ちーさんのイイネあつめ

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【創作】十年後のあなたへ──のべらっくす第7回

今月も参加しました。毎月の恒例行事になりつつありますね(笑)

novelcluster.hatenablog.jp

あとがき的コメントは、本編のあとで。続きからどうぞ。

 

 

十年後のあなたへ

 

 半分眠った状態でデスクに到着する。へろへろの声で周りに朝の挨拶をすれば、周りからも似たような声が返ってくる。雑談なんてしている余裕はない。自分のパソコンの電源のつけると、起動時間の間にデスクの引き出しからコーヒーとマグカップを取り出し、最初に出勤した人が沸かしたポットから、お湯が跳ねないように慎重にドリップする。コーヒーの香りが鼻をくすぐり、なんとか脳みそが覚醒し始めるのを感じる。
 デスクに戻れば、ちょうどパソコンがログイン画面で待ち構えていて、打ち慣れたIDとパスワードをキーボードで叩く。それからようやく淹れたコーヒーを一口。大学生の頃には毎朝飲んでいた豆を挽くところから始めるコーヒーにはおよばないが、インスタントに比べればずいぶん旨い。目が覚めると同時に、疲れが一瞬溶けていくのを感じる。そういえば、家のコーヒーセットは、この一年戸棚に眠ったままだ。そのうち手入れだけでもしなければ、使いたいときにすぐ使えなくなってしまうだろう。
 まぁ、そんな暇がいつできるかわからないけど。
 立ち上がったパソコンを操作し、メールソフトやらブラウザやらフォルダやら、迷いなく次々と必要なアプリを起動しながら、貴弘は心の中でひっそりと苦笑を漏らした。

 

 いわゆるブラック企業がメディアを騒がせ始めてはや数年。大学生の自分たちが思っているほど、ほんとのブラック企業は少なくて、それに当たる確立なんて、ちゃんと就活していれば、ほとんどないに等しい。今の会社から内定をもらい、実際に入社するまでは、そんなふうに軽く考えていた。
 入社後一ヶ月。先輩社員とは隔離された会議室での簡単な座学研修が終わると、いきなり騒然とした現場に放り投げられた。知識も経験も全然ないのに、次から次へと上司からの指示が飛び、昼休みを取るどころか、トイレに行くことすら覚束ない日々が続いた。ちょっと腹が痛くてトイレに篭っていただけで、戻ってきた瞬間に上司の怒号がフロア一帯に響いた。それ以来、腹痛の薬がデスクの常備薬のひとつである。
 入社してはや六年。この六年間、休みといえば、大晦日と元旦とあと数日。家に帰れるのは、早くて日が変わる直前。朝は毎日変わらず九時。知識と経験はちょっとはついたけれど、それでも上司の罵声が飛ばない日はない。何度か倒れかけ、そのたびに出社することに恐怖した。そんな戦場のような会社で、貴弘は肉体的にも精神的にもずいぶん消耗していた。
 気づけば同期の中で残っているのは、貴弘だけになっていた。入社時から在籍している先輩方も当時から半分以下に減っている。中途採用やら新卒採用やらで新人は何人も入ってくるが、そのほとんどが入ってすぐにここを去っていった。残っているのは、会社に不満を持ちながらも、社内で声を上げる勇気も、仕事を辞める勇気も持ちあわせていないヘタレばかりだ。
 もちろん、貴弘にもそんな勇気はない。辞めてさらにブラックな会社に入ってしまったり、そもそも仕事が全く見つからなかったりしたら、と嫌な未来ばかり想像して、足がすくんでしまう。結局、薄給で働き詰めの毎日だが、とりあえず六年も働いてこれたから大丈夫、と自分をごまかし続けている。が、そろそろそれも限界かもしれない。朝、起きれなくなってきた。疲れているのに、夜は夜で眠れない。食も細くなったし、体は疲れが溜まってガチガチだ。朝はコーヒー、夕方からはエナジードリンクが手放せない。気を抜くと、ふと考えてしまう。こんな生活しかできないような人生なら、終わらせてしまえばいいんじゃないかって。
 今日も朝イチから上司の罵声がフロアに響く。それがいつも以上に頭を揺さぶる。なんとか意識を覚醒させながら、貴弘は無心で今日の作業に取りかかった。

 

 午前〇時。いつもの最終電車をホームで待つ。今日はやたらと酔っ払いが多いと思えば、いわゆる花金というやつだった。休みをほとんど取っていないから、曜日感覚がほぼ失われている。
 明日は土曜日だが、当然のように出勤を言い渡されている。上司の本音は、部下たち全員がロボットになって365日24時間働けるようになってくれれば、というところだろう。先に帰った上司に業務報告メールを送信すると、嫌味だらけの返信が返ってきた。この状況だったら徹夜が当たり前だろ、と書かれていなくても言われているみたいで、気分が憂鬱になる。明日もきっと怒鳴り声から一日が始まるのだろう。
 ふっと、電車が来た瞬間に飛び込んだらどうなるのだろう、という考えが頭をよぎって、ゆるやかに首を振ってそれを否定する。この最終電車が遅れたがために、乗り換えで次の最終電車を逃すなんて人もいそうだ。後始末だって大変だろう。他人に迷惑がかかる方法ではさすがに死ねない。それぐらいの理性とプライドは残っているつもりだ。
 ただ、毎日夢想する。大災害でも起こって倒壊に巻き込まれないかなとか、ラクに死ねる薬を与えてくれる誰かが現れないかなとか、そんな迷惑をかけない人生の終わらせ方を。

 

 深夜一時も回った頃、ようやく自宅に辿り着いた。遅くまで終電があるというのも良し悪しである。通勤時間は同じくらいでも、終電が早いからという理由で一時間も早く帰れる同僚がいて、正直うらやましいを通り越して恨めしい。
 眠い体を引きずりながらエントランスのセキュリティロックを解除し、集合ポストに足を運んだ。ポスティングチラシはほとんど入ってこないから、たいてい空なのだけれど、学生時代に新聞を取っていた頃の癖で、つい覗いてしまう。
 投函口から中を見ると、なにやら封筒が入っている。真っ白の封筒。差出人は──さすがに取り出さないと分からなさそうだ。ポストのロックをのろのろと回し、扉を開く。
 がらんとしたポストの中から封筒を取り出すと、まずは裏返して差出人を確認しようとした。だが、封筒の裏には何も書かれておらず、表を返しても。書かれているのはここの住所と自分の名前だけだ。
 警察に届けたほうがいいんだろうか。差出人不明の封筒とか怪しいにもほどがある。
 頭上の電灯に透かしてみると、中に入っているのは、数枚の便箋だけで、カミソリやらの凶器が入っているようには見えない。
 こんな深夜に疲れた体を引きずってまで、交番には行きたくなかった。
 考えるのも面倒くさくなって、貴弘はその封筒を手に自宅へとエレベーターを上った。危険はなさそうだから、とりあえず開けてみるのが一番よさそうだ。
 自室のカギを開け中に入ると、カバンを下ろしてベッドに寝転がる。シャワーは明日の朝にしよう。寝間着に着替えるのも面倒くさい。私服通勤だから、このまま寝ても問題ないだろう。
 すぐに瞼が重くなってくるが、なんとか手を動かして、謎の封筒を開封する。やはり、中身は数枚の便箋だ。眠い頭で内容が入ってこない。ただ、その汚くて子供っぽい字には見覚えがあった。

 

 10年後、28歳の俺へ

 

 手紙はそう始まっていた。差出人は、十八歳の自分だ。
 貴弘の頭の中には、薄らぼんやりとその文字を書いた頃のことが思い出された。そう、卒業祝いの一つとか何とか言われて、十年後の自分に手紙を書いたのだ。
 懐かしさと恥かしさを感じながら、手紙を読み進める。
「彼女はいますか? 結婚はできそうですか? むしろ、子供いたりとかしますか?」とかなんとか、恋愛関係の疑問符が大量に並んでいる。当時の貴弘には、彼女ができる気配は微塵もなかったから、その方面に大いなる不安があったのだろう。一応、大学時代に彼女はできたけれど、今の会社に入って数ヶ月で別れた。仕事漬けで中々会えなくなったのが災いしたのだ。それ以来、デートすらご無沙汰である。十八歳の自分が危惧した通りになっていて、なんだか申し訳ない。
 気になることは出尽くしたのか、途中からは夢語りが始まった。「何をするのかはまだ決まってないけれど、将来は大物になるんだ」とか、「でっかい夢、追いかけてるか?」とか、夢も何も持ってなかった十八歳の自分は、大学に入れば、社会に出れば、自分に相応しいでっかい夢が見つかって、それに向かって邁進する毎日が始まると、本気で信じていたみたいだ。我ながら青臭すぎて笑えてくる。
 内容チェックをした担任に何か言われたのか、最後に後から付け足したと思われる一文があった。

 

 これから10年、俺頑張るから、お前も38歳までの10年を頑張れよ!

 

 きっと、質問ばかりじゃなくて、もっと自分の伝えたいことも書け、とでも言われたのだろう。初めて担任を持つ若い女教師の困ったような顔が頭によみがえる。それで渋々文章を付け足した記憶がぼんやりとだが残っていた。
 けれど、なんてことを書いてくれたんだろう、十年前の自分は。
 貴弘は瞼を閉じると、湧き出してきた涙をなんとか押しとどめる。なんだか、泣けてきてしまった。
 自分は今、何をしているんだろう。毎日毎日上司に怒鳴られ、やりたくもない仕事で朝から晩まで働き詰め。でっかい夢なんてちっとも持っちゃいないし、それどころか自分の家族を持つことすら夢のまた夢みたいな状態だ。
 これからの十年を頑張る? そんなこと、考えてもなかった。終わらせることしか、ここ最近は頭になかった。もう終わりにしたかった。こんなにつらいなら、人生に意味なんて無いって思ってしまっていた。
 それなのに、どうしてこんなタイミングでこの手紙を受け取ってしまったのだろう。さっき乗った最終電車。乗らずにホームから飛び降りればよかったんだろうか。そうしたら、後腐れなく人生からオサラバできていたんだろうか。
 涙に潤む瞳で、貴弘は改めて十年前の自分から届いた手紙を眺める。
 くせっけの多い文字。慌てて取ったノートは、いつもテスト前に読み返して自分でも解読できなかった。それでも、この手紙はすべて読みきれたのだから、当時の自分はそれなりに真剣にこの手紙を書いたんだろう。イベント事の情景はともかく、高校生の頃の考えなんて、もはや何一つ思い出せない。それでも、今の自分を見てがっかりするんだろうな、とは思った。こんな未来に辿り着かないように、もっと必死に勉強したり、就活したりするのかもしれない。
 どうしてこうなったんだろう。どこで選択を間違えたんだろう。どこで何を選べば、もっと幸せな未来に進めたんだろう。
 そんなことをグルグル考えているうちに、気づけばそのまま眠りに落ちていた。

 

 目が覚めると、やたらとカーテンからの日差しがまぶしい。頭は冴え渡り、久々に体が軽い。時間を確認するためにポケットに入れっぱなしだった携帯を見れば、時刻はおやつ時を示している。当然ながら鬼のような数の着信が会社から入っていた。マナーモードのまま眠ってしまったから気づかなかったようだ。いくつか留守録もあるみたいだが、内容の想像がつくから聞く気にはなれない。
 それに、そんなことはどうでもよかった。
 六年もの間、自分は何をしてきたんだろう。仕事詰めという名の牢獄に囚われて、何も考えてこなかった。一八歳の頃の自分をこんなにも台無しにしてきた。
 着信ランプが灯る。再び会社からだ。
 怒鳴り声を覚悟しながら通話ボタンを押す。予想通り言葉にならない怒声が鳴り響いた。
 一分だろうか、もっとだろうか、怒鳴り疲れた上司の声が一瞬止む。
「今日で、仕事辞めます」
 淡々とそれだけ言うと、返答も待たずに携帯の電源を切った。途端に体が震えてくる。誰かに逆らったことなど初めてだった。それに、こんなにも気分がいいのも初めてだった。
 まずは、十年後の自分に手紙を書こう。十年前の自分のように。十年後を夢見る手紙を書こう。そして、今度はそれを誇らしい気持ちで受け取るのだ。この十年を確かな足取りで歩いて。

 

了

 

サブテーマを考えてて、タイムカプセルが思い浮かんだんですが、それだと普通だなぁ、と悩んでいたところに、未来の自分への手紙ってのがひらめきました。
大学の頃に三ヶ月後の自分へっていうのでやったことがあって、ずいぶんと励まされた記憶があるので、それを利用。
なんかサービスあるのかな、と思ってググったらあったよ。

npo-mirainet.com

未来への手紙っていうテーマで脳内盛り上がって見切り発車したらオチがイマイチだった。次回への課題だなぁ。