【少年犯罪】私は少年院に行ってました。
1 : 或る阿呆 :03/08/14(木) 07:20
私は現在26歳の大学院生、男です。
私は少年院に通っていました。
2 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:21
スレタイは通ってましたの方が良かったかもしれませんね。
今でも昨日の事のように思い出されます。
3 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:24
中学一年の頃、私は虐めにあいました。
初めて受けた屈辱に自分の弱さが大嫌いになりました。
小学生の頃、私は勉強も出来るほうでスポーツもかなり得意でした。
そのためか割りと友達も多く順風満帆といった感じの生活を送っていました。
4 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:29
その頃から理論物理に非常に関心を持っていたため将来は大学教授になるのが夢でした。
親にもよく話をしていました。すると親は、
「そんな勉強したいなら中学も受験したら?」
と言いました。私はあんまり考えもせず「受験」という言葉に惹かれて私立の受験を決意
してしまったのです。
小学6年の7月のことでした。
5 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:36
小学生最後の夏休み私は大手の進学塾に通いよく勉強しました。
そこの塾は皆優秀で同じ私立中学を目指す友達も多くいました。
7月から入塾したためなかなか話し相手が見つからず、休み時間は静かなものでした。
周りの話し声を遠くに聞きながら机の上でよく社会の年表をみて過ごしたものです。
学校の知り合いは一人もいません。
夏休みの或る日全国模擬テストが開催されました。
9 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 08:15
「努力の甲斐あってか塾内では3位という好成績をとることが出来ました。
塾では一気に有名になり、これを機に多くの友達も増えました。
母親はどちらかと言うと甘い人で昔から若干親馬鹿といった感じでしょうか、この時も
異様なまで私を褒めちぎるのです。私もとても嬉しく次も頑張ろうと思いました。
一方父親は寡黙な人で褒めることなんてありません。
10 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 08:31
翌日から塾では休み時間に友達と弁当を食べたり話したり出来るようになり塾でも学校でも
本当に楽しい日が続きました。
そして中学受験。倍率は7.8倍とかなり高かったのですが何とか合格出来たのです。
家ではお祝いもし、私はこれから始まる中学生活は希望で満ち溢れていました。
中学ではやはり塾と同じように知り合いは見当たりません。
小学校からエスカレーターであがってきた生徒が多く校区出身の生徒はあまりいません。
私のような校区出身者は静かに席に座っている人が多かったです。
11 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 08:44
でも私は皆とお喋りをしたりするのが大好きなので何回も自分から友達を作ろうと話しかけたりも
しました。でもそう上手くはいかず、約1ヶ月半そのような状態が続きました。
そして最初の中間テスト。
各教科の担当の先生は成績優秀者を上から数名挙げる人が多く私は理科と数学で名を挙げられ
ました。顔には出せませんが心の中では本当に万歳でした。
塾の時と同じようにこれでまた友達が出来るのではないか」
とも思いました。
その翌日からです。すべてが狂い始めたのは。
22 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 17:32
私はいつものように席に座ります。しかしいつもと何か違う。
机の中の教科書が一冊もありません。
そればかりかロッカーの中の体操服も。
それからというものやたら物が無くなっていきました。
小学時代は全てが上手くいき何も問題なく過ごしてきたのでまさか虐めなどとは思いもしませんでした。
しかしそんな私でも実際に暴力を受ければ気付きます。
最初のうちは頭をうしろからしばかれる程度でした。
段々度が増してきて背後から膝で背中を蹴られたりし呼吸が出来なくなる事もありました。
私は学校が嫌いになりました。
23 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 17:50
でも親はいつものように親馬鹿ぶりを見せるのでまさか虐めなんて事は言えません。
なるべく家では明るく振り舞うように努力しました。
一学期が終わりになる頃、私はとうとう虐められているグループ(10人ほど)に呼び出されました。
こうして対面して何かを話すのは初めてです。今度は何をされるのかと怖さ故に足がガクガクしました。
24 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 18:20
虐めグループ「これからお前はクラスで一番下の位になれ。」
私はそれを聞いた時、正直ホッとしました。これで済むのなら何てこと無いなと思ったからです。
私 「うん、わかった。」
虐めグループ「あとこれを読め」
そう言って一枚の紙を手渡し去っていきました。
私は脱力感に見舞われその場に座ってしまい、手渡された紙に目を通しました。
私は目を疑いました。紙には次のような事が書かれてありました。
25 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 18:46
1・毎日必ず上納金を渡す。
2・サンドバックは抵抗してはならない。
3・誰の言うことにも「はい。」と返事をしろ。
4・タメ口を使うな。
5・弁当を食べてはいけない。
6・自分から話しかけてはいけない。
7・召使として精一杯努力しろ。
8・口外するな。
9・前を通るときは失礼しますと言え。
10・以上の事を守れなければ即処刑。
最後の「処刑」という言葉に私は恐怖を感じた
29 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 19:23
次の日から受ける虐めは強くなりました。
今まではどちらかと言うと無視や物を盗られるのが多かったんですがそれからは、
あからさまに殴られるようになりました。
朝教室に入ると髪を掴まれトイレで袋にされたり水をかけられたり鼻や口からよく
血を出したものです。顔は目立つからと言ってわき腹を殴られることが多く、何度も
地面に倒れ呼吸困難になりながら上から蹴りをくらいました。
夏休みに入り勉強合宿というのが始まりました。
そこは学校とは違い皆開放された感じで虐めも酷くなりました。
30 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 19:25
食堂のような所でも虐めを受けました。私のご飯は茶碗に半分の白飯だけです。
二日間で食べたご飯は約茶碗3杯程度。流石に空腹に耐え切れず食堂の係員さん
に頼んで残り物のご飯を頂きました。
当然合宿先で風呂に入れてくれません。私は雑用係を任され片付けや掃除をよくしました。
寝る時も床です。しかし硬い床でもゆっくり休めるので本当に落ち着ける貴重な時間でした。
二学期が始まってもいっこう酷くなりました。
34 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 20:19
或る日の弁当の時間のこと。
母親は毎日きちんと弁当を作ってくれているのですがいつものように食べさせてはくれません。
しかしその日はいつも以上でした。
弁当を机の上にひっくり返されその上に牛乳を撒かれ髪を掴まれ顔をその上に叩きつけられました。
しかし驚いたのはその後の事です。
一部始終見ていた担任が発した言葉です。
「おいOO(私の苗字)。ちゃんと雑巾で拭いとけよ。」
38 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 20:33
私は全てから見放されホントに絶望を感じました。
そしてこの頃からでしょうか、私の心の中に憎しみがこみ上げてきたのは。
教師とは全く何の力にはなってくれませんね。
別に助けを借りようなんて思いませんがこの人格を問いたくなります。
今までは虐めグループに対し恐怖の念しかありませんでしたが、段々仕返しという気持ちに変わって
いくのです。
43 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 21:55
二学期も終わりを迎え大分、虐めにも慣れてきました。
が私の怒りは決して風化することはありません。
そんな鬱憤たまったある日、いつものように私は痣が残るまで輪にされ暴行を受けていました。
そして虐めグループの副リーダーがある事を口走ったのです。
「こいつの弟もボコボコにしちゃおうか?えっ?」
私はこの一言で「こいつを殺らなければ弟がやられる。」と思いました。
50 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 22:29
しかし身体の大きい人ばかりのグループだったのでまさか正々堂々戦えるわけがありません。
その週の土曜、私は少し離れた街へでかけバタフライナイフとスタンガンを購入しました。
後から、何故思いとどまることが出来なかったか何度も自問しましたが、このときは弟を巻き添えにしようとした、あいつが憎くて仕方なく無我夢中でした。
二日後の月曜、朝っぱらから私はリンチに遭いました。(体育館の倉庫の中です)
約5~6分でしょうか、暴行され続け、私は今しかないと思いました。
55 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 22:46
ポケットに入れていたスタンガンで輪を作っている4人全員に反撃しました。
物凄い音とその場に倒れる虐めグループに戸惑いはしましたが中途半端にすると後が怖いので思うがままにしました。
3人は痙攣し、指や足先がピクピクしていたのを覚えています。しかしあと一人は上手く当たりませんでした。私は義務感とも言うべきか逃げ腰のその一人の首を目掛けて失神するまでスタンガンを当て続けました。
しかし本当の戦いはここからです。私は覚悟を決め体育館入り口にいるリーダーと副リーダーに制裁を加えようと思い、倉庫を出ました。しかし倉庫内の音は外にはなかなか漏れないようでターゲットの二人は、気づいていないようでした。
57 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 22:56
私はズボンのポケットに入れていたバタフライナイフを出し、まずリーダーに襲い掛かりました。
逃げられたらいけないと思い、太ももを切りつけました。
リーダーの叫び声が響き渡ります。と同時に登校してきた女子生徒の悲鳴も聞こえたような気がします。
人が集まる前にやらなければと(冷静でした)思い足を切りつけた後、胸板から腰にかけてナイフで
約50cmほどシャットやりました。血が滲み出てきてリーダーは喘いでいました。
とそのとき形相を変えた副リーダーが背後から肘鉄で背骨を攻撃してきたのです。
私は激しい痛みと意識が飛びそうになるのを耐えてカウンター気味に両手でしっかり持ったナイフで腹部を
思いっきり刺しました。ナイフが刺さったままそいつの口から血が出てきてその場に倒れました。
思っていたよりナイフは簡単に刺さりました。副リーダーは運良く冬服を着ていなかったからでしょう。
そのあともがく副リーダーの意識を飛ばすために1秒ほどスタンガンをあて私は倉庫へ逃げました。
65 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 23:26
3分ほどの出来事でした。倉庫へ戻った私は今までされた事と、弟を狙おうとした憎しみを倉庫に居る
虐めグループにぶつけ何度も何度も泣きながらのしかかって殴りつけました。
そして少しして私は誰かから口頭部を殴られました。体育教師でした。
その後はもうほとんど記憶はありません。
何日も何日も調書作成のためにしつこく質問されて私はもうその学校の生徒ではなくなり、鑑別所に入れられ幾多と精神分析をされ少年院に入れられました。
66 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 23:28
母親は倒れ精神科へ通院が必要となり半年起きに面会に来る父親はもうほとんど口を聞いてはくれません。
リーダーは全治1.5ヶ月で副リーダーは内臓からによる出血多量で意識不明の重体で一週間後に亡くなったそうです。
私は13歳にして人殺しになりました。
少年院の中で私は静かに暮らしていました。
プールの授業などは本当に楽しかったです。学校では顔を水の中に押し付けられ多くの水を飲まされ吐くこともありました。ここではそんな事はありません。
72 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 23:50
何人か友達も出来ました。しかし皆、決して自分の過去について話すことはありませんでした。
でもその友達は喧嘩をして何度も反省室に入れさせられていました。
(反省室とはほとんど光が入らず寝るスペースしかなく猫が出入りするような小さな小窓から時間が来れば
飯が出てくるだけ、というまさに静寂と孤独の空間でした。一週間居れさせられます。)
一年半が経ち私は外の世界に出ることが出来ました。
私は人殺しという荷を背負ってこれ以上親族に迷惑をかけないよう独りで上京し遅れながら高校へ進学しました。
80 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 00:20
父に学費を払っていただいたがやはり生活できないため朝昼は仕事、夜は学校という生活を続けました。
しかし、定時制の授業だけあってなかなか大学に合格できるだけの授業はしてくれません。
私は独学ながら頑張って勉強しました。
高校3年になろうかと言う頃、夜学校から帰りポストを覗くと珍しく手紙が一通入っていました。
父親からの手紙でした。
103 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 07:14
「いきなりですまない。
嫌がらずに最後まで読んでくれ。
昔から勉強もよく出来て何も習わさずにいたがスポーツも優秀でそんな息子を俺は何よりも誇りにしていた。俺はお前を叱った記憶はほとんどいない。それも信用をしていたためだ。
言わずもがな。お前は物分りが良かったから敢えて俺は何も言う必要はなかった。
母さんはあの日勉強を頑張るお前のためにと年末旅行を計画していた。
しかし連行されたお前の話を聞いた母さんは倒れ入院した。
もう何日も寝込んでやっとまともに話が出来るようになったのだが精神がいかれてしまい今度は精神病院へ行った。
この時、俺は正直お前が憎かった。我が子ながら俺の愛する母さんにこんな目を遭わせたお前が憎かった。
104 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 08:01
しかし警察の調査によって段々俺にも報告が来るようになった。
俺はそれを聞いたとき涙が止まらなかった。
もし俺がお前だとしても、やはり家族にそんなかっこ悪いとこ見せられないだろうからいえなかったと思う。
そんなお前に気づいてやれない俺には父親の資格はない。そんな事は今更という感じだが、何度も何度も面会のときに謝ろうとしたんだが、情けない俺は何も言えずにただただお前の話を聴くだけしかできなかった。面会が終わり部屋を出ると俺は崩れ落ち餓鬼のように泣いた。
地面に拳をぶつけ悔しさと辛さで居た堪れない気持ちでいっぱいだった。
自分の息子をこんな形でしか気持ちを伝えられない俺は本当に駄目な親だと思っている。
しかし、俺は今お前に会う勇気はない。俺は、かいまお前を憎みさえした。
見す見す息子が暴行受けているのを見逃す親だ。お前も会いたくはなかろう。
109 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 08:45
すまなかった。
金銭面だけしか援助してやれないが俺を許してくれ。
お前ときちんと会話したのはもう4年以上も前だ。
これだけ愛する我が子なのに会うことが出来ないのは本当につらい。
ひょっとしたらもう一生話すことが出来ないかもしれない。
しかし俺はお前を世界で一番の自慢の息子だと誇りを持って言える。
どんな事があっても自慢の息子だ。
雑筆で長くなってすまんかった。じゃぁ健康に気をつけて頑張ってくれな。」
父親の手紙は涙で所々ボールペンの字で滲んでいました。
私もその手紙を読みながら夜通し泣き続けました。
今までで一番父親を側に感じることが出来た瞬間かもしれません。
何度も何度も私はこんな息子を愛してくれている父親にお礼を言いました。
111 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:17
それから二年が経ち一浪し旧帝国大学に何とか合格することが出来ました。
大学では割りと自由に行動でき、充実していました。
家庭教師をしながらボロアパートで友達と同居していました。
そんなある日、私はポロッと前科があることを友達に口外しました。
あまり隠しておきたくはなかったんですが無意識の内に喋ってしまい私も同居している友人も一瞬、戸惑いはしましたが、そのまま会話は続き内心ホッとしていました。
翌日は日曜で特に用事も無く私はここぞとばかりに昼近くまで眠っていました。
少し寝すぎたと思いながらふと目をサマストいつもは狭いと感じていたアパートの一室が妙に広いのです。
112 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:18
辺りを見回すと一枚の紙切れと一か月分の家賃が置かれてありました。同居している友人からでした。
私の前科のことは触れていませんでしたが、明らかにそのことで出て行ったのでしょう。
一人の大切な友人を失いはしたのですが私はそれでいいと思います。
このように自分に対してしっかり気持ちを伝えてくれる友達が居たことは嬉しかったです。
それから半年が経った冬の日、故郷の病院から電話がありました。
私は新幹線に乗って雪の降る中急いで帰省しました。
もう病院へ着いたときは集中治療室で面会謝絶でした。脳・心臓疾患だそうです。
113 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:26
数日後、父は過労死で他界しました。結局手紙の通り父との会話は小学6年生の時が最後でした。
通夜、葬儀は速やかに行われました。
葬儀が終わりようやく一段落し、弟とゆっくり話す機会が出来たのです。
本当に久しぶりで色々謝らなければならない事もありこれからの事も話し合おうと思い声をかけようとした時、弟から、
「もう縁を切ってくれ。あと3ヵ月後結婚をするんだが呼ぶつもりはない。」
と言われました。私はこの一言でこの世の唯一の家族を失ったのでした。
114 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:26
仕方ないことかもしれません。犯罪者が同じ家族に居ればどれだけの迷惑がかかるかしれません。
弟のためとはいえ人を殺した事実は変わらないので私は素直に弟に従いました。
「迷惑をかけて申し訳なかった」
と言い、私はその場を去りました。
もう親戚も私に関わることありませんでした。
しばらく父の遺産と家庭教師のアルバイトと夜中の土方仕事で学費を払っていたのですが、流石に将来の不安もあり故郷の実家にかかる固定資産税も馬鹿にならないので親不孝と思いつつ取り壊すことに決めました。
115 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:32
久しぶりに実家に戻るとポストの中には「死ね」「犯罪者」「魔物一族」などの書かれた紙で溢れていました。
私にはいつ何処でも犯罪者というものを回帰させてくれるものがあります。
部屋に入るとひんやりした空気が私の肌を刺激しました。
昔、私が生活していた空間を目の当たりにしながら家族の笑い声が耳の中でこだまします。
昭和の頃から使われていた円い円卓は変わらず堂々と居間に座っています。
全て私が家族と過ごした最後の日と変わっていませんでした。
116 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:35
私は思わず泣き崩れました。
あの幸せな日々は一体何処へ行ってしまったのだろうか。
もう一度だけこの円卓で家族と夕飯を囲みたい。
幸せだった小学生の頃・・・。
後悔の念が込み上げてきてやっと離れていった家族を実感してきました。
独りだけどやっていけるなんて強がっているふりをしていましたが、私は今でも家族が好きだ。
私のせいで母は精神が滅入ってしまい衰弱死。
私のせいで父に心配をかけ無理をして過労死。
そして犯罪者の弟とレッテル張られ楽しい生活を失った弟。
みんな私の責任です。私は自分の大切な物を自分の手によって失ったのです。
117 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:48
私は決して戻らない家族と離れることが嫌で仕方ありませんでした。
その家族と語りつくせないほどの多くの思い出が詰まるこの家が恋しくて2、3日此処で生活していました。
しかし自業自得。私は家族と気持ちの上でも別れる決意をしました。
もうお別れです。生前全くお礼を言うことが出来なかった父に深くお礼を言い、私の事を本当に大事にしてくれて可愛がってくれた母に感謝の気持ちをこめたお礼をし、何も兄らしい事をしてやれず更に一生迷惑をかけてしまった弟にも謝罪をし、その家をあとにしました。
家は取り壊され、そこは草一本生えていない空き地と化しました。もう何も残ってはいません。
120 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:56
今、私には家族も親戚もいない。友達もいない。恋人もいない。
あるのは履歴書に残る前科と未だ消えることのない、いや一生消えることのない人殺しという代名詞。
自分の手によって決断したあの若き頃の事件。それも永久に私に付き纏うだろう。
私は中学生にして人を殺した。
院(大学院)の研究室でそれを知る者は私以外にはいない。
知る必要もない。私は一生独りで生きていくからだ。
家族の幸せと同級生の人生を破壊した私に命があるだけまだ神に感謝すべきである。
何も贅沢は言わない。勿論結婚などはしない。
私は凶悪犯罪者であり殺人者だ。
私は本来なら世のため弟のため遺族のため死ぬべきなのかもしれない。
自分でも誰のために生きているのか解からない。
もし後世があるのなら、私は家族の温かみを一生の宝物にするつもりだ。
もう家族の笑顔を失いたくはない。
131 :或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15 10:57
私はまだ未熟でこんな形でしか虐めを止める術を知りませんでした。
しかし確実に虐めは無くなりますが、一生を変えてしまいます。
家族というのは身近にいると何でもない存在ではありますが、私は、
ある日を境に家族を失いました。
家族のいない、誰からも相手にされない孤独がどれほど辛いか解って
頂きたかったです。
私は現在26歳の大学院生、男です。
私は少年院に通っていました。
2 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:21
スレタイは通ってましたの方が良かったかもしれませんね。
今でも昨日の事のように思い出されます。
3 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:24
中学一年の頃、私は虐めにあいました。
初めて受けた屈辱に自分の弱さが大嫌いになりました。
小学生の頃、私は勉強も出来るほうでスポーツもかなり得意でした。
そのためか割りと友達も多く順風満帆といった感じの生活を送っていました。
4 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:29
その頃から理論物理に非常に関心を持っていたため将来は大学教授になるのが夢でした。
親にもよく話をしていました。すると親は、
「そんな勉強したいなら中学も受験したら?」
と言いました。私はあんまり考えもせず「受験」という言葉に惹かれて私立の受験を決意
してしまったのです。
小学6年の7月のことでした。
5 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 07:36
小学生最後の夏休み私は大手の進学塾に通いよく勉強しました。
そこの塾は皆優秀で同じ私立中学を目指す友達も多くいました。
7月から入塾したためなかなか話し相手が見つからず、休み時間は静かなものでした。
周りの話し声を遠くに聞きながら机の上でよく社会の年表をみて過ごしたものです。
学校の知り合いは一人もいません。
夏休みの或る日全国模擬テストが開催されました。
9 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 08:15
「努力の甲斐あってか塾内では3位という好成績をとることが出来ました。
塾では一気に有名になり、これを機に多くの友達も増えました。
母親はどちらかと言うと甘い人で昔から若干親馬鹿といった感じでしょうか、この時も
異様なまで私を褒めちぎるのです。私もとても嬉しく次も頑張ろうと思いました。
一方父親は寡黙な人で褒めることなんてありません。
10 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 08:31
翌日から塾では休み時間に友達と弁当を食べたり話したり出来るようになり塾でも学校でも
本当に楽しい日が続きました。
そして中学受験。倍率は7.8倍とかなり高かったのですが何とか合格出来たのです。
家ではお祝いもし、私はこれから始まる中学生活は希望で満ち溢れていました。
中学ではやはり塾と同じように知り合いは見当たりません。
小学校からエスカレーターであがってきた生徒が多く校区出身の生徒はあまりいません。
私のような校区出身者は静かに席に座っている人が多かったです。
11 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 08:44
でも私は皆とお喋りをしたりするのが大好きなので何回も自分から友達を作ろうと話しかけたりも
しました。でもそう上手くはいかず、約1ヶ月半そのような状態が続きました。
そして最初の中間テスト。
各教科の担当の先生は成績優秀者を上から数名挙げる人が多く私は理科と数学で名を挙げられ
ました。顔には出せませんが心の中では本当に万歳でした。
塾の時と同じようにこれでまた友達が出来るのではないか」
とも思いました。
その翌日からです。すべてが狂い始めたのは。
22 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 17:32
私はいつものように席に座ります。しかしいつもと何か違う。
机の中の教科書が一冊もありません。
そればかりかロッカーの中の体操服も。
それからというものやたら物が無くなっていきました。
小学時代は全てが上手くいき何も問題なく過ごしてきたのでまさか虐めなどとは思いもしませんでした。
しかしそんな私でも実際に暴力を受ければ気付きます。
最初のうちは頭をうしろからしばかれる程度でした。
段々度が増してきて背後から膝で背中を蹴られたりし呼吸が出来なくなる事もありました。
私は学校が嫌いになりました。
23 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 17:50
でも親はいつものように親馬鹿ぶりを見せるのでまさか虐めなんて事は言えません。
なるべく家では明るく振り舞うように努力しました。
一学期が終わりになる頃、私はとうとう虐められているグループ(10人ほど)に呼び出されました。
こうして対面して何かを話すのは初めてです。今度は何をされるのかと怖さ故に足がガクガクしました。
24 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 18:20
虐めグループ「これからお前はクラスで一番下の位になれ。」
私はそれを聞いた時、正直ホッとしました。これで済むのなら何てこと無いなと思ったからです。
私 「うん、わかった。」
虐めグループ「あとこれを読め」
そう言って一枚の紙を手渡し去っていきました。
私は脱力感に見舞われその場に座ってしまい、手渡された紙に目を通しました。
私は目を疑いました。紙には次のような事が書かれてありました。
25 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 18:46
1・毎日必ず上納金を渡す。
2・サンドバックは抵抗してはならない。
3・誰の言うことにも「はい。」と返事をしろ。
4・タメ口を使うな。
5・弁当を食べてはいけない。
6・自分から話しかけてはいけない。
7・召使として精一杯努力しろ。
8・口外するな。
9・前を通るときは失礼しますと言え。
10・以上の事を守れなければ即処刑。
最後の「処刑」という言葉に私は恐怖を感じた
29 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 19:23
次の日から受ける虐めは強くなりました。
今まではどちらかと言うと無視や物を盗られるのが多かったんですがそれからは、
あからさまに殴られるようになりました。
朝教室に入ると髪を掴まれトイレで袋にされたり水をかけられたり鼻や口からよく
血を出したものです。顔は目立つからと言ってわき腹を殴られることが多く、何度も
地面に倒れ呼吸困難になりながら上から蹴りをくらいました。
夏休みに入り勉強合宿というのが始まりました。
そこは学校とは違い皆開放された感じで虐めも酷くなりました。
30 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 19:25
食堂のような所でも虐めを受けました。私のご飯は茶碗に半分の白飯だけです。
二日間で食べたご飯は約茶碗3杯程度。流石に空腹に耐え切れず食堂の係員さん
に頼んで残り物のご飯を頂きました。
当然合宿先で風呂に入れてくれません。私は雑用係を任され片付けや掃除をよくしました。
寝る時も床です。しかし硬い床でもゆっくり休めるので本当に落ち着ける貴重な時間でした。
二学期が始まってもいっこう酷くなりました。
34 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 20:19
或る日の弁当の時間のこと。
母親は毎日きちんと弁当を作ってくれているのですがいつものように食べさせてはくれません。
しかしその日はいつも以上でした。
弁当を机の上にひっくり返されその上に牛乳を撒かれ髪を掴まれ顔をその上に叩きつけられました。
しかし驚いたのはその後の事です。
一部始終見ていた担任が発した言葉です。
「おいOO(私の苗字)。ちゃんと雑巾で拭いとけよ。」
38 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 20:33
私は全てから見放されホントに絶望を感じました。
そしてこの頃からでしょうか、私の心の中に憎しみがこみ上げてきたのは。
教師とは全く何の力にはなってくれませんね。
別に助けを借りようなんて思いませんがこの人格を問いたくなります。
今までは虐めグループに対し恐怖の念しかありませんでしたが、段々仕返しという気持ちに変わって
いくのです。
43 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 21:55
二学期も終わりを迎え大分、虐めにも慣れてきました。
が私の怒りは決して風化することはありません。
そんな鬱憤たまったある日、いつものように私は痣が残るまで輪にされ暴行を受けていました。
そして虐めグループの副リーダーがある事を口走ったのです。
「こいつの弟もボコボコにしちゃおうか?えっ?」
私はこの一言で「こいつを殺らなければ弟がやられる。」と思いました。
50 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 22:29
しかし身体の大きい人ばかりのグループだったのでまさか正々堂々戦えるわけがありません。
その週の土曜、私は少し離れた街へでかけバタフライナイフとスタンガンを購入しました。
後から、何故思いとどまることが出来なかったか何度も自問しましたが、このときは弟を巻き添えにしようとした、あいつが憎くて仕方なく無我夢中でした。
二日後の月曜、朝っぱらから私はリンチに遭いました。(体育館の倉庫の中です)
約5~6分でしょうか、暴行され続け、私は今しかないと思いました。
55 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 22:46
ポケットに入れていたスタンガンで輪を作っている4人全員に反撃しました。
物凄い音とその場に倒れる虐めグループに戸惑いはしましたが中途半端にすると後が怖いので思うがままにしました。
3人は痙攣し、指や足先がピクピクしていたのを覚えています。しかしあと一人は上手く当たりませんでした。私は義務感とも言うべきか逃げ腰のその一人の首を目掛けて失神するまでスタンガンを当て続けました。
しかし本当の戦いはここからです。私は覚悟を決め体育館入り口にいるリーダーと副リーダーに制裁を加えようと思い、倉庫を出ました。しかし倉庫内の音は外にはなかなか漏れないようでターゲットの二人は、気づいていないようでした。
57 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 22:56
私はズボンのポケットに入れていたバタフライナイフを出し、まずリーダーに襲い掛かりました。
逃げられたらいけないと思い、太ももを切りつけました。
リーダーの叫び声が響き渡ります。と同時に登校してきた女子生徒の悲鳴も聞こえたような気がします。
人が集まる前にやらなければと(冷静でした)思い足を切りつけた後、胸板から腰にかけてナイフで
約50cmほどシャットやりました。血が滲み出てきてリーダーは喘いでいました。
とそのとき形相を変えた副リーダーが背後から肘鉄で背骨を攻撃してきたのです。
私は激しい痛みと意識が飛びそうになるのを耐えてカウンター気味に両手でしっかり持ったナイフで腹部を
思いっきり刺しました。ナイフが刺さったままそいつの口から血が出てきてその場に倒れました。
思っていたよりナイフは簡単に刺さりました。副リーダーは運良く冬服を着ていなかったからでしょう。
そのあともがく副リーダーの意識を飛ばすために1秒ほどスタンガンをあて私は倉庫へ逃げました。
65 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 23:26
3分ほどの出来事でした。倉庫へ戻った私は今までされた事と、弟を狙おうとした憎しみを倉庫に居る
虐めグループにぶつけ何度も何度も泣きながらのしかかって殴りつけました。
そして少しして私は誰かから口頭部を殴られました。体育教師でした。
その後はもうほとんど記憶はありません。
何日も何日も調書作成のためにしつこく質問されて私はもうその学校の生徒ではなくなり、鑑別所に入れられ幾多と精神分析をされ少年院に入れられました。
66 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 23:28
母親は倒れ精神科へ通院が必要となり半年起きに面会に来る父親はもうほとんど口を聞いてはくれません。
リーダーは全治1.5ヶ月で副リーダーは内臓からによる出血多量で意識不明の重体で一週間後に亡くなったそうです。
私は13歳にして人殺しになりました。
少年院の中で私は静かに暮らしていました。
プールの授業などは本当に楽しかったです。学校では顔を水の中に押し付けられ多くの水を飲まされ吐くこともありました。ここではそんな事はありません。
72 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/14(木) 23:50
何人か友達も出来ました。しかし皆、決して自分の過去について話すことはありませんでした。
でもその友達は喧嘩をして何度も反省室に入れさせられていました。
(反省室とはほとんど光が入らず寝るスペースしかなく猫が出入りするような小さな小窓から時間が来れば
飯が出てくるだけ、というまさに静寂と孤独の空間でした。一週間居れさせられます。)
一年半が経ち私は外の世界に出ることが出来ました。
私は人殺しという荷を背負ってこれ以上親族に迷惑をかけないよう独りで上京し遅れながら高校へ進学しました。
80 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 00:20
父に学費を払っていただいたがやはり生活できないため朝昼は仕事、夜は学校という生活を続けました。
しかし、定時制の授業だけあってなかなか大学に合格できるだけの授業はしてくれません。
私は独学ながら頑張って勉強しました。
高校3年になろうかと言う頃、夜学校から帰りポストを覗くと珍しく手紙が一通入っていました。
父親からの手紙でした。
103 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 07:14
「いきなりですまない。
嫌がらずに最後まで読んでくれ。
昔から勉強もよく出来て何も習わさずにいたがスポーツも優秀でそんな息子を俺は何よりも誇りにしていた。俺はお前を叱った記憶はほとんどいない。それも信用をしていたためだ。
言わずもがな。お前は物分りが良かったから敢えて俺は何も言う必要はなかった。
母さんはあの日勉強を頑張るお前のためにと年末旅行を計画していた。
しかし連行されたお前の話を聞いた母さんは倒れ入院した。
もう何日も寝込んでやっとまともに話が出来るようになったのだが精神がいかれてしまい今度は精神病院へ行った。
この時、俺は正直お前が憎かった。我が子ながら俺の愛する母さんにこんな目を遭わせたお前が憎かった。
104 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 08:01
しかし警察の調査によって段々俺にも報告が来るようになった。
俺はそれを聞いたとき涙が止まらなかった。
もし俺がお前だとしても、やはり家族にそんなかっこ悪いとこ見せられないだろうからいえなかったと思う。
そんなお前に気づいてやれない俺には父親の資格はない。そんな事は今更という感じだが、何度も何度も面会のときに謝ろうとしたんだが、情けない俺は何も言えずにただただお前の話を聴くだけしかできなかった。面会が終わり部屋を出ると俺は崩れ落ち餓鬼のように泣いた。
地面に拳をぶつけ悔しさと辛さで居た堪れない気持ちでいっぱいだった。
自分の息子をこんな形でしか気持ちを伝えられない俺は本当に駄目な親だと思っている。
しかし、俺は今お前に会う勇気はない。俺は、かいまお前を憎みさえした。
見す見す息子が暴行受けているのを見逃す親だ。お前も会いたくはなかろう。
109 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 08:45
すまなかった。
金銭面だけしか援助してやれないが俺を許してくれ。
お前ときちんと会話したのはもう4年以上も前だ。
これだけ愛する我が子なのに会うことが出来ないのは本当につらい。
ひょっとしたらもう一生話すことが出来ないかもしれない。
しかし俺はお前を世界で一番の自慢の息子だと誇りを持って言える。
どんな事があっても自慢の息子だ。
雑筆で長くなってすまんかった。じゃぁ健康に気をつけて頑張ってくれな。」
父親の手紙は涙で所々ボールペンの字で滲んでいました。
私もその手紙を読みながら夜通し泣き続けました。
今までで一番父親を側に感じることが出来た瞬間かもしれません。
何度も何度も私はこんな息子を愛してくれている父親にお礼を言いました。
111 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:17
それから二年が経ち一浪し旧帝国大学に何とか合格することが出来ました。
大学では割りと自由に行動でき、充実していました。
家庭教師をしながらボロアパートで友達と同居していました。
そんなある日、私はポロッと前科があることを友達に口外しました。
あまり隠しておきたくはなかったんですが無意識の内に喋ってしまい私も同居している友人も一瞬、戸惑いはしましたが、そのまま会話は続き内心ホッとしていました。
翌日は日曜で特に用事も無く私はここぞとばかりに昼近くまで眠っていました。
少し寝すぎたと思いながらふと目をサマストいつもは狭いと感じていたアパートの一室が妙に広いのです。
112 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:18
辺りを見回すと一枚の紙切れと一か月分の家賃が置かれてありました。同居している友人からでした。
私の前科のことは触れていませんでしたが、明らかにそのことで出て行ったのでしょう。
一人の大切な友人を失いはしたのですが私はそれでいいと思います。
このように自分に対してしっかり気持ちを伝えてくれる友達が居たことは嬉しかったです。
それから半年が経った冬の日、故郷の病院から電話がありました。
私は新幹線に乗って雪の降る中急いで帰省しました。
もう病院へ着いたときは集中治療室で面会謝絶でした。脳・心臓疾患だそうです。
113 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:26
数日後、父は過労死で他界しました。結局手紙の通り父との会話は小学6年生の時が最後でした。
通夜、葬儀は速やかに行われました。
葬儀が終わりようやく一段落し、弟とゆっくり話す機会が出来たのです。
本当に久しぶりで色々謝らなければならない事もありこれからの事も話し合おうと思い声をかけようとした時、弟から、
「もう縁を切ってくれ。あと3ヵ月後結婚をするんだが呼ぶつもりはない。」
と言われました。私はこの一言でこの世の唯一の家族を失ったのでした。
114 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:26
仕方ないことかもしれません。犯罪者が同じ家族に居ればどれだけの迷惑がかかるかしれません。
弟のためとはいえ人を殺した事実は変わらないので私は素直に弟に従いました。
「迷惑をかけて申し訳なかった」
と言い、私はその場を去りました。
もう親戚も私に関わることありませんでした。
しばらく父の遺産と家庭教師のアルバイトと夜中の土方仕事で学費を払っていたのですが、流石に将来の不安もあり故郷の実家にかかる固定資産税も馬鹿にならないので親不孝と思いつつ取り壊すことに決めました。
115 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:32
久しぶりに実家に戻るとポストの中には「死ね」「犯罪者」「魔物一族」などの書かれた紙で溢れていました。
私にはいつ何処でも犯罪者というものを回帰させてくれるものがあります。
部屋に入るとひんやりした空気が私の肌を刺激しました。
昔、私が生活していた空間を目の当たりにしながら家族の笑い声が耳の中でこだまします。
昭和の頃から使われていた円い円卓は変わらず堂々と居間に座っています。
全て私が家族と過ごした最後の日と変わっていませんでした。
116 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:35
私は思わず泣き崩れました。
あの幸せな日々は一体何処へ行ってしまったのだろうか。
もう一度だけこの円卓で家族と夕飯を囲みたい。
幸せだった小学生の頃・・・。
後悔の念が込み上げてきてやっと離れていった家族を実感してきました。
独りだけどやっていけるなんて強がっているふりをしていましたが、私は今でも家族が好きだ。
私のせいで母は精神が滅入ってしまい衰弱死。
私のせいで父に心配をかけ無理をして過労死。
そして犯罪者の弟とレッテル張られ楽しい生活を失った弟。
みんな私の責任です。私は自分の大切な物を自分の手によって失ったのです。
117 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:48
私は決して戻らない家族と離れることが嫌で仕方ありませんでした。
その家族と語りつくせないほどの多くの思い出が詰まるこの家が恋しくて2、3日此処で生活していました。
しかし自業自得。私は家族と気持ちの上でも別れる決意をしました。
もうお別れです。生前全くお礼を言うことが出来なかった父に深くお礼を言い、私の事を本当に大事にしてくれて可愛がってくれた母に感謝の気持ちをこめたお礼をし、何も兄らしい事をしてやれず更に一生迷惑をかけてしまった弟にも謝罪をし、その家をあとにしました。
家は取り壊され、そこは草一本生えていない空き地と化しました。もう何も残ってはいません。
120 : 或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15(金) 09:56
今、私には家族も親戚もいない。友達もいない。恋人もいない。
あるのは履歴書に残る前科と未だ消えることのない、いや一生消えることのない人殺しという代名詞。
自分の手によって決断したあの若き頃の事件。それも永久に私に付き纏うだろう。
私は中学生にして人を殺した。
院(大学院)の研究室でそれを知る者は私以外にはいない。
知る必要もない。私は一生独りで生きていくからだ。
家族の幸せと同級生の人生を破壊した私に命があるだけまだ神に感謝すべきである。
何も贅沢は言わない。勿論結婚などはしない。
私は凶悪犯罪者であり殺人者だ。
私は本来なら世のため弟のため遺族のため死ぬべきなのかもしれない。
自分でも誰のために生きているのか解からない。
もし後世があるのなら、私は家族の温かみを一生の宝物にするつもりだ。
もう家族の笑顔を失いたくはない。
131 :或る阿呆 ◆P.IKCJx0Sw :03/08/15 10:57
私はまだ未熟でこんな形でしか虐めを止める術を知りませんでした。
しかし確実に虐めは無くなりますが、一生を変えてしまいます。
家族というのは身近にいると何でもない存在ではありますが、私は、
ある日を境に家族を失いました。
家族のいない、誰からも相手にされない孤独がどれほど辛いか解って
頂きたかったです。
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決して>>1を擁護はしないけど同情はしてやる。
なんかせつねぇなぁ
♯25782
なんかせつねぇなぁ
決して>>1を擁護はしないけど同情はしてやる。
なんかせつねぇなぁ
♯25783
なんかせつねぇなぁ
法務省の関係者でございます
いじめの部分はどーかしりませんが、少年院の中の記述はまったくもって嘘ばかりです
いまどきショーシャンクみたいな反省室なんぞ、刑務所にもないわwww
♯25784
いじめの部分はどーかしりませんが、少年院の中の記述はまったくもって嘘ばかりです
いまどきショーシャンクみたいな反省室なんぞ、刑務所にもないわwww
色々突っ込みどころあるのが残念
♯25785
ほんとの正義って言うのはなんなんでしょうね。
正義の裏にはまた別の正義…
とても憤りを感じます。
♯25786
正義の裏にはまた別の正義…
とても憤りを感じます。
ネタなら良かった。
このいじめられっこは居なかったんだね。
♯25787
このいじめられっこは居なかったんだね。
全員スタンガンにしとけば良かったのにな。
♯25788
人間はスタンガンで簡単に気絶することはない
夏休み特有の学生の妄想ですね
♯25789
夏休み特有の学生の妄想ですね
イジメっ子がイジメラレっ子に復讐されて殺される事件って報道しないんだとよ。
何でかと言うと、ニュースに影響されたイジメラレっ子がイジメっ子に復讐するかもしれないからだって。
♯25790
何でかと言うと、ニュースに影響されたイジメラレっ子がイジメっ子に復讐するかもしれないからだって。
読み物として面白かった
♯25791
世の中って不平等だよな
頑張っても報われない
♯25793
頑張っても報われない
人殺しに生きてる価値なし
♯25794
やるせない
♯25795
東野圭吾の小説にこんな話が
♯25796
※5
正義ってのは相対的なものだから
本当の正義なんてものは存在しない
♯25797
正義ってのは相対的なものだから
本当の正義なんてものは存在しない
ネタならよかった
つぅかネタであってほしい
実話ならこれほどやるせないことはない…
♯25800
つぅかネタであってほしい
実話ならこれほどやるせないことはない…
泣けた
♯25801
荻原浩の「コールド・ゲーム」を思い出した。あれは復習をうける側の話だったけど。
イジメうけてるとき、とりあえず誰でもいいから相談すればよかったんじゃないかなーと思う
♯25802
イジメうけてるとき、とりあえず誰でもいいから相談すればよかったんじゃないかなーと思う
>>米3
今時っつっても書き込みが03年で26歳なんだから20年くらい前だぞ?
♯25807
今時っつっても書き込みが03年で26歳なんだから20年くらい前だぞ?
似たような話を聞いたことがあるので、
まるっきりネタとも言い切れないかと
自分も同じような理由で兄弟と縁を切られたのでやりきれない
♯25816
まるっきりネタとも言い切れないかと
自分も同じような理由で兄弟と縁を切られたのでやりきれない
私立中学にそんなやついないと思うけど。
公立でも今時そこまでえげつないのは少ないよ!
♯25823
公立でも今時そこまでえげつないのは少ないよ!
なるたる思い出した・・・
きちんと反抗しないからいかんのだ。
変な形で戦うから人が死ぬ
♯25834
きちんと反抗しないからいかんのだ。
変な形で戦うから人が死ぬ
反省室がある少年院ということは名古屋ですね
♯25836
旧帝大卒にしては日本語がひどい。ネタ乙
♯25837
オレはスタンガンの件で違和感を感じたな
中学生が改造スタンガンなんぞ持ってるわけもないし。
知識が無くてスルーしたけど少年院の描写に突っ込み入れてる人もいるし。
創作は疑わないが、釣り宣言も無く訴えかける言葉で終わっている辺り
この話しに近い境遇にはあったんじゃねぇかな。実は弟側でした、とか。
まあ事実だろうが創作だろうが、やるせねぇな。
♯25839
中学生が改造スタンガンなんぞ持ってるわけもないし。
知識が無くてスルーしたけど少年院の描写に突っ込み入れてる人もいるし。
創作は疑わないが、釣り宣言も無く訴えかける言葉で終わっている辺り
この話しに近い境遇にはあったんじゃねぇかな。実は弟側でした、とか。
まあ事実だろうが創作だろうが、やるせねぇな。
>旧帝大卒にしては日本語がひどい。ネタ乙
旧帝大に夢見すぎ
♯25841
旧帝大に夢見すぎ
>履歴書に残る前科
少年院なら前科は残らないのでは?
♯25843
少年院なら前科は残らないのでは?
東野圭吾かなんかが元ネタじゃなかったっけ
♯25856
私立は勉強できる子のいじめは対処が素早いよ。
将来の大事な広告塔だからなw
♯25881
将来の大事な広告塔だからなw
東野圭吾の「手紙」だな。
まぁ生きろとしか言えないな。どんな形でも法を犯した者は償い続けるしかねーな。
♯25968
まぁ生きろとしか言えないな。どんな形でも法を犯した者は償い続けるしかねーな。
むしろネタであってほしい・・・
悲しくなる
♯26225
悲しくなる
スタンガンでも一番強くすれば気絶か死ぬかもあるって聞いたけどなぁ
ネタでも何でもいいよ、一番のクズは教師。
♯26339
ネタでも何でもいいよ、一番のクズは教師。
ボールペンの字は、にじまないよ。
♯26850
ここのコメント欄を見て愕然とした
いくらなんでも人として言ってはいけないことを平然と書きこんでいる
確かに釣りかもしれないが本当だったらどうするのか
♯26997
いくらなんでも人として言ってはいけないことを平然と書きこんでいる
確かに釣りかもしれないが本当だったらどうするのか
他人事だな
いずれにせよみんな
♯27361
いずれにせよみんな
中学生でもスタンガン持ってるやつはいたぞ
♯27609
教師の対応は、ありそうだなと思ったわ。
実際アテになんないもんな。
♯29482
実際アテになんないもんな。
泣いた。
なんでいじめられた奴の人生が変わんなきゃいけないんだよ。
♯31224
なんでいじめられた奴の人生が変わんなきゃいけないんだよ。
うん、いろいろ言われてるけど、この主人公は何かゆがんだ考えの持ち主だね。
捏造云々については、ボールペンは中性のだとにじむ可能性があるという点と、本文には改造スタンガンって書いてないのにコメント欄でなぜか改造になってるって件と、スタンガンはテイザーとかの特殊な奴じゃなきゃこういう倒れ方はしないという点、
まあ総合すると「フェイクを入れている」という可能性も考慮して100%捏造とはいえないという感じ。
というか、殺害すべき状況になり、実際に復讐していながら、なぜ少年院を1年ちょっと経験した後は自分の行為が極悪人に逆転してるのか。
そんなに少年院での矯正教育が効果的だったのか、それとも出所後に周囲の扱いで自分が悪人だと思ってしまったのか、
それとも自分も他人をいじめる側に回っているのか。
そもそもこれ正当防衛だから少年院に入れられるのは冤罪くさいが、被害者の親たちが騒いだのか?
うーん、この話はずっと前にも見たことあるが、かなり誤った教訓を生み出す危険がある。
とにかく悪いのは警察や刑務官側で、本来は敵と戦うべきなのに、なんで自虐してるんだか。
♯35344
捏造云々については、ボールペンは中性のだとにじむ可能性があるという点と、本文には改造スタンガンって書いてないのにコメント欄でなぜか改造になってるって件と、スタンガンはテイザーとかの特殊な奴じゃなきゃこういう倒れ方はしないという点、
まあ総合すると「フェイクを入れている」という可能性も考慮して100%捏造とはいえないという感じ。
というか、殺害すべき状況になり、実際に復讐していながら、なぜ少年院を1年ちょっと経験した後は自分の行為が極悪人に逆転してるのか。
そんなに少年院での矯正教育が効果的だったのか、それとも出所後に周囲の扱いで自分が悪人だと思ってしまったのか、
それとも自分も他人をいじめる側に回っているのか。
そもそもこれ正当防衛だから少年院に入れられるのは冤罪くさいが、被害者の親たちが騒いだのか?
うーん、この話はずっと前にも見たことあるが、かなり誤った教訓を生み出す危険がある。
とにかく悪いのは警察や刑務官側で、本来は敵と戦うべきなのに、なんで自虐してるんだか。
この話が嘘とか本当とかそういうのはどうでもいい。
ただすごく悲しい話やわ。
色々考えさせられる。
13歳の少年が少年院に入れるようになったのは、平成12年(2000年)に少年法が改正されたあとの話です。
♯36456
どうか幸せになって
♯36481
自ら犯した罪により、家族がバラバラになり涙がでました。守ろうとした弟さんにも絶縁され辛かったと思います。残念なのは、怪我を負わせた人や死なせた人への謝罪の言葉がない事に違和感を感じます。もし、事実なら一生犯した罪と向きあいながらも、人として立派にこの先の人生を頑張って生き抜いて欲しいです。
♯36482
自ら犯した罪により、家族がバラバラになり涙がでました。守ろうとした弟さんにも絶縁され辛かったと思います。残念なのは、怪我を負わせた人や死なせた人への謝罪の言葉がない事に違和感を感じます。もし、事実なら一生犯した罪と向きあいながらも、人として立派にこの先の人生を頑張って生き抜いて欲しいです。
♯46311
いいか
二度とこんな話を書くな
心のなかに閉まってろ
誰も理解しないし同情貰うだけだ
死んだ奴のことを思うなら
一片たりとも甘えんな
人生奪うってのはな
その人の分まで生きなきゃいけねーんだ
軽々しく話してんじゃねぇボケ
♯46604
二度とこんな話を書くな
心のなかに閉まってろ
誰も理解しないし同情貰うだけだ
死んだ奴のことを思うなら
一片たりとも甘えんな
人生奪うってのはな
その人の分まで生きなきゃいけねーんだ
軽々しく話してんじゃねぇボケ
イイツクリバナシダッター
♯49014
この人は何も悪くない。
徹頭徹尾いじめた人間が悪い。
私にも心に傷がある。
深い孤独を知る人と一緒に生きていきたい。
♯61429
徹頭徹尾いじめた人間が悪い。
私にも心に傷がある。
深い孤独を知る人と一緒に生きていきたい。
1 を否定するようなコメントしてる奴らよ幻滅したぞ
人殺しが悪なんて自分勝手な人間共が自分らに都合のいいように決めたルールだろ
善悪なんてそいつ次第なんだよ
実際わしは 1 が悪などとは思わない
全て 1 が悪いとは全く考えない
1 は正当防衛だ(わしの中ではな)
1 よ、お前さんが全て悪いわけじゃない。家族を失うことになってしまった原因はもっと根底にある
わしから見ても誰の目からみても素晴らしく順調だったお前さんの人生をぶち壊した奴らだ
お前さんはもう解き放たれていいんだ
この汚い世の中が許さんかもしれん、だがわしのように お前さんはいい奴なんだ と解ってくれる人間が必ず何処かにいる。それを忘れないでくれ
お前さんの人生だ
引きずる無理解者共は放っておけ
応援してるぞ
♯61430
人殺しが悪なんて自分勝手な人間共が自分らに都合のいいように決めたルールだろ
善悪なんてそいつ次第なんだよ
実際わしは 1 が悪などとは思わない
全て 1 が悪いとは全く考えない
1 は正当防衛だ(わしの中ではな)
1 よ、お前さんが全て悪いわけじゃない。家族を失うことになってしまった原因はもっと根底にある
わしから見ても誰の目からみても素晴らしく順調だったお前さんの人生をぶち壊した奴らだ
お前さんはもう解き放たれていいんだ
この汚い世の中が許さんかもしれん、だがわしのように お前さんはいい奴なんだ と解ってくれる人間が必ず何処かにいる。それを忘れないでくれ
お前さんの人生だ
引きずる無理解者共は放っておけ
応援してるぞ
幸せになってくれ
幸せになってくれよ
お前さんは幸せになるべき人間なんだ
乗り越えてくれ
幸せになってくれよ
お前さんは幸せになるべき人間なんだ
乗り越えてくれ