トイアンナのぐだぐだ

まじめにふまじめ

フェミニストであることに疲れた。

 

最近思う、もうフェミニストやめたいなと。

 

もともと、フェミニストは資格制度でもなんでもない。ざっくり言えば、女性の人権を求めて何らかの言動をする人のこと……くらいに思ってもらって構わない。

 

そして、その中には過激派と穏健派がいる。過激派は「ラディカル・フェミニズム」と呼ばれ、ポルノの弾圧やこれまで自分たちの人権を奪ってきた男性からの復権を訴える。

対して穏健派の「リベラル・フェミニズム」は、弱者男性(KKO=キモくて金のないおっさんという、最も支援の手が届きにくいとされる方を指す界隈の用語)らとも組んで、男性だから稼げ、女性だから家事をやれといった性差別からみんな解放されて楽になろうよ、という立場だ。私はがっつり後者で、リベラルどころか「ゆるふわフェミニスト」くらいの位置づけにいると思う。

 

ゆるふわフェミニストから見た世界

専業主婦になりたい人はなればいいし、共働き志向ならそれもいい。私はむしろ主夫が欲しいタイプだ。だから「男が女を守るべし」「嫁さんに食わせてもらうなんてヒモじゃないか」という言説にはモヤモヤする。家事をやる人間をヒモ呼ばわりしないでくれ…それがたとえ妻でも夫でも、と。

 

さらに、フェミだからって四六時中"男女は同じ"と割り切って生きられるほど私は強くない。人生で何度も自分がパートナーに「男らしく」リードされたいと感じたことがある。そして実際に荷物を持ってもらったことが嬉しかった。

今のパートナーも同じで、普段は私の男女平等意識を楽に感じるらしいが、エスカレーターで下の段に立つとか、重い荷物を持つといった思いやりの面で、ある程度ルールがあると安心するのだという。確かに、それまでお互いエスカレーターで「どうぞどうぞ」とやっているのは面倒だった。

 

人生の中では男社会に染まったこともある。激務に身をやつして、仕事のために家庭を捨てることに焦がれた。

最近は育休を取得して転換を命じられた方が揉めたが、かつての名誉男性らしい自意識に染まった私なら、それを当然と思ったかもしれない。そこから体を壊す先輩を見て「やっぱりみんな楽に暮らせる方がいいや」と思い直して今の私がいる。

 

こんな風に、私のフェミニズムはブレブレで変則的だ。私はフェミニストかもしれないが、フェミニズムのために生きているわけではない。価値観が変わっても、身近な人とお互い納得していればいいじゃないか。

パートナーが変われば相手の希望する「男女観」も変わるし、そこでお互いが許容できる範囲なら、それも多様性ってことで。と、ゆるふわフェミニストは思っていた。

 

それでもフェミニストを名乗っていたのは、「相互がOKならええんちゃうの」を超えてマスメディアで"男たるもの/女たるものかくあるべし"と発信されるのにはうんざりしていたからだ。そんなのは当事者が決めることだ。マスメディアで大量に「男に愛される3つのテク」なんてものばかりが報道されたら、世間のプレッシャーが増すじゃないの。

 

私は恋愛ライターなので、「愛されテクについて書いてくれ」と依頼をいただくこともある。そういうときは結論に「確かにこれら3つのテクを使えばモテるけど、それで幸せなの?それでいいの?」とサブリミナルのように疑問を呈してきた。

 

だが、ゆるふわフェミニストは、生きづらいのだ。

 

沸き起こるフェミ vs アンチフェミ抗争

最近、ネットでフェミニストが目立ち始めた。かつての #metoo は私も革命だ! と喜んだ。発信者の属性でバッシングされたりもしたが、過去の性被害を訴える権利は誰にでもある。そのともしびが消えなければよいと思っていた。

 

しかしいつからか、ネットの過激なフェミニスト vs 反フェミニストの争いが始まった。「フェミニズム側だし……」と発信者の発言を見ても、正直うーんと言わざるを得ないものが目につく。

 

男を休日ゴロゴロさせるような妻は女の皮を被りながら男尊女卑に加担する"名誉男性"だ、女の業績を批判する人間は女でも名誉男性だ、などなど。いやあ、それただのミサンドリー(男性嫌悪)ですやん……。

 

中には過去、性犯罪の被害にあった経験を語るフェミニストもいた。そういう過去があったから、傷つくのもわかる。同じ属性の人間を恨みたくなるのもわかる。けれど、過去の傷つきは、未来の誰かを傷つける権利にはならない。当人たちはまだ傷つきから癒されていないだろうから、いま言っても焼け石に水だろう。だが彼ら・彼女らに必要なのは医療であり、フェミニストの剣ではない。

 

 

そして、彼女たちの発言は目立つ。過激だからだ。ISILがイスラム教徒全体のイメージを損ねたように、過激なフェミニストのせいで「ゆるふわ」なんて言ってられなくなった。「これだからクソフェミは」とこっちまで反対派の火の粉が降ってくるからだ。

 

だから、もうフェミニストやめたいと思っている。私がフェミニストをやっていたのは、崇高な理想のためではなく自分が稼いで夫を食わせても、夫をヒモと呼ばせないためだ。自分をかわいそうな女と思われないためだ。私は私の利益のためにフェミニストになり、そして利益のために辞めようと思う。フェミニストのラベルを私の思想から外して、ゆるいリベラルになりたい。

 

ただ心残りなのは「妊娠したから昇進はあきらめろ」と言われた友人たちのことだ。彼女らのような人がまだまだたくさんいるなら、これからも女性は意図せず会社から独立し、フリーランス等で生計を立てねば年収を維持できないだろう。

同様に育休を取った男性、発達障害に悩む方などもこれまで社会から見えずドロップアウトさせられてきた。だから細々と、彼ら・彼女らのキャリア支援ができればうれしい。それがゆるふわフェミニストとして、かすかに残った情熱だろうか。

 

元来女性は太陽だった。この世に男と女、トランスその他と沢山の太陽があったっていいじゃない。そんなゆるい世界で、私は生きていきたい。

 

 

 フェミニスト関連で読んだよかった本たち。どれも差別と戦ってるけど光が見えて勇気が出る。

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

  

フェミニスト・ファイト・クラブ 「職場の女性差別」サバイバルマニュアル

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バッド・フェミニスト

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