山本七平botまとめ/「外装的法体系の支配」と「内実的”口伝”体系の支配」/~近代国家において「軍が暴走して戦争になる」ことはありえないという”チャーチルの原則”が通用しなかった日本~
- yamamoto7hei
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①【天皇、明治憲法、軍】なぜ関係がないのか。 それは被統治意識の問題だからである。 人々が、帝国憲法とそれに基づく法律と教育令に対して被統治意識をもつか、いわば、その対象としてそれを通じての天皇に忠誠であるのか。<『存亡の条件』
2013-06-07 11:27:45②それとも、教育勅語を絶対化し、その″口伝″とそれに基づく儀式を絶対化し、実質的にこの″口伝″とそれを通じての天皇に被統治意識をもつかの問題だからである。 この場合、儀式がその空洞化を防ぐ重要な要素である事は、第二章に引用した清水幾太郎氏の『わが生涯の断片』からも明らかである。
2013-06-07 11:57:55③従ってこれへの背馳は許さないということは、″口伝″に被統治意識をもたない者は絶対に許さないということである。 この場合、帝国憲法に基づく被統治意識と、教育勅語″口伝″に基づく被統治意識とどちらが強いかといえば、いうまでもなく後者である。
2013-06-07 12:27:48④後者は…儒教を基として日本に根づいた伝統的・法的・道徳的秩序の要約であり、この″口伝″化はすぐさま民衆を規制できる。 しかし憲法はいわば外装にすぎない。 そしてそれに基づいて作られた民法は「ババタ」以来二千年の伝統のない日本に根づく事はありえない。
2013-06-07 12:57:48⑤従って日本は、外装的法体系の支配と内実的″口伝″体系の支配という、二重の基準に基づく二重の支配を受けることになる。 そしてこの二重支配の併存は、それが併存している限り、後述のように、最も統治しやすい状態を招来するはずである。
2013-06-07 13:27:47⑥だが、この二つが相矛盾し、どちらかが優先するとなると必然的に混乱を招来する。 なぜなら天皇は一つだが、この天皇への被統治意識は二つであり、従って一つの被統治意識がもう一つの被統治意識を排除するという形で 「天皇の為に天皇に叛乱を起こす」 という形が成り立ちうるからである。
2013-06-07 14:03:23⑦そしてこれは、天皇の意志とは関係なく、それが「神政政治」の如く、文字通りに「喪を秘す」状態で起こっても不思議でない。 以上のことは、もちろん憲法それ自体の内容とは関係ない。 明治憲法は、確かに完全な民主主義的憲法であるまい。
2013-06-07 14:27:48⑧しかし、そう規定する人の言葉をイギリスにあてはめればイギリスも″完全な民主主義″社会ではあるまい。問題はそういった″名目的な事″にはないであろう。 チャーチルの言葉を借りるならば、少なくとも近代国家において真に権力を握っている者は、予算の審議権、議決権、執行権をもつ者である。
2013-06-07 14:57:50⑨では明治憲法のもとで、だれが権力をもっていたのか。 このことを少し、軍との関係で調べてみよう。 チャーチルは、近代国家においては「軍が暴走して戦争になる」ことはありえない、 「そういう主張は一種の責任転嫁だ」 という意味のことをいっている。 この言葉は正しい。
2013-06-07 15:27:45⑩というのは、戦国時代ですら「戦費の支出」なくしては、軍は動けない。 まして近代社会では、予算の裏づけなくしては、一個師団を動かすことも不可能だからである。
2013-06-07 15:57:54⑪これは、軍隊が政権者との契約関係にあった傭兵時代が長かった西欧では、おそらく説明無用の公理であり、 「予算を握るものが、軍事力はもとより、すべての権力を握る」のは自明の前提であろう。
2013-06-07 16:27:49⑫イギリスでは今もなお政府は女王陛下の「私の政府」であり、軍は国王の海軍と国王の陸軍であって、名目的にはかつての「天皇の政府」「天皇の軍隊」と同じである。 しかし名目が何であれ、下院の議決なき限り、建艦費や師団増設費は勿論の事、徴兵費も訓練費も、軍を移動さす諸費用も一切出ない。
2013-06-07 16:57:53⑬これは否応なき文民統制である。 明治憲法にどのような欠点があったとはいえ、予算の審議権と議決権は、一貫して帝国議会が握っていた。 したがって議会が、予算を通して軍をもほぼ完全に統制し得た時代があったし、またあって当然であった。
2013-06-07 17:27:46⑭いうまでもなくそれは大正時代から昭和初期で、 大正元年の閣議の二個師団増設案否決による上原陸相の単独辞職、 三年の貴族院による建艦費の大削減、 同年の衆議院による二個師団増設費否決にはじまり「尾張」以下七隻の建艦中止、(続
2013-06-07 17:57:52⑮続>ワシントン条約の締結、四個師団の廃止等から昭和五年のロンドン海軍軍縮会議の無条件批准まで、後年の″軍の横暴″と対比すると、この強力な議会、弱体な軍という関係がわずか数年で逆転したその逆転ぶりには、一種異様な印象を受けざるを得ない。
2013-06-07 18:27:46⑯そしてこの逆転と昭和期の天皇尊崇→現人神化は、明らかに同一現象の二側面と見られる。 満州事変から日華事変、太平洋戦争まで、軍がどのようにして「臨時軍事費」という名の戦費を獲得していったか。
2013-06-07 18:57:52⑰一体全体、この戦費を支給した責任者は誰なのか、 …一ついえることは、この点に関して制限君主制下の天皇は何ら権限がなかったという事実である。 天皇は「軍に戦費を支給してやれ」とはいえない。 また「戦費を支給するな」ともいえない。 この点で全く無力である。
2013-06-07 19:27:43⑱では…天皇に戦争責任はない、 「臨時軍事費」を審議・可決した帝国議会が戦争の元凶であり、議会こそ戦争の責任者である、 といえるであろうか。 確かに大正時代のように議会が戦費を堂々と否決していたら、柳条溝事件も慮溝橋事件も、現地の一事件として、線香花火で終わったであろう。
2013-06-07 19:58:01⑲そうなり得なかった原因は、外装的建前はどうであれ、実情はチャーチルの原則は日本には適用できなかったという事実であろう。 ではなぜできなかったか。
2013-06-07 20:27:48