金子みすゞの著作権について
詩論 - 2009年05月02日 (土)
金子みすゞの詩を引用する場合は、金子みすゞ著作保存会の許可が必要であると、この団体は主張している。そこでこの団体の実態と、みすゞの詩の著作権に関する私見を書く。
まず金子みすゞが世に知られるようになった流れから書く。詳しくはこのブログの記事「金子みすゞの見た海」の冒頭でも書いたが、簡略すると、児童文学者の矢崎節夫氏は「大漁」に心惹かれ、みすゞ探しの旅をはじめ、みすゞの弟である上山正佑(故人)がみすゞの詩を書きとめた三冊の詩集を所有していたのを発見する。矢崎氏は上山の許可を得て、金子みすゞ全集の編修に携わり、「童謡詩人 金子みすゞの生涯」という著作とともに、いずれもJULA出版局から出版する。するとこのことが朝日新聞に大々的に取り上げられたこともあって、全集は売れに売れ、9000円近い定価なのに10万部以上も売れた(私も買った)。矢崎氏は1億円以上の印税を手にし、中野の貸しビルにあった童話・児童教育書の零細出版社だったJULA出版局は、新宿(現在は文京区に移転している。移転の理由は知らない)に自社ビルを建てた。
ここから話はおかしくなる。矢崎氏は全国に金子みすゞ会なるものを作り出し、またみすゞの娘、上村ふさえさんを見つけ出し、彼女に印税の一部を渡し、講演の全国行脚に同行させる。さらに矢崎氏はみすゞの自殺を、娘を夫に手渡さないための”自死”だと容認し、またみすゞの詩を読めばとても考えられないのに、みすゞは弟に恋心を抱いていたと主張したため、その内容に沿った映画(田中美里主演)・TVドラマ(松たか子主演)・NHKスペシャル(小林綾子出演)などが作られた。また矢崎氏の意向に沿わず、脚本を書いても上演ができなかった舞台もある。
矢崎氏の著作は、後に今野勉氏の著作「金子みすゞ、ふたたび」の中で指摘されるが、みすゞの生まれた家が異なる、みすゞの父は中国で殺害されたのではなく病死だったなど、事実と異なる箇所が多い杜撰な内容である。手帳を渡された弟の意向に完全に沿い、「兄は認知症にかかっているから会うな」と主張されたため、兄にも会っていない。矢崎氏の著作は全集を売らんがために、やっつけ仕事で書かれた内容だと、私は判断している。
さらにまた矢崎氏は「みすゞコスモス」などみすゞ関連本を何冊も出版し、みすゞを「みすゞさん」と呼ぶように、読者に強要する。そしてJULA出版局内に「金子みすゞ著作保存会」と称する団体を立ち上げ、「みすゞの著作権はみすゞの死からじゃなく、みすゞの全集が出版された年から起算すべきである」と著作権を捻じ曲げた解釈を主張する。そのため、商業出版だけではなく、個人のホームページでみすゞの詩を引用する場合でさえ、この団体の許可が必要だと唱えだした。その目的はみすゞをさんづけで呼ばない、あるいはみすゞの詩を批判するなどの動きを封じるためである。しかしこの流れに反発する動き(もちろん私もだが)もあり、下関の長周新聞や東京の勉誠出版はこの団体の許可を得ず、みすゞの詩を引用している。
私が金子みすゞ著作保存会から許可を得てみすゞの詩を引用しないのは、私の書く詩論などは、みすゞの詩を引用しなければ成り立たないにも関わらず、許可を「いただく」必要性をまったく感じないからである。私がこの団体の存在を疑問に感じるのは、一般的に著作権が作者の死後50年で消滅することを知っているからではない。一作家の著作権をJULA出版局という一出版社が「管理」している点である。試みに大型書店のみすゞコーナーに行けばわかると思うが、みすゞ関連の書籍はほとんどJULA出版局の出版である。当然であろう、金子みすゞの著作権をこの出版社が管理しているのだから。よその出版社は金子みすゞに関する書籍を出版したいと考えても、JULA出版局の存在を知れば、二の足を踏むであろう。あるいはここに「迎合」し、ここの気に入るような形での出版をするかもしれない。この一社独占とも言うべき事態はみすゞの研究を大いに遅らせ、ひいては日本文化研究の衰退につながると私は考える。私は寡聞にして、一文学者の著作権を一出版社が管理している事例を金子みすゞ以外に知らない。JULA出版局の社長大村祐子氏とは、彼女がまだ編集長時代に三度ほど電話で話し、手紙をもらったこともあるが、彼女もまた矢崎氏と同じく、みすゞによって運命が変わった一人だと考えている。しかし不思議なのは、この金子みすゞ著作保存会が商業目的ではない個人のホームページまで引用に際して「許可」を求め、ホームページの作製者もまるで「お墨付き」をもらったかのように許可を得たと明記する点である。誰も不思議に思わないのだろうか、金子みすゞ著作保存会の主張する著作権には何の「法的根拠」もないのに。
そしてここで、矢崎氏と大村氏をさらにおかしくさせる人物が登場する。それは僧侶の酒井大岳氏である。「矢崎さんは真面目な人だったが、酒井さんに会ってからおかしくなった」と一部で嘆かれている酒井大岳氏は、自分がボランティアで行っていたネパールに小学校を建てるという運動に二人を巻き込み、ネパールに「みすゞ小学校・みすゞ第二小学校」を建設した。この小学校の建設費用は金子みすゞ会の会員の募金によってまかなわれた。また開校式にはみすゞ会の会員が多数参列し、ネパールの子どもたちが歌う「星とたんぽぽ」に涙を流した。誤解してほしくないのでさらに書くが、私はネパールに小学校を建てるのに反対だったと言っているのではない。なぜ、みすゞと何の関係もないネパールの小学校にみすゞの名を冠するのかと言いたいのである。その理由はただひとつ、みすゞの名を出したほうがカネが集るからだとしか思えない。このことは拙著「詩論 金子みすゞ-その視点の謎」の中でも書いた。私はみすゞの名を穢し、みすゞを食い物にして生計を立て、みすゞの名を使ってカネ集めをする人たちを、「みすゞ屋さん」と呼んでいる。彼らが語るみすゞは、一詩人ではなくいまや女神である。彼らはみすゞをさんづけで呼ぶだけでは飽き足らず、矢崎氏などは「天女」と著作の中でみすゞを表現している。ゆえに矢崎氏は自らを、みすゞの「伝道師」と称している。
さらに矢崎氏のおかしな行動はこれだけにとどまらない。みすゞの育った仙崎の上山文英堂支店跡地には現在、金子みすゞ記念館が建てられているが、ここの館長は矢崎氏である。この記念館が建てられる前に、長門市では金子みすゞ顕彰会と金子みすゞ保存会という二つの任意団体が地道な活動を続けていたが、矢崎氏は生家跡地を買い取り、みすゞの生誕100年(西暦2003年)までに記念館を設立するという大目的のために二つの団体を消滅させ、新たに設立した記念館設立準備委員会の委員長に収まり、その流れで記念館の初代館長に就任した。東京に住んでいるにも関わらずである。名前を貸しただけの名誉館長ではない。代表権を持つ館長である。
以上が金子みすゞの詩を取り巻く状況である。私の事実誤認もあるかもしれないので、より詳しいかたからご指摘いただければ、幸いである。ただこれを書き込んだのは特定の個人を非難するのが目的ではなく、みすゞの詩は美しいが、はたしてそれを取り巻く人間たちの状況はいかがなものかということを知ってもらいたいからである。みすゞの詩はたしかに人を酔わせる。そのせいか、ファンを通り越し、「みんなちがって、みんないい」とあたかも念仏を唱えるようにみすゞを盲信する、みすゞ教の「信者」が少なくないことも最後に付け加えたい。
内容訂正:掲載からかなり時間が経過したけど、私の誤解による間違いが判明しましたので補足します。
(誤)新宿に自社ビルを建てた。
(正)これはバブルの頃に、JULA出版局の前社長の和田氏が新宿にビルを購入したの誤りです。JULAが新宿に移転した訳ではないので、訂正します。
(誤)矢崎氏が金子みすゞ顕彰会を解散させた。
(正)金子みすゞ顕彰会はいまも活動を続けているので訂正します。ただし会長は代わりました。その理由は私はここと縁が切れたので、わかりません。みすゞ保存会が消滅した理由は不明です。
まず金子みすゞが世に知られるようになった流れから書く。詳しくはこのブログの記事「金子みすゞの見た海」の冒頭でも書いたが、簡略すると、児童文学者の矢崎節夫氏は「大漁」に心惹かれ、みすゞ探しの旅をはじめ、みすゞの弟である上山正佑(故人)がみすゞの詩を書きとめた三冊の詩集を所有していたのを発見する。矢崎氏は上山の許可を得て、金子みすゞ全集の編修に携わり、「童謡詩人 金子みすゞの生涯」という著作とともに、いずれもJULA出版局から出版する。するとこのことが朝日新聞に大々的に取り上げられたこともあって、全集は売れに売れ、9000円近い定価なのに10万部以上も売れた(私も買った)。矢崎氏は1億円以上の印税を手にし、中野の貸しビルにあった童話・児童教育書の零細出版社だったJULA出版局は、新宿(現在は文京区に移転している。移転の理由は知らない)に自社ビルを建てた。
ここから話はおかしくなる。矢崎氏は全国に金子みすゞ会なるものを作り出し、またみすゞの娘、上村ふさえさんを見つけ出し、彼女に印税の一部を渡し、講演の全国行脚に同行させる。さらに矢崎氏はみすゞの自殺を、娘を夫に手渡さないための”自死”だと容認し、またみすゞの詩を読めばとても考えられないのに、みすゞは弟に恋心を抱いていたと主張したため、その内容に沿った映画(田中美里主演)・TVドラマ(松たか子主演)・NHKスペシャル(小林綾子出演)などが作られた。また矢崎氏の意向に沿わず、脚本を書いても上演ができなかった舞台もある。
矢崎氏の著作は、後に今野勉氏の著作「金子みすゞ、ふたたび」の中で指摘されるが、みすゞの生まれた家が異なる、みすゞの父は中国で殺害されたのではなく病死だったなど、事実と異なる箇所が多い杜撰な内容である。手帳を渡された弟の意向に完全に沿い、「兄は認知症にかかっているから会うな」と主張されたため、兄にも会っていない。矢崎氏の著作は全集を売らんがために、やっつけ仕事で書かれた内容だと、私は判断している。
さらにまた矢崎氏は「みすゞコスモス」などみすゞ関連本を何冊も出版し、みすゞを「みすゞさん」と呼ぶように、読者に強要する。そしてJULA出版局内に「金子みすゞ著作保存会」と称する団体を立ち上げ、「みすゞの著作権はみすゞの死からじゃなく、みすゞの全集が出版された年から起算すべきである」と著作権を捻じ曲げた解釈を主張する。そのため、商業出版だけではなく、個人のホームページでみすゞの詩を引用する場合でさえ、この団体の許可が必要だと唱えだした。その目的はみすゞをさんづけで呼ばない、あるいはみすゞの詩を批判するなどの動きを封じるためである。しかしこの流れに反発する動き(もちろん私もだが)もあり、下関の長周新聞や東京の勉誠出版はこの団体の許可を得ず、みすゞの詩を引用している。
私が金子みすゞ著作保存会から許可を得てみすゞの詩を引用しないのは、私の書く詩論などは、みすゞの詩を引用しなければ成り立たないにも関わらず、許可を「いただく」必要性をまったく感じないからである。私がこの団体の存在を疑問に感じるのは、一般的に著作権が作者の死後50年で消滅することを知っているからではない。一作家の著作権をJULA出版局という一出版社が「管理」している点である。試みに大型書店のみすゞコーナーに行けばわかると思うが、みすゞ関連の書籍はほとんどJULA出版局の出版である。当然であろう、金子みすゞの著作権をこの出版社が管理しているのだから。よその出版社は金子みすゞに関する書籍を出版したいと考えても、JULA出版局の存在を知れば、二の足を踏むであろう。あるいはここに「迎合」し、ここの気に入るような形での出版をするかもしれない。この一社独占とも言うべき事態はみすゞの研究を大いに遅らせ、ひいては日本文化研究の衰退につながると私は考える。私は寡聞にして、一文学者の著作権を一出版社が管理している事例を金子みすゞ以外に知らない。JULA出版局の社長大村祐子氏とは、彼女がまだ編集長時代に三度ほど電話で話し、手紙をもらったこともあるが、彼女もまた矢崎氏と同じく、みすゞによって運命が変わった一人だと考えている。しかし不思議なのは、この金子みすゞ著作保存会が商業目的ではない個人のホームページまで引用に際して「許可」を求め、ホームページの作製者もまるで「お墨付き」をもらったかのように許可を得たと明記する点である。誰も不思議に思わないのだろうか、金子みすゞ著作保存会の主張する著作権には何の「法的根拠」もないのに。
そしてここで、矢崎氏と大村氏をさらにおかしくさせる人物が登場する。それは僧侶の酒井大岳氏である。「矢崎さんは真面目な人だったが、酒井さんに会ってからおかしくなった」と一部で嘆かれている酒井大岳氏は、自分がボランティアで行っていたネパールに小学校を建てるという運動に二人を巻き込み、ネパールに「みすゞ小学校・みすゞ第二小学校」を建設した。この小学校の建設費用は金子みすゞ会の会員の募金によってまかなわれた。また開校式にはみすゞ会の会員が多数参列し、ネパールの子どもたちが歌う「星とたんぽぽ」に涙を流した。誤解してほしくないのでさらに書くが、私はネパールに小学校を建てるのに反対だったと言っているのではない。なぜ、みすゞと何の関係もないネパールの小学校にみすゞの名を冠するのかと言いたいのである。その理由はただひとつ、みすゞの名を出したほうがカネが集るからだとしか思えない。このことは拙著「詩論 金子みすゞ-その視点の謎」の中でも書いた。私はみすゞの名を穢し、みすゞを食い物にして生計を立て、みすゞの名を使ってカネ集めをする人たちを、「みすゞ屋さん」と呼んでいる。彼らが語るみすゞは、一詩人ではなくいまや女神である。彼らはみすゞをさんづけで呼ぶだけでは飽き足らず、矢崎氏などは「天女」と著作の中でみすゞを表現している。ゆえに矢崎氏は自らを、みすゞの「伝道師」と称している。
さらに矢崎氏のおかしな行動はこれだけにとどまらない。みすゞの育った仙崎の上山文英堂支店跡地には現在、金子みすゞ記念館が建てられているが、ここの館長は矢崎氏である。この記念館が建てられる前に、長門市では金子みすゞ顕彰会と金子みすゞ保存会という二つの任意団体が地道な活動を続けていたが、矢崎氏は生家跡地を買い取り、みすゞの生誕100年(西暦2003年)までに記念館を設立するという大目的のために二つの団体を消滅させ、新たに設立した記念館設立準備委員会の委員長に収まり、その流れで記念館の初代館長に就任した。東京に住んでいるにも関わらずである。名前を貸しただけの名誉館長ではない。代表権を持つ館長である。
以上が金子みすゞの詩を取り巻く状況である。私の事実誤認もあるかもしれないので、より詳しいかたからご指摘いただければ、幸いである。ただこれを書き込んだのは特定の個人を非難するのが目的ではなく、みすゞの詩は美しいが、はたしてそれを取り巻く人間たちの状況はいかがなものかということを知ってもらいたいからである。みすゞの詩はたしかに人を酔わせる。そのせいか、ファンを通り越し、「みんなちがって、みんないい」とあたかも念仏を唱えるようにみすゞを盲信する、みすゞ教の「信者」が少なくないことも最後に付け加えたい。
内容訂正:掲載からかなり時間が経過したけど、私の誤解による間違いが判明しましたので補足します。
(誤)新宿に自社ビルを建てた。
(正)これはバブルの頃に、JULA出版局の前社長の和田氏が新宿にビルを購入したの誤りです。JULAが新宿に移転した訳ではないので、訂正します。
(誤)矢崎氏が金子みすゞ顕彰会を解散させた。
(正)金子みすゞ顕彰会はいまも活動を続けているので訂正します。ただし会長は代わりました。その理由は私はここと縁が切れたので、わかりません。みすゞ保存会が消滅した理由は不明です。