最後のご挨拶
いつも「せなくるをしけれむ」を見てくださっている皆様、こんばんは。
おねえはんです。
ブログを始めたあの頃のように、パソコンに向かって、ブログを書いています。
ブログを書くのが久しぶりだし、感情もぐちゃぐちゃで、まとまりのない文章になったらごめんなさい。
でも、ブログってそういうものだったよな、と今思い出しています。
まとまらない、整理のつかない、誰にも話せない、そんな思いを、
ブログを書くことで、少し整理できたり、「私もそうだよ」って言ってもらって、共有したり、
そうやって、(自分で言うのもあれだけど)たくさんの方に愛されるブログになっていったんだと思います。
このブログを育てたのは、もちろん私一人ではなく、主役のセナレム、後半(というか大半)は
毎日更新してくれたおかあはん、そして、温かく見守り、支えてくださった読者の皆様です。
でも、始めたのは私だから、私が終わりにしなくちゃいけないね。
このブログは、2010年7月19日、セナを迎えた翌日に開設しました。
まだぶちぶちのセナ
きっかけは(何度も話していると思いますが)、「るいあん日記」(当時は「るい日記」)です。
先代のテンを亡くし、失意の中で、自分と同世代のおねぇしゃんが書く、
テンと同じトライのるっくんの姿に元気をもらい、傷を癒していました。
いつか自分もまた犬を飼う日が来たら、るい日記のように、日々のことを綴りたい。
そして、もしまた犬を飼うなら、保護犬を。
そう思いながら、キャバリアブログを読み、当時はまだ少なかった保護犬掲示板をチェックする毎日。
そんな中で、セナと出会いました。
迎えに行った日、たくさんの犬がいる中で、セナだけが真っ直ぐ、私の腕に飛び込んできました。
あの日のことは、一生忘れません。
「せなくるをしけれむ」というブログ名は、実は、最初は「せなくるをしけれ」でした。
ブログって、日々の諸々を書く日記というか随筆のことだよね。
随筆といえば、兼好法師の『徒然草』だなと、文学部の私は考えたんですね。
セナのことが狂おしいほど可愛かったので、徒然草の一節「ものくるをしけれ」から、
「せなくるをしけれ」にしたのでした。
後にレムを迎えて、「せなくるをしけれむ」に改名。
実に14年近く、後半は毎日更新で、セナやレムのことを綴ってきました。
ブログを読み返すと、あんなこともあったな、こんなこともあったな、と
忘れていたこともたくさん思い出します。
やんちゃなのばかり選んでしまった…
思い出が、セナへの思いが、ありすぎて、溢れて、溢れて、どんどん溢れてきて、
どうしようもないです。
私たちの家族は、よく「仲がいいね」と言われます。
それは、間違いなく、セナのおかげです。
セナがいつもみんなの真ん中にいたからです。
そして、セナがいたから、色んなところに行けて、たくさんのお友達に出会い、
どんなときも分かり合える仲間ができて、楽しいことが何百倍にも楽しくなりました。
セナが、いつも、みんなを繋いでくれました。
もっとこうしたかった、ああしてあげればよかった、ここも一緒に行きたかった…
考え出したら、キリがありません。
でも、みんなにこんなに愛されて、最初に飛び込んできた私の腕の中で、
家族みんなに見守られて、最後の瞬間を迎えたセナは、幸せだったと思います。
そして、セナと家族になれた私たちも、本当に本当に幸せでした。
まだまだ、書きたいことがたくさんあるような気がします。
セナがどんなにやんちゃだったか、どんなに可愛かったか、最後の最後まで
どんなに立派で、どんなにお利口だったか…でも、それも、キリがないね。
今日で、このブログは閉鎖します。
これまでセナを、セナレム家を見守って下さった皆様、本当にありがとうございました。
レムのこれからは、おかあはんがインスタグラムで、こっそり更新しますので、
引き続きよろしくお願いいたします。
セナ、寂しいよ。会いたいよ。大好き。愛してる。待っててね。またね。
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おねえはんです。
ブログを始めたあの頃のように、パソコンに向かって、ブログを書いています。
ブログを書くのが久しぶりだし、感情もぐちゃぐちゃで、まとまりのない文章になったらごめんなさい。
でも、ブログってそういうものだったよな、と今思い出しています。
まとまらない、整理のつかない、誰にも話せない、そんな思いを、
ブログを書くことで、少し整理できたり、「私もそうだよ」って言ってもらって、共有したり、
そうやって、(自分で言うのもあれだけど)たくさんの方に愛されるブログになっていったんだと思います。
このブログを育てたのは、もちろん私一人ではなく、主役のセナレム、後半(というか大半)は
毎日更新してくれたおかあはん、そして、温かく見守り、支えてくださった読者の皆様です。
でも、始めたのは私だから、私が終わりにしなくちゃいけないね。
このブログは、2010年7月19日、セナを迎えた翌日に開設しました。
まだぶちぶちのセナ
きっかけは(何度も話していると思いますが)、「るいあん日記」(当時は「るい日記」)です。
先代のテンを亡くし、失意の中で、自分と同世代のおねぇしゃんが書く、
テンと同じトライのるっくんの姿に元気をもらい、傷を癒していました。
いつか自分もまた犬を飼う日が来たら、るい日記のように、日々のことを綴りたい。
そして、もしまた犬を飼うなら、保護犬を。
そう思いながら、キャバリアブログを読み、当時はまだ少なかった保護犬掲示板をチェックする毎日。
そんな中で、セナと出会いました。
迎えに行った日、たくさんの犬がいる中で、セナだけが真っ直ぐ、私の腕に飛び込んできました。
あの日のことは、一生忘れません。
「せなくるをしけれむ」というブログ名は、実は、最初は「せなくるをしけれ」でした。
ブログって、日々の諸々を書く日記というか随筆のことだよね。
随筆といえば、兼好法師の『徒然草』だなと、文学部の私は考えたんですね。
セナのことが狂おしいほど可愛かったので、徒然草の一節「ものくるをしけれ」から、
「せなくるをしけれ」にしたのでした。
後にレムを迎えて、「せなくるをしけれむ」に改名。
実に14年近く、後半は毎日更新で、セナやレムのことを綴ってきました。
ブログを読み返すと、あんなこともあったな、こんなこともあったな、と
忘れていたこともたくさん思い出します。
やんちゃなのばかり選んでしまった…
思い出が、セナへの思いが、ありすぎて、溢れて、溢れて、どんどん溢れてきて、
どうしようもないです。
私たちの家族は、よく「仲がいいね」と言われます。
それは、間違いなく、セナのおかげです。
セナがいつもみんなの真ん中にいたからです。
そして、セナがいたから、色んなところに行けて、たくさんのお友達に出会い、
どんなときも分かり合える仲間ができて、楽しいことが何百倍にも楽しくなりました。
セナが、いつも、みんなを繋いでくれました。
もっとこうしたかった、ああしてあげればよかった、ここも一緒に行きたかった…
考え出したら、キリがありません。
でも、みんなにこんなに愛されて、最初に飛び込んできた私の腕の中で、
家族みんなに見守られて、最後の瞬間を迎えたセナは、幸せだったと思います。
そして、セナと家族になれた私たちも、本当に本当に幸せでした。
まだまだ、書きたいことがたくさんあるような気がします。
セナがどんなにやんちゃだったか、どんなに可愛かったか、最後の最後まで
どんなに立派で、どんなにお利口だったか…でも、それも、キリがないね。
今日で、このブログは閉鎖します。
これまでセナを、セナレム家を見守って下さった皆様、本当にありがとうございました。
レムのこれからは、おかあはんがインスタグラムで、こっそり更新しますので、
引き続きよろしくお願いいたします。
セナ、寂しいよ。会いたいよ。大好き。愛してる。待っててね。またね。
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遺骨。
きなこちゃんが亡くなったあと、
ママが言ったこと。
「骨まで可愛い」
わたしも昨日、
その通りだと思った。
セナの小さな骨のひとかけらさえ
可愛く愛しい、と。
「この先、
セナより可愛いものに出会えると思う?」
わたしが聞くと
おとうはんは即答する。
「ない!」
いもうとはんは
「れっちゃん繰り上げ当選」って
言ってた。
れっちゃんは、
優先順位1位になった事ないから
もちろん、
オンリーワンに戸惑ってるけど
ナンバーワンにも戸惑ってるみたい。
セナくんとの日々は
実に13年と9ヶ月と10日。
毎日、何かしらのエピソードを
綴って来た、このブログ。
終わりの時が来た、
そう思った。
このブログがあったから出会えた
たくさんの方達が
今、わたし達の心に
寄り添ってくださっている。
ありがとうございます。
そして、
ありがとうございました。
「セナくん、
何ニヤニヤしてるの?」
「お供のプーさんと
遊ぶのが楽しみだからだよー」
そう、
セナって明るくて陽気で
何にも気にしない、そんなキャラ。
皆さまどうぞ
そんな明るいセナをお忘れなく…。
以上
おかあはんの記事は
これにてお終い!
ありがとうございました。
にほんブログ村
繰り上げ当選の
れっちゃんのことは、
おとうはんのInstagramや
おかあはんのXでボチボチ
発信して行きますね。
(そのうちシレッとInstagram始めるかも⁈)
「レレレのれっちゃん」ってタイトルで
ブログ始めるわって言ったら
「そんなギャグ漫画みたいな❗️」って
多方面から止められたので(笑)
明日、セナの初七日に
このブログの創始者おねえはんが
最後の投稿をします。
ママが言ったこと。
「骨まで可愛い」
わたしも昨日、
その通りだと思った。
セナの小さな骨のひとかけらさえ
可愛く愛しい、と。
「この先、
セナより可愛いものに出会えると思う?」
わたしが聞くと
おとうはんは即答する。
「ない!」
いもうとはんは
「れっちゃん繰り上げ当選」って
言ってた。
れっちゃんは、
優先順位1位になった事ないから
もちろん、
オンリーワンに戸惑ってるけど
ナンバーワンにも戸惑ってるみたい。
セナくんとの日々は
実に13年と9ヶ月と10日。
毎日、何かしらのエピソードを
綴って来た、このブログ。
終わりの時が来た、
そう思った。
このブログがあったから出会えた
たくさんの方達が
今、わたし達の心に
寄り添ってくださっている。
ありがとうございます。
そして、
ありがとうございました。
「セナくん、
何ニヤニヤしてるの?」
「お供のプーさんと
遊ぶのが楽しみだからだよー」
そう、
セナって明るくて陽気で
何にも気にしない、そんなキャラ。
皆さまどうぞ
そんな明るいセナをお忘れなく…。
以上
おかあはんの記事は
これにてお終い!
ありがとうございました。
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繰り上げ当選の
れっちゃんのことは、
おとうはんのInstagramや
おかあはんのXでボチボチ
発信して行きますね。
(そのうちシレッとInstagram始めるかも⁈)
「レレレのれっちゃん」ってタイトルで
ブログ始めるわって言ったら
「そんなギャグ漫画みたいな❗️」って
多方面から止められたので(笑)
明日、セナの初七日に
このブログの創始者おねえはんが
最後の投稿をします。
空へ。
セナを空に送り出す日が来ました。
旅立ちのセレモニーは、
虹の架け橋ぷうさんにお願いしました。
みんなでかわるがわる抱っこして
バスケットに寝かせました。
セナの大好きだったパンやご飯、
ボーロちゃん、おっとっと、いちご…
テンにもお土産を持って
皆さんから頂いたたくさんの花や
セナが歩いてた庭の花、
今朝咲いたバラ、
テンのお墓の花、
花でいっぱいいっぱいにして
旅立ちのお支度ができました。
快晴の新緑の中、
斎場までドライブです。
斎場は
ハナミズキの花が咲いていました。
ゴールデンウィークの渋滞を予想していましたが
早めに到着できたので
ハナミズキの下で
気持ちいい風に吹かれて
ピクニックです。
ここまで、
見送りに来てくれた
ルーシーちゃん。
さくらちゃん。
ナナちゃんテンちゃんも
来てくれました。
みんなに見送って頂いて
午前11時。
セナは空に昇って行きました。
雲一つない青空でした。
たくさんの方から、
「空見上げたよ」
「行ってらっしゃい」って
メッセージをいただきました。
みんなに愛されて、
セナは本当に幸せな子です。
ありがとうございました。
今もセナは
皆さんから頂いた花に包まれています。
セナの姿が無くなってしまったら
どうなってしまうのだろう?と
不安でいっぱいでしたが
悲しみ、寂しさは変わらず…でも、
無事に空に送れたことに
ホッとしてる自分も居ます。
それでもきっとまた、
恋しい気持ちが襲って
苦しくて悲しくて寂しくて
涙が止まらなくなるのでしょう。
「いっぱい泣いていいんだよ」と
みなさんに言ってもらいました。
だから、
恋しくなったら
悲しくなったら
寂しくなったら…
いっぱいいっぱい泣こうと思います。
それは、
セナと暮らした日々が
とてもとてもとても
幸せだったから。
セナに幸せをいっぱいもらったから。
いつか
私たちが
セナのように
ちゃんと頑張って生き抜いたら、
また会えると信じています。
にほんブログ村
29日にセナが逝ってから
今日までの間、
安曇野は肌寒いくらいの陽気でした。
おかげで、セナの体は
(保冷剤を入れ替えながら)
綺麗なままでした。
セナを空に送った途端、
気温が上がるという…
これもセナの計算通りなのでしょうか?
旅立ちのセレモニーは、
虹の架け橋ぷうさんにお願いしました。
みんなでかわるがわる抱っこして
バスケットに寝かせました。
セナの大好きだったパンやご飯、
ボーロちゃん、おっとっと、いちご…
テンにもお土産を持って
皆さんから頂いたたくさんの花や
セナが歩いてた庭の花、
今朝咲いたバラ、
テンのお墓の花、
花でいっぱいいっぱいにして
旅立ちのお支度ができました。
快晴の新緑の中、
斎場までドライブです。
斎場は
ハナミズキの花が咲いていました。
ゴールデンウィークの渋滞を予想していましたが
早めに到着できたので
ハナミズキの下で
気持ちいい風に吹かれて
ピクニックです。
ここまで、
見送りに来てくれた
ルーシーちゃん。
さくらちゃん。
ナナちゃんテンちゃんも
来てくれました。
みんなに見送って頂いて
午前11時。
セナは空に昇って行きました。
雲一つない青空でした。
たくさんの方から、
「空見上げたよ」
「行ってらっしゃい」って
メッセージをいただきました。
みんなに愛されて、
セナは本当に幸せな子です。
ありがとうございました。
今もセナは
皆さんから頂いた花に包まれています。
セナの姿が無くなってしまったら
どうなってしまうのだろう?と
不安でいっぱいでしたが
悲しみ、寂しさは変わらず…でも、
無事に空に送れたことに
ホッとしてる自分も居ます。
それでもきっとまた、
恋しい気持ちが襲って
苦しくて悲しくて寂しくて
涙が止まらなくなるのでしょう。
「いっぱい泣いていいんだよ」と
みなさんに言ってもらいました。
だから、
恋しくなったら
悲しくなったら
寂しくなったら…
いっぱいいっぱい泣こうと思います。
それは、
セナと暮らした日々が
とてもとてもとても
幸せだったから。
セナに幸せをいっぱいもらったから。
いつか
私たちが
セナのように
ちゃんと頑張って生き抜いたら、
また会えると信じています。
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29日にセナが逝ってから
今日までの間、
安曇野は肌寒いくらいの陽気でした。
おかげで、セナの体は
(保冷剤を入れ替えながら)
綺麗なままでした。
セナを空に送った途端、
気温が上がるという…
これもセナの計算通りなのでしょうか?
肉体。
出会った時から
私たちを魅了してやまない
仕草や
表情。
愛くるしい眼差し。
毎月シャンプーして
毎日ブラッシングして
一日に何度も抱っこして
夜は腕枕で寝た。
気が向くとよく歩く足は
肉球がとても小さい。
何度も何度も触れた
セナの体。
この体が
明日には無くなってしまう。
肉体は魂の入れ物だという。
魂と肉体は別なんだと。
わたし達が
見つめて、触れて、愛して来た
セナの体。
それは入れ物で、
肉体が無くなっても
セナの魂は今まで通り
私たちのすぐ近くに居る…
本当にそうだとしても、
触れたい。
見つめたい。
抱きしめたい。
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明日、
セナの肉体が無くなった後
わたし達は
どうなってしまうんだろう。
私たちを魅了してやまない
仕草や
表情。
愛くるしい眼差し。
毎月シャンプーして
毎日ブラッシングして
一日に何度も抱っこして
夜は腕枕で寝た。
気が向くとよく歩く足は
肉球がとても小さい。
何度も何度も触れた
セナの体。
この体が
明日には無くなってしまう。
肉体は魂の入れ物だという。
魂と肉体は別なんだと。
わたし達が
見つめて、触れて、愛して来た
セナの体。
それは入れ物で、
肉体が無くなっても
セナの魂は今まで通り
私たちのすぐ近くに居る…
本当にそうだとしても、
触れたい。
見つめたい。
抱きしめたい。
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明日、
セナの肉体が無くなった後
わたし達は
どうなってしまうんだろう。
試練。
お別れが、こんなに苦しくて悲しいのに
どうして犬を飼ってしまうんだろう。
先代のテンの時、
嫌っていうほど味わった、この苦しみ。
それを知っていながら。
れっちゃんも
戸惑っている。
仕方ない。
私たち以上に、
セナくんと一緒に居たんだ。
これは、試練。
れっちゃんにとっても
私たちにとっても。
私たちだけで
乗り越えて行かなきゃならない試練。
そう思っていた。
そんな苦しい気持ちに耐えていたら…
次々に届く、お花。
温かなコメント。
セナのことをブログに書いてくれたり
Xにも
Instagramにも
たくさんのメッセージ。
一つ一つに涙が溢れた。
お休みしてしまった仕事先の
社長と奥さんが来てくれた。
千葉から
いちごちゃん家が飛んで来てくれた。
アルリブ家のパパさんママさんも
駆けつけてくれた。
ナナテンちゃん家も来てくれて
ナナ婆に、
「セナ爺、こんなに早く置いていくなんて❗️」って
叱られた。
セナを慕ってくれてる
ビションフリーゼのおもちちゃんも来てくれた。
栃木から
もながん家が来てくれて
がんもくんは
セナにお別れを言ってくれた。
仙台からは、
テリリー家が来てくれた。
みんな、セナの顔を見て
セナを撫でて
セナを褒めてくれた。
一緒に泣いてくれた。
悲しみ、苦しい気持ち、
この試練は、
私たちだけで乗り越えてるんじゃなく
セナが繋いでくれた方々に
とても助けられていることに気づいた。
本当にありがとうございます、
その言葉しか見つからない。
ちょうど12年前の今日、5/1は
セナとテリーくんが初めて会った日だった。
その日に、こうして来ることになるなんて
セナくんは旅立つ日を
ちゃんと計算して逝ったんだよ
セナくんに呼ばれたよ、って
テリリーパパさんが言ってた。
計算していたかどうかはわからないけど
セナに持たせてあげる写真を探して
出てきた2014年のセナカレの4月が
「空を飛びたいなぁ」だった。
10年前の4月に書かれてた通り
10年後の4月、空を飛んだんだとしたら
やっぱり
セナくんって、凄いな…。
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どうして犬を飼ってしまうんだろう。
先代のテンの時、
嫌っていうほど味わった、この苦しみ。
それを知っていながら。
れっちゃんも
戸惑っている。
仕方ない。
私たち以上に、
セナくんと一緒に居たんだ。
これは、試練。
れっちゃんにとっても
私たちにとっても。
私たちだけで
乗り越えて行かなきゃならない試練。
そう思っていた。
そんな苦しい気持ちに耐えていたら…
次々に届く、お花。
温かなコメント。
セナのことをブログに書いてくれたり
Xにも
Instagramにも
たくさんのメッセージ。
一つ一つに涙が溢れた。
お休みしてしまった仕事先の
社長と奥さんが来てくれた。
千葉から
いちごちゃん家が飛んで来てくれた。
アルリブ家のパパさんママさんも
駆けつけてくれた。
ナナテンちゃん家も来てくれて
ナナ婆に、
「セナ爺、こんなに早く置いていくなんて❗️」って
叱られた。
セナを慕ってくれてる
ビションフリーゼのおもちちゃんも来てくれた。
栃木から
もながん家が来てくれて
がんもくんは
セナにお別れを言ってくれた。
仙台からは、
テリリー家が来てくれた。
みんな、セナの顔を見て
セナを撫でて
セナを褒めてくれた。
一緒に泣いてくれた。
悲しみ、苦しい気持ち、
この試練は、
私たちだけで乗り越えてるんじゃなく
セナが繋いでくれた方々に
とても助けられていることに気づいた。
本当にありがとうございます、
その言葉しか見つからない。
ちょうど12年前の今日、5/1は
セナとテリーくんが初めて会った日だった。
その日に、こうして来ることになるなんて
セナくんは旅立つ日を
ちゃんと計算して逝ったんだよ
セナくんに呼ばれたよ、って
テリリーパパさんが言ってた。
計算していたかどうかはわからないけど
セナに持たせてあげる写真を探して
出てきた2014年のセナカレの4月が
「空を飛びたいなぁ」だった。
10年前の4月に書かれてた通り
10年後の4月、空を飛んだんだとしたら
やっぱり
セナくんって、凄いな…。
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