『バクマン。』のネーム原作について
おとといの『バクマン。』の感想で、ひとつ書き忘れたことがあります。それは、主人公のサイコーが、相棒で原作志望のシュージンに向かって
「シュージンの書いたネームが面白いんだったら俺が絵にする」
と、マンガ家の立場から原作者に「ネーム」を求めるセリフが出てくることです。俺は、ここに時代の流れを強く実感しました。
今でこそ、「少年ジャンプ」を始め、多くのマンガ誌の新人賞に「ネーム原作部門」が設けられていて、ある意味では定着しつつある感もあるのですけれど、俺のようなロートルの業界人からすると、じつに隔世の感があります。
俺が「マンガ原作」を一番やっていた90年代中頃くらいまでは、「原作者がネームまでやる」例は滅多になく、仮にそういう志向を持った原作者がいたとしても、マンガ家や編集者に向かって「ネームをやらせてくれ」と言い出すのは、非常に気が引けるというか、一種のタブーというべきことでした。
なぜそうなるかと言いますと、マンガのネームは、映画やドラマでの「絵コンテ」に相当するプロセスでありまして、脚本ではなく「演出」に関わる部分だからです。つまり、
ネームを切る(書く)人がそのマンガの監督になる
わけですね。従来、ネームはマンガの絵を描く人、つまりマンガ家がこれを担当していました。編集者は、マンガ家と打ち合わせをするときは、ほとんどがネームを通じて意見を交換しあうことになります。シナリオの段階で意見をするより、コマを割ってセリフと簡単な絵を入れたネームの状態でしたほうが、マンガの完成形を想起しやすく、効率がいいからです。
この場合、「原作者」は蚊帳の外に置かれることになります。文章でマンガ原作を書いたケースで、週刊連載のようにスケジュールに余裕がない場合は、そうなることが実に多いわけです。原作者側から出した企画の場合、原作者はシナリオだけではなく、最終的にどんなマンガになるのか、少なくともネーム段階までには関わりたいと考えるのが自然な心理ですが、ネーム作りはマンガ家と編集者の聖域になっていましたので、かつてはなかなか難しかったわけです。
実際、90年代までのマンガ原作といえば、梶原一騎氏の小説形式、小池一夫氏に代表されるシナリオ形式が一般的であり、ネーム原作といえば、ベテランマンガ家が原作者に回るような例外的なケースでしか聞いたことがありませんでした。
あともうひとつ、原作者とマンガ家がともに新人で、原作者にもマンガを描いた経験があり、しかも内容がギャグであるケースですね。泉昌之(久住昌之・泉晴紀)氏がこのケースに当たります。ギャグの場合、「間の取り方」のようなコマ運びが一番重要になりますので、どうしても原作がネームにまで関わらないと、ギャグ作品として面白くならないからです。
ちなみに『サルまん』の場合は、ネタ出しは二人でやりましたが、ネームは相原くんが切っていました。ただし、出来たネームは相原くんがファックスしてきて、その段階でもう一度二人で話し合うことが通例でした。『サルまん』の俺の役割は、一般的な原作者ではなく、編集者のそれに近かったと思います。ネーム原作ではありませんが、それに近い形態だったといえなくもありません。
映画監督を例にあげて考えてみますと、監督はカメラマンでも俳優でもありません。脚本家も別に立っているケースが多くあります。それでも映画は監督の意図に沿って作られますので、できあがったものは監督の作品になります。ここから考えたときに、原作者や編集者が「マンガ監督」を名乗ることがあってもいいんじゃないかと俺は思うんですよ。その際に、ネーム権は誰にあるのかが、その作品の監督は誰なのかを判断する決め手になります。
「ネーム原作」について、俺は『梶原一騎を読む』(1994/ファラオ企画)という本の中で、「1+1=3 ~「原作論」の確立に向けての提言~」という文章を書き、「ネーム原作の可能性」を考えたことがあります(この原稿は現在、拙著『マンガ原稿料はなぜ安いのか?』に再録してあります)。
それから1995年、俺は「マンガテクニック」という雑誌で「Vジャンプ」編集長時代の鳥嶋和彦さんにインタビューしたことがあります。インタビュー中、ふと思い立って、「マンガを共同制作するうえでは、ネーム原作が一番効率がいいように思うのですが、鳥嶋さんは原作者がネームまで関わることについて、どう思われますか?」と聞いてみたんですよ。そうしたら、鳥嶋さんは即座に
「僕は、(ネーム原作は)ありだと思う」
とおっしゃっていました。この発言は、雑誌に掲載した原稿には載せていないんですけど(本筋から外れたので)、よく覚えています。
鳥嶋さんは、その翌年(1996)に「少年ジャンプ」の編集長になられたんですけれども、98年に『ヒカルの碁』(ほったゆみ・小畑健)が始まったとき、原作のほったさんが実はマンガ家で、ネーム形式で原作を書いているらしいという噂を聞いて、
「鳥嶋さん、ついに始めたな」
と俺は思いました。
別に俺の意見を鳥嶋さんが覚えていたとか、俺が影響を与えたなどと主張するつもりはありません。たぶん鳥嶋さんは鳥嶋さんで、独自にネーム原作の可能性について長い間考えられていたのだと思います。編集者は、誰よりも(ことによるとマンガ家以上に)ネームの重要性を認識する立場ですからね。
ネーム原作は、マンガ家が「絵」に集中することができるという意味で、マンガの完成度を高める可能性があると俺は思います。特に週刊連載のような、マンガ家に負担が大きい場合ですね。
そもそもマンガ雑誌が積極的に原作者を起用するようになったのも、それまでマンガ家が単独ですべてをこなしていた労力を軽減する意味があったからだと言われています。原作者そのものは、戦前からいましたけれども、マンガ家がプロダクションを作って集団制作を行うようになったのは、明らかに週刊誌のペースに対応する必要があったからです。ページが多いストーリー物の場合、アシスタントを複数使って、なおかつシナリオライター(原作者)まで使わないと、とても執筆をこなすことができないからです。
ですから、分業が進んで「ネーム原作者」が出てくるということは、時代の必然には違いないと思います。こうした流れの先兵として、「少年ジャンプ」が立っていたということなのだと思います。そう考えてはいたんですが、原作者に「ネームをやれ」とマンガ家の側が頼み込むという、『バクマン。』の展開には驚きました。
小畑さんは『ヒカルの碁』でもネーム原作を経験していますし、『デスノート』や『バクマン。』の単行本には、大場つぐみさんのネーム原稿まで掲載されています。もちろん小畑さんの側でも修正ネームは作っているようですが、基本的には、この方法は「ジャンプ」の編集方針だけではなく、小畑さん自身も望んでいたとしか俺には思えません。
ところで、大場つぐみ氏の正体はガモウひろし氏だ、という噂が業界やファンの間では根強く囁かれています。俺は証拠を持っているわけではないので、正体についてはなんとも言えないのですが、少なくとも大場つぐみ氏がマンガの執筆経験者であることは、まず間違いがないでしょう。ネームを見たら、だいたいわかります。
マンガ家の立場からこれを考えても、ネーム原作という形で原作者に回るということは、作家寿命を延ばすシステムなのではないかと俺は思うんですよ。どういうことかといいますと、
マンガ家にとって「自分の絵」は、「売り」であると同時に「足かせ」にもなる
からです。たとえば本当は「こういう傾向のお話」が描きたいのだけど、自分の絵柄がそのストーリーに合ってないので、断念することが、往々にしてあると思うんですよ。
さいとう・たかを先生は、実はSFが大好きなんだそうです。実際『サイレント・ワールド』のような宇宙SFを、過去には描いているのですが、ゴルゴ13のような濃ゆい劇画タッチで描かれる宇宙人やSFメカは、正直申しますと、いささかミスマッチでした。
一方、手塚治虫先生が唯一苦手にしていた分野がスポーツ物でした。手塚先生の絵柄の基本は1930年代のディズニーやフライシャーが採用していた「ゴムホース方式」というもので、手足の関節がないグニャグニャのタコ人間のようなキャラクター描写です。こういう絵柄の場合、SFやファンタジーには合うのですが、正確な人体描写が求められるスポーツ物には、向いていません。
要は、絵柄によって作品ジャンルに向き・不向きが生まれるということがあるわけです。ネーム原作は、「そのコマに何を描くべきか」を略画で指示するだけですので、絵柄はまったく関係ありません。極端な話、コマだけを割って、中に文字で指定するだけでもいいのです。
かつては業界に抵抗意識のあったネーム原作ですが、『ヒカルの碁』を成功させた「少年ジャンプ」が現在も積極的に推進しているのですから、これは確実に定着するのでしょう。ことによると、「絵が描けないから」という理由でマンガ家を諦めていた層(ライトノベル作家には多いと聞きます)が、もう一度マンガに戻ってくるきっかけになるのではないかと俺は考えています。
『バクマン。』は、新しいマンガ制作を普及させるためのプロパガンダ・マンガかもしれない……というのは、俺の考えすぎかも知れませんが、こうしたことを含めて、とても興味深い作品であることは確かです。
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