マルコム・グラッドウェルには”教師”というのがピッタリの表現だとつくづく思います。成功者はなぜ成功したのか?ずっと長い間ぼくはこれを試行の頻度の問題だと思っていました。つまり何回に一回うまくいくという確率の世界だと思っていたんです。今回の抄訳”The Sure Thing~How entrepreneurs really succeed.~(確実なこと:起業家たちが成功した本当の理由)"はまさに目からウロコの一編です。おたのしみください。(翻訳権を侵害する可能性があるため完全翻訳ではありません。抄訳です。要点はほぼ網羅しています)
Annals of Business
THE SURE THING --How entrepreneurs really succeed.--
By Malcolm Gladwell
The New Yorker, January 18, 2010
抄訳
ビジネス史
『確実なこと』~起業家たちが成功した本当の理由~
マルコム・グラッドウェル
雑誌”ニューヨーカ―” 2010年1月18日号掲載
1969年、テッド・ターナー(Ted Turner)が"WJRJ Channel17"というテレビ局を買収しようとしたとき、彼の周囲は大反対した。その当時、彼は広告看板ビジネスを家業を引き継いでいてその事業はうまくいっていた。テレビ局を買収してもその運営に失敗すれば本業も破たんを招きかねなかった。チャンネル17は受信するにはUHFアンテナを買う必要があり、これといったおもしろい番組もなく、会社は毎年50万ドルも赤字を垂れ流している状態だった。しかしターナーは反対を押しきった。
ターナーが引き継いだ家業の広告会社は屋外設置型の広告看板ビジネスで、1960~70代は南部でも最大のシェアを保有していた。
――チャンネル17なんていまは誰も知らない。俺の看板は広告時間の15%が空いてる状態だ。そこでチャンネル17を広告すればいい。
買収にあたりターナーはそう目論んだ。
当時のローカル局は全国をネットワークする大型の放送局から提供をうけた過去の番組を再放送しているような状態で、ローカル局が独自の放送をしようとおもっても許されない雰囲気だった。ターナーは交渉でこの事態を打開できるのではと考えた。そして実際にニューヨークにある全国ネットの放送局を口説き、チャンネル17ではNBCの四番組を”昼間の時間帯”に放送できることになった。そしてその事実をターナーは彼の看板でこう宣伝した。
”NBC系列はチャンネル17に引っ越しました!”
チャンネル17の買収額は250万ドルで、当時の一般的な放送局の買収額はその何倍もした。彼はその代金を自分の会社の持ち株で支払うことでキャッシュを使うことなく手にすることができた。買収から二年もしないうちに、チャンネル17は利益を出すようになり、1973年には100万ドルの黒字を叩き出すようになっていた。
帝国を創りあげた起業家のパターンを分析しそのパターンをまとめて本にしたビレットとビュラモーは言う。
「起業家はある業界をつぶさに観察して、そこに”構造的な欠落”ともいえる満たされていないニッチを見つけるんです。彼らは人の価値基準のギャップをうまく利用します。安く手放しても構わないという所有者の価値基準を見抜き、安く仕入れ、高くても買いたいという人の価値基準を見抜き高く売り抜けるのです。そしてチャンスがある限りそれを繰り返す。それに時間のほとんどを注ぎ込むことで結果的に失敗する確率は大きく減ることになるんです」
フィアットの創業者は投資家のお金をかりて起業し、軌道に載るとその投資家を追い出した。
Bernard Arnaultは彼の自己資金4,000万フランでBossac(ブサック:フランスとイタリアで展開するカーテンや生地のメーカー)を購入し、その金額がちっぽけに見えるくらいの巨額ですぐに転売した。フランスの企業家Vincent Bolloreは、一族が経営する当時は斜陽になっていたBolloreの実権を他人の資金を使ってタダ同然で手に入れた。コダックの創業者は初期の資金リスクを彼の一族と富裕な友人に負担させることに成功した。
IKEA(イキア)の創業者は共産国家だったポーランドで家具を製造させることでスウェーデンで製造するのに比べ製造コストを半減させることができた。
フランスの航空エンジニアだったMarcel Dassaultはフランス国軍を研究し、プロペラの価値が上昇する可能性に気づき、プロペラ製造会社を手に入れた。軍から製造を依頼されたとき、彼はその発注をすべて前金でうけることになった。
彼らの洞察と決断の経緯をみていくと、”リスクを冒していない”ことわかる。一般的なイメージをことなり彼らは実はリスクをとっていないのだ。
ウォール街で当代随一の成功者をあげるとしたら、まちがいなくジョン・ポールソンだろう。Marty Grussの手法を信奉する彼は、リスクを限定的にし莫大な利益を得られる手法を研究した。Marty Grussから彼が学んだ格言がある。
――つねに下落するものに注意を払え。値上がりしていくものはどうにでもなる。
ポールソンの口癖は「そのトレードで損をしたら幾らになるんだ?」だった。
2004~2005年ころ、彼は不動産市場の過熱ぶりを疑い始める。そしてCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)という手法を使って債券市場で不動産市場関連の債権を空売りする作戦に打って出た。CDSは債権にかける保険のようなものだ。債権保有者は他者にたいし保険のゲームを仕掛けることができる。
例えば仮に私が十件分の住宅ローンの債権をもっているとしよう。その価値は総額で100万ドルだ。そしてこの100万ドルの債権に対し10万ドルで保険を掛けませんか?とアナタに持ちかける。私は保有する債権に対し、万が一全員が支払不履行に陥った場合、アナタに70万ドル支払うと約束するとしよう。家の所有者全員がローンを滞納なく支払って一年が過ぎれば、10万ドルは掛け捨てとなり、債権所有者である私が掛け金を取る。そして・・・もし全員に滞納が発生すればアナタは70万ドルを手にすることができるのだ。(訳注:イタリック部分は、わかりやすくするため訳者が挿入した文です)
不動産市場の安定ぶりを過信した金融機関は小銭稼ぎとばかりにこのCDS契約を売りまくっており、ポールソンはそれを買い漁った。資金がつきたら大口の出資を募って借りてひたすら買い続けた。・・・・・・そして不動産市場がクラッシュし始めたとき、彼は実に250億ドル(2兆5,000億円)もの債権額に対してCDS契約を保持していたのである。
このやり方はネガティブ・キャリーと呼ばれ、早期に契約対象となる信用リスクが発生しない場合、破壊的な出費を強いることになる。このため、機関投資家が忌避する手法なのだ。
市場にバブルを見出しただけではこの手法は成功しない。バブルがいつ弾けるのかに対する精確な洞察が要求されるのだ。”こいつイカレてるよ” ポールソンからのCDS保険への大量の買い注文を見たモルガンスタンレーのトレーダーは嘲笑したとされる。
ポールソンはイカレてなかった。彼の堅固な判断は精確な市場分析に基づいていたのだ。米国の住宅価格は1975~2000年で毎年1.4%の成長率を示してきたのに対し、2001~2005年の五年間は毎年7%ずつ膨らんでいたのだ。2000年以前の成長率を延長させたものを基準ラインとすると、当時の価格はそれより実に40%も高かったのである。ポールソンはバブルを確信した。
次にポールソンを悩ませたのは、不動産市場のボラティリティにどの程度弾性があるか?という問題だった。(訳注:少し落ちては持ち直すといったことが繰り返されればバブルにはならないから)ポールソンは彼のスタッフに徹底的に過去データを掘り起こすように指示した。彼らはじつに600万件に及ぶ住宅ローン債権の過去データを購入し、過去のさまざまなる局面での市場のボラティリティのつぶさに解析していったのだ。こうやって彼らは結論に至る。
対数関数とロジステック関数を用いて彼らが導き出した結論は、成長率が止まった状態になっただけでもローン債務者は返済に耐えることができず、債券価格は7%下落し、住宅価格は5%下落する。そして住宅価格の下落スパイラルが起こるとすればそれは実に17%もの暴落につながり得ると予測は示唆していた。
当時、ほとんどの金融機関が、住宅の価格下落は失業率とか金利といった経済のファンダメンタルな要因が引き起こすものと考えていた。だから彼らは喜んでCDS契約を売りまくったのだ。しかしポールソンのスタッフがデータから弾き出した結論は、市場のバブルを牽引しているのは上昇する住宅価格自身であることを示していた。バブルは寸前まで迫っていたのだ。
次にポールソンはCDS契約の保険料が妥当なものか考察した。場合によってそれは高くつくからだ。例えば最近おこったGMの倒産に対して売られてたCDS契約の価格は100万ドルの債権に対し80万ドルとかなり高額だった。住宅債権市場で売られているCDS契約の価格を調べたポールソンらは唖然とする。そこでは100万ドルの債権額に対しCDS契約の保険料はたったの1万ドルだったのである。これだけの材料があればポールソンに大型のバブル崩壊はもはや必要なかった。もっともリスクの高い一部のローン債務者が不履行におちいるだけで利益が発生する状態だったのだ。2006年、彼は出資を募り10億ドルを集めた。そしてその中から1.2億ドルを使って、120億ドル分の債権額に対するCDS契約(一年有効)を買うことができた。でもこれだと集めた10億ドルに対し12%もの持ち出しになってしまう。
CDS契約の支払は分割のため、ポールソンたちが集めた資金は満期までの間、銀行口座に寝かせることができた。つまりその分に対し銀行の金利5%を得ることができたため、彼らのCDS契約にかかる実質的なコストはこれにより12%から7%に減らすことができ、ポールソンの手数料1%を載せても8%で済ませることができた。つまり最悪損をするとしても出資者が蒙る実損の上限は8%に限定されていたのである。(訳注:つまり-8%~120%の金融商品を投資家に販売したことになる。このモデルの賢いところは仮に2006年に不動産市場がクラッシュしなくても、低コストのため、翌年でも翌々年でもこのポジションを続けることが可能だった点だ)
住宅ローン債権の健全性を示す指標とされるABX指数が5%下落したとき、ポールソンはその朝だけで12.5億ドルを稼いだ。
2007年だけで150億ドルの儲けがあり、そのうち40億ドル(4,000億円)がポールソン自身の取り分だった。
2008年には5億ドルの売り上げになった。
かつてこの短期間でそれだけ稼いだ人がいただろうか?
プレデター・モデル(”捕食者”と表現されるほど大儲けするやり方)とまで言われる起業家
ポールソンの成功は我々に成功すために必要な気質を教えてくれる。それは勇気だ。しかしそれ以上に彼らに共通するのは一様に分析家であるということである。彼らはある”確実なモノ”を掴むことにかけて群を抜いている。そしてポールソンも自らと価値基準の異なる相手をみつけて取引した。驚いたことにポールソンは取引相手をみつけるだけでなく作り出すことさえした。彼は投資銀行に危険な債務だけで構成したハイリスクなサブプライム債権を開発させ、それを機関投資家に売りつけさせておいてその逆側に賭けることさえした。
前述のターナーも似たようなことをしている。1976年に彼は球団アトランタ・ブレーブスを買収した。
チャンネル17はその四年前にアトランタブレーブスの放映権を買っていて、試合を放送していたのだ。これにより試合をテレビ観戦したいブレーブスファンは否が応でもUHFアンテナを購入させられるハメになった。ターナーの慧眼は、ESPNやルパード・マードック依然にスポーツの中継が放送局のブランド強化につながることを見抜いてた。しかし球団は毎年100万ドルの赤字を垂れ流しており、球団オーナーは1,000万ドルでの売却にこだわった。
ターナーは策を講じる。
まず交渉して支払を100万ドルの前金と八年の分割払いにすることに成功した。さらに会社の財務諸表をつぶさに調べさせたターナーは、そこに当時のオーナーが見落としていた100万ドルがあることを発見したのだ。結局かれは自らの資金を使うことなく球団の買収に成功した。買収前、チャンネル17はアトランタブレーブスの試合60ゲームを放映するために年間60万ドル支払っていた。彼はこの取引で向こう8年間、60万ドルの追加出費をするだけで、全160ゲームを放映できることになり・・・そして球団も手に入れるたのだった。
ターナーはこれでもリスク好きなのだろうか?実際彼の経歴をおっていくと、彼がリスクを忌避してきたことがわかる。こういうエピソードがある。ターナーがビジネスに乗り出したころ、彼の父エドはジェネラル・アウトドア社という同業企業を買収した。ターナーの読みでは買収自体は問題はないはずだった。
ターナーが常に時間をたっぷりかけて、最後まで避けれないものかと考えることがある。それは自分のお金を持ち出すことだ。エドはこの買収でそれをしてしまった。
もし不測の事態が生じれば、それは一族の広告事業全体を破壊しかねなかった。
買収から六か月でターナーの体重は180ポンド(80キロ)から130ポンド(59キロ)に激減した。ターナーはこう振り返る。「胃潰瘍寸前の状態になり、コーヒーを飲むことを医者に禁じられ、疲れやすく、まぶたはいつもピクピクして私をいらだたせた」
ポールソンの成功を本にしたザッカーマンが調べたところ、サブプライムで儲けを出した人たちに共通のパターンが見られたという。
彼らはみな、用意周到に調べつくしており、確信のもとに決断をくだし、そして徹底的に儲けた。市場の”異常状態”を衝くことによって・・・。
彼らはリスクを志向したのではない。徹底的に調べつくすことで”確実なモノ”を見出していったのだ。
企業はCEOが果敢にリスクに立ち向かうよう促すため寛大なストックオプションを与えている。エージェンシー理論(経営者は株主よりも経営者個人の利害を優先する可能性があるのでインセンティブを与えてそれを回避させようとする理論)がいうところのインセンティブに相当する。会社はなぜ株ではなくストックオプションを与えるのか?そうすることで保守的になった経営者が起業家のようにリスクに立ち向かってくれると考えるからだ。
その効果は経営者をリスク・テイカーにしてしまうようだ。
2006年末、メリルリンチは13億ドルでサブプライムローン貸金業最大手のファースト・フランクリン・フィナンシャル社を買収した。これでメリルリンチの帳簿上のサブプライムローン債権の金額は110億ドルに膨れ上がった。ポールソンでさえ、CDS契約への投資は危険と考えており、彼のスタッフが数か月もかけて分析をおこなうまでは慎重に静観していたのだ。メリルリンチお抱えの経済学者が”最大5%まで住宅価格はおちる可能性が高い”と予測していたにもかかわらず、同社はファースト社の買収を強行してしまった。
経済学者のスコット・シェーンはその著書”The Illusion of Entrepreneurship (起業家の虚像)”の中で、このように指摘している。
――確かに多くの起業家がリスクをとるが、そんなタイプは大体が失敗してしまう。成功している人たちとは違うタイプだ。
失敗した事例は新規事業を成功させるためのありとあらゆる原則を犯している。
例えば、新しい事業が成功するかどうかは資本金のサイズとあきらかに相関している。それなのに失敗した起業家たちは資金不足な状況に身をおくことを厭わなかった。データによるとバランスのとれた配分になっている株式会社が一番だ。なのに失敗した起業家たちは自らが独占的に支配できるような形態にしてしまう。事業計画書は必須だ。なのに彼らはそれすらやっていない。すでに軌道にのっている企業を買うほうが常にベストの選択だ。なのに彼らはすべてを一から創りあげようとする。急成長を遂げているベンチャーの90%がBtoB取引(対企業間取引)でうまくいっている。なのに失敗した起業家たちは一般消費者にモノを売りつけようとする。漏れている客層は考えずに同業他社がすでに抱えている客層を奪おうとする。マーケティングを軽視し、資金コントロールを重視しない。値下げで勝負しようとする。
もちろん避けられないリスクもある。だが起業家が直面するリスクのほとんどは知識不足か洞察に欠けるがゆえに発生するものだ。
シェーンの解説はハーバード大学の心理学者デイビッド・マクラレンド(DavidMcClelland's)がおこなった有名な実験を思い出させる。実験は幼稚園児たちに輪投げをさせて高得点者とそうでない者との行動の違いを観察することだった。スコアが低かった子供は必要上に遠くから輪投げをするもので、そうすることで”遠くから投げるのだから失敗しても当然”という言い訳で自らの能力への正当な評価を防御しようとしたのである。
さきほどのCEOとストックオプションの話にも通じるものがある。
シティグループが危ぶまれる投資を次々とおこなっていた当時CEOだったチャールズ・プリンスは「曲が続く限り、立ち上がって踊りつづけないといけなんだ」と吐いて非難を浴びた。彼は会社の中で自身の評価を下げることより、会社を危機に晒すことを選択してしまったのだ。
プレデター・モデルの起業家たちは違う。彼らは確実なことを追及してきた者として名声を得ることに喜びを感じるタイプだ。
IKEAの創業者がポーランドで家具を作らせた当時は冷戦の真っただ中で共産主義者と取引をすることは正当とは考えられてなかった。サム・ウォールトンがアーカンソー州ニューポートで最初の小売店を開業させた時、彼はその資金を妻の親族から調達した。銀行から借りるよりリスクが少なかったからだ。彼は事情によってニューポートから締め出されており、妻の家族を頼って舞い戻るしかなかった。当然、軌道に載るまでのあいだ親族間でも重苦しい空気がながれたに違いない。ドイツ銀行のリップマンは「住宅ローン市場のバブルは崩壊する」と主張したことで嘲笑的な誹謗に耐えなければいけなかった。
プレデターたちはどうしてこういった自虐的な環境でも耐え抜くことができるのか?それはおそらく自らが手掛けることに十分な見通しと確信を抱いているからに違いない。あるいは自ら手掛けていることに没頭しててそういった状況でも気にならないのか・・・。
愚直なまでに”確実なモノ”を合理的に追求する者たちに共通する兆候なのかもしれない。
家族であった時に気まずい思いをすることで、より安全な資金調達を選択できるのであれば、そうすればいいだけだ。ウォルトンはそう考えたはずだ。個人的に嫌なことを甘んじて受けることで、会社にとって嫌なことを避けたのだ。
ポールソンはCDS保険に投資をする前にすでに成功していた。なのになぜチャレンジしたがるのか?彼の真の動機は”込み入った複雑な問題を解決したい”といった類のものなのだ。彼はそうすることを楽しんでいるのだ。
自らのために尽くすことに無上の喜びをかんじること・・・これは多くの成功者にみられる疑いのない共通項のひとつなのである。
- 20%の確率で500万ドル儲かる事業
- 50%の確率で200万ドル儲かる事業
- 80%の確率で125万ドル儲かる事業
この三つを選択させる実験を起業家とそうでない人を混ぜた母集団でおこなったところ、全体に比べ、起業家は三番目の選択をする傾向があることが分かった。彼らは”確実になること”が増える方を選択するのだ。彼らは超合理主義者なのである。だが一方で、心の奥底では自らが仕事の中で見つける”発見”に魅せられ続けるロマンティストでもあるのだ。
ターナーが24歳の時、彼の父が自殺をした。
その前日に、一族の会社の顔ともいうべきジェネラル・アウトドア社の看板をボブ・ネーゲルという男に売り渡していたのだ。ターナーは悲しみのなかで復讐にでる。
彼はアウトドア社のリース部門の人材を全員引き抜き、今までアウトドア社の看板を設置していた不動産の所有者に自社の看板を設置してもらえるよう動き始めた。一方、パーム・スプリングに飛びネーゲルとも対峙し、アウトドア社の買い戻しを打診している。ターナーが夢描いていることを手掛けるには金を生む出し続ける看板ビジネスがどうしても必要だったのだ。ネーゲルは20万ドルを要求したが、ターナーにはそのお金がなかった。だがネーゲルのような高額所得者に分割払いなどアピールしない。そこでターナーはターナー・アドバタイズメント社の自社株で支払うことを打診し、交渉は成立した。
「これまでのところうまくいってるよ」ターナーは自伝にそう書いている。
「ネーゲルの手から会社を取り戻すことができたし、一ドルも現金を使う必要がなかったからね」
彼らプレデターにとって金をつかうリスクを取る必要がどこにある?
(終了)