生活の工夫を教えていただき、感謝しかない。
日本はとても親切な人が多いと思う。
だが、たまに「かわいそう」と言う言葉やスマホを使っている視覚障害者のことをSNSで、「障害者のふりをしている」と暴言などを吐く人にたくさんの視覚障害者が傷ついている。
視覚障害者と一言で言っても、全盲の他に、弱視の見え方は、千差万別。
小さな頃から見えにくくなったり、ある日突然見えなくなったり。点字や音声パソコンやスマホを使いこなせる人もいれば、全く使いこなせない人もいる。便利な世の中になったとはいえ、家から出られないような視覚障害者もいるのだ。
あくまで私個人の考え方だけど、私といることで、視覚障害者への対応を学んでもらったり、私といることが単純に楽しいと思ってもらって、少しでも恩返しが出来るようにこれからも過ごしていきたいと思う。
私の病気が進行しても、その対応に躊躇なく手助けしてくれる友人たち、SNSで知り合った皆さま、おおさかパルコープの活動で知り合った友人、知人、神戸アイセンターの先生方、そしてもちろん、私の家族や親戚たち。
このエッセイをまとめて構成してくれた元編集の仕事をしていた叔父。
何より、私のそばで、エッセイの編集も含め、いつでも明るく面白く色々手助けしてくれる旦那さんに。
たくさんの感謝を。
そして、私の文章を最後まで読んでくださった皆様にも。
ありがとうございました。
一つ一つを毎日、投稿することで自分の文章の欠けているものに思い当たることができました。
視覚障害者のもっと辛い部分に本来ならスポットを当て、文章に挟み込むべきかもしれません。
けれど、できれば見える方々に楽しく読んでもらって少しでも視覚障害者の世界に関心を持ってもらいたいという私のコンセプトがあるので、この文章のまま、また前回のエッセイのように電子書籍にしようと思います。
読んで下さった方々に感謝です。
44.[感謝]
見えにくかったり、見えなかったりすると、当然人に助けてもらうことが多くなる。
その都度、感謝の気持ちを込めて「ありがとう」の言葉を伝えているが、以前はできていたことができなくなり、人にお願いしたり、助けてもらうことばかりで、時々、自分の存在価値を見失うこともある。
以前、神戸アイセンターで、高橋政代先生が旦那さんに向かって言った言葉「これだけ見えていないで、家事をするのって大変なことなのよ。褒めてあげてね。」に、泣きそうになった。
泣いてないけど。
神戸アイセンターの先生方の丁寧な対応や白内障手術、ロービジョンケアの受診で生活の工夫を教えていただき、感謝しかない。
日本はとても親切な人が多いと思う。
だが、たまに「かわいそう」と言う言葉やスマホを使っている視覚障害者のことをSNSで、「障害者のふりをしている」と暴言などを吐く人にたくさんの視覚障害者が傷ついている。
視覚障害者と一言で言っても、全盲の他に、弱視の見え方は、千差万別。
小さな頃から見えにくくなったり、ある日突然見えなくなったり。点字や音声パソコンやスマホを使いこなせる人もいれば、全く使いこなせない人もいる。便利な世の中になったとはいえ、家から出られないような視覚障害者もいるのだ。
あくまで私個人の考え方だけど、私といることで、視覚障害者への対応を学んでもらったり、私といることが単純に楽しいと思ってもらって、少しでも恩返しが出来るようにこれからも過ごしていきたいと思う。
私の病気が進行しても、その対応に躊躇なく手助けしてくれる友人たち、SNSで知り合った皆さま、おおさかパルコープの活動で知り合った友人、知人、神戸アイセンターの先生方、そしてもちろん、私の家族や親戚たち。
このエッセイをまとめて構成してくれた元編集の仕事をしていた叔父。
何より、私のそばで、エッセイの編集も含め、いつでも明るく面白く色々手助けしてくれる旦那さんに。
たくさんの感謝を。
そして、私の文章を最後まで読んでくださった皆様にも。
ありがとうございました。
エッセイ43 温泉
2023-09-20
温泉は本来、のんびりとくつろぐ場所。
ところが、視覚障害者が、一人で入る場合、行く前から不安を抱えつつ、入って着替え終わるまで気が抜けないのです。
43.[温泉]
子供たちが成長し、2人とも家を出てから
はじめての夫婦2人だけの旅行のときの話だ。
1泊目。場所はとある温泉。
温泉の大浴場は、視覚障害者にとってなかなかハードルが高い。
まさか女湯に旦那さんに一緒に行ってもらうわけにはいかない。
もし、そんなことをしたら、大惨事だ。
なので、1泊目の温泉は温泉旅館の家族風呂が付いている部屋にした。
そういう部屋はとてつもなくお値段が高い。
お値段が高いのだから、当然素晴らしいのだろうと期待もあった。
ところがだ。
部屋のベランダのような場所に置いてあったのは、2人がどうにかこうにか入れる小さな風呂。しかも、外は、温泉街のど真ん中ということで、人が行き来している。
そのまま入れば、外から丸見えになってしまうので、風呂に入る時はベランダにある目隠しの雨戸を閉めて、入らなければならない。
…ほほう。
なんか想像と違う。
私には、外の景色は、どうせ見えないのだけれど、この風呂は、私の想像していた家族風呂のイメージとは違い過ぎた。
景色が遮断された旦那さんには、なおさら残念な風呂だったと思う。
そんなわけで、期待していたはずの家族風呂は微妙な感じで終わった。
2泊目は岐阜の高山。
ここでは、家族風呂がなかったので、大浴場に、入ることにした。見えにくくなってからはじめての一人での大浴場。
いつもの私の白杖では、ごつすぎるので、人に避けてもらうために、昔使っていたシンボルケーンと言う細い折りたたみ式の白杖を持って入ってみた。
まずは更衣室。
服を置く場所は1番わかりやすい端っこをゲット。
服を脱ぎ、手には自分が使うシャンプーコンディショナーなど。右手には、シンボルケーンを持ち、左手のタオルで、いろいろ隠しつつ風呂場へ入場。
このシンボルケーンを持っていないと、ただの怪しい動きの人になってしまうので「私は視覚障害者なんですよ」と言うアピールが大事だ。
すり足で進みつつ、壁を手で触りつつ、音を頼りにまずは洗い場へ。
なぜシャンプーなどを自前で持ってきたかと言うと、普通のシャンプーなどのボトルの上には、手で触るとわかるようなポチポチが付いていたりするのだが、大抵大浴場は詰め替えをしてあったりするので、見分けがつかないからだ。
体を洗い、自分の荷物を持ち、温泉の中へ。風呂の端っこの方へなんとかたどり着き、端っこに、折りたたんだシンボルケーンと荷物を置き、お湯の中へ。
あぁせせこましい。荷物を見失う事など考えずに、真ん中のほうへ入ってドーンとくつろぎたい。
がしかし、戦いはまだ始まったばかり。温泉と言えば、醍醐味は露天風呂。
露天風呂は、視覚障害者にとってさらにハードルが高い。
まずは場所を突き止め、段差を乗り越えつつ、ドアを開き、外へ出て、足元の凹凸に気をつけながら風呂を探さねばならない。素っ裸で転んだりしたら目も当てられない。
結局、小心者の私は、戦うことを放棄し、露天風呂を諦め、またすり足でなんとか着替える場所へ戻りつつ、無事に着替えを終えたのであった。
後で聞いた話だが、大浴場の着替える場所にある洗面台にお高そうな化粧水や乳液やら色々とあったらしい。
くそ。試してみたかった。
そして見えていた頃は、いつものケチくさい感じで、せっかく泊まったのならば、大浴場の温泉は、3回は入りたいと思っていたものの、1回で諦めてしまい、何かものすごく損をしたように感じつつ、旅行を終えたのであった。
ところが、視覚障害者が、一人で入る場合、行く前から不安を抱えつつ、入って着替え終わるまで気が抜けないのです。
43.[温泉]
子供たちが成長し、2人とも家を出てから
はじめての夫婦2人だけの旅行のときの話だ。
1泊目。場所はとある温泉。
温泉の大浴場は、視覚障害者にとってなかなかハードルが高い。
まさか女湯に旦那さんに一緒に行ってもらうわけにはいかない。
もし、そんなことをしたら、大惨事だ。
なので、1泊目の温泉は温泉旅館の家族風呂が付いている部屋にした。
そういう部屋はとてつもなくお値段が高い。
お値段が高いのだから、当然素晴らしいのだろうと期待もあった。
ところがだ。
部屋のベランダのような場所に置いてあったのは、2人がどうにかこうにか入れる小さな風呂。しかも、外は、温泉街のど真ん中ということで、人が行き来している。
そのまま入れば、外から丸見えになってしまうので、風呂に入る時はベランダにある目隠しの雨戸を閉めて、入らなければならない。
…ほほう。
なんか想像と違う。
私には、外の景色は、どうせ見えないのだけれど、この風呂は、私の想像していた家族風呂のイメージとは違い過ぎた。
景色が遮断された旦那さんには、なおさら残念な風呂だったと思う。
そんなわけで、期待していたはずの家族風呂は微妙な感じで終わった。
2泊目は岐阜の高山。
ここでは、家族風呂がなかったので、大浴場に、入ることにした。見えにくくなってからはじめての一人での大浴場。
いつもの私の白杖では、ごつすぎるので、人に避けてもらうために、昔使っていたシンボルケーンと言う細い折りたたみ式の白杖を持って入ってみた。
まずは更衣室。
服を置く場所は1番わかりやすい端っこをゲット。
服を脱ぎ、手には自分が使うシャンプーコンディショナーなど。右手には、シンボルケーンを持ち、左手のタオルで、いろいろ隠しつつ風呂場へ入場。
このシンボルケーンを持っていないと、ただの怪しい動きの人になってしまうので「私は視覚障害者なんですよ」と言うアピールが大事だ。
すり足で進みつつ、壁を手で触りつつ、音を頼りにまずは洗い場へ。
なぜシャンプーなどを自前で持ってきたかと言うと、普通のシャンプーなどのボトルの上には、手で触るとわかるようなポチポチが付いていたりするのだが、大抵大浴場は詰め替えをしてあったりするので、見分けがつかないからだ。
体を洗い、自分の荷物を持ち、温泉の中へ。風呂の端っこの方へなんとかたどり着き、端っこに、折りたたんだシンボルケーンと荷物を置き、お湯の中へ。
あぁせせこましい。荷物を見失う事など考えずに、真ん中のほうへ入ってドーンとくつろぎたい。
がしかし、戦いはまだ始まったばかり。温泉と言えば、醍醐味は露天風呂。
露天風呂は、視覚障害者にとってさらにハードルが高い。
まずは場所を突き止め、段差を乗り越えつつ、ドアを開き、外へ出て、足元の凹凸に気をつけながら風呂を探さねばならない。素っ裸で転んだりしたら目も当てられない。
結局、小心者の私は、戦うことを放棄し、露天風呂を諦め、またすり足でなんとか着替える場所へ戻りつつ、無事に着替えを終えたのであった。
後で聞いた話だが、大浴場の着替える場所にある洗面台にお高そうな化粧水や乳液やら色々とあったらしい。
くそ。試してみたかった。
そして見えていた頃は、いつものケチくさい感じで、せっかく泊まったのならば、大浴場の温泉は、3回は入りたいと思っていたものの、1回で諦めてしまい、何かものすごく損をしたように感じつつ、旅行を終えたのであった。
エッセイ42 カラオケ
2023-09-19
昔なら諦めていたことが沢山の方々や企業さんのアプリや便利グッズで楽しむことができるようになり、感謝です。
AI機能付きのカラオケ本体も現れたり。
あとはこれがあったらなぁと勝手ながら書いてみました。
42.[カラオケ]
私は歌が大好きだ。
家事をしながら、音楽を流し、何かしら歌っていることが多い。
そんなわけで、カラオケも大好きだ。
今までの最高記録は夫婦でフリータイム7時間。お互いに全く相手の歌を聞かずに休みなしで、交互に歌を入れ、歌い続けた。
とても楽しい時間だった。
ところがである。
視力が低下するにつれ、モニターの歌詞が見えなくなってしまった。
何とか立って近づいて読めた時もあったが、基本、私の好きな歌は、ロックバンド系が多く、早口言葉か!とツッコミたくなるような歌も多い。
若かった頃は、それも繰り返し歌うことで、歌詞を覚えることができていたが、読めなくなり、耳だけで聞くことではなかなか覚えられなくなってしまった。
まぁ、認めたくはないが、年齢的なことも関係しているとは思う。
今の私では、カラオケの曲を選ぶモニター自体も見えない。ところがどっこい、今はとても便利な時代。
自分のiPhoneにカラオケ用のアプリを入れ、カラオケの機械と連動させ、VoiceOverで曲を選んで、手元で曲目を送信することができる。
あとは、歌詞が見えないと言うことが問題である。歌詞を先に読み上げてくれるようなカラオケ用のアプリはとても操作が難しく、複雑でうまく使いこなせない。
ロービジョンフェアやバリアフリー展などに行き、今までいろいろな便利なアプリやグッズを見てきた。
たくさんの企業さんが視覚障害者が生活しやすくなるための開発をしてくれていて感謝しかない。
ただ、それはほとんどが生活に直結したものが多い。
遊びのためというアプリが極端に少ない気がする。
カラオケ好きな視覚障害者は私の他にもたくさんいると思うので、どうか、簡単な操作でカラオケで使えるアプリの開発をどうぞよろしくお願いしたい。
AI機能付きのカラオケ本体も現れたり。
あとはこれがあったらなぁと勝手ながら書いてみました。
42.[カラオケ]
私は歌が大好きだ。
家事をしながら、音楽を流し、何かしら歌っていることが多い。
そんなわけで、カラオケも大好きだ。
今までの最高記録は夫婦でフリータイム7時間。お互いに全く相手の歌を聞かずに休みなしで、交互に歌を入れ、歌い続けた。
とても楽しい時間だった。
ところがである。
視力が低下するにつれ、モニターの歌詞が見えなくなってしまった。
何とか立って近づいて読めた時もあったが、基本、私の好きな歌は、ロックバンド系が多く、早口言葉か!とツッコミたくなるような歌も多い。
若かった頃は、それも繰り返し歌うことで、歌詞を覚えることができていたが、読めなくなり、耳だけで聞くことではなかなか覚えられなくなってしまった。
まぁ、認めたくはないが、年齢的なことも関係しているとは思う。
今の私では、カラオケの曲を選ぶモニター自体も見えない。ところがどっこい、今はとても便利な時代。
自分のiPhoneにカラオケ用のアプリを入れ、カラオケの機械と連動させ、VoiceOverで曲を選んで、手元で曲目を送信することができる。
あとは、歌詞が見えないと言うことが問題である。歌詞を先に読み上げてくれるようなカラオケ用のアプリはとても操作が難しく、複雑でうまく使いこなせない。
ロービジョンフェアやバリアフリー展などに行き、今までいろいろな便利なアプリやグッズを見てきた。
たくさんの企業さんが視覚障害者が生活しやすくなるための開発をしてくれていて感謝しかない。
ただ、それはほとんどが生活に直結したものが多い。
遊びのためというアプリが極端に少ない気がする。
カラオケ好きな視覚障害者は私の他にもたくさんいると思うので、どうか、簡単な操作でカラオケで使えるアプリの開発をどうぞよろしくお願いしたい。
エッセイ41 ネタ
2023-09-18
エッセイは44までとなります。後、少しとなります。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
41.[ネタ]
私はこのエッセイをどういう風に書いているかと言うと、iPhoneのメモ機能に小さなネタごとに新規作成で書いている。
題名は短く名詞でと決めているので、例えば「料理」や「趣味」など。
書きたいことを、思いつくままに、書き続け、ネタの目標個数に近づいてきたところで、ネタ切れしつつある。
そこで、旦那さんに何かネタはないかとと聞いてみた。
すると、「テレビ」「電車」、「観葉植物」など次々と適当に名詞を言ってくるではないか。
いやいや、待て待て。
私は視覚障害者ネタを探しているのであって、そんな適当にお題を出されても。、と伝えたら、
「IPPONや笑点の大喜利の練習になるやろ?」と言われた。
いや、別に、私のエッセイは、事実を書いているのであって、別に大喜利の練習をしたいわけではない。旦那さんと、なんか微妙にネタの意味のズレを感じる私なのであった。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございます。
41.[ネタ]
私はこのエッセイをどういう風に書いているかと言うと、iPhoneのメモ機能に小さなネタごとに新規作成で書いている。
題名は短く名詞でと決めているので、例えば「料理」や「趣味」など。
書きたいことを、思いつくままに、書き続け、ネタの目標個数に近づいてきたところで、ネタ切れしつつある。
そこで、旦那さんに何かネタはないかとと聞いてみた。
すると、「テレビ」「電車」、「観葉植物」など次々と適当に名詞を言ってくるではないか。
いやいや、待て待て。
私は視覚障害者ネタを探しているのであって、そんな適当にお題を出されても。、と伝えたら、
「IPPONや笑点の大喜利の練習になるやろ?」と言われた。
いや、別に、私のエッセイは、事実を書いているのであって、別に大喜利の練習をしたいわけではない。旦那さんと、なんか微妙にネタの意味のズレを感じる私なのであった。
エッセイ40 美容院
2023-09-17
美容院に行くのはちょっとめんどくさい。でも、行った後は、サッパリして何だかウキウキ♪
40.[美容院]
地元に10年以上通っている美容院がある。
私の目の難病は進行性なので、その都度どういう対応をしてほしいかを伝えるようにしている。
最初の頃は、白杖を受付で預け、美容師さんの肩を借りながら席まで誘導してもらい、視力があったので、ルーペで雑誌を見たり、普通の他のお客さんと同じ対応をしてもらっていた。
そこから、雑誌がもう見えないことを伝えたら、そのことをちゃんと覚えてくれて、次からは持ってこなくなった。
自分の顔が見えなくなったら、仕上げに「どうですか?」と聞きながら鏡を出してくる工程もなくなった。
これがとても助かる。
一度言っただけで向こうはメモしているのか理解してくれているようである。
まさに神対応である。
ただ、1つだけ困ったことが。
たまに髪も染めてもらうのだが、髪染めの間とてつもなく暇なのである。
イヤホンで小説を聴くにも、イヤーカバーをつけているので、それはできない。
髪染めをしてる間は、店員さんは、他のお客さんの対応に当たっているので一人ぼっちだ。
なので、微妙に目をつぶった、眠ったような演技をしながら、他のお客さんと美容師さんの会話に聞き耳を立てて楽しんでいるのである。
40.[美容院]
地元に10年以上通っている美容院がある。
私の目の難病は進行性なので、その都度どういう対応をしてほしいかを伝えるようにしている。
最初の頃は、白杖を受付で預け、美容師さんの肩を借りながら席まで誘導してもらい、視力があったので、ルーペで雑誌を見たり、普通の他のお客さんと同じ対応をしてもらっていた。
そこから、雑誌がもう見えないことを伝えたら、そのことをちゃんと覚えてくれて、次からは持ってこなくなった。
自分の顔が見えなくなったら、仕上げに「どうですか?」と聞きながら鏡を出してくる工程もなくなった。
これがとても助かる。
一度言っただけで向こうはメモしているのか理解してくれているようである。
まさに神対応である。
ただ、1つだけ困ったことが。
たまに髪も染めてもらうのだが、髪染めの間とてつもなく暇なのである。
イヤホンで小説を聴くにも、イヤーカバーをつけているので、それはできない。
髪染めをしてる間は、店員さんは、他のお客さんの対応に当たっているので一人ぼっちだ。
なので、微妙に目をつぶった、眠ったような演技をしながら、他のお客さんと美容師さんの会話に聞き耳を立てて楽しんでいるのである。