友人から、最近の親仲間はサイゼリヤで飲み会をすると聞いた。なんでサイゼなんかに、と思ったら背景は貧富の差にあるらしい。金持ちも貧乏な家もクラスの親御さんには混ざっており、波風立てないためにはたらふく食べても2000円くらいで済むサイゼリヤがいいのだ、という。つまり、富裕層側の”気遣い”である。
格差社会という言葉はもう新しくない。また、日本特有のものでもない。アメリカでトップ0.1%の富裕層がそれ以下の富の総量を超えたようだ。1929年、世界大恐慌の時代以来のことらしい。下の図はハフィントンポストが作成した格差を示すグラフ。 1975年から2007年までに、収入がどのように分配されてきたかを国別で示している。トップ1%が握る富が全体に占める率が茶色になっている。これを見ると、アメリカ、カナダは特に格差がひどい。 ![]() 格差社会自体はどの国にも溢れているし、格差が”ある”こと自体は問題ではない。格差を乗り越え、上昇するチャンスが受験や福祉で平等に与えられていれば、むしろ格差は「がんばった分だけ報われる」社会の表れでもある。とはいえ、富裕層への移動が頻繁に起きるわけではない。中央大の山田昌弘教授は日本の問題は「格差の固定化」にあると述べた。がんばった子ではなく、お金持ちの子がお金持ちになる傾向が強まっているというのだ。 しかし、それでも国民の満足度に大きな影響があるとは思わない。金持ちが連日パーティをする中で労働者が餓死するほどの格差があれば別だが、貧しくてもそれなりに生きていけて、コミュニティで受け入れられる場所があれば満足ではないだろうか。その考え方は”マイルドヤンキー”のような、脱成長志向の若者に反映されている。-お金持ちにはなれなくても、地元で仲間と行くいつもの場所が幸せ-という価値観は、少なからず共感を誘う。 しかし、日本では格差が問題視される。 なぜならば「貧しい家と、富裕層の家が頻繁に接触する」からだ。 たとえばイギリスでは貧しい家の子と、富裕層の子が一緒に授業を受けることはない。イギリスは階級社会なので、富裕層の子弟は全寮制の私立に小学校から通い、そのまま大学進学を目指す。 いっぽう、労働者階級の子弟は公立高校で義務教育を終えるとすぐに労働者になる。階級によって利用するスーパーマーケットすら異なるので、接点はほとんどない。仮に労働者階級からベッカムのようにサッカー選手が輩出されても、彼の階級が上昇するわけではない。英語のアクセントすら異なる階級社会では、幼少期の教育からやりなおさない限り階級を変更できない。 別にイギリスの階級社会が優れているというつもりはないが、少なくとも私が知る範囲で固定した格差=階級があることを問題視する声は聞いたことがない。かく言う私も中産階級の学校に通ったので、労働者階級の声すら知らないのだが。 しかし、日本は違う。日本ではごく一部の子供を除き、初等教育を公立の学校で受ける。地域差によって貧富が多少分類されていても、必ずそこには貧乏な子、裕福な子が混ざる。私は”東京だったら普通、地方では金持ち”くらいのそこそこ家庭で育ったので、小学校で貧乏で家にシャワーが無い子を見るのは衝撃だった。彼らも彼らで、夏休みに今年はどの国へ行こう?なんてノンキな話をする私のことが許せなかっただろう。 いったん交じり合った交友関係は続くこともある。facebookには小中学校の友人が複数いるが、同級生Aはフルート奏者になってミュンヘンに留学しており、同級生Bは18歳で結婚してトラック運転手の夫と一緒に3人の子供を育てている。音楽留学は年間600万以上かかるとも言われ、私の家庭ではほぼ不可能。このような歴然とした差が「同級生」というあたかも同じくくりで扱われることに違和感を禁じえない。 そして、そういった場合に遠慮するのは「富裕層」だ。ご飯を食べるとき外ならサイゼリヤかさくら水産で、それでも相手のペース以上にお酒を飲んではいけない、海外の話はしない、暮らしぶりが判るような話ではなく「男女間の友情ってあると思う?」みたいな、誰とでも話せる話題を選ぶ。それでもちらっと現状がもれることがある。そのとき、富裕層は「しまった」と思い、貧困層は「なぜ”同じ”なのにこんな差が」と思う。 格差が問題に見えるのは、目に見える場所に差があるからだ。派遣社員の前に正社員が座っていて「同じ」仕事をしている。「同級生」で貧富が明らかに違う。平等だといわれているのに実情が異なるとき、怒りが生まれるのは当然のことである。 そういう意味で、私は階層別に学校を分けたり職場を分けたほうがいっそお互いにやさしくなれるのではないかと、一番最初のサイゼリヤの件を聞いて思っている。無論、教育という格差移動のチャンスをむしろ今より手厚く用意しながら。 |
貧困層、裕福層が混在するから倫理観がある程度共有、担保される。
そして世界屈指の安全な国がある。 遠慮して損ばかりしているわけではないかと。 管理人のみ閲覧できます
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すごいことを平気で書きます。日本の社会がよく分かってないのかな。サイゼリアに行くのは相手を思いやる日本人の美徳ですよ。いろんな人がいる公立だからいい人材も育つし強くなるんです。私立に行ってバカにされてください
そうかなあ〜?欧米ほどではないけど、日本でも本物のお金持ちと庶民は住んでる世界が違うと思うけど… 東京だけかな?
金持ちが気を使ってる??
世間が見えていないお嬢ちゃんだって馬鹿にされますよ。 まずはFacebookから始めましょう。 はじめてコメントします。興味深い内容でした。たしかにイギリスはそうでしたね、貧富というよりも階級の差でしょうか。だからそれぞれはそれぞれの階級で楽しむこともできています。労働者階級だから卑屈になるってこともありません。階級があること=貧富の差にはなりませんが、階級社会はそれはそれでいいかなと。一方でアメリカのように努力すれば金持ちになれるという国もありますが、日本はどちらともつかない社会なのでしょうね。変に「みんな平等」っていうから。ほんとは違っていいのになと思います。そういう意味では生き難い社会です。
興味深く読ませていただきました。
日本から出て生活したことがない人にはピンと来ない指摘だったようですね。 日本も昔からこうだったわけではなく、戦前はある程度階級により生活空間がわかれていたのではないかと思います。 現在の状況は、戦後上流階級が没落したあと、昭和30年から大規模に建設された団地に始まるものかと思います。 団地では年収等が同等の人々が集まり、互いの生活が見えやすいことから平等意識と競争意識とが同時に先鋭化し、ここから消費革命が生まれました。 戦後消費社会はここから生まれ、日本は世界でもまれな平等社会になるわけですが、ここ20年ぐらいで起きているのがその戦後の終わりなのでしょう。 大した差ではない
公立では、いろんな人がいるのが当たり前です。
それに、バブルやリーマンショックの影響を受けないでいられる富裕層はごくごく一部だって思います。 富裕層だって、病気や怪我、高齢の親御さんの世話、相続税等がふりかかってくれば左団扇でなどいられないんじゃないでしょうか。 美味しく上品なお気に入りの高級レストランが次々閉店してしまう背景に、一見富裕層に見えるママ友たちの脆さを感じます。 なるほど、さすがブルジョワは頭がおかしい
そりゃイギリスで暴動が起こるのも当然ですな もう一度革命が必要 一応突っ込んどきますが最後の一文とそれまでの文章が完全に矛盾してるのとに気付いてないの? 階級関係なく頭悪いから死んだ方がいいと思いますよ > 階級関係なく頭悪いから死んだ方がいいと思いますよ
こんなコメントをしてしまえる民度の低さと交わりを断つためには階級制度は便利かもしれませんね >こんなコメントをしてしまえる民度の低さと交 わりを断つためには階級制度は便利かもしれませんね
なるほど そうやってバカなブルジョワが一ヶ所に集まってくれると、こちらとしても躊躇なく銃弾を掃射できて大変ありがたい 階級がはっきりわかれてお互いを異種族異民族に感じたら、気遣いはなくなります。
極論、相手を人間と思わないなら苦しめても殺してもいいということ。 そして、そんな下層階級に自分の一族が転落しないよう、格差固定のための仕組みを社会に構築します。 転落したら悲惨ですし、下にチャンスを与えて自分のリスクを増やしても(自分の人生には)プラスにならない。 上の人が最後の一文が矛盾してると書いたのはこれですね。 労働階級をもっとはっきりさせ隔離・区別せよだなんて、とんでもない思いつきですね。とても国民の幸福度に寄与するとは思えません。
貧富の差を軽減しろというならわかるのですが、これでは本末転倒という言葉がピッタリですね。 嫉妬や不公平感を問題とされているようですが、そもそもそういった感情が起こること自体が問題なのでは。「よそはよそ、うちはうち」と割り切った考え方を持てば解決する話だと思います。 サイゼリアを馬鹿にしているような言い草も気になります。コストパフォーマンスが良好であるから選ばれているわけで、豚の餌のような言い方は失礼です。 確かに公立の親御さんたちとの食事会の場所選びには気をつかいます。ですから、自分では場所を選ばず、極力相手に決めてもらうようにしています(自分で決めなければならない状況の時は、やはり当たり障りないサイゼリアかバーミヤンにしています)。
それなりに所得のある人は、サイゼリアをはじめとする安くて味のいいお店へ行っても、(文句なく)楽しむことができるのですが、そうでない方を予算オーバーのお店へお連れした場合、文句(陰口)を言われますからね。 ママ友の現実社会はこのブログのとおりです。 どの記事も楽しく読んでいます。
これはすこし不思議な締めですね。 格差固定に賛成、という立場と考えてよろしいですか? 私は底辺を這いずっている一人ですが、今は周りにも底辺しかおらず、とても気楽な日々です。 格差固定というのは一つの解決策かもしれませんね。 そのかわり、貴族層は、ユニクロとか、しまむらとか、私たち労働者階級の店に足を踏み入れることを止めていただきたい。ベンツはイオンに来ないでください。 住み分けてもらえるなら、私も賛成です。 階層分けをして教育による格差移動を手厚く→それはそれで小中学校の同級生とはかけ離れた世界にいく人は出てくるし文中にあるようなSNS上のつながりが残ったり、後から見つけちゃったりは変わらないしなぁ…
目に見える格差ってのはネット上でいくらでも入ってきちゃうから、「目の前にいない」=「見えない」じゃないと思います。 今は住む世界が違うけど仲良くできる友人や時々会う人 お互いの心の襞に微妙な感情抱えつつも、つきあいが続く可能性を信じたい。ちょっと甘いかな。 英国の階級社会は貧富の差だけを意味するものではありません。社会的な責任を伴った役割の違いが棲み分けの差となって階級社会ができたのですから。理屈はよく分かりますが、歴史的な脈絡を抜きにして国民の認知を受けることはまず無理でしょう。
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皆さんこんにちは。この時期は気温の変化が激しくてつらいです><さて、ネットを徘徊していて面白い記事を見つけたので、ご紹介します。東洋経済ON LINEのこちらの記事です。日本は「格差社会」ではなく「階級社会」だ、という内容(詳しい内容は元記事をご覧ください)。 Coffee, Cigarettes & Music【2016/02/19 15:06】
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