「保守本流」の思想的源流、今学ぶべき石橋湛山 『石橋湛山を語る』田中秀征氏に聞く

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『石橋湛山を語る いまよみがえる保守本流の真髄』田中秀征、佐高 信 著
[著者プロフィル]田中秀征(たなか・しゅうせい)/元経済企画庁長官、福山大学客員教授。1940年生まれ。83年、衆議院選挙に無所属で出馬し初当選。92年、本誌で細川護煕氏と対談し意気投合。93年、自民党離党、新党さきがけ結成。細川内閣で首相特別補佐。96年、自社さ連立政権の橋本龍太郎内閣で国務大臣・経済企画庁長官(撮影:尾形文繁)
石破茂首相は所信表明演説で石橋湛山の言葉を引用した。なぜ今、湛山か。湛山に傾倒してきた田中秀征氏に聞いた。

「自民党本流」と「保守本流」

石橋湛山を語る いまよみがえる保守本流の真髄 (集英社新書)
『石橋湛山を語る いまよみがえる保守本流の真髄 (集英社新書)』(田中秀征、佐高 信 著/集英社新書/1155円/240ページ)書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします。

──保守とリベラルは対立概念のように語られますが、田中さんは、ハト派で寛容でリベラルな態度こそが保守だと説いてきました。

私は自民党にはいわば「自民党本流」と「保守本流」というべき2つの流れがあると言ってきた。

戦前の国策を肯定的に受け止める自民党本流の源流は岸信介。敗戦後、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監されたが、不起訴となって釈放。政界復帰を果たし、1955年の保守合同、自由民主党の結成を主導した。安倍晋三元首相は祖父の岸を尊敬していたし、亡くなるまで自民党綱領を“党是”として振りかざし自民党政権を牽引した。

一方、保守本流の思想的源流が湛山だ。先の大戦に際しては当初から国策の間違いと批判していた。湛山をはじめ、大戦の反省を共有し、戦後日本を構想して運営した人たちが保守本流だ。吉田茂や湛山の後に池田勇人、田中角栄、大平正芳、宮澤喜一らが続き、私自身もその流れの中で政治活動をしてきた。石破首相も保守本流の立ち位置を自覚していると思う。

──自民党の綱領は自民党本流の人たちが作ったものですね。

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