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ミヤモト タカユキ

Author:ミヤモト タカユキ
1975年8月28日生まれ。A型。

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土煙るアスファルト。けだるいポップ。土曜日の午後。そんな感じが好きなんです。

モヒトツ オススメ

気をつけて~壁塗れよ~!

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01月02日(日)

四葉のクローバーをみつけた話

去年の初秋でした。

県内のある牧場に妻と娘を連れて遊びに行き、

そこで四葉のクローバーを見つけたのでした。

何気なく下を歩いていると、

ふっと目に飛び込んできたのです。

私は、今まで一度も四葉クローバー

見つけたことはありません。

積極的にさがしたこともありません。

でも、そのときは、

本当に、向こうから、

声をかけてきたかのように

私の目の焦点に

チョンと入ってきたのです。

私は、思わず小さく声をあげて摘み取りました。

それを見て妻も、目を輝かせました。

「ちょっとお、いいことあるんじゃないの?」

私たちは、無邪気に笑い合い、

無造作に妻のバッグのポケットにしまいこみました。

それから、私も妻も、

そのことは忘れてしまいました。

いつものように妻と娘を送り出し、

私は、一人、図書館で勉強、執筆、応募…時々、仕事…

いつか、誰かに理解されることを期待しつつ、

孤独と焦燥に耐える日々が過ぎました。

二月ほどたったころ、

とある賞のグランプリに

選ばれた旨の連絡を受けました。

初めてのグランプリです。

私の一年間の勉強の成果でした。

連絡の電話を切った後、

しばし、私は正座したままうなだれていました。

それから、妻に電話しました。

妻も声が詰まっていました。

そのとき、妻と娘は、近所の遊園地に散歩に出かけていました。

私は、すぐさま、家を飛び出し

彼女達を迎えに走りました。

夕暮れの歩道を、娘をだっこした妻が歩いていました。

私が駆けつけると、

妻が「おめでとう!!」と満面の笑顔で迎えてくれました。

何があったのかわからない筈の娘も笑顔で

「オメデトウ!」とはしゃいでいます。

私は、二人もろとも抱きしめました。

どんなときでも、私を信じようと努め、味方でいてくれた妻と

二年前から私の人生に笑いと慰安を与えてくれている娘です。

受賞よりも、なお、彼女達がいてくれることが

何よりも幸せでした。

もう、日はすっかり暮れて、互いの顔の表情も定かではありませんでしたが、

妻の目が濡れていることはわかりました。

きっと、私の目も同じであることを、妻も認めていたでしょう。



四葉クローバーが幸運を運ぶというのが、

うそか本当かはわかりません。

でも、人は、ちょっとした偶然に繋がりを思い、

希望や感謝を託したくなるものでしょう。

















 
06月20日(日)

突き刺さるセリフ

男は外に出ると、思いがけず穴を見つけるものである。
ほの暗い闇の中に、何かが蠢いている、そんな穴をである。

オークラ劇場といえば、宇都宮で育った男子なら必ずその名をしっているポルノ映画館である。
私が子どものころは、下野新聞の土曜日だったと思うが、市内の映画上映スケジュールが載っていて、そこに、ご丁寧にもオークラ劇場のラインナップも載っていた。
「痴漢電車 淫らな指先」とか「団地妻 肉欲の恥じらい」など、当時の男子中学生の脳天を鷲づかみにしたタイトルが、一応映画だからという理由で、何のはばかりもなく、掲載されていたのである。
無論、未成年は入れないから、私は一度も入ったことなく宇都宮を離れたのだが、しかし、オークラ劇場とは、思春期の少年達の悪場所への憧憬をかきたてる象徴的な場所だった。
そして、13年後、宇都宮に帰ってきた私は、先日、たまたま車でオークラ劇場の前を通って、未だ健在であることに度肝を抜かれたのである。
ポルノ映画なんて、もうこの二十年近く低迷し続ける零細産業だから、とっくの昔になくなってしまったろうというこちらの勝手な想像を裏切り、オークラ劇場は淫猥な看板をドバーンと掲げ、34歳妻子持ちの男のハンドル操作をあやうく誤らせるところだった。
かつて、小学生のころ、雑木林で泥と砂と雨に汚れたビニ本を発見したときの強烈な好奇心と断固とした後ろめたさの悲劇的な葛藤が胸に蘇り、私は、後日、観に行くことを決めた。
もちろん、ポルノ映画など、いまさら何も期待していない。一度、浅草で友達と見たことがあったが、実にしょうもないストーリーとマンネリの濡れ場ばかりではっきり言って幻滅したのだ。しかも、周りでみているは、労務者のじいさんばかりでなんか劇場全体がイカ臭かった。たまらん思い出として、ある種トラウマにさえなっているのである。
それをなぜ、いまさら、と問われると答えに窮する。
「男は時々穴に落ちてみたくなるから」としか言いようがない。あるいは、もしかしたら、かつて、少年時代に遣り残したことを清算したいと思っていたのかもしれない。
ともあれ、後日、私はとうとう、観に行った。
その日は、午後から用事があったので、午前中に観に行こうと思い、十時半ごろ着いた。
相変わらず下品で扇情的なポスターが貼ってある。
わりと可愛らしい顔の女優が、うっすらと目を開き、口を半開きにして、自分で自分のお乳を揉んでいる。そんな感じのが三枚。三本立てなのである。
「ようし、ザマアミロ!」となにがザマアミロかわからないが、私は気合を入れて劇場のドアへ向かった。
劇場のドアを開けると、モギリのおばちゃんが奥からでてきて、
「ごめんねえ。11時からなんですう」
と、愛想よく言われ、たちまち私は赤面した。若いのになんて堪えしょうのない人なのだろうと思われたに違いないからである。
仕方がないので、県立図書館に入り、ニーチェを立ち読みして時間を潰て、また映画館へ戻った。

結論から言うと、やはり、しょうもない映画ばかりであった。三本立てのうち、どれもこれも「ちゃんとやらんか!」と怒鳴ってやりたくなるものばかりだ。面白いのはポスターだけじゃねえか!恐らく一本60分程度だと思うだが、二時間にも三時間にも感じるのだ。
が、そのうちの一本に、私の胸の琴線に触れる抜群のセリフがあったのだ。
失恋した女の子専用に経営している旅館の話なのだが、そこの旅館の中年の主人が、自分のカミさん(これも中年)のことが大好きで、ことあるごとにセックスしたがるのである。カミさんも、好き物らしく一応抵抗するのだが、結局、求めに応じてしまう。ようは、仲の良い夫婦なのだが、あるシーンで、いつものように、サカリのついた夫が、カミさんに詰め寄る。カミさんも、いつものように、一応抵抗してみせる。その時、脂ぎって中年太りのおっさんである、この夫が燦然と言い放つのである。

「いいじゃねえかよお! 俺、カアちゃんに挿入すんのが楽しみで毎日生きてんだからよオ!」

私は、一瞬、全身総毛立ち、わけのわからない感動が湧き上がってきた。なんだ、この肯定は!!! こんな風に人生を肯定できるのか!!!
正直、このセリフにはやられたと思った。ストーリーは、なんのこっちゃどうでもいい話だが、たったの一言、このセリフを、この人物に言わしめた脚本家さんを、私は、嫌いになれない。
映画なんて、印象的なセリフが一言、もしくはシーンが心に残ればそれでいいんじゃないだろうか。設定やキャラクターにばかり凝って、ダイジェストみたいな映画ばかりが多い中、たった一言、人生を変える力を秘めた一言のある映画が少なくなった。

「いいじゃねえかよお! 俺、カアちゃんに挿入すんのが楽しみで毎日生きてんだからよオ!」
いいよな。そんな風に、生きてみたいよ。俺だって、そんな風に、一ぺん生きてみたい!!

打ちのめされた気分で、私は映画館を出た。真昼の太陽が、頭の真上からカッと照りつけてくる。ふと、眩しさを堪えて空を見上げ、太陽をにらみ付けた。
太陽が、ザマアミロと笑っていた。
私は、何かに負けた時のような照れ笑いを浮かべると、駐車場まで走り出した。




 
06月06日(日)

あの二人、セックスしてたんだね

木村カエラも瑛太っつう人もさ、
なんかセックスとかしてなさそうじゃない。
少なくとも、
オジサンの知ってるセックスは
してないと踏んでたからね。
でも、子どもできたっていうんだから、
してたんだねえ。

おじさんにとって、セックスっていうのは、
古谷一行と沢田亜矢子みたいな…
古いけどね。
古いけど、子どものとき、テレビで見たあの二人の
(いや、本当にあの二人だったかはわからないが、
あの二人で象徴できる匂いを想像してほしいんだけどさ)
セックスシーンはかなり「大人の欲情」を感じたよね。
人間が隠し持っている動物性みたいな物を感じた。
あ、大人って子どもがいないとこうなんだっ!!ていう衝撃と
いつか自分もするんだろうか、こんなこと。みたいな戦きね。
セックスっていうのは、そういうある種の恐れと後ろめたさが
あってしかるべきものだと思うんだけど、
今は全然ないじゃない。
あの二人の世代というのは、
そういう後ろめたさはない世代だよね。
当たり前ジャン!!的な雰囲気がある。
「オシッコもウンチもするよ。セックスだってよくするよ」
なんて何のテライもなくいいそうだもんね。カエラちゃんとか。
その明朗さがいいんだろうけど。
いい時代なんだよな。確かに。
でも、その分、匂いのない世代だよ。
あったとしても、人工的な匂いね。
ディズニーランドに入るとするような
甘ったるい感じの。

それと玩具的なんだ、あの二人。
ソフトビニールの。
穴と棒はついてないような感じがすんだな。
だから、オジサンは木村カエラに欲情しないんだけど、
女の人は、瑛太っつう人に欲情するのかなあ?

別に悪口じゃないんだよ、これ。
ただ、違和感を感じてるんだよね。
あそこまで人工的な感じのする人間が出てきて、
でも、ちゃんとセックスみたいな動物的なことするんだ。
そういう違和感ね。

…でも、もしかしたら、
やっぱりおじさんの知ってるようなやり方じゃ
ないのかもしれないな。
何か、オジサンの知らない
オシャレな端末いじってるうちに、
「妊娠」てコマンドを選択しただけ、みたいな、
そういう無味無臭感は払拭しきれない。

オジサンのように、
昭和の時代にセックスの知識をテレビで仕入れた世代には、
今のアッケラカンとした性意識(=結婚したいから子どもつくりましたという発想を肯定する社会全体のね)が、
何か人間には何も隠すことはないとでも言うような、
ある種の傲慢さを感じることもあるんだよなあ。

ま、いいや。
特に、まとまったことが言いたいわけじゃなかったんだけど、
ただ、無駄話がしたかっただけ。



 
05月08日(土)

ぐんま 私的体験

生まれて初めて
「ぐんま」に行った。
茨城を仮想敵に想定している
栃木で育った者の常として、
なんとなく「ぐんま」は後回しになる。
だから、今回、初めて「ぐんま」を訪れると
良い所で意外の感に打たれた。

ただ、これはたぶんタマタマだろうけど、
美人に合わなかった。
これだけは言っておきたい。
二泊三日して、
「おっ」と思う女性は
一人もいなかった。
GWで、美人は他所に
でかけていたのだろうか?
あと、車の運転が皆
自分勝手だ。(北関東共通だけども)
それはともかく…


イサマスタジオ01
中之条町の「イサマスタジオ」。
普段は映画『眠る男』を中心に、中之条町界隈でロケーションされた
映画・映像作品にかかわる資料館となっており
ここで映画の撮影やスタッフの宿泊所にもなるという
ユニークな場所です。
写真でもわかるとおり、ここは小学校の廃校をそのまま
利用しており、
中には、かつての児童たちのラクガキや名札などがそのまま
残っていて
懐かしさと温かさを感じられます。

イサマスタジオ02

教室が展示室になっておるのです。

イサマスタジオ04

イサマスタジオ03

校庭には『眠る男』で実際に使われたセットが残っています。
これが、かなりしっかりしたセットで、驚きです。



山道をきままにドライブしていると、
気持ちの良い風景に出会いました。

tanbo.jpg

hokora.jpg


道の駅『霊山たけやま』。
「嵩山」の頂から麓の道の駅までつられた鯉のぼりは
圧巻でした。風にそよぐ姿がいかにも爽やかです。

霊山たけやま03

道の駅の隣のそば屋のそばは
いわゆる田舎風。
分厚くコシのあるそば。

霊山たけやま02


nakanojyou.jpg

中之条駅付近の焼肉屋。
地元青年団が毎月第一土曜日
酒池肉林の宴を張る所。
嘘です。


maebasi.jpg

JR前橋駅の周りは、びっくりするほど
何もない。
ただ、ポツンと古い額縁屋だけが建っている。
人生を飾る額縁は
こんな店にだけ
こっそり売られている。
嘘です。深い意味はありません。

ちなみにこれは本当のハナシだが、
前橋駅から、
歩いて7分程度の所にあるインド料理屋「マハトマ」。
ここ、結構ウマかったです。
前橋にお越しの際は
オススメします。




 
04月16日(金)

愛媛再訪

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愛媛県西予市三瓶町は、まさしく愛媛の西の端にあります。天気がよければ、九州が見えます。主な産業はみかん生産と漁業である。小さな入り江と山に挟まれた狭い土地に、人々が張り付くように暮らしている。そこが私の父の生まれ故郷です。今でも祖母はここで一人で暮らしております。
今年は、父の父、つまり私の祖父の五十回忌にあたります。普通は三十三回忌で成仏すると言われ、一応供養は終わるとされているのだそうですが、祖父が死んだのは父が15の時であり、三十三回忌を父が行うことができなかったということで、ぜひやりたいという父の希望で行われることとなったのです。自分の言いだしたことに対して他人の斟酌などしない父には、何を言っても仕方がないことを知っている私や妹も、内心迷惑な所もありましたが、身内の法事に異議を唱える理屈もなく、やむなく夫婦子供連れで訪れました。四月の初め。私にはおよそ十五年ぶりの再訪となりました。
4歳から8歳まで、私は同じ愛媛の松山市内に住んでいたので、休みの日になどはよく祖母の住むここ三瓶に来ました。しかし、恐ろしいことに、街並みはその当時からほとんど変わっていないのです。唯一、数年前に道の駅「潮菜館」や市営の観光旅館ができたぐらいで、私は昔の記憶をたどれば、ほぼ正確にどこに何があるか覚えている通りのものが今もそこにあるのです。ただし、かつてはまだ人気のあった商店街やお店などはほとんど閉まっていましたが。それでも、しかし、別に新しいものにかわることなく、閉まったなりにそこに錆びついているような塩梅なのです。
こういう土地に長く暮らしていると、我々のような変化に慣れた身体感覚とは異質の身体感覚が身に備わってくるのではないでしょうか? そんな気がしました。

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その「潮菜館」で。この辺は、養豚も盛んらしく、それでかわいいブタちゃんが二疋、お出迎えしてくれました。私と娘。

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娘と隣は、妹の息子。しゃがんでいるのは私の妹。旦那はイケメンです。
ちなみに、ここには小さな水族館もあり、マンボウ、ウミガメ、小さなサメ、なぜか金魚も見られます。大人一人100円。近所の子供らには人気みたいでした。しかし、マンボウがゆうゆうと泳いでいる様を上から覗く形になるので、なんといいますか、マンボウというのは上から見るとつまらない、というこを実感します。

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帰りに松山観光。さすが松山。「坂の上の雲」ブーム押せ押せで、写真は、秋山兄弟生誕地で、現在資料館みたいになっています。この日は休館日で中にははいれませんでしたが、たぶん、入った所で対して面白くはなさそうでした。だって、ただの小屋をだったから。
しかし、松山正岡子規、夏目漱石でさんざん稼いでいるのに、ここへきて秋山兄弟となると、もはや明治は松山のためにあったような感があります。松山の人々は、明治の先人達に足を向けて寝られませんね。松山に来ると、歴史に名を残すということは、後代にこうして財産を残すことなのだなあと感心させられます。偉大なことです。やはり人間出世しなければなりませんな。

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松山城のロープウェイ乗り口での記念撮影。これぞ松山「ぼっちゃん」キャラです。マドンナの顔から難しい顔をだしている娘も、これはこれで親としてはカワイイもので。

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春や昔 十五万石の 城下町 (子規)
とくに城めぐりなどには興味ない人間ですが、松山城は良い城です。


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お城の石垣っていうのは、なぜかワクワクしますねえ。

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そしてこの城は眺望が素晴らしいのです。城下町と松山の港から瀬戸内海が見渡せるのですが、真っ青な空の下で眺めると、実に気持ちがよいのです。松山藩の武士や殿様は、こんな景色を見ていたのかと思うとちょっとうらやましいものがあります。

ちなみに、私が子供のころすんでいたのは松山の郊外の富久という所だったのですが、そこは周りが田んぼにかこまれていて、さえぎられるものがなく、ちょうど北東の方角だったと思いますが、この山の上に立つ松山城がよく見えたのを今でも覚えています。ついでにあの頃、周りの農家は、遠慮会釈なくバンバン農薬使ってたのも印象に残ってます。
それでも初夏にかけて田んぼの側溝などにフナがあがってきてたのは、今思えば、不思議な気もします。

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茶屋風の食堂で食べた、たらいうどんと鯛飯セットは、なかなかおいしゅうございました。たらいうどんは、その名の通り、たらいに水を張った中に、コシのあるうどんを泳がせてあるのですが、これが乙です。鯛飯の方は、ちょっと鯛がみあたらないのですが、味はヨロシイ。両方平均して、まあ、損はしてないか、という感じでしょうか。

今回は帰りの飛行機の時間もあったので、天守閣には上らず帰ってきましたが、次に行った時にはぜひ。
法事はともかく、松山観光は懐かしくもあり新しくもありなかなか楽しいものでした。

(うらやましいうらやましい)
春や今 歴史で飯が食える町

?なんて言ったら怒られますね。もちろん、地元の人々の努力あってこそなのは言わずものがな。