心の整理と死生観について:私は子どもカサンドラ

辛かった幼い頃の自分の気持ちを押し隠すのをやめて、受け入れ認めながら、今までを振り返りつつ、生涯をかけて、心の整理をし、これからの生き方・考え方を私なりに模索していくブログです。

早朝の灯

あくびをしながら眺める


ただぼーっと眺める




両親とも亡くして、「死」というものが


前より身近に実感する


リアルに感じる


ただ単に、


眠るように亡くなった父を見て思った


お骨になった父を見て実感した


遺影を眺めて私もいつかは...と身近になった


何年先かという時間の換算ではなく


まだ聞こえているはずだから...

こんにちは。

3日父の様子を見に行き、

朗読を一区切りした時、

てっきり眠ってしまったのだと勘違いし、

一度帰宅していました。


しかし、少しして看護師さんから連絡が来て

父が息を引き取ったと。


すぐに施設に戻りました。


看護師さんがそばにいてくださり、

「聞こえると思います、お話されてください」

と気を利かせてくれて、

2人きりにしてくれました。


私も

そういうふうに思い信じているタイプなので、

話しかけました。

初めて父に「肺ガンの再発だったこと」を

話しました。


生きる気持ちを削いでしまいそうだったから

黙っていてごめんね


と伝えました。


伯母にも電話📱して、

話しかけてもらいました。


気づいていたか、薄々気づいてなかったは

判りません


でももし気づいて疑問に感じるならば

「まさか再発したのか?」と

聞いてくるはずかなと思います。


何かしらで身体が弱っていくのを

感じていたとは思います

「そろそろ終わりにきたのかな、寿命かな」

と感じていていて貰いたいですが、


これは私のエゴかもしれません。


でも、

ただでさえ、執着心が異常な父です、


肺ガンは完治だろうと信じていた父に

「再発」のことばはかけないで

良かったと思っています。


3日、父亡くなりし、夕方の空を見つめて


多生谷 ゆり

父が息を引き取りました

いつも読んでくださって、本当に

ありがとうございます。


「真っ青な、雲ひとつない空を見上げて」


実は12月3日 火曜日の

晴れた日のお昼頃、

父は、

私が朗読を読み聞かせる中、

息を引き取りました。


父の仲良しのお姉さん(私の伯母)とも

何度か、スマホのビデオ通話で会話もし

3日の時も、伯母に電話をし、

声をかけてもらっていました。


少し前から酸素吸入をしていたのですが、

3日も、酸素は標準に達していたので

まだ大丈夫かな、と

昼間一旦、自宅に戻り、用事を済ませてから

夕方にまた面会に行くことにしていましたが

午後イチで看護師さんから

「呼吸が止まりました 

今すぐこちらへ来ることはできますか?」と

電話📞があり、

すぐにかけつけました。  


ただただ、、眠っているかのような、、

少し口を開けながら、、、

亡くなったとは思えないくらいの姿で。


一度記事をここまでにして

続きはまた、別に設けて記そうと思います。


多生谷 ゆり


「12月の晴れの日のひとコマ」、