【百識王】12/5/22…オールナイトニッポン45周年・伝説を徹底検証「ナイナイのANN」スタジオインタビュー
2012年5月22日(火) フジテレビ 【 百識王 】 より
毎週火曜日 25:10~25:40
オールナイトニッポン45周年の百識王
1967年10月2日スタートし、放送回数役1万4000回 今年で45周年!
オールナイトニッポンの伝説を徹底検証!
「今年で放送45周年を迎える、数多くのスターがパーソナリティを務めたニッポン放送・深夜ラジオ番組が【オールナイトニッポン】である」
番組の代名詞となっている、「ビタースウィート・サンバ」は・・・
初代パーソナリティの高崎一郎が、放送中にかける曲を間違えたものが意外にハマり、そのまま採用された説。他の誰かがレコードのA面B面を間違えた説など諸説あり、なぜか誰も記憶が定かでない。
初代パーソナリティ 高崎一郎
'67/10/8~'69/9/27 土曜担当
1967年10月2日 AM 1:00放送開始
45年間放送回数 約1万4000回以上
「放送開始当時、パーソナリティはミュージシャンや芸人ではなく、ニッポン放送の【アナウンサー】だった」
開始当時は予算がなく、ディレクターやパーソナリティは全てニッポン放送社員
アナウンサー自らリクエストハガキを選び、台本なしで喋り、自分で選曲したレコードをかけていた。 音楽をかけながら若者に語りかけるスタイルは急速に浸透。
リクエストハガキ(一週間あたりの枚数)
3週間後、数1000枚 → 1年後、1万枚以上殺到
初代パーソナリティ 斎藤安弘(元ニッポン放送アナウンサー)通称:アンコー
'67/10/3~'72/6/27 火曜 '73/7/5~'74/3/28 木曜
斎藤 「4時間を生放送で一人でやってた。」
今、4時間とおっしゃいましたけど2時間では?
斎藤 「4時間、みんな。」
4時間の生放送
73年6月まで1組、現在2時間ずつ2組
斎藤 「ターゲットは受験生。浪人生も含めてね。それから深夜働いてる人たち。」「(ハガキが)1万5000通とか2万通来ちゃうと、読まれる確率は物凄い低いわけ。だから読んでもらおうと思ってみんな必死になるわけね。越中ふんどしをいっぱい送ってきたりね、そこにリクエストが書いてある。車のタイヤね、そうすると中央郵便局の人がそれを持って「はい、リクエストです」って。」
一番ハチャメチャやったのは?
斎藤 「船を一隻借りきってね、聴取者の皆さんを招待して、伊豆大島を往復しながら4時間生放送やった。」
それラジオだとわからないですよね?
斎藤 「わからない。それを説明するのが面白い」
「43年前、土曜パーソナリティだった元ニッポン放送社長の亀渕昭信は、スタジオにハガキをバラまき、一番【遠くに飛んだ】ハガキを当選者とした」
ハガキぶん投げ大作戦と言われ、一番遠くに飛んだハガキの送り主に一万円をプレゼントという企画。その後、オールナイトニッポン抽選方式として代々のパーソナリティに引き継がれた。
73年までパーソナリティは全てアナウンサー
73年7月~人気タレントを起用
月曜 小林克也
火曜 泉谷しげる
水曜 あのねのね
木曜 斎藤安弘
金曜 カルメン
土曜 岸部シロー
「38年前、パーソナリティだった吉田拓郎は番組中に【死ん】だことがある」
吉田拓郎(当時28歳)
'74/9/30~'75/9/29 月曜1部
'80/10/3~'82/4/2 金曜1部
吉田拓郎、死亡放送事件
放送当日、拓郎本人が高熱を出してダウン。担当ディレクターが「何か面白いことをしよう」と代役のアナウンサーに、特別番組・吉田拓郎を偲んで・・・と嘘のタイトルをコールさせた。直後に問い合わせが殺到、記者まで駆けつける大騒ぎに。反響が大きくなりすぎ、30分後に番組は事情を説明。拓郎の家と実際に電話を繋いで、拓郎夫人の「うちの主人を殺さないで下さい!」という会話まで放送された伝説の回。
「36年前、水曜パーソナリティを務めていたタモリは、NHKを【怒】らせた」
タモリ(当時31歳)
'76/10/6~'83/9/28 水曜1部
「NHKつぎはぎニュース」というコーナーで、NHKのニュースの音源を順番をめちゃくちゃに繋ぎ合わせて放送する企画。リスナーからカセットテープで作品を募集、回を追うごとにハイレベルな作品が集まり盛り上がりをみせた。しかし、NHKには無駄で音源を使用していたため、コーナー開始から約3ヶ月後に「面白いんですけど、やめて頂けませんか」とクレームがついてしまい、終了した。
そんなタモリのオールナイトニッポンに憧れて
芸能界入りを決意したと言われているコンビ・・・
「27年前、火曜パーソナリティを務めていたとんねるずが動揺したのが、歌謡界の女王【美空ひばり】の乱入事件である」
番組の冒頭、とんねるずの2人に内緒で当時し、驚かせた。
とんねるず 石橋貴明(当時24歳)木梨憲武(当時23歳)
'85/10/15~'92/10/13 火曜1部
また、とんねるずは当時タブーとされていたスタッフやマネージャーのエピソードや失敗談など、内輪いじりのトークやコーナーが受け、いわゆる楽屋トークの流れを築いた。
当時、とんねるずや小泉今日子のオールナイトニッポンを担当した
戸田修一(エンターテイメント開発部長)
印象に残っている悪ふざけは?
戸田 「とんねるずでくだらないのは、一回パリダカやろうってことになって。」
パリ・ダカとは・・・砂漠地帯を10日以上かけて縦断するモータースポーツ。世界一過酷なレースと呼ばれる。
番組ではそのスタート地点を勝手に再現。
戸田 「うち(ニッポン放送)のその前を全部、パリダカのスタートみたいにするって言うんで、ライティングして。ブルーバードを10台ぐらい持ってくるんだけど、東京中にそこからスタートさせて、2時間「ブルーバードが通ったのを見た」ってヤツの電話だけを受けて。「今、○○の辺りを通過しました!」って電話が何せ入ってくるから、それをまたオンエアすると、その周辺のヤツらがパニックになるっていう・・・そういう放送で。」
ラジオですよね?
戸田 「ラジオ。」
イノッチ 「芸能人だったら誰でもね、パーソナリティになることを憧れるんですよ。実はですね、2003年だったかな・・・一度、国分太一君と『たいのっちのオールナイトニッポン』パーソナリティ、経験してるんですよね。一度ですけどね」
たいのっちのオールナイトニッポン
'03/7/23 ニッポン放送限定ユニットとして第一部を担当
イノッチ 「嬉しかったですよ。このタイトル言えるんだーみたいなね、気持ちになりましたけどね。」
現在のオールナイトニッポン・パーソナリティ
岡村 「18年前から現在まで、歴代のパーソナリティで最も長く番組を担当しているのが、我々【ナインティナイン】です」
放送5分前、スタジオ入りするナイナイの2人。放送開始。
どなり 「イノッチ!」
二人 「ナインティナインのオールナイトニッポン!」
ブース内でナイナイにインタビュー。
岡村 「ごぶさた。」
矢部 「(笑)ごぶさたですねぇ。」
一番今、最年長ということで・・・
岡村 「そうなんですよね。やらしてもらってますけど。」「怒られることが多かったですよね。オールナイトニッポン2部からやらしてもらってるんです。」
ナインティナインのオールナイトニッポン
'94/4/4 月曜 第2部スタート
岡村 「で、1部が最初、中居君の、中居正広の・・・SMAPのね、スーパーアイドルのね。そん時にあの~「中居君、お疲れ様でした」って冒頭で言わなかったって、抗議のハガキ、ファックス、えげつなかった。」
矢部 「(笑)」
岡村 「ちゃんと言えと、「中居さん、お疲れ様でした」って言うてから始めなさいってね、ファンの方に怒られましたね。」
'97/7/7 木曜 第1部に昇格
岡村 「そして1部上がったと思ったら・・・ね、それ僕らのせいじゃないですけど、福山さんが休まれて。福山雅治さんがね、やってたんですけど。福山雅治さんがちょっと休まれるということで、そこが空いたものですから、たまさか我々が2部から1部に上がったら、もう「ましゃを返して~」言うてね、ファンの方から。タクシーの窓を叩かれましたからね。知らんっちゅうねんっていう。」
「ナインティナインは、他のパーソナリティのファンだけでなく、【タレント】にも激怒されたことがある」
岡村 「これはね、あんまり外でお話ししてないんですけど。(浅草)キッドさんが、凄い怒ったんですよ。(浅草キッドさんが)来て僕の家に、「オールナイトニッポンは辞めてほしい」って、キッドさんに言われたんですよ。なんでかって言うたら、「木曜の1~3時のオールナイトニッポンというのは、殿(ビートたけし)のオールナイトニッポンや!」と。それを「西の芸人さんにやって欲しくない!」って言うて。」
矢部 「しかも若手、ペーペーですからね、まだそん時。」
岡村 「言われたんですよ。」
矢部 「凄い話や、それは。」
岡村 「でしょ。」
岡村 「まあそうやって怒られながら・・・19年ですか、やらしてもらってますので。」
矢部 「僕ら国民的スターのあとなんですよね。だからこういう問題出てくるんでしょうねぇ。」
ナイナイ以前の木曜1部パーソナリティ
桑田佳祐・ビートたけし・福山雅治
「ナインティナインの二人がデビュー前、欠かさず聴いていたオールナイトニッポンは、ビートたけしと【とんねるず】である」
岡村 「とんねるずさんはもうどっぷり聴いてましたね、オールナイトニッポンは。ハガキも送ったり・・・しましたし、読まれなかったですけど。だからそういうの、とんねるずさんみたいなオールナイトニッポンを作りたいなと思って。それを真似してこれを作って、現在に至るっていう。」
矢部さんは?
矢部 「一緒ですね。とんねるずさんで、もう・・・なんやったら知った。ラジオを、オールナイトニッポンっていうものを。中学・・・」
岡村 「中学高校・・・ちょうどだから、あの~『みなさんのおかげです』見て、ラジオで言うてたこの人はこの人なんや、みたいな。テレビ見たらわかるみたいな。」
矢部 「リンクしてるんですよねぇ。」
岡村 「テレビで見たこの人が、ラジオ聴いたらこんな人やってわかるっていう。凄い面白かったですよね、裏話とかも。だから番組の裏側とかラジオとかでね、お喋りしてるんですけどね。」
百識王がお邪魔したこの日のオープニングトークも裏話
話題は、吉本興業100年記念イベントの話
岡村 「ダウンタウンさんが舞台やらはったのね。打ち上げ会場も行ってんけど。浜田さんとはちょっとはお喋りできてんけど。松本さんとはお喋りできへんかったから、最後にちょっと・・・「次の日、朝早いんで、お先失礼します」って言ったら、松本さんが「これからも、頑張っていきましょう」って言って、一言。「頑張ります」って言うて。俺、知らず知らずに正座してたもん。」(笑)
矢部 「凄い一日やな~。」
岡村 「うん。それをフットの後藤がニヤッとして笑って。松本さんが「お前、何見てんじゃコラッ!」そしたら「いや、こんな光景見たことないんでちょっと、目に焼き付けておきました」言うて。」
とんねるずの楽屋トークの流れは、しっかりとナインティナインに引き継がれていた。
「岡村隆史は、毎週スタジオを【自宅】のようにレイアウトし、放送している」
岡村 「ラジオはもうジャージです、この・・・恥ずかしい、ほんと。あの~いつも素な感じで、やりたいので。家にいる時もスウェットやったりするし、そういうな感じでやらさしてもらってるんですよ。だからもう・・・こんなお恥ずかしい。だからこそお家にいてて・・・素の状態で言えるみたいな。」
矢部 「少女時代も置いてますからね。」
岡村 「あれも、少女時代が好きなんで少女時代のグッズを、(スタジオに)こうやって置いてあるんですよ。」
グッズを持ち込んでるんですか?
岡村 「そうです。頂いた物とか。そういうのを、飾ってるんです。」
矢部 「(笑)」
岡村 「もうずっと置いてあるもんやと思ってたら、(スタッフが)いちいち片付けてるみたいで。まあもちろんね、他のタレントさんとかパーソナリティの方とかも使われるんで。」
矢部 「それはそやなぁ。」
岡村 「だから木曜日のこの1時から3時まではこうやって、ラジオをやってます。」
テレビとラジオの違いは?
岡村 「テレビだとやっぱりあの~なんていうですか・・・」
矢部 「主旨がね、ちゃんとありますからね、テレビは。」
岡村 「あと、ディレクターのディレクションが入るんで、カットも出来るじゃないですか、テレビの場合は。でもラジオは2時間生でやらしてもらってますし、ほとんどその・・・言いたいことを言わせてもらってますよね。テレビはだから、あの~半分以上ウソです。」(笑)
矢部 「まあまあ演じてる・・・」
岡村 「岡村隆史、ナインティナインっていう・・・演じてる感じですね。」
矢部 「若い頃の方がまだ演じてましたね。声を張ったり。昔の音源聞いたらやっぱり、テレビに近い。」
放送第一回目の貴重な音源を入手
'94/4/4 月曜 第2部スタート
今から18年前、岡村23歳、矢部22歳の頃の2人の若さ溢れるトーク。
> 岡村 「どうもこんばんはー。」
> 矢部 「こんばんはー。」
> 岡村 「ナインティナインの岡村です。」
> 矢部 「矢部です。」
> 岡村 「いやーえらいことになってますねぇ。」
> 矢部 「ねぇ。」
> 岡村 「今日から、なんと、ナインティナインのオールナイトニッポン2部!始まってしまいました。」
> 矢部 「始まりました!これね、わからんと思うねんけど、漫才コンビってもう・・・一緒におんのが嫌やねん。」
> 岡村 「そうそうそうそう。仲良さそうとか思うかもわからんけど、もう仕事終わったら別々やからね、言うてみたら。」
> 矢部 「そう。」
> 岡村 「お前のその顔の横にできてるそのホクロとか、ブツブツ見てるだけでも腹立ってくんねん。」
> 矢部 「しゃあないやないかい!」
・・・
> 岡村 「というわけで、始めていきましょう!」
> 矢部 「いきましょう!」
> 岡村 「ナインティナインの」
> 二人 「オールナイトニッポン!」
放送開始当時の心境は?
岡村 「やっぱり自分らが聞いてたオールナイトニッポン・・・で、自分らがパーソナリティになるっていうね、凄いことですからね。緊張しましたね。なんかおもろいこと言わな、おもろいこと言わなって、ずーっと失敗してた。最初、(矢部は)提クレ読めなかったですからね。一発目の時。緊張で。」
矢部 「噛みましたね。これ(提供クレジット)読む時に、シーンってするんですよ。当たり前なんですけど。ここだけ邪魔したら絶対ダメじゃないですか。緊張しましたねぇ。」
岡村 「まさかと思いましたね。」
「ナインティナインのオールナイトニッポンに、ゲスト出演したイノッチに二人が付けたあだ名は【おっくん】」
岡村 「おっくんって言うてましたね(笑)欽ちゃんファミリーにおっくんっていう子がおった。」
矢部 「地味な子がいたんですよね。」
岡村 「凄いイノッチが似てたんですよ。そんで、なんかおっくんって言うてもうたんですよ。」
矢部 「そら、本人キョトンですよね(笑)」
岡村 「そらそやろなぁ。」
矢部 「いきなりおっくんって言われても。」
岡村 「もう今、とてもじゃないけどおっくんなんて言えないですよね。『百識王』やって、NHKの朝もやってね、凄いよね。イノッチね、必ず「○○じゃないですか!」って、ツッコんでくれるんで、それが凄いね、心地いいんですよ。絡んだ時に。あんまりジャニーズ、ジャニーズした顔じゃないじゃないですか。そういうところが凄い好きで。中居はね、やっぱりちょっと・・・あの~なんていうですかね、ちょっとやっぱスーパースターっぽいんですよね。イノッチとはちょっと違う。」
スタジオに戻って・・・
イノッチ 「僕も知らなかったんですよ、おっくんを。で、なんかそういう人いたなぁと思ったんだけど、まさか自分が付けられるとは思わなくて。」
イノッチ 「その当時、なんか「アイドルだから下ネタ言えないだろ」みたいな感じで、(ナイナイが)言ってたんですよ。それで事務所のみんなで相談して、「下ネタなんかいくらでも言えますよ」っていうファックスを、僕は家から送ったんですよ。したら「来いや!」って話になって、行くことになったんです。で、まあ僕らV6の上のチームのトニセンがね 面白AVタイトルでナイナイさんと競うっていう。」