サイボウズ・ラボを退職しました(ご挨拶)

2015年8月末をもって竹迫はサイボウズ・ラボ株式会社を退職いたしました。勤続年数は長く9年10ヶ月でした。 在職中は様々な活動を通して多くの皆様よりご指導ご鞭撻をいただきまして誠にありがとうございました。 まだまだ未熟だった私もサイボウズの中では多くのことを学びまして、自分自身も人間として大きく成長することができました。

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サイボウズ・ラボの設立背景(10年前)

思い起こせば、私がサイボウズ・ラボに入社したのは2005年11月で、当時はまだラボを設立したばかりの立ち上げ期の頃でした。 リージャス赤坂のレンタルオフィスの一室を借りて、畑さん、akkyさん、kazuhoさんと4人で机を並べて、仕事を開始したのは良い思い出です。

それまでのサイボウズは関西人のノリでダジャレのキャンペーンをよく実施していたためか、どちらかというと宣伝やマーケティングにうまい会社と思われており、なかなか技術の会社として認識されることが少なかった状況でした。 実際にはC++でオブジェクト指向データベースやWebサーバをフルスクラッチで作ったり、独自のスクリプト言語処理系を作って製品に組み込んだりしたり、かなりコアな技術を持った優秀なプログラマーが集まっていましたが、新規のエンジニア採用には苦しんでいました。

当時の時代背景としてWeb2.0の熱狂的なムーブメントがあり、米国の成功事例を参考に日本でも優秀なプログラマーが自分自身でドックフーディングしながら素早く要件や仕様を決めて、新規にWebサービスを何個も立ち上げて世界ヒットを狙うことが各社ベンチャーで挑戦されていました。 今でいうところの「フルスタックエンジニア」という用語が発明される前でしたが、basecampの開発中にRuby on Railsを作ったDHH氏や、memcachedのBrad氏など様々なスタープログラマーが生まれたのもこの頃の時代でした。 自分一人でビジネス要件を定義し、コーディングからインフラの準備までできるスーパープログラマーが脚光を浴びた時期です。

50%ルールとエンジニア主導文化

そのような優秀なエンジニアを採用するために「ラボ」という名前のついた100%子会社を親会社とは離れた場所に作り、サイボウズの技術者ブランドを強化すべく採用活動と新規サービスの開発を開始したのです。 業務時間の2割を自分の自由な研究にあてても良いというGoogleの20%ルールを参考に、サイボウズ・ラボでは50%ルールを作り、エンジニアの自由な発想と自主性にまかせた運営を行っていました。 一人のプログラマーがプロジェクト提案からコードの実装を行えるIPA未踏ソフトウェア創造事業出身者を多く採用したことでも有名です。

その中で私は自身のセキュリティに関する研究テーマの開発と対外発表の傍ら、サイボウズ・ラボの人材強化のため、様々な技術者イベントやカンファレンスの企画実施をしたり、数多くの業務を自由にさせていただきました。 50%ルールも分刻みの正確な時間管理をしているわけでもなく、私自身はほぼ事実上100%で動いていたかもしれません。 このような活動を継続的に認めてくれた上司と会社には今でも感謝しています。 当時の日本では認知度の少なかった「ハッカソン」や「開発合宿」を会社の枠を超えて企画実施したりと、オープンソースコミュニティの優秀な仲間達と一緒にエンジニア文化を作って、世の中に広めていく仕事ができたことは今でも大きな経験になっています。

セキュリティキャンプとの関わり

2006年からセキュリティキャンプの講師として日本の人材育成事業に関わるようになり、セキュリティのことがわかるものづくりエンジニアを育成するにはどうすればよいのかというテーマで9年間試行錯誤を繰り返してきました。 最初はx86アセンブラプログラミングからWebセキュリティの基礎と応用を体験できるプログラミング演習の講座を立ち上げ、その後はWin32 APIハック、Linuxカーネルハック、OS自作、ルーター自作、攻撃検知ソフトの自作、BadUSBハードウェアの自作など 若い学生さんが楽しみながら学習できる教材を優秀な講師の人たちと一緒に作ってきました。 同じメンバーがいつも集まって平均年齢が毎年1づつ上がる日本のセキュリティ業界の中で、ハッカー素質のあるプログラマー出身のエンジニアが入ることによって、新たな風を吹き込むことができたのではないかと思います。

国はハッカーを育てることができるのか?

2012年からは、世界各地で盛り上がっているCTF(Capture The Flag)の大会を日本でも継続的に開催したいというモチベーションで、NPO法人日本ネットワークセキュリティ協会の下でSECCON実行委員会を組織して活動を開始しました。 最初は事業にかけられるお金も少なく、実行委員や問題作成の人も完全ボランティアで持ち出しの多い状況でしたが、世界で活躍している一流の日本人セキュリティ技術者の皆さんと一緒に楽しく運営することができました。 普通のCTFだと面白味が少ないということで実行委員の個性を生かした様々な企画を立ち上げて、 問題を作成したり、協賛企業各社をまわったり、各省庁の後援申請をしたり、政治家の先生にレクチャーしたり、メディアの取材協力に奔走したり、各省庁の官僚の方々と一緒に他国の事例を参考にして国の政策を考えたり、と、普通では経験できない幅広いことを体験することができました。 ホワイトハットハッカー育成というくくりでTV・新聞・メディアの取材が多かったのはこの時期です。 2015年2月には、世界58ヶ国、累計4186人の中から各予選を優秀な成績で勝ち進んだ全24チームが東京に集まる CTF決勝戦を開催し、当日は情報通信技術(IT)政策担当大臣が現地に視察に来られました。

これらの活動を通して、世界の中から見た日本の現状を客観的に認識できる機会が多くあり、日本の技術と教育で足りないものは何なのか、いろいろ考える機会を得ました。

サイボウズ・ラボユースの設立

産業界のIT学会離れが進んだ中、産学連携の「産」の立場で、言語処理学会、情報処理学会プログラミングシンポジウム、コンピューターセキュリティシンポジウムなどの運営をのぞかせていただいたのですが、 国の研究予算が削減されたり、様々な制約が増えている環境の中で一流の研究者・教育者の方々が奔走している姿を見ました。 現在、大学教育で問題になっている学力低下、論理思考能力の低下、文章作成能力の低下、研究力低下、論文数低下などの 様々な問題を解決するためには、学習環境の改善のほかに、本流とは異なる別の学習機会の提供が必要と痛感しました。

サイボウズ・ラボでは、2011年よりラボユースという学生支援制度を作り、優秀な学生さんが学校の枠をはみ出て、プログラミングの学習やものづくりを金銭面や技術面でサポートできる環境を提供しました。 それから数年経過し、ラボユースを卒業したあと、産学ともに様々な場所で活躍する人も増えてきて、教育者冥利につきる思いです。

今後について

2015年9月1日より、株式会社リクルートマーケティングパートナーズに入社し、技術フェローに就任しました。 リクルートグループの中で結婚情報誌「ゼクシィ」の媒体を持ち、主に新規事業開発を担当している会社です。 最近ではEdTechベンチャーの「Quipper」を買収し、受験サプリ、勉強サプリを拡大し、教育事業のグローバル展開に参入したことで話題になりました。 私が所属するラーニングプラットフォーム推進室では、2年前より自社エンジニアによる内製開発を進めており、リクナビ進学アプリ、料理サプリ、英単語サプリなど、多くの新規自社サービスを開発してきました。 リクルートグループの中でエンジニアの裁量が大きく技術力の高い会社として知る人ぞ知る存在になっていて、多くの優秀な若いエンジニアが集まっています。ジョインしてまだ2週間ですが、彼らのポテンシャルには驚かされるばかりの毎日です。 これからの日本の晩婚化・少子化問題、世界の貧富の差、教育問題を解決するべく、いままでの経験を生かして、内製エンジニアの働きやすい環境を整え、技術の力でより良い未来を作る仕事に携わります。

今後の活動、これから何をやっていくかについては会社のエンジニアブログ「NET BIZ DIV. TECH BLOG | リクルートマーケティングパートナーズのデザイナー、エンジニア、スクラムマスターたちが発信する Web 開発情報メディア」で書いてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

tech.recruit-mp.co.jp

FAQ(追記します)

  • 技術フェローはCTOと違うのですか?
    • CTOとは違います。複数の会社を兼務する技術顧問とも違います。フルタイムでコミットしています。
  • なぜリクルートマーケティングパートナーズなのですか?
    • リクルート上場後いろいろなグループ会社ができて、外部の人からその違いは正直わかりにくいと思います。共感できる事業ドメインなど理由はいろいろありますが、優秀な若い人たちが集まっていることと、一番はコードを書きたいエンジニアが働きやすい環境がそろっている会社だからです。(参考: リクルートのエンジニア採用情報 - ギークに憧れて )