メディアが政府の方針やメディアが作り上げた「空気」でウソの報道をするなか、伝統的な日本人は錯覚し、あるいは錯覚が解けるとショックを受けている。

先日、とある地方の財界のトップの方、数人とお食事をする機会があった。財界の方でお金優先だから、やはり「原発を再開しないというのは困る。だいたい、広島でも人も住めないと言われていたのに、別に何もなかったじゃないか。」と力説された。

そこで私が「今回の福島の原発では100京ベクレルほどの放射性物質が漏れたといわれていまして、広島の200発分ぐらいに相当します。だから影響は不明なのです」と答えると、「えっ!」と絶句してそのまま黙りこくってしまった。

多くの人は地方の財界、特にちょっと見るとデップリとしていて高級車に乗っているので、反射的に「傲慢な人、嘘をつく人」と思ってしまうが、日本の地方の経営者の多くは真面目で懸命に生きている人が多い。そんな人は、まさか自分の信頼する人が間違ったことを言うはずはないと信じている。 

私たち「普通の人」はテレビ、新聞、そしてネットなどから情報を得る。ところが財界の上の方の人とか、政界、マスコミ界などの「お偉方」は「新聞に書いていない情報」を「耳打ち」する。

ある時、国の委員会で私がある発言をしたら、隣にいた日経新聞の論説委員のような偉い人が、(私に好意を持って)「武田先生、それは・・・ことなんですよ」と言った。それは新聞に書いてあることと全く反対のことだった。

私は喉元まで、「そんなこと、私に言わないで新聞に書いてください」と言いたくなった。普通の人なら重要な情報を持っていても、発信する手段がない。それに対して日経新聞のお偉方だから、書こうと思ったら自分でも記者に頼む方法もあり、いろいろな手段がある。

でも、「重要な情報は国民には伝えない」、「知り合いに耳打ちして特権階級だけの情報にする」というのが現在の日本の指導層なのだ。これでは民主主義が成立しない。

その財界の人も、公に「被曝が怖い」と言われているときに、おそらくは誰かから「被曝なんか何もわからない女性が騒いでいるだけですよ。だって広島の時に、原爆が落ちて草木も生えないと言われたけれど、あの通りじゃないですか。」と言われてそっちの方を信じてしまったのだ。

「耳打ち」の作法があって、基礎からキチンと説明するのではなく、パーティーやちょっとした会合で、核心部分だけをいう。詐欺の手法で、その中には人の悪口も含む。たとえば、武田のことの場合、私が言っていることを真正面から批判するのではなく、「あの先生の言っていることは皆、間違っていますよ」といった具合だ。それでそのあとの重要な決定が行われる。

私が「ダダ漏れ」の精神で活動しているのは、このような「耳打ち文化」を打破したいからだ。江戸末期、日本の指導層はなんとかしてヨーロッパの知識を多くの日本人に知ってもらおうと、外国語の本を日本語に訳した。それはアジアで日本だけであり、だからこそ、日本は唯一、アジアで独立を保ったのである。

現在の日本の指導層にも、「ひそひそ話」「耳打ち」をやめて、明治天皇の五箇条の御誓文に立ち返り「万機、公論に決すべし」。

(平成27213日)