* 日向ぼっこするアオサギ
1月11日(土)、冬将軍もようやく去ろうとしているが、まだまだ寒さ厳しい。
跡の浦湾の小山島で、アオサギが日向ぼっこしていた。
北西風を避けた日当たりの良い一等席。
カラスがちょっかいをしに来たが、知らんぷり。
わがマンションの部屋は、午前中はエアコンで暖房するが、天気の良い日は、昼前で消す。
夕方までの室温は、26.27度になる。
私も日向ぼっこして、転寝をしてしまう。
夕方になって、エアコンを入れる。
しばし、夕景を眺め、
大浴場に行くころには、残照も薄らいでゆく。
2025.1.11 くまお
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* 天神崎の丸山灯台
先日、天神崎の近くに行くことがあったので、寄ってみた。
田辺市内の中学生の募金で、天神崎に石のベンチが作られたという報道があった。
海岸道路わきに、十個ほどの腰を掛ける石が置かれていた。
磯辺に下りてみた。
干潮時だったので、少しだけ潮だまりができていた。
残念ながら、水平線上に厚い雲が垂れ込めていて、夕陽は隠されていた。
新設された駐車場に、新たな説明板が立られていた。
春の潮だまりで、子供たちが磯遊びをする光景を想像しながら、天神崎を去った。
2024.12.18 くまお
追記
跡の浦湾夕景
四国の山並み
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年賀状を出さないのは寂しいことですが
上掲ハガキのとおり、新年のご挨拶を失礼させていただきます
ここに本年中賜りましたご厚情を深謝いたしますと共に
明年も変わらぬご厚誼のほどお願い申し上げます
2024.12.23 くまお
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* 映画のパンフレットより
先日、自主上映の映画「戦 雲」を観た。
* 与那国島全景
パンフレットから引用すると、
本作は2015年から8年かけ、沖縄・南西諸島をめぐり取材を続けてきた映画監督でジャーナリストの三上智恵による渾身の最新レポートである。
沖縄本島、与那国島、宮古島、石垣島、奄美大島---この美しい島々で、日米両政府の主導のもと急速な軍事要塞化が進行している。自衛隊ミサイル部隊の配備、弾薬庫の大増設、基地の地下化、そして全島民避難計画・・・・・
私が娘たちの居住していた与那国島を訪れたのは、2011年の3月のことだった。
当時は、通信基地設置の是非を争う町長選挙が行われていた。
* 与那国島東崎(あがりざき)灯台
与那国島には、三つの放牧場あり、
放牧された牛や
与那国馬と身近に接することができた。
居住地区は祖納と久部良など、人口は1,500人ぐらいと記憶している。
与那国島は日本最西端に位置し、台湾までわずか80㎞である。
西崎(いりざき)灯台のあたりにも
放牧場があった。
久部良漁港では、
カジキマグロがよく獲れていた。
石垣島とのフェリーの定期便船の発着港でもある。
比川の浜は与那国馬の乗馬散歩コースであった。
このように美しい島にも、軍事基地化の荒波が押し寄せ、ミサイル基地建設が決まり、戦車PAC3積載車が公道を走る島になっってしまったようだ。
そして、全島民の避難計画も立てられているとのこと。
2015年、娘たちは沖縄本島に転勤となった。
映画「戦 雲」を観て、懐かしさと共に、悲しい思いにとらわれた。
2024.12.1 くまお
追記
最近、二冊の戦争体験記を読んだ。
『戦争/中国 そして戦後』(光吉 敏郎著)
「敏ちゃん!私達の人生、戦争さえなかったら、どんなに幸福だったかもしれないわね!戦争のためにメチャメチャにされたね!」その言葉を残して姉はまもなく他界しました。・・・・・
『思い出ー二つの戦争を体験して』(中瀬 七郎著)
「平和になった現在、お父さんの戦記を読んで、今更ながら無益なことにお互い駆り出され、悲しいことだったと憤りを感じます。
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* 救馬渓観音の紅葉
12月11日(水)、元同僚のMさんのフェース・ブックに触発されて、救馬渓観音へ出かけた。
午前11時半前、表参道入口に駐車して、
池の周辺を散策。
弁財天さんから、
西国三十三所霊場へ。
先ず、お坊さんの墓所へ。
参道を上り、第一番霊場青岸渡寺から始まり、瀧王神社へ。
そして、本殿にお参りする。
今年の紅葉は、特にきれい。
修行大師の銅像から。
縁むすびの祈願所
あじさい曼荼羅園の入口の紅葉
先日京都の旅で訪ねた、二十八番霊場の成相寺(丹後国)を見つける。
展望台へ登ると、大岩に抱かれた本殿と
田辺市内、
わがマンションも眺望される。
眼下には、長年プレーした懐かしいテニスコート。
展望台で少し休憩した後、本殿へ。
紅顔の美少年のお地蔵さん。
本殿わきの水槽の飾り。
本殿から裏参道へ(お参りの方はほとんどこの参道から本殿へ)。
こちらの紅葉も見事。
午後2時を回ったようなので、表参道へ引き返す。
駐車場あたりの紅葉もいい。
救馬渓観音の紅葉は、これまで何度か探勝したが、今回は一番鮮やかだった。
午後2時半、救馬渓観音を辞した。
その日、少し脚に筋肉痛を感じた。
2024.12.11 くまお
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* ノーベル平和賞を受賞した被団協の代表者
12月10日、ノルウェーのオスロで、ノーベル平和賞の授賞式が行われました。
日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表者三名が出席されました。
その様子が、NHKテレビで放映されました。
観られなかった方もおられると思われますので、簡単に紹介します。
被団協を代表して、田中煕巳さんが、20分間の演説をされました。
1945年8月、米国が投下した原爆により、同年末までに広島で約14万人、
長崎で約7万4千人の命が奪われました。(朝日新聞)
13歳の時、長崎で被爆した田中煕巳さんが、
親族の悲惨な被爆の状況を語り、被団協が結成されるまでの過程と
核兵器廃絶を訴え続けた被団協の取り組みを丁寧に説明されました。
田中さんの演説は、オスロ市庁舎に集った多くの人々をはじめ、テレビを見た私たちにも深い感銘を与えました。
今は亡き長崎被団協の廣瀬方人さん、田辺九条の会の田所顕平さんも喜びと共に、深い感慨に浸られておられることでしょう。
「もし広島、長崎の被爆体験者が一人も生き残っていなかったら、どうだったのか。私たち被爆者が生き残ったため、核兵器廃絶を訴えてきたから、いまだに使うことができない。」(谷口稜暉さん)(朝日新聞)
田中さんは演説の最後で、「核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共にがんばりましょう!」と、結ばれました。
2024.12.10 くまお
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* 見頃を迎えた三千院の紅葉
11月20日(水)、正午過ぎ、常照皇寺から大原の三千院に向かった。
国道477号線を辿り、花脊の地区を過ぎて、「百井別れ」で、
鞍馬への広い県道へは行かず、狭い国道へ左折した。
国道477号線は、まさに酷道だった。
国道367号線に出て間もなく、午後2時、三千院に到着。
常照皇寺と違って、かなりの人出だった。
紅葉はまさに見頃。
三千院御殿門
客殿からの聚碧園の眺め。
抹茶の席は満席。
紅葉を眺めながら、
客殿から宸殿へと進む。
有静園にも大勢の人。
宸殿から有静園に下りて散策。
なかなか良き園である。
苔も紅葉に劣らず美しい。
Hさん、ハイ ポーズ!
金色不動堂では、秘仏の金色不動明王の御開帳。
戻り道、
再び、有静園をよぎり、
御殿門へ。
紅葉に名残を惜しんで、三千院を辞し、
門前のお店で、
遅い昼食。
「〽京都大原三千院 恋につかれた女がひとり」の歌碑
午後4時、大原を出発。
午後6時20分、岸和田SAに着き、買い物をした後、白浜へ。
午後9時頃、自宅に帰った。
二泊三日の旅にしては、かなり疲れた。
年齢のせいかもしれない。
2024.11.20 くまお
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