春の庭/花暦
★2023年になって、やっと2回目のアップである。ホントに全ての行動がノロノロで億劫で面倒になってしまった。しかし、今年のサクラはビックリするほど早く来て、瞬く間に北に旅立ってしまった。自然界では多少の早遅はあっても、毎年そこにその花が咲き、その辺りにその雑草が鬱陶しく広がっている。『さ~て、草取りをやるか…』としゃがみながら周囲を見ると、そこかしこに次の花の蕾らしきが見えて、こんな狭いスペースの庭の中でも自然界はキチッと規則正しく花暦を刻んでいることに気付く。
★春の庭/花暦
①しゃが=3月中旬
たびたびアップしているのでご存じ方もお見えだが、数十年前に私の故郷、南飛騨の町のシャガを毎年持ってきて移植を繰り返し、数年後にようやく根付いたものだ。現在、我が家の庭でドンドン増え続けている。遠い日の思い出と望郷の念とともに私の最も好きな野草である。
②すずらん=3月下旬
これも数十年前、故郷の象徴である御嶽山の飛騨側裾野に広がるS高原から移植した物が元株である。試行錯誤しながら狭い土地の彼方此方に植え変えていた。その間、雑草に囲まれたり、株が増えたり、絶滅寸前まで減ったり、を繰り返した。結局、今のところは、いくつかの鉢に分けて植えて、初春は日当たりの良い場所、夏は木陰に、という具合に鉢ごと移動することにしている。本当は地植えにしたいのだが…。
③卯の花=3月下旬
ずっと以前、家内が何処からか木の枝を持ってきて『この枝、土に挿しておくとすぐ根がついて花も咲くそうよ』と言って、庭に端に差し込んだのが最初である。生命力が強く放っておくと密集した枝が伸び放題になり通り道の邪魔になるので、今は秋口頃にバリバリに剪定し40㎝ぐらいの高さの裸の枯れ木のような状態にする。でも年が明けると無数の新芽から小枝が伸び、3月にはこのように真っ白な小花が光る。
④花名不明?=4月上旬
これは山野草ではないし、何処かでよく見かける花でもある。が花名を知らない。でも懐かしい花だ。ずっと以前のことだが、家内とウォーキングをするコースに、軒先の縁台に趣味の花の小鉢をいっぱい並べている老婦人がおみえで、目が合うと『こんにちは』『こんばんは』と交わして過ぎた。ある日老婦人が花鉢を持って私たちを待ち受けていて『毎日ご苦労さん、良かったらこの鉢をあなたの家の何処かに飾ってくれる?』と言いながら手渡された。もう十数年前のことである。その後、株も増え鉢も広い物に変えながら現在にいたる。老婦人は何年か前に他界されて、花鉢が置かれていない縁台だけが今もある。
⑤せっこく?=4月中旬
確か(せっこく)と聞いたように記憶しているが自信はない。現役の頃、同僚が『実家の父が山から採取してきたもので、結構珍しい野生ランの一種だそうです』と言いながらいただいた花だ。自然界にとっても、マニアにとっても、貴重な植物であろうことは、その全体の姿や雰囲気からも、茎や葉や花のフォルムからも、素人の私でも納得できる。私は、この花には下手に人力を加えない方が良いのか、あるいは何か手入れの方法があるのか、ユーチューブなどで調べながらも、結局、樹と塀がつくる木陰あたりに一年中放ったらかしにしている。それでも少し茎や葉が増え、全体が大きくなっているように思う。この植物、美しさに加えて野生の頑強さもある。
2023賀状展
★あっという間に正月が過ぎ、もう1月も中旬である。今更、正月の話題に触れるのも恥ずかしいが、ボッ~としているうちに近所の神社で松の内明け前後に毎年行われる左義長(どんと焼き)の日がとっくに過ぎていることに気づいた。昨年一年間掲げていた火伏せの御札やお守り袋、玄関の注連飾り等々、ポイッとゴミ袋に捨てれないものを左義長で焚きあげてもらうのが常であった。
「困ったな~、一年待って来年の左義長で2年分を焚いてもらおうか…」と考えていたのだが、その後スーパーに行くと(注連飾りなど回収します!)という看板と立てた箱があり、多種の正月飾りが持ち込まれていた。さらに、ネットでは(どんと焼き)に持ち遅れた御札などは袋に入れて塩を撒き清めてから一般のゴミ回収袋に入れて出せば良い。とような記事もいくつかあった。
世の中には私と同様の自分の地域の左義長日を忘れてしまってアタフタする者も多い、と知って少々安堵した。
★今年も多くの賀状をいただいた。今年特に目立ったのは『来年からは新年や季節の挨拶状を失礼します』というような一行が添えられていることである。こういう一行は以前から少しずつ増えているし、私も全く同感である。私たちの時代とは違って、長年会っていない懐かしい人にも、今はいつでも、どこにいても声を聞いて存分に話すことが出来る。画面に映る相手の顔を見ながら話すことさえ出来る。もう賀状の時代は終わっている。更に、つい先日忘年会で飲んだ仲間と賀状をやりとりするのは変だ。更に、ハガキ代も滅法高くなった…ETC。
分かる、全て分かっているのだが、「でも、やっぱり出さないと義理を欠くのではないか…」と思い返してギリギリに郵便局に走り賀状を買い、慌てて賀状を創るのだ。
★上掲は今年いただいた自作賀状の一部である。アップが遅くなったがご覧あれ。
月下美人が朝に咲く?
★本当に不思議なことがあるものだ。いやその道の専門家から見ればこういうことは珍しくないのかもしれないが、私は初めて見た。私が月下美人を育て始めてから随分歳が経つ、株が古くなって葉の色が悪くなりかけたと感じた年には上部の出来るだけ元気そうな葉を切って挿し葉をして、一から育て始めるといった繰り返しで幾鉢にもなった。もう20年以上経つ。
★今夏もそろそろ花芽が出るのを楽しみにしていたのだがいっこうに出ない。まあ以前も秋遅く咲いたこともあったので気長に待っていたら10月上旬、ヒョコッと赤い小さな花芽が出て、1ヶ月程で大きな蕾になり膨らんできた。
★昨夜のことである。そのパンパンに膨らんだ先っぽが少し弾けていて、間違いなく今夜12時前後に一年ぶりの月下美人に会える、とカメラを横に置いてお湯割りの焼酎をすすりながら待った。しかし、12時を過ぎて深夜1時になっても2時になっても依然として膨らんだ蕾のままでジッとしていた。確かめに玄関戸を開ける度に寒風がパジャマを冷やした。私の眠気も限界だったので「もっと待てば見られるが、まあ今年は諦めるか…」と暖かい布団に潜り込んでぐっすり寝てしまった。
★今朝のことである。寝坊して8時頃起き、新聞を取りに玄関を開けると月下美人が思いっきり手を広げるように咲き誇っていた。
そもそもこの花は夏の真夜中にソッと妖しく開いて絢爛の姿を見せながら深夜の一刻を過ごしたあとは、見る影もないグシャーと垂れた醜態を晒して朝を迎える。この妖気こそが私の思う月下美人という植物なのだが、明るい秋晴れの朝に玄関を開けると『おはよう!』と元気に呼びかけてくれる月下美人に、長年のイメージがドミノのように崩れ、大いに戸惑った朝であった。
★でも月下美人が何で朝咲くのだろう?しかも初冬に…。
ボケ防止のコラージュ
★これを始めたきっかけはこうだ。とあるイベントに参加したとき帰りがけにティッシュケースを3箱もらった。必需品なので有り難かったが、箱の四方側面にデカデカと会社名が印刷されていて、ティッシュを引っ張り出すたびに黒々とした社名が目に入る。それがその会社の狙いなのだろうが、3箱使い終わるまでそれが続くのがイヤだったので2箱目と3箱目を使う前に覆い隠すことにした。
★古新聞や広告をまとめている棚から気の利いたイラストや面白いフォントを探し出して切り抜いて、それを貼りながらティッシュ箱の黒い広告文字を隠していく。これが意外に面白くはまってしまった。まさかティッシュの箱を相手にしてコラージュを始めようとは思わなかった。
★いまでは、薬局で5箱入りのを買ってきて、次々にコラージュで遊び、終わったらまた薬局に買いに行くといった案配だ。
ティッシュの箱に手を伸ばして紙を引っ張り出す瞬間に目があってニコッとするような図柄になるように心掛けて4面にコラージュをしている。
★おかげで息子たちも孫たちも『これは面白い!』と貰ってくれている。
★そういえば、良さげなネタを選ぶ→境からずれないように切り抜く→重ねる順序を考えて貼る→作業の後片づけをする。この行程は後期高齢の私にとってボケ防止の妙薬になればと秘かに期待している。が、最後の「作業の後片づけをする」はホントに嫌々だ。
朝摘み
★また花ネタである。私は特段 花が好きと言うわけではないのだが、彼方此方の知人から頂いた様々な花類を鉢に入れたり地植えしたりしている数十年のうちに、株分け、挿し木、挿し葉、などのコツが何となく分かってきて花鉢が増えていくばかりだ。『また増やして、冬越しのときに家からの出し入れで腰をやられないように』と周囲が言う、だが寄る辺ない老人には絶好の暇つぶしである。
★老人は花壇もやる。今年はどうも天候のせいか最初の土づくり失敗のせいか花が小さいと心配していたが、暑くなり出した途端にジャンジャン花が挙がってきた。三日に一度のペースで摘まなければ追いつかない程の勢いで花は挙がってくる。その時期が巡って来れば彼らは普通にいつも通りの逞しくも美しい姿を見せてくれる。この当たり前の自然の繰り返しに私が杞憂することはなにもないのだ。
★彼らが猛暑に耐えて頭を垂れる前、陽が上に昇る前、七時半頃に朝摘みをする。一つは仏壇、一つは玄関あたりに花瓶を置く。
これから秋口まで続く老人の日課である。
花艶『切り絵』
★数年前に創った「切り絵」である。サイズは約A3サイズ(30㎝×42㎝)だ。
★話は変わるが、私は毎年、春に種を入れるところから夏の開花まで自分でやっている。というのもお盆の墓参に多くの花が要るので、種から作る方がかなり安価で済むからだ。その繰り返しの末に花持ちの良いという点で花種が固定してきた。アスター、キンセンカ、百日草の3種である。アスターは亡母が好きな花だったので育て方が難しい花だけど続けている。私が最近特に驚いているのがキンセンカと百日草である。
★私たちの年齢だと、キンセンカや百日草などは典型的な花壇の脇役で花壇の中心にいることは決してなかった。特に私が子どもの頃の百日草などは田舎の道端や畑の縁に何処かの家の庭から飛んできた種が根付いて、ひとり生えしていてあたかも野草のような風情で揺らいでいた。キンセンカにしても昔はせいぜい15センチ程の丈で、4~5株がプランターに植えられて玄関近くの足下にほったらかしされたように置かれていた。
★しかし現在の両花は品種改良の繰り返しで驚くほど豪華に進化している。夏には丈1メートル以上、花も大きくたくさん付いていて八重咲きは当たり前。とりわけ」百日草などは色種の多く、白、ピンク、黄、赤、斑入り、と無限に近い。種も安価、育て方も簡単、切り花の日持ちも抜群である。
★昔、雑草と見間違えたような両花は今や花壇の王者である。上掲の切り絵は「今や花壇の王者」を切り絵で表現してみた。
バックは絵の具を滲ませた和紙や広告紙の色部分を適当に切って裏貼りした。
シャガ
★今年もシャガが咲いた。三十年程前の事だからもう時効だと思うが、飛騨の実家の近くの神社境内にシャガの群生地帯があって、そこから地下茎で繋がった数株を引っこ抜いて100キロほど南下したところにある我が家の庭に移植したのだが全く根付かない。毎年墓参で帰郷するたびにこのよろしくない行為を何年続けただろうか、ようやく根付いてくれたのは約10年後である。なぜこの野草が造成された我が家の土に根付いてくれたのか分からない。もしかしたらポツンとしていた我が家の周囲にも家やマンションが建ち並んだことで強い西日が遮られ土の乾燥を防いだこと、周囲の建物や木々の間から差す陽光がこのシャガの故郷である飛騨の木漏れ日の林に近くなったこと、等々があると思っている。
★今は飛騨の家も家族もなく離れた場所に墓石が残るだけだが、数年前、まだコロナがないときにその集落の神社にも立ち寄った。花の時期が過ぎていたこともあるが、あの濃い常緑のスーッとした葉が随分少なくなったように見えた。すぐ横を流れていた谷はコンクリートでガンガンに固められて、少し上流にでっかい砂防堤が出来ていた。環境の移り変わりに適応して、ここのシャガの地下茎がこれまでとは違った新しい方向に逞しく延びて行ってほしい、と願うばかりだ。
★飛騨から分家した我が家のシャガは増え続けている。敷地境のブロックに沿って地下茎が延び続けている、私は毎日、雑草取り、真夏の水やりをしながら見守っている。このあたりの街中では珍しいので近所の人が時々見に来てくれる。
★私が特にシャガに強い思い入れを持っている理由があるのだが、いずれ機会があれば聞いていただきたい。
方言研究書の装丁
★16年前にこのブログを始めた当初から、いつかアップしようと考えていたのだがつい延び延びになり、今になってようやくアップできる。
★ずいぶん前のことだが、方言研究をライフワークとされている加藤毅氏が出版した方言研究の書籍三冊の装丁と挿絵をやらせていただく機を得た。
★話はぐっと逸れるが、松本清張『砂の器』を映像ではなく原本をお読みになった人も多いと思う。その序章部分で被害者が生前残した言葉や発音のイントネーションを探りながら捜査を進めて行くくだりがある。松本清張はそのくだりの中で当時の方言研究の第一人者とされていた4人の方言研究学者のそれぞれの学説をかなりの行数を割いて紹介している。その学者の一人が当時岐阜大学学芸学部の教授であった奥村三雄氏であり、当時大学生であった加藤氏は奥村教授のもとで既に岐阜県の方言研究の第一歩を踏み出していたのである。
★その後、加藤氏は岐阜県の教職に就くのだが、傍ら岐阜県中の町村や山間僻地を駆けめぐり方言研究に休日の殆どを費やす。上掲の3冊はその研究成果の一部である。とりわけ上段のケース入りB5版の2冊はある一つの事柄・物・状態を表現するとき、どのような言葉で表現するのか、即ち、どんな方言を使うのかを『方言地図』で解説したものである。ともに1000ページに迫る大作であり、気が遠くなるような時間と走行距離と労力を費やした調査であったであろうことは素人の私にも分かる。
★そんな書籍のケースデザインをするに当たって、何をモチーフにするかをいろいろと考えたことを思い出す。結局子どもの頃の遊び場だった藁小屋の温もりと若い頃に赴任した村の外れで見た和紙づくりの感動が思い出され、我が郷土岐阜県の私のイメージは藁と和紙であった。それをモチーフにして創ったのが上段の二つである。出来、不出来はともかく私にとって懐かしく思い出深く楽しいデザインの仕事であった。
2022賀状展
★遅くなってしまったが「2022年・賀状展」である。
★私の年齢のなると、今年限りで年賀状をやめるといった一文を書き添えた賀状が毎年増えているし、ペンを取れない大病の先輩方もいる。歳を重ねればいつかはそんな日も来る、致し方のない事だ。
★願わくば、その日が来るまでは健康でいたい。そして手作り賀状を創り続けたい思う新年である。
7ヶ月ぶりです。まだ止めていません
★先回のアップが1月の「賀状展」だったから、7ヶ月ぶりのアップである。
★これまでも季節の移ろいの時々やちょっとしたトピックのあったときにアップネタは用意しているのだが、結局タイミングを逸して7ヶ月が過ぎてしまった。先日、ときどきこのブログを見てくれている飛騨の知人から『ぜんぜん記事が更新されていないので、体の具合は大丈夫なのか?』と連絡があった。『行動に移すことが面倒だけど、その他は極めて健康のつもりであるが…』と答えておいた。
★そんなわけで久々の更新は今年の暑中見舞い状である。賀状のように多くは出さないが、爽やかな夏風を表現するハガキ作りは結構悩みの種でもある。
★まずなによりもここ二年間は、酷暑に耐えてコロナに怯える嫌な夏であった