ガソリン
ガソリンが高い。
ちょっと前に比べて3割ぐらい高騰した印象がある。
まあ、仕方がないかな。地球環境のためには望ましいことなのかもしれないわけだし。
環境云々については、本来、ガソリン消費の節約が本命であるはずだ。
が、現実には、ガソリンの節約は、あまり熱心に叫ばれていない。
その代わりに、レジ袋の追放だとか、ペットボトルのリサイクルみたいな、瑣末なゴミ拾いレベルの活動が強調されている。
なぜだろう。温暖化へのインパクトにしても、省エネルギーの効果にしても、ガソリンの方がずっと影響力が大きいと思うのだが。
理由は、おそらく、ガソリンの節約が、非産業的ないしは反産業的だからだと思う。景気後退につながりかねないし。
引き比べて、レジ袋追放やペットボトルのリサイクルは、あくまでも生活レベルのお話で、ガス抜きないしは気休めぐらいな活動ににとどまっている。だから、産業界にとっては、こっちの方が都合がよろしい。つまり、実効性よりも宣伝効果が重視されている、と。
ま、アレですね、海岸の工場が廃液を垂れ流しているのに目をふさいでおいて、砂浜の空き缶拾いに精を出すみたいな話です。
今回のモーターショーでは、GT-Rの何年かぶりの新作(480馬力!)が注目をあびている。
こういうクルマは、どこからどう考えても地球に優しくないと思うのだが。
でなくても、100km/h以上で走れる道路が通っていないこの国で、300km/h走行が可能なクルマを販売すること自体がどうかしている。スジとしては、公立中学の購買部でタバコを売るのとそんなに変わらない話だと思う。
どうしてお国は、スピード違反を取り締まるばかりで、ちょっと踏むと200キロ出ちゃうクルマを野放しにしてるのだろう。
売人は野放しで、中毒患者は容赦無く逮捕ってことか? なぜ元凶の連中にナワをかけないんだ? 売人が上納金を払ってるからか?
「日産のゴーン社長は、『なぜわざわざスーパーカーを発売するのか』という質問に対して、『GT-Rは私たちの情熱の証だからだ』と答えた」……という、このお話が、この10日間ほどの間、あらゆるメディアに掲載されている。ものすごい出稿量だ。
っていうか、プロモですよ。記事というよりも。
要するに「スーパーカー」「旗艦の復活」「情熱」というのが、日産の新しい宣伝戦略だと、そういうことなわけだ。
こういうのって、アリなんだろうか。
サーキットで飛ばすのはドライバーの勝手だし、自動車メーカーがモータースポーツを通じて新技術の開発に夢を託すのもオッケーだ。技術者がテストコースでの限界走行に情熱を傾けるのも大いに結構なことだと思う。でも、公道を走る市販車に、480馬力のエンジンを搭載することは、話として別だ。
実際、60キロ制限の国道を140キロでクルーズしているお兄さんだとか、片側一車線のタイトコーナーを四輪ドリフトで駆け抜けていく先生方の破壊的な(いや、自己破壊は自己責任だけど、交通事故は自己破壊にとどまらないわけだから)ドライビングについては、責任の半分ぐらいは自動車メーカーにあると思う。
もちろん、銃を撃つのは人間であって銃自身ではない――みたいな理屈はあるんだろうし、ビニールロープのメーカーが首つり自殺の責任をとる必要はない。
でも、銃を売っている商売人にも一定の責任はあるはずだし、ちょっとしたことで人死ににつながりかねない道具を売っている人間には、やっぱり相応の慎重さが求められるんじゃないのか?
とすれば、480馬力は、道楽としてあまりに危険だぞ。刃渡り80センチの果物ナイフみたいなもので。
で、日本刀で鉛筆を削ってるみたいな阿呆が怪我をしたら、自己責任なのか?
とにかく、ファン・トゥー・ドライブみたいなはた迷惑なドリームは、ぜひともサーキット限定で追及していただきたい。
たぶん、彼らは、自分たちの運転技術に自信を持っているのだと思う。
でも、公道でタイヤ鳴らしてる時点で、巧いとかヘタ以前に、危険ドライバーなわけですよ、実質的には。
反射神経や運動神経が不要なわけではない。おそらく、咄嗟の事故回避や危険除去のために必要な要素ではあるのだと思う。
が、そもそも反射神経だとか運動神経みたいなものが要求されるような運転をしている時点で、そのドライバーは危険なのだ。
普通に運転をしていれば、コンマ何秒の判断みたいな超絶的なテクニックは必要ない。というよりも、公道における運転のうまさは、「パニックブレーキだのカウンターステアだのといった変態的な技巧を発動しないで済むための技術」を意味している。
だから、現実的には、運転のうまさを自覚しているドライバーの運転が一番コワかったりするわけだ。皮肉なことに。
話がズレた。
お国は、馬力競争を事実上容認することにしたのだと思う。
この20年ほど、日本の自動車産業における馬力の限界点は、事実上(っていうか、業界とお役人の妥協線として)280馬力という線で固定されていた。私に言わせればこれだって充分に馬鹿げた数字なのだが、まあ、それでも280馬力枠は、それなりに機能していた。
それが、どういうわけなのか、撤廃されつつある。
結局、お国にとっては、交通安全や地球環境保護よりも、自動車産業の国際競争力の方がより重要だった、と、そういうことなのだと思う。
うちの国だけの問題ではない。
要するにオレらが住んでいるこのグローバル国際産業社会は、お金持ちがカネを使ってやらかす環境破壊(ベンツのゴーマルにゴルフバックを積みっぱなしにしてそこいらへんをブイブイ走り回ったり、アウトバーンを250キロでカッ飛ばしたり、フェラーリでタバコ買いに行ったり)に対しては、思い切り寛大なわけだよ。なぜかといえば、金持ちの環境破壊は産業規模の拡大に貢献するから。
で、その一方で、オレら貧乏人には、レジ袋追放みたいなケチくさい節約を要求している、と。
まったく。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
今回のエントリを拝読して、つくづく貧乏人にはルールを作る権利がないのだなあ…と思った次第です。
投稿: タロスのパン | 2007/11/09 10:49
なんだかこういう車を売る側も、買う側も、それを容認する側も、目先の利益ばかりにとらわれて社会にどのような影響を与えるかや、先のことを考えていないように見えるのが残念ですね。
日産はトヨタのように、燃費のよい「ハイブリット車で勝負!」とか「小型車で勝負!」とかできないんでしょうかね。まぁ、できないからはっちゃけ始めたんでしょうが。
政府も環境問題を唱えるのなら、多少経済的に後退しても、燃費や環境汚染の基準を厳しくしていき、日本の車が燃費の少ないハイブリット車、電気自動車にとってかわるようになるよう誘導することは当然の責務でしょうに。
こういう車を買う奴にはある意味「スピード違反をすることを前提に」、「交通違反をすることを前提」に買うわけで、捕まらなければスピード違反していいやとか、危険な運転をしても見つからなければ犯罪にならないという私欲がにじみ出ていて吐き気がします。
そして、このスピード違反をすることがわかりきっている車を売る日産や、容認する政府も、先の社会に与える影響や、環境問題云々よりも、目先の小銭を拾うことに夢中なのでしょう。個人の自由、尊重を建前にしてね。
投稿: neco | 2007/11/09 12:24
この間、リヨンのミラン・バロシュがスピード違反で捕まってましたね。
130キロ制限のところ、271キロ出してたそうで・・・140キロオーバーってすげーと思った。
フェラーリって本当にそんなにスピード出るんだ!?と改めて思ったけど、あれが500馬力くらい?
日本の道路では要らねー!
投稿: Bee | 2007/11/09 16:42
まず、日本の産業のベースが自動車だっていうことが大きいと思います。トヨタなんか、猛烈に儲かっているわけだし、そういうところにダメージを与える政策を取るはずがない。ガソリン高騰も、結果としてガソリン消費の減少につながれば、環境にはいいんだろうけど、自動車がベースっていうことを考えれば、いずれは政府がガソリン対策をするんだろうな、って思います。
大体ね。国が「金がない、金がない」なんて騒いで消費税を上げようとかしてるけど、累進課税を元に戻して、法人税をバッチリ取れば大丈夫なんだよね。それをしないのは、企業がダメージを受けないように、って考えているからで、自動車の問題は、そういう論理で考えれば、今の状況は、ある意味で当然です。
スピードが出ないようにした自動車とか、アルコールを感知すると走れない自動車とか、多分割と簡単に作れるんだろうけど、そんなことしたら売れなくなるから(現状では)作らないし、作らせるような政策も取らない。でも、世間が、そういう車しか認めんぞ、という態度になったら、流石に法改正するかも、なんて思うのは甘いんだろうか(^_^;)?
投稿: jokerman | 2007/11/09 17:05
>jokermanさま
>スピードが出ないようにした自動車とか、アルコールを感知すると走れない自動車とか、多分割と簡単に作れるんだろうけど
遅いクルマは簡単に製造できます。それどころか、たとえば最高速140キロ&120キロでリミッターが働く安ペコカーは、現状のどんなクルマよりも安全に安くかつ容易に作れるんではないかと思います。
最高速の上限を抑えれば、ブレーキも足回りの強度も、車体剛性もすべて低レベル化が可能ですし、燃費も安全性も向上します。いいことずくめです。
ただ、「夢」が失われる、と、クルマのファンはそう言うでしょう。
クルマに託した人類の未来。
パワーとテクノロジーと動態視力への憧憬。
ジェームスディーンが体現した団塊のときめき。
あるいは、より演歌寄りのリアルな言葉を使うなら「男のロマン」ってやつです。
スピードという第二の天性。
ドラッグ、セックス、ロックンロールとセットになったスピードのファンタジー。
資本主義の宿痾ですね。
投稿: 小田嶋 | 2007/11/09 18:08
地下資源も無く、食糧自給率も低い日本が、そういったものを輸入できるのは、自動車産業が外貨を稼いでくれるおかげだと思っているので、自動車会社やその優遇政策を批判する気になれません。
法律通りなら100km/hでリミッターかかるようにしなきゃならないはずですが、そういう車を作ってたら外国で売れなくなって日本人の生活レベルは相当落とさなければならなくなると思います。
ガソリンの節約についていちいち言わないのは、値段が上がってるため言われなくてもみんな節約するからじゃないでしょうか。石油価格の上昇は、地球温暖化や資源の枯渇問題に対する願ってもない解決策だと思いました。資本主義の神の手はすごいな、と。
この高騰が、本当に石油が枯渇しかける前に、マネーゲームとして始まったことでほっとしています。もし本当に枯渇して始まっていたら、凄惨なことになっていたと思いますので。
投稿: まる | 2007/11/09 18:49
初めまして。いつも楽しく拝読しております。
先日車を運転しているとき、ラジオで「アウトバーンの速度規制法案が通った」というようなニュースをやっていました。
130~140km/h程度になるかもしれないとのことです。
そうなると、「輸出者向けに高馬力、高排気量のものを」という論理は通らなくなりますね。
しかも、ヨーロッパが規制に乗り出すのであれば「何故日本では」という議論も起こるかもしれません。
このタイミングでのGTRの発表に、果たして光明はあるのでしょうか・・・?
投稿: けいぞう | 2007/11/09 20:31
はじめまして。小田嶋さんのコラム、いつも楽しみにしています。
GT-RにはGPSに登録されたサーキット場でのみ
スピードリミッターが解除される機能が搭載されて
いるというのをモーターショーの記事で読みました。
僭越ですが、いちおうご参考になれば。。
http://autos.goo.ne.jp/tms2007/news/tms/article_100950.html
記事の内容には賛成です。自動車の未来は、空を飛ぶような車じゃなくて
ペダルアシスト自転車の自動車版とか、道交法対応セグウェイとか
に向かっていったらいいんじゃないかと思ってます。
投稿: ひろゆきxhp | 2007/11/09 21:16
現在の燃料の高騰は、消費量と残りの埋蔵量を考えれば単純に「適正価格」に近づいている過程だと思いますよ。
原油を含む地下資源の埋蔵量については、「正確な数字」をアナウンスすることさえがタブーとなっているフシがありますね。「無尽蔵であること」を漠然としたコンセンサスとして発展してきた世界の産業経済から燃料も樹脂もなくなるのですから、これはもう文明史上最大の危機です。
信用できる機関がカウントダウンでも始めた日には、景気後退はおろか経済パニックは必至でしょう。今から農業でも始めた方がいいかも。あと、ウサギのさばき方とか。
ただこの問題、来年あたり国際問題としてクローズアップされそうな予感もいたしますが。
投稿: 可えるぴあの | 2007/11/09 22:20
ゴーンは日産車をことごとくダッセエデザインにして去ってゆきました。ゴーン・ウィズ・ウィンド
ルミオンとセルボくらいしか大衆車にみるものがない惨状は悔しいですが、ま
フェラーリも360くらいで満足してるムムムばっかしなのでそれは口惜しくない。
常にランチャストラトスでお買い物みたいな無神経がおらんつーことは
やっぱ気にしてんですネ。
投稿: 帰ってきたり来なかったり | 2007/11/10 04:01
マーチだけはダサかわいいと思っている
パーフリを纏わせれば大方だまされるので大企業はご高察ください。ぺっこりよんじゅうごど。
投稿: 来たり帰ったり | 2007/11/10 04:16
普段は10年オチの軽自動車を運転し、たまに会社の
高給車を運転させられる私としては、人間が小さいのか
どうかは不明ですが高級車のパワーと運転制御技術の
凄まじさを肌で感じております。で、やはりトヨタの某
高級車の性能は専用レーンでのシミュレーションと言うよ
りも今までの一般道を走っていて起こった事故やら
ディーラー、消費者からのフィードバックによって培われた
ノウハウを生かさないとあそこまでの車は出来ないと
思いますです。
ある程度の実地による実験って必要ですよ。
殺されたくはないですけどね。
投稿: slider | 2007/11/10 10:07