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 3月19日、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、カナダなどからなる多国籍軍が「オデッセイの夜明け」と命名されたリビアに対する軍事作戦を開始した。カダフィ政権の首都トリポリやリビア軍基地を主要目標にした空爆は、巡航ミサイル・トマホークなどを使って行われ、軍部隊のみならず市民を殺傷している。

 このリビアへの軍事介入は3月17日の国連安保理決議に基づくものであった。リビアのカダフィ政権は、この安保理決議を受けて反政府派に対する「停戦」を発表したが、現実には攻撃は継続されているとして、多国籍軍は軍事介入に踏み切ったのである。しかし、17日の安保理決議の時点で、この軍事作戦の敢行は決まっていたと見るべきだろう。

リビアへの軍事介入に対してアフリカ連合(AU)は「即時停戦」を求めて反対し、中国、ロシアも「遺憾の意」を表明した。日本政府は松本外相の談話で多国籍軍による軍事作戦を支持する態度を明らかにした。他方、カダフィ政権は「十字軍による残忍で正義のない侵略行為」への徹底抗戦を呼びかけている。

 われわれは、米英仏などによる軍事介入に反対する。それは言うまでもなくカダフィを支持するからではない。カダフィは自由を求めるリビアの民衆闘争が、チュニジア、エジプトの民衆決起・独裁政権打倒に続いて大きく発展し、カダフィ政権を崩壊の寸前にまで追い詰めていった時、空爆により多くの市民を無差別に虐殺した。独裁者カダフィは、反政府勢力を「テロリスト」であり「アルカイダ一派」であるとさえ決めつけてこの虐殺を正当化した。われわれはカダフィ打倒をめざす民衆の側に立つ。帝国主義諸国によるリビア軍事介入は、リビア民衆の自由を求める革命運動をいっそうの困難に追い込むものである。

軍事介入を行った多国籍軍は「市民に対する虐殺の阻止」を大義名分に掲げている。ここには明白なダブルスタンダードが存在する。イエメンやバーレーンの政権は、自国に波及した闘いに対してリビアと同様に軍による民衆虐殺を行った。バーレーンは米第五艦隊の基地が存在する親米独裁王制であり少数派のスンニ派が多数派住民であるシーア派民衆の権利を抑圧している。そしてバーレーンの王制が湾岸諸国に民衆弾圧のための軍隊派遣を求め、サウジアラビアが軍を送りこんだとき、「バーレーンの主権」としてそれを容認したのはクリントン米国務長官だった。米国はパレスチナ民衆を虐殺するシオニスト・イスラエルを支持している。

リビアへの軍事介入を行った諸国こそ、2003年にカダフィが「大量破壊兵器計画」廃棄を宣言し、国連安保理がリビアへの制裁を解除して以後、リビアの豊富な石油資源への利権と引き換えに大量の武器を提供し、カダフィの民衆弾圧を支えてきた。カダフィ一族が蓄積した莫大な個人資産こそ、米英仏などの大資本と独裁者の癒着の証である。そしていまリビアへの軍事侵略に踏み込んだ米英仏などの目的は、アラブ全域に広がる民衆の闘いが帝国主義諸国の石油支配を揺るがし、イスラエルのシオニスト国家を脅かす状況に陥ることを阻止するためである。
 
今回の軍事介入は、リビアの民衆が自らの未来を切り開くための条件をさらに困難にするものであることは間違いない。いますぐ軍事介入をやめろ!(3月21日 K)

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リビア革命を支持する! カダフィは去れ!


第四インターナショナル書記局
 
 

2011年3月3日



 チュニジアとエジプトの革命の衝撃波は、アラブ世界、さらにそれを超えて広がり続けている。この数日間、革命的動乱の中心に位置してきたのはリビアである。事態は日をおって、時々刻々と変化しているが、現在すべてはリビア民衆のめったにないほどの動員にかかっている。幾十万人ものリビア民衆が、多くの場合素手でカダフィ独裁体制を攻撃するために決起している。多くの都市全体、諸地域が蜂起した民衆の手に落ちた。独裁体制の回答は残忍なものであった。無慈悲な弾圧、殺害、重火器と航空機による民衆への砲爆撃などである。

 現在、民衆と独裁体制の間で死をかけた闘いが行われている。チュニジアとエジプトの革命と対比したリビア革命の特徴の一つは、警察と軍事機構の分裂である。軍自体の内部で衝突が起きており、蜂起した民衆が支配している地域や都市と、独裁体制の軍部隊に基礎を置くトリポリ地域との間で地域間分裂が進んでいる。リビア独裁体制は、あまりにも多くの社会的不正と反民主主義、あまりにも多くの弾圧、あまりにも多くの基本的自由と権利への攻撃を行っている。この独裁体制を追放しなければならない。



 リビア革命は、アラブ世界全体、さらにそれを超えてイランや中国にまでいたる全過程の一部である。チュニジアとエジプトにおける革命プロセスは急進化している。チュニジアでは政府が次々に倒れている。青年と労働者の運動は、自らの闘いをさらに前進させている。あらゆる形態の旧体制の継続が疑問に付されている。憲法制定議会の要求、体制を救い出すあらゆる試みへの反対が、ますます強まっている。

 チュニジア、エジプトの両国では、死活の社会的要求を充足するための波状的なストライキの火の中で、労働者運動が再組織されている。革命的高揚は、それぞれの国によって特殊で不均等な形態を取っている。イエメンとバーレーンでの暴力的衝突、ヨルダン、モロッコ、アルジェリアでのデモなどである。イランは再び、アフマディネジャド政権に反対し、民主主義を求める闘争とデモの突発に見舞われている。



 リビア情勢が戦略的重要性を持っているのは、こうした文脈においてである。この新たな高揚はすでに歴史的変革を遂行しているが、その発展はおそらくリビアでの闘いにかかっている。カダフィが幾千人もの死者を出しながら再び状況を支配することになれば、この革命プロセスは勢いを失って封じ込められ、妨げられることになるだろう。カダフィが打倒されれば、その結果として全運動は刺激され、活性化するだろう。こうした理由から、すべての支配階級、すべての政権、アラブ世界のすべての反動的体制は、多かれ少なかれリビアの独裁体制を支持しているのである。

 米帝国主義、欧州連合、NATOが現在進行中のこのプロセスを統制しようとその策動を強めているのも、こうした文脈においてである。帝国主義者はそのスピーチの中で、進行中の革命は西側帝国主義諸国をいっそう弱める、と語っている。したがって、よくあることだが、帝国主義はかれらのいう「混乱した情勢」や「人道的破局」という口実で介入を準備し、再び状況を支配しようとしている。

 こうしたNATO諸国の目論見にだまされてはならない。かれらは進行中の革命を地域の民衆から奪い取り、とりわけ石油産出地域の支配に関して新しい位置を占めるために、この情勢を利用しようとさえしているのだ。アメリカ帝国主義によるあらゆる介入を拒否することが必要なのは、こうした根本的理由によるのである。この任務を完遂するのは地域の民衆に支援されて闘いを始めたリビア民衆の責任である。そして国際的レベルにおいてすべての進歩的勢力は、連帯と支援によってこの事業に寄与しなければならない。



 この観点から見れば、われわれはウーゴ・チャベス、ダニエル・オルテガ(ニカラグア大統領)、フィデル・カストロがとっている立場に全面的に不同意である。フィデル・カストロはリビア民衆の闘いを支援するのではなく、アメリカ帝国主義の介入の危険を非難している。かれはウーゴ・チャベスと同様に、独裁者カダフィへの支持を繰り返している。このような立場は、全世界の革命的・進歩的・反帝国主義勢力にとって受け入れがたいものである。革命を行っている民衆を虐殺する独裁者を支持することによって帝国主義に反対することなどできない。そうしたことは帝国主義を力づけるだけである。国際的レベルでの革命運動の根本的任務は、こうした革命を擁護し、独裁者ではなくこうした革命を支持することによって帝国主義に反対することである。

 われわれはリビア民衆、そして進行中のアラブ革命の側に立つ。われわれは、この革命の中で浮上している市民的・民主主義的・社会的諸権利を支持し、われわれの無条件の連帯を表明しなければならない。優先的課題の一つは、リビア民衆へのあらゆる援助――エジプトやチュニジアからの医療援助、必要とされる食料援助――を支援し、リビアとの商業的契約の破棄、すべての武器提供の中止を要求することである。われわれはリビア民衆の虐殺を阻止しなければならない。



●アラブ革命に連帯を!

●リビア民衆に支援を!

●帝国主義のリビアへの介入反対!

●リビアから手を引け!

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決議:チュニジア、エジプト:世界的広がりを持つ革命プロセス
 
第四インターナショナル国際委員会
 
2011年2月22日
 
(1)
 
 ムバラクに対するエジプト民衆のまれに見る勝利は、ベンアリ体制を倒したチュニジア革命の歴史的射程を大きく引き上げるものである。こうした民衆の勝利の衝撃波は、数日のうちに全アラブ地域に拡大し、さらに世界的な階級間の闘いに影響を与えている。デモ、ストライキ、集会、自主防衛委員会、労働組合・高校生・自主的市民組織の動員がもたらされ、それらは確固たる決意を持って国家機構、まず第一に警察と激突した。幾百万人ものチュニジア人、エジプト人は独裁者の打倒を実現する運動に突入し、かれらの革命の手綱を握り締めるために動員を継続している。
 
(2)
 
 これは社会的、民主的、国民的主権の側面を結合した永続革命の過程であり、国際的な広がりを持っている。独裁体制の残忍な弾圧や恥知らずな腐敗と結びついた世界経済危機の影響は、最も不利益をこうむる民衆階層や組織された労働者階級と中流階層、若者と高齢者、女性と男性を結びつけた。チュニジアとエジプトの大衆は、もはやかれらを片隅に追いやった経済システムを受け入れることができなかった。多くの近隣諸国と同様に、資本主義的グローバリゼーションへの統合は、雇用創出なき経済成長、前例のないほどの富の集中、地域の不均等発展、全般的な生活・労働条件の悪化をもたらした。

 この革命の主な原因の一つは、ここ数年における食料価格の爆発的高騰にあった。気候変動の急激なプロセスは、今日の世界食料危機、とりわけチュニジアなどの諸国における危機を引き起こした。さらに輸出指向型農業資本主義による土地接収という問題もあった。IMF(国際通貨基金)、WTO(世界貿易機関)、EUが押し付けた経済的自由化は、労働者の非正規化の増大、公共サービスの急激な切り捨て、とりわけ学校を卒業した若者を直撃した大規模失業をもたらした。新たな移民の可能性に対する欧州連合のさらなる国境閉鎖、湾岸王制諸国での労働市場の縮小は、貧困から逃れる展望を失わせた。

 それと並行して、全般的な社会統制を強制する警察国家を基盤とした自由と民主主義的諸権利の圧殺、対抗勢力の存在が不可能であるという状況が存在していた。チュニジアとエジプトの独裁体制は、「野党」議員を見せかけだけのマボロシとして寛大に扱い、自主的組織は抜け殻にされるか、その機能を妨げられることになった。こうしたことが、独裁体制と民衆との間に、専制的指導者とその忠実で残忍な弾圧機構の姿しか存在しないという状況を作り出した。そして権力の座についた一族の暴力的行為が、かれらの非正統性を完成させるものとなったのである。

 最後に、この二つの政権はシオニスト・イスラエル国家との協力を特徴としており、それがパレスチナ民衆の苦しみを自らのものとしていた住民の怒りをいっそう募らせることになったのである。こうした不正に直面して、近年ストライキと社会的爆発が拡大し、民衆の多くにとっての恐怖の壁を打ち倒すにはいたらないまでも経験の蓄積が可能となった。この壁は数週間で姿を消し、きわめて多くの死者が出たとはいえチュニジア民衆、そしてかれらの示した例を胸に刻んだエジプト民衆は、独裁者ベンアリとムバラクの追放まで間断なき闘いを繰り広げたのだった。
 
(3)
 
 こうした勝利によりアラブ地域の民衆は、計り知れないほどの尊厳を手にした。すなわち彼らが民主主義と階級闘争の政治的場に入り込み、彼らがその中に三〇年間にわたって閉じ込められてきた「専制主義かイスラム主義か」の致命的な二者択一(あるいはその結合)など、もはや存在しない、ということなのである。この地域の民衆諸階級、第一に労働者階級は、あらゆる民主主義的諸権利を主張する手段を勝ち取った。女性たちは男性と平等の権利を主張する権利を勝ち取った。労働者はより高いレベルで新自由主義の超過搾取と闘う手段を勝ち取り、イスラエル国家に明瞭に示されたこの地域への帝国主義の支配――欧州であろうと米国であろうと――の手段を広範囲にわたって深部から不安定化させている。イスラエル政府とその内部の全潮流は、西側が独裁者たちをその最後に至るまで支えるよう求めたという点で、何も間違いを犯したわけではなかった。

 アラブ地域の革命は、不正に対する全大衆の闘いの社会的解放にむけた可能性を示している。こうした動員における女性の積極的役割は、間違いない印である。それは、アラブ・ムスリム民衆の動員が原理主義への道を歩んでいるということをわれわれに信じ込ませようとする、レイシスト的でイスラム嫌悪症的ないわゆる「文明の衝突」キャンペーンと闘うことを可能にさせている。

 この力学は、全世界に影響を与えるだろう。それぞれに固有性を持った各政権が、どのようなリズムで、どのような順序で倒れるのかは想像できないにしても、それはすでにヨルダン、イエメン、バーレーン、シリア、リビア、アルジェリア、モロッコ、モーリタニアに広がった。とりわけ政権が住民を軍用ジェット機とヘリコプターで攻撃し、すでに五〇〇人以上を殺害しているリビアでは、状況は急速なエスカレーションを見せており、われわれの全面的な連帯が求められている。

 こうした革命は、第四インターナショナルが支援しているパレスチナ人の闘いにとって新しい、さらに有利な条件を作り出している。エジプト革命は、ガザ封鎖に示される人道への犯罪を俎上に載せている。こうした反応に直面したシオニスト政権は、より厳しい、より残忍な措置に出る可能性がある。このような動きを阻止するための動員を強めるべきである。

 これらの革命の力学は、イランや中国における独裁体制に対する闘いをも鼓舞している。そこでは反政府勢力が、チュニジアやエジプトで使われた調整手段――ソーシャル・ネットワーク――を出発点として採用している。それは不可避的に、先進資本主義諸国において超過搾取され、抑圧されているアラブ地域出身の移民たちの動員を鼓舞するだろう。われわれは以前にも増して、こうした人びととしっかり肩を組まなければならない。

 しかしこうしたプロセスは、労働者と若者たちが、成功の道を見いだせないまま緊縮政策といっそう大衆的に衝突している帝国主義諸国においても、いっそうグローバルな影響をもたらすことになるだろう。かれらは底辺からの革命が二一世紀において可能であることを示しているのであり、外見的には難攻不落の政権の打倒、昨日までは達成不可能に見えた陣地の奪取が可能であることを示しているのである!
 
(4)
 
 このようなプロセスの成果は、チュニジア、エジプトの双方において確かに脆弱なものであるが、本質的なことはこれからである。最近の民衆の経験にもとづいて、労働組合、自主組織におけるラディカル左派の長年の蓄積は、デモ、そして民衆地区の住民が警察の不当行動と体制側の私兵から自らを守るために必要だった時に、大衆的な発展を遂げた。チュニジアではシジブジドから大都市の民衆地区とチュニスのカスバへ、エジプトではカイロのタハリール広場からスエズ、マンスーラ、アレクサンドリアの民衆地区へ。数日前には想像もできなかった光景が見られる。ムスリムとコプト派キリスト教徒たちが相互の礼拝者を守り合っている。ブルーカラー労働者と若いネットサーファー、女性と聖職者、著述家とタクシー運転手が、ムバラクの手下が襲撃した地点に隣り合って立っている。民衆は、系統的に兵士たちに友好的な姿勢を取りながら軍を不安定化することに成功した。

 独裁者は逃亡し、権力の座にあった諸政党の指導部は大衆的圧力でその機能を止めざるをえなかった。そして民衆の動員は続いている。チュニジアでは最も腐敗した指導者が告訴され、RCD(旧与党・立憲民主連合)の資産と物資は差し押さえられ、その建物は民衆の家になった。ほとんどの政治囚は釈放された。二国の警察機構は解体されなかったとしても分解している。

政府職員たちは彼らの上司への統制を行使している。フランス外相アリヨマリ(訳注:アリヨマリ仏外相は昨年一二月休暇でチュニジアを旅行中にベンアリから多くの便宜を供与されるなど、ベンアリ政権との深い関係を指摘され辞任に追い込まれた)を称賛し、その行為を覆い隠した自国外相の辞職を勝ち取った外務省職員がその例である。多くのチュニジアの知事、市長、当局者たちは辞任せざるをえなかった。チュニジアの大衆は、新たに着任したフランス大使が敵対的声明を発するや、彼の追放を要求するまでになっている! 多くの臨時雇いの公務員は安定したポストを与えられ、チュニジアの最も腐敗した企業リーダーたちの資本は国有化された。エジプトでもこうしたプロセスが進行中である。公務員は一五%の賃上げを勝ち取り、新政権による脅しにもかかわらず多くの労働者のストライキが発展している。
 
(5)
 
 もちろん支配階級は茫然自失のままでいるわけではない。かれらは革命的プロセスに向かい合う中で、ますます行動的になるだろう。チュニジアでは、軍の「中立性」とベンアリの追放は、ベンアリ政権の首相だったガンヌーシと多くのRCD指導者が権力を維持することで相殺され、野党政治家や主要労組であるUGTT(チュニジア労働総同盟)の幾人かが入閣することで正統性を帯びるにいたった。こうした動きへの拒否と民衆動員は、RCD執行部の中で首相だけが入閣する第二次内閣を強制する力となった。しかし新政権はフランス帝国主義の執行官のアドバイスを受け、チュニジア人資本や軍とともに、労動者たちに「以前のように」仕事を再開するよう納得させるために全エネルギーを使っている。それは六カ月以内の総選挙という声明だけで、幕間を終わらせるという問題である。

 エジプトでは、拷問の責任者であることが明白で、イスラエルの友人であり、CIAの手先として悪名高いスレイマンを内相にするという脅しを行い、「移行期」を確実なものしているのは直接に軍部である。ここでも民衆は、数カ月のうちに選挙を行うという約束と弾圧の再開という脅しの下で、観光と投資の継続を可能とするために理性的になるよう呼びかけられている。

 何が起きているのか分からず、ベンアリを支持して事態をいっそう悪化させたサルコジ政権とベルルスコーニ政権は、いまや欧州連合の先頭に立ってビジネスの復活と警察による移民の阻止を要求している。アメリカ帝国主義のオバマ政権は、はるかに柔軟である。米国はエジプトの運動がコントロールされたものになると予見せず、それと部分的に同調するふりをしている。しかし軍司令官と米国との密接な連携は、エジプトの革命プロセスに恒常的な脅威としてのしかかっており、米国はパレスチナのガザとの国境線の閉鎖を続けるよう要求するだろう。そして国際機関はスエズ運河の通航に関する保障と現代資本主義の基本原則――いかにそれが不正なものであろうとも国家債務の支払い、外国資本と物資の完全な開放、規制緩和の継続――の尊重を求めるだろう。
 
(6)
 
 このプロセスの中で、あらゆる民主主義的諸権利と自由、すなわち自由な言論の権利、ストライキの権利、デモの権利、市民社会の諸組織(アソシエーション)・労働組合・政党の複数主義、大統領制の清算と革命的臨時政府の導入を確立するために一掃しなければならないのはシステム全体である。今日、憲法制定議会のための自由選挙のプロセスを開始することが必要である。それが寡頭支配の新体制によって奪われないために、このプロセスは住民の中で登場している民衆委員会、調整委員会、評議会を基盤にしたものでなければならない。

このプロセスにおいて反資本主義派は、帝国主義と資本主義の論理と決別した綱領の中心的要求を擁護するだろう。すなわち民衆的諸階級の死活的要求の充足である。それはパン・賃金・雇用、根本的な社会的ニーズを基盤とした経済の再組織化、無料で適切な公共サービス(教育、保健)、女性の諸権利、失業・健康・退職にむけた社会的保護の拡大、根本的な土地改革、銀行と経済の中心部門の社会化、債務帳消し、民族的・民衆的主権である。労働者と住民のためのこの政府綱領は、チュニジアにおいて労働者左翼同盟によって提起されている。それは、ガンヌーシ政権を拒否しすべての民主主義的自由、憲法制定議会、そしてすべての基本的ニーズの充足のために闘っている左翼諸組織を結集している一月一四日戦線の構成要素である。この綱領は、エジプトで現在進められている革命家の再結集の中でも擁護されている。
 
(7)
 
 チュニジアとエジプトの民衆、そしてアラブ地域のすべての民衆は、民主主義的自由のための闘いにおいて、依然としてわれわれの連帯を必要としている。かれらは帝国主義の支配から解き放たれるために、われわれのいっそうの動員を必要としている。旧政権の対外債務の不払い、独裁者の持ち物と金融資産の返還、国際資本主義の圧力に抗して民衆の国民的主権の擁護、軍事・治安・移民部門などで旧政権が調印した国際協定の取り消しが必要である。全世界の革命家にとって、進行中の革命プロセスを打ち固める支援、民衆が関与する自主的組織化への支援のために、あらゆる可能な労働組合、民衆組織、市民社会組織、反資本主義諸組織との連携を作り出すことが不可欠の課題である。現在進行中のアラブ地域の革命は、われわれの闘いなのである!



 われわれはすでに次のようなイニシアティブを支持している。

――世界社会フォーラム・ダカールの社会運動総会で発せられた、三月二〇日(二〇〇三年のイラク侵攻の日)のアラブ地域の革命への世界的連帯の日とするアピール。

――LGO(チュニジア労働者左翼同盟)が呼びかけた、三月二五日から二七日までチュニスで開催されるアラブ地域革命組織会議。

――五月七日、八日、NPA(仏反資本主義新党)が呼びかけマルセイユで開催される地中海反資本主義会議。

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 2月25日、リビアでは首都トリピアをめぐる攻防が激しさを増し、治安部隊による無差別射撃によって多くの人の命が奪われている。2月24日のリビア大使館前抗議行動に続き、2月26日午後4時から、在日リビア人が「カダフィは虐殺をやめろ リビアに自由を!」求めるデモを代々木公園から渋谷駅まで行った。参加者はリビア人を中心に200以上を超えた。

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 デモにあたって、リビア人留学生が「リビアで信じられないことが起きている。虐殺は歴史に残るだろう。リビア人はリビアのために一丸となって闘っている。リビアで闘っている同胞たちを励ましたい。3日ぶりに兄と電話がつながり、兄は『今までのリビアではないみたいになっている。トリポリで外にいれば撃たれる。家にいても銃声が聞こえる。実家から3分の所で若者が撃たれて殺された』と語っていた。今、カダフィに反対して、虐殺されても命をかけてリビアを変えていこうとしている。未来を作ろうとしている。多くの人が声をあげれば、必ず変えられる。日本政府も声をあげてほしい」と訴えた。

 多くの若者たちが溢れる渋谷の街を「リビアに自由を」「虐殺をやめろ」「カダフィに裁きを」とシュプレヒコールをあげアピールした。街行く人々も、「日本でもリビアのこと訴える人がいるんだ」と関心を示した。デモ後、主催者は今後も行動を続けたいと訴えた。

(M)

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2月23日、在日リビア人など100人 
在日リビア人民局(大使館)前で
カダフィの退陣と民衆への虐殺の即時中止を求めて行動

 

 リビアはカダフィの独裁が四一年も続いていたが、チュニジア・エジプト革命に触発されて、二月一五日、東部のベンガジで人権活動家の釈放を求めるデモが行われた。これに対して、治安部隊による発砲によって一〇人が死亡した。東部の動きはまたたくまに首都トリポリまで広がり、二月二一日には戦闘機やヘリによる無差別虐殺が行われ二五〇人が死亡したとされる。すでに、東部地区では軍隊が民衆側について、街の自主管理が始まった。さらに、治安担当相の辞任や国連次席大使など各国大使の離反が起きている。まさしく、民衆とカダフィによる「内戦」状態に突入した。

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 こうした事態に対して、亡命説も流れたカダフィは二月二二日、テレビを通して「リビアを離れない。血の一滴もまで戦う。天安門事件のようにデモをたたきつぶす」と、民衆の決起をあくまで、武力で鎮圧することを声明した。

 リビア情勢が重大な局面に立っている二月二三日、午後四時から五時まで、渋谷区代官山にある在日リビア人民局(大使館)前で、在日リビア人など一〇〇人がカダフィの退陣と民衆への虐殺の即時中止を求めて行動を行った。在日リビア人は留学生を中心に日本全国から参加した、さらにチュニジア人、トルコ人、パレスチナ人なども加わった。日本人も数十人が参加。

 住宅街の奥まった所にあるリビア大使館前には数人の日本の警察官がいるのみで、事実上機能停止にあるのか、リビア大使館からの対応は一切なかった。

 アラビア語、英語、日本語で「カダフィに法の裁きを!」「虐殺をやめろ」「人権を尊重しろ」「国連よ!目を覚ませ!」「リビアに自由を!」「殺害をやめろ」「死者のことを忘れない」「リビアよ 共に戦うぞ」、と何度も何度もコールを行った。

 最後に、声明文を三カ国語で読み上げた。「リビアと共に闘うぞ。今日、リビア全国からの留学生が日本全土から集まった。虐殺をやめるべきだ。沈黙している世界へ。沈黙は許されない。自分たちは四〇年間沈黙してきた。今や変革のとき、革命のときだ。チュニジアから始まりエジプトにまで至った。カダフィ政権との闘いはもう少しで勝てる」。

 「私たちはリビアに残した家族の安否が確認できていない。虐殺をやめさせて下さい。カダフィの言っているように、民族・宗教がからんだ内戦は起こらない。なぜなら、全員がリビア人だからだ。死者は六〇〇人と言われている。まだまだ死者が出るだろう。命を救わなければならない。今後も抗議活動を行っていく」。

 行動の最後に、死んだ仲間のために黙祷が呼びかけられた。そして、カダフィの写真を地面に置き、それを踏みつけながら流れ解散した。二月二六日(土)、午後四時から、代々木公園に集まり、渋谷のデモを行うと、呼びかけられた。

(M)

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NPA(仏反資本主義新党)第2回大会に参加した諸組織の声明
 
                      2011年2月11日 
 
v 

ベンアリとムバラクの打倒は、マグレブ(サハラ以北の北アフリカ地域)だけではなく国際規模で政治情勢を変化させている。

米国と欧州帝国主義が数十年にわたって支援してきた独裁体制を終わらせた民衆革命は、すべてのアラブ民衆に自信を取り戻させ、この地域の帝国主義とシオニストの秩序に破滅的な打撃を与えている。

ヨルダン、イエーメン、イラク、アルジェリア、そしてパレスチナの人びとは、すでに街頭に出て政治的変革を求めている。

こうした革命は、国際経済危機ならびにIMFと世界銀行の指令に直接的影響を及ぼしている。この指令は、すでに数十年にわたって社会的不公正と腐敗に満ちた政策をこうむってきた民衆に厳しい社会的攻撃と貧困化を強制するものだった。

この二つの革命は、独裁を打ち破る民主主義的要求に道を開いただけではなく、かくも多くの不正の原因である資本主義経済システムへの疑問を引き起こしている。

帝国主義はこの地域での自らの位置を守り、すでに作動している反帝国主義的発展とその伝播を押しとどめるために、あらゆることをやっている。

それは、自らの国で反帝国主義と社会主義への道を切り開こうと望んでいるチュニジアとエジプトの民衆にとって、全世界の反帝国主義運動、社会運動と労働組合運動の革命家たちからの連帯と積極的な支援が必要であることを意味する。われわれすべてはそれぞれの国、それぞれの地域において、こうした連帯運動、とりわけすでに国際機関や資本家集団たちが発動している攻撃と闘うことに責任を持っている。かれらは新たに姿を現した革命の社会的・経済的深化を阻止するために、そしてこの素晴らしい模範を債務やIMFの要求に対決する動員を図るために活用する試みを阻止するために攻撃を開始しているのだ。
 
チュニジアとエジプトの革命万歳!
 
国際連帯を!


追記:世界社会フォーラム(WSF)ダカールの社会運動総会は、3月20日を世界規模の連帯デーとするアピールを発表した。
 
 

署名組織

チュニジア:チュニジア労働者左翼同盟、PCOT

イラク:イラク自由会議、共産主義者連合―イラク

イングランド:社会主義労働者党、カウンターファイヤー

ベルギー:LCR―SAP(革命的共産主義者同盟―社会主義労働者党)

ポルトガル:左翼ブロック

コルシカ:A Manca

イタリア:批判的左翼

スペイン:反資本主義左翼、POR(革命的労働者党)

カタルーニャ:En Lluita(闘争)

エウスカディ(バスク):Askapena

アイルランド:社会主義労働者党

ポーランド:PPP(ポーランド労働者党)

ギリシャ:SEK、DEA

フランス:NPA(反資本主義新党)

米国:ISO(国際主義労働者組織)

カナダ:新民主党・社会主義コーカス

メキシコ:PRT(労働者革命党)

マルティニク:GRS(社会主義革命グループ)

ベネズエラ:マレア・ソシアリスタ

ブラジル:PSOL(社会主義と自由党)

アルゼンチン:MST(労働者社会主義運動)

ペルー:PRT(労働者革命党)

インドネシア:KPRM―PRD(民主人民党―貧困者委員会)、PRP

スリランカ:NSSP(ナバサマサマジャ党)

韓国:進歩新党、21世紀韓国調査研究所、民主労働党パリ委員会

オーストラリア:社会主義連盟

レユニオン:NPAR(レユニオン反資本主義新党)

スイス:MPS

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 2月11日、ついにエジプトの独裁者ホスニ・ムバラクは30年にわたる大統領職を辞任し、紅海に面した保養地シャルムエルシャイクに身を隠した。前日の10日、事前の情報では辞任と報じられていたものの、TV演説では「即時辞任」を拒否したムバラクに対する民衆の怒りは頂点に達していた。

 2月1日、4日につづき11日にカイロのタハリール広場は数十万にのぼる民衆で埋め尽くされていた。スレイマン副大統領の演説で「ムバラク退陣」が明らかになると、民衆の怒りは歓喜に変わった。人びとは肩を抱き合い、国旗をうちふり、この闘いが始まった1月25日には想像することもできなかった独裁者打倒の歴史的事件の喜びを分かち合った。「自由になった。われわれが勝った!」。

 私たちもまた、この勝利を勝ち取ったエジプトの民衆に心からの連帯のあいさつを送る。そして同時にこの勝利が1月25日以後だけでも治安部隊の弾圧によって二百人に達する死者を生み出したことを決して忘れないだろう。

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▲ムバラク辞任の報に歓喜に沸くタハリール広場


 しかし、エジプト民衆が真の自由を勝ち取るためには、いまだ多くの難関が待ち受けているに違いない。何よりもムバラクの辞任後、全権を掌握したのは軍最高評議会である。これは超立憲的事態である。そして、民衆の闘いを鎮静させるためにムバラクの退陣に向けて圧力をかけてきた米国やEUなど帝国主義諸国は、ただちに軍の政権掌握を歓迎する態度を明らかにしている。米国はエジプトが中東戦略の要衝であり続けることを強く期待している。こうした状況の中で全権を掌握した軍最高評議会は、「すべての国際条約を今まで通り守る」と声明し、イスラエルのパレスチナ占領支配にエジプトが協力する立場を明らかにしている。

 このような経過全体からして、今回の「ムバラク辞任」が米国やEUなど帝国主義諸国に支援された「古典的な軍のクーデター」だという評価も出されている(カイロ発AP電、ジャパンタイムス2月13日付)。そしてこの軍の暫定政権は、民衆運動があらたな段階に発展するとき、武力弾圧に打って出る可能性に十分な注意をはらう必要がある。
 
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 ベンアリ独裁打倒を実現したチュニジアの労働者民衆は、旧政権残党の一掃を通じて民主的・社会的革命の水路を歩んでいる。チュニジアで燃えさかった革命の炎は、エジプトの独裁者を追放した巨万の民衆決起へとつながった。今、その炎はヨルダン、イエメン、アルジェリアなど中東・北アフリカ全体に広がり、欧州、北米、アジアでも連帯の広がりを見せている。2月上旬、西アフリカ・セネガルのダカールで開催された世界社会フォーラムでは、チュニジア・エジプトの民衆革命の発展への連帯の声がこだまし、ATTACチュニジアの仲間は満場の歓呼で迎えられた。

 すでに3月20日をチュニジア・エジプト民衆への「連帯デー」とする行動呼びかけが発せられている。チュニジア、エジプト、そして北アフリカ、パレスチナを始めとする中東の労働者民衆が直面する新たな試練を乗り越えるためには、国際的連帯の力が不可欠なのだ。グローバル資本主義の深まる危機の中で、帝国主義と植民地主義の支配を突破する道を切り開きつつある北アフリカ・中東の民衆とともに闘おう!

(2月13日 K)

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インターナショナル・ビューポイント IV Online magazine : IV433 - February 2011

 エジプト情勢のスリリングな展開の説明に資するために、二月四日にファルーク・スレーリアがすぐれたアラブ学者・活動家のジルベール・アシュカルにインタビューした。
http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1985

――二月一日にムバラクが行った次の選挙に立候補しないという確約は、運動の勝利を示すものだと思いますか。それとも、翌日タハリール広場にいたデモ参加者が親ムバラク勢力に暴力的に襲撃されたことに示されるように、大衆を鎮静化させるためのたんなるトリックなのでしょうか。

 エジプトの民衆的な反体制運動の高揚は二月一日に最初の頂点に達し、その夜のムバラクの譲歩声明を引き出しました。それは民衆の抗議の力を認識したためであり、野党勢力と交渉する政府の意向を示した声明で示されたように、独裁者の側の明白な後退です。これらは、まさしくこうした権威主義的体制の重大な譲歩であり、民衆動員の重要性を証拠づけるものでした。ムバラクは、昨年の議会選挙での不正行為に対する現在の法的調査をスピードアップするとさえ確約しました。

 彼ははっきりそう述べましたが、それ以上のことをしようとはしていません。軍を自分の側にしっかりと立たせた上で彼は大衆運動を鎮めようとしており、ムバラクに政治システム改革を訴えている西側諸国もそうです。彼は、辞任という点を除けば、エジプトの抗議運動が一月二五日に始まった時に最初に定式化した中心的要求項目の一部を受け入れました。しかし運動はそれ以後ラディカル化し、ムバラクの辞任を外したいかなる要求も満足できるものではないという点にまで達し、運動に参加する多くの人びとは彼を裁判にかけることまで要求しました。

 さらに体制のあらゆる機関が今や運動によって正統性を欠いたものとして非難されています――行政機関とともに立法機関、つまり議会も非難されているのです。その結果、野党勢力の一部は、制憲議会選挙を主催するために憲法裁判所長官を暫定大統領に任命するよう求めています。別の者は、野党勢力の全国委員会がこの移行期を監督することまで望んでいます。もちろんこうした要求は、ラディカルな民主主義的展望を構成するものです。こうした全面的変革を強制するためには、大衆運動が体制の根幹である軍を解体、あるいは不安定化させる必要があります。

 

――エジプト軍はムバラクを支援しているのですか。

 エジプトは、パキスタンやトルコのような類似の諸国よりも、本質的なところでは文民的外観を持った軍事独裁なのです、この文民的外観も軍出身者によって作られています。問題は、ムスリム同胞団をはじめとするエジプトの反政府派のほとんどが、軍とその「善意」とは言わないまでも表向きの「中立性」という幻想を織り上げていることです。かれらは軍が誠実な仲介者だと描き出してきました。

しかし制度としての軍は、まったく「中立」ではありません。軍がいまだ運動を弾圧するために利用されていないのは、ムバラクとのその幕僚たちが、そうした方法に訴えるのは適切ではないと考えてきたというだけの理由によります。おそらくかれらは、兵士たちが弾圧に乗り気にならないことを恐れたのでしょう。体制側が、抗議運動に対して軍ではなく、仕組まれた対抗デモとゴロツキによる襲撃に依拠したのはそのためです。政権は、市民間の衝突を作り出してエジプトが二つの陣営に引き裂かれていると見せつけ、軍がこの情勢の「調停役」として介入することを正当化しようとしているのです。

 もし政権側がかなりの対抗的運動を動員して大規模な激突を引き起こすことになれば、軍は一歩踏み出し、ムバラクの確約が実行されるよう約束しながら「ゲームは終わった。みんなすぐに家に帰れ」と語るでしょう。多くの識者と同様に、私はこの二日間、こうした策略が抗議運動を弱めることに成功するのではないかと恐れてきましたが、今日(二月四日)の「追放の日」の大動員で取り戻しができています。軍は民衆決起にたいしてさらに重要な譲歩をすることが必要となるでしょう。

――あなたが野党と言う時、どのような勢力がふくまれているのでしょうか。もちろん、私たちはムスリム同胞団やエルバラダイについては聞いています。左翼勢力や労働組合といった別の勢力もいるのでしょうか。

 エジプトの反対派勢力には広範な隊列が含まれています。ワフド党などの諸政党があり、これらはリベラル野党と呼ばれるものを構成しています。それからムスリム同胞団が占めるグレーゾーンがあります。ムスリム同胞団は合法的地位を持ってはいませんが、政権によって寛大に取り扱われています。その全組織構造は目にすることができるものであり、地下勢力ではありません。

 ムスリム同胞団は、たしかにこれまでのところ野党の最大勢力です。ムバラク政権が米国の圧力により、二〇〇五年の議会選挙で野党に一定のスペースを与えた時、「無所属」として立候補したムスリム同胞団は、あらゆる障害にもかかわらず八八人の議員を当選させ、全議席の二〇%を獲得しました。ムバラク政権が二〇〇五年に開いた限定されたスペースを閉じる決定を行った後、昨年一一月と一二月に行われた直近の選挙では、ムスリム同胞団は一人を除いてすべての議席を失い、議会からはほとんど消え去りました。

 左翼の中で最大のものはタガンマア党で、かれらは合法的地位を享受して五人の議員を持っています。かれらはナセル主義の遺産に言及しています。その隊伍の中では共産党員が抜きんでた存在でした。同党は基本的には改良主義左翼政党であり、政権への脅威とは見なされていません。それどころか、いくつかの場合においてきわめて体制に従順でした。エジプトには小さいけれども活力のある左翼ナセル主義者やラディカル左翼も存在しており、かれらは大衆運動にきわめて強く関わっています。

 それからキファーヤなどの「市民社会」運動があります。キファーヤは二〇〇〇年のパレスチナ第二次インティファーダへの連帯運動を主導したさまざまな反対派勢力の活動家たちの連合です。かれらはその後イラク侵略に反対し、後にムバラク政権に反対する民主主義キャンペーン運動として有名になりました。

エジプトでは二〇〇六年から二〇〇九年にかけて、いくつかのきわめてすばらしい大衆的労働者ストライキをふくむ産業労働者の行動が広がりました。社会的急進化の結果として生まれた直近の一、二の例外を除けばエジプトには独立労組が存在しません。労働者階級の多くは、自主的代表や組織がもたらす利益を持っていません。労働者に連帯する二〇〇八年四月六日のゼネストの呼びかけの試みは、四月六日青年運動の結成をもたらしました。こうした自主的組織(アソシエーション)やキファーヤは、キャンペーンを軸にしたグループであり政党ではありません。そしてこれらは、どの組織にも所属していない活動家とともに、さまざまな政治組織に加わっている人びとを含んでいます。

 エルバラダイがIAEA(国際原子力機関)事務局長としての三期目の任務を終えて二〇〇九年にエジプトに帰ってきた時、二〇〇五年のノーベル平和賞受賞者である彼の名声によって、リベラル派と左派の連合が彼を中心に結集し、ムスリム同胞団は消極的な留保の立場をとりました。野党の多くは、エルバラダイを国際的評価とコネクションを持った強力な候補であり、したがってムバラクあるいは彼の息子に対する信頼できる大統領候補だと見なしたのです。こうしてエルバラダイは、反対派の多くを結集し、政治勢力と個人の再編を進めうる人物になりました。かれらは、変革のための全国協会を結成しました。

 こうした勢力の全隊伍が、現在の決起に参加しています。しかし、街頭を埋めた民衆の圧倒的多数はどのような政治組織にも属してはいません。それは、専制的体制の下で暮らしてきた巨万の大衆の怒りの噴出であり、まとわりつく失業の中での食料、石油、電気など基礎的必需品価格の急激な高騰に示される、経済的条件の悪化によって培養されたものです。こうした事態はエジプトだけではなく中東地域のどこでも同様であり、チュニジアで始まった反乱の火が多くのアラブ諸国にこれほど速やかに広がったのはそのためです。

――エルバラダイは本当に人気があるのでしょうか、それとも彼は、体制を保持しつつその顔を変えようとする、エジプト人の運動にとってのミール・ホセイン・ムーサヴィ(訳注:イランの元首相で二〇〇九年の大統領選挙に改革派として立候補)にどこか似通った存在なのでしょうか。

 最初に、私はあなたが述べられたようなムーサヴィの性格づけには同意しません。確かにミール・ホセイン・ムーサヴィは、その言葉が社会革命を意味するのならば「体制の変革」を望んでいませんでした。しかし、そこには明確に、パサダラン(革命防衛隊)とアフマディネジャドに代表される勢力と、ムーサヴィが代表するリベラル改革派的展望で合体した別の勢力が先頭に立つ、権威主義的社会勢力間の激突が存在していました。それは政治的統治のパターンという意味において、実にある種の「体制」に関する衝突だったのです。

 ムハンマド・エルバラダイは、彼の国エジプトを、現在の独裁から自由選挙・政治的自由を持った自由民主主義体制に移行させようと願う真のリベラル派です。かくも広範な政治勢力の隊伍が彼と協力しようと願うのは、エルバラダイは現存体制に対する最も信頼しうるオルタナティブであり、彼は彼自身の組織された選挙民に命令したりするような人物ではなく、したがって民主主義的変革にふさわしい表看板だと、かれらが考えているからです。

 あなたのアナロジーに立ち返るならば、エルバラダイを、イラン政権の一員であり一九七九年のイスラム革命を指導した男の一人だったムーサヴィになぞらえることはできません。ムーサヴィは、二〇〇九年の大衆的抗議運動の指導者として登場する以前からイランに彼自身の追随者を持っていました。エジプトでは、エルバラダイは同様な役割を果たすことができないし、そのように振る舞うふりをすることもしていません。彼は諸勢力の広範な隊伍から支持されていますが、誰も彼を指導者としては見ていません。

 はじめのうちムスリム同胞団がエルバラダイに対して保留的態度を取っていたのは、エルバラダイが宗教的志向を持たず、かれらの嗜好からすれば余りにも政教分離的色彩が強いという事実と部分的に関係しています。さらにムスリム同胞団は、何年にもわたって政権との間で不明瞭な関係を育んできました。彼らがエルバラダイを全面的に支援するならば、きわめて長い期間にわたって取り引きしてきたムバラク政権との交渉の余地を狭めてしまいます。政権は社会・文化的側面でかれらイスラム同胞団に多くのことを認めてきました。一例をあげればイスラム的検閲を強化したことです。同胞団をなだめるために政権がそうしたことをするのは、とてもたやすいことです。その結果エジプトは、一九五〇年代、六〇年代にガマル・アブドゥル・ナセルの下で確立してきた政教分離から大きく後退しました。

 ムスリム同胞団の目標は、議会選挙と大統領選挙の双方で自由選挙に参加することをかれらに認める民主主義的変革を確保することです。かれらがエジプトで再生産することを切望しているモデルはトルコです。トルコでは陸軍が政治システムの主要な支柱であり続け、民主化プロセスは軍部によって統制されたものでした。それにもかかわらず、このプロセスはイスラム主義保守政党であるAKPが選挙で勝利することを許容するスペースを作りだしました。かれらは政府打倒に熱中していません。こうしてかれらは、軍の機嫌をとり、軍の敵対をもたらすようなジェスチャーを避けるよう注意しているのです。かれらは権力の漸次的獲得戦略に固執しています。かれらは漸進主義者であってラディカル派ではありません。

――西側メディアは、中東における民主主義はイスラム原理主義者の政権獲得をもたらすという事態をほのめかしています。私たちは、長年亡命していたラシェド・ガンヌーシのチュニジアへの凱旋帰国を見てきました。ムスリム同胞団もエジプトの選挙で勝利しそうです。この点についてのあなたの意見は?

 すべての問題に立ち返ってみましょう。私が言いたいのは、宗教的原理主義がこうした空間を埋めるのは民主主義の欠如による、ということです。弾圧や政治的自由の欠如は、社会的不正の悪化と経済の低迷という環境の中で左翼、労働者階級やフェミニストの運動が発展する可能性を大きく切り縮めます。こうした条件の下では、大衆的抗議の表現の最も簡単な場は、最も手頃でオープンに使える回路ということになります。このようにして反対派が、宗教的イデオロギーと綱領に固執する勢力によって支配されることになります。

 私はこうした諸勢力が自由に自らの見解を擁護できる社会を切望していますが、それは同時に、すべての政治潮流間のオープンで民主主義的なイデオロギー競争ができる社会でもあります。中東社会が政教分離の道に戻り、一九五〇年代、六〇年代に広がっていた宗教の政治的利用への民衆的批判・不信に立ち返るためには、長期にわたる民主主義の実践によってのみ可能となる、ある種の政治的教育を獲得することが必要です。

 そうは言っても、宗教政党の役割は国ごとに違っています。確かにラシェド・ガンヌーシはチュニス空港に到着したとき数万人もの民衆に歓迎されました。しかし彼のナフダ運動のチュニジアでの影響力は、エジプトでのムスリム同胞団よりもはるかに小さいのです。もちろんこれは部分的には、アルナフダが一九九〇年代以来厳しい弾圧を受けてきたためです。しかしそれは、チュニジア社会がエジプトよりも宗教的原理主義思想への傾斜が少ないためでもあります。それは西欧化と教育の度合いが高いためであり、またこの国の歴史によるものです。

 しかしこの地域全体を通じて、イスラム主義政党が現存体制に反対する主要勢力になったことは疑いないことです。三〇年以上にわたって優勢になっていた風向きを変えるには長期におよぶ民主主義の経験が必要でしょう。オルタナティブへの教訓となるのはアルジェリアのシナリオです。アルジェリアでは選挙のプロセスが一九九二年の軍事クーデターによって妨げられ、アルジェリアが依然としてその対価を支払っている破滅的な内戦をもたらしました。

 ここ数週間のアラブ民衆の目を見張るような民主主義的大望の大波は、きわめて励ましとなる出来事です。チュニジアでもエジプトでもどこでも、民衆の抗議は宗教的綱領によるものではなく、主要に宗教勢力によって指導されたものでもありませんでした。これらは民主主義的運動であり、民主主義への強い意思を示したものです。中東諸国での世論調査では、ムスリム諸国と民主主義は「両立しない」という通常の「オリエンタリスト」的偏見とはうらはらに、長年にわたって民主主義が価値として高率の支持を集めています。現在進行している事態は、自由を剥奪されたあらゆる人びとは、かれらがどのような「文化的領域」に属していようとも、ついには民主主義を求めて立ち上がるということを、再び立証するものです。

 将来における中東の自由選挙において誰が立候補し、誰が勝利しようとも、民主主義への要求がきわめて強まった社会に直面しなければならないでしょう。どのような政党――その綱領がどのようなものであれ――であれ、こうした大望をハイジャックすることはきわめて難しくなるでしょう。私はそうした策謀が不可能だと言いたいのではありません。現在の出来事の主要な成果の一つは、民衆の民主主義への大望が勢いよく押し上げられたことです。それは、左翼がオルタナティブとして自らを再建する上で理想的な条件を作り出しているのです。

 

▼ファルーク・スレーリアは著名なラディカル派ジャーナリストで、パキスタン労働党(LPP)の指導的メンバー。LPPのブックレット『政治的イスラムの高揚』の著者で、タリク・アリ著『原理主義の衝突』ウルドゥ語版訳者。

▼ジルベール・アシュカルはレバノン出身でロンドンのオリエント・アフリカ研究スクール政治学教員。彼のベストセラー『野蛮の衝突』(邦訳・作品社刊)の増補改訂版が二〇〇六年に刊行された。ノーム・チョムスキーとの中東問題に関する対話‘Perilous
Power’(『危険なパワー』)、彼は’The 33-Day War: Israel’s War on
Hezbollah and It’s Consequence’

(「レバノンでのイスラエルの対ヒズボラ33日間戦争とその結果」)の共著者。彼の最新の著書は’The Arabs and the Holocaust: Arab-Israel War of Narratives’
,Metropolitan Books, New York, 2010.

 

(「インターナショナルビューポイント」2011年2月号)
 

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インターナショナル・ビューポイント-IV Online magazine : IV432 - January 2011

チュニジア――革命は進行している
 http://www.internationalviewpoint.org/spip.php?article1978
 

アトールフォ・リエラ

 
 ベンアリ政権の崩壊に続く一週間を通じて、彼の党であるRCD(立憲民主党)の解散を求めるデモがますます頻繁に繰り広げられ、チュニジアのすべての都市で党事務所への侵入・徹底捜索がなされるまでに至っている。大衆の圧力の下で、同党は事実上自ら解散したが、その主要なカードルたちは依然として行政、生産、警察、そしてもちろんのこと政府のレベルで国家機構の中心的位置を保持したままである。
 
 

弱体化した暫定政権
 
 

 チュニスでのデモには、昨年一二月に反乱が始まったシジブジドを含む国内の中部から、暫定政権打倒を求めてキャラバンを組んでやってきた幾千人もの失業青年たちが加わった。

幾千人ものデモ参加者たちは夜間外出禁止令をはねのけ、恒常的に街頭を占拠している。ここにはまがうことなき時代のしるしが存在する。軍や警察の指揮官はかれらに丁重に解散を求めているが、それはムダなことである。

 一月二一日の金曜日、ムハンマド・ガヌーシ首相はこうした圧力によってますます困難に陥り、選挙の後に政治の場から退くと約束したが、それはベンアリが倒される直前に行ったことと同じだった! また彼は、反テロ法や報道基準などすべての反民主主義的法律を法令集から除去すると声明した。野党は合法化された。また刑務所内での反乱に直面して幾千人もの囚人が特赦となった。しかしこれでは不十分だ。街頭の大衆は、根本的かつ即時の変革を求めている。そしてファティ・チャムキ同志が強調しているように(本紙一月二四日号掲載記事参照)、今日、正統性は街頭にあるのであって制度の中に存在しているのではない。

 こうした中で暫定政権は、学校と大学の再開を一月二四日の月曜日に決定したが、小学校教員組合総連合はただちに「政府打倒」までゼネストを行う呼びかけを発した。同労組は「われわれ民衆の要求への責任の完全な履行とは、現在の政権をベンアリ体制の継続であると見なして打倒することを意味する」と再確認し、「われわれ民衆の敵を排除した暫定政権の形成」を求めている。

 実際、チュニジア民衆の多数――かれらはユーモアを持って「われわれはアリババを追放したが四〇人の盗賊はまだ残っている」と昔話を思い起こしている――にとって、一つのことが明らかである。依然として要職にあるベンアリ体制の政治家を「国民統一政権」だけからではなく、完全に追放しなければならない。かれらはこの場から消え失せなければならないし、かれらの中の最も罪深い連中の犯罪を裁き、有罪判決を言い渡さなければならない。さらに事態がそこにとどまらないことは言うまでもない。大衆は深部からの変革、すなわち民主主義的変革のみならず、経済政策、国の富への統制と分配における社会的変革を求めているのだからである。

 ブルジョアジーは、帝国主義、とりわけフランスとアメリカの支援を受けて模様替え作戦を絶望的に試みている。現在、西側諸国では、資本主義メディアは、みずから長きにわたってその犯罪を隠ぺいしてきた専制支配者を嘲笑している。ベンアリと彼の妻は、今や独裁体制が実業から受けてきた支援から目をそらせるためのスケープゴートとして使われている。そしてチュニジア民衆から勝利の果実をだまし取るために、後ろ暗い策謀を弄している。こうしたやり方で、とりわけ「市場」がダンスを始めたのである。一人の独裁者に対しでだけではなく彼の新自由主義政策に対して反乱するという、耐えがたいまでの大胆不敵さを持つ大衆に対して、チュニジアへの神聖不可侵の「格付け」に下方修正を施し、罰を加えようとしている。大衆の動員が続く限りこうした企ての危険性は残りつづけるし、情勢はきわめて不安定でありつづけるだろう。

 
労働者管理
 

 一月二二日、二三日のデモの中で、聞いたこともないことが起こった。二〇〇〇人の警察官――その一部は赤い腕章をつけていた――がデモ参加者と一緒に歩き、デモに加わったのである。しかし、ここ数週間にわたる恐るべき弾圧の後では、民衆にとってそれが自己弁明と名誉回復の目論見に見えたことは明らかだった。それは政治意識の発展の真のプロセスが進んでいるようにも見える。こうした警察官たちは労働組合の創設を求めており、そのうちの一人はちょっとの間ではあったが、「われわれも労働者だ。すべての人びとのための革命を。われわれも権利を求める。とりわけ賃上げだ」と語った。

 それほど「目立つ」わけではないが、疑いなくもっと根本的なことがある。国営企業と省庁、中央行政機関の従業員や公務員が彼らの職場を占拠し、指導的立場にいた連中――そのほとんどが悪名高いRCD(立憲民主連合、ベンアリ与党の党員)――の、追放・解雇を要求している。幾つかの場合、この要求は全国社会保障庁、スター保険会社、BNA銀行などで成功裏に実行され、これらの事業体・企業の経営者は労働者のヤジを浴びて追放された。

 労働者管理の形態も発展している。とりわけ企業の帳簿に関してであり、それはベンアリ体制と結びついていた多くの経営者の腐敗を暴露するためである。中央国税庁の従業員は管理責任者の辞職を要求し、エリートたちの脱税を調査するために帳簿を管理下に置いている。

 人口の約七〇%が都市住民である国において五〇万人の組合員を擁し、デモにも多くの活動家が参加しているチュニジア労働総連合(UGTT)の役割は、一般組合員、そして左派によって掌握されているおかげで、このプロセスにおいてますます中心的要素として現れている。旧体制と結びついていた官僚指導部は脇に追いやられ、暫定政権からUGTTの閣僚が辞任させられた後、労働組合の一般活動家は、公式に暫定政権の辞任を支持する立場を取り、この要求を支持して反対派政治勢力による「革命政権」のための連続ストを呼びかけるよう指導部に圧力をかけた。
 

すべての権力を革命的民衆に 労働者政府のために
 

 職場における自主防衛、供給、労働者管理の委員会を通じて、二重権力の現象が現れており、他方、国家機構の弾圧部隊は民衆の側にいる部分を分裂させる活動を開始した。民衆委員会と密接に結びついた兵士・警察官委員会が姿を現わせば、こうした勢力を分解させることは可能である。

 チュニジア情勢はレーニンが革命情勢に与えた伝統的規定に完全に一致している。上層は以前のように統治することがもはやできず、下層はもはや以前のように統治されることを望んでいない。この民衆的プロセスは、あらゆる本物の革命情勢に特有なその力学によって、公然と権力の問題を提起しており、社会主義革命へと向かう永続的発展の展望をたどっている。こうした結果はあらかじめ保障されているわけではない。しかしそれは可能なのだ。

 基礎的な民主主義の要求――国家機構の一新、憲法制定議会の招集、真に民主主義的な選挙の組織化――以外にも、チュニジアの労働者が勝ち取った地位の維持、拡張、集権化/明確化が、来るべき数週間の中心的問題になるだろう。支配階級は、全力をつくして取り戻しを図るだろう。

 当面――しかしほんの当面――のところ、独裁の主要な支柱だったチュニジアのブルジョアジーは信用を失っており、帝国主義が民衆的決起の広がりと深さによってバランスを失った状況の中で、不安定な状況にある。穏健派野党はきわめて弱体であり、イスラム主義者については、大衆がかれらを民主主義的プロセスに正統に組み入れられるべき政治潮流だと認めているにも関わらず。かれらイスラム主義者は真の大衆的影響力を持ってはいない。

 こうした情勢の中で、現在UGTTは民衆の信頼を得ている唯一の大衆的労働者組織である。UGTTは、体制の共犯者あるいは体制に従順な存在だった官僚層を完全に排除することができれば、革命的活動家、チュニジアのラディカル左派の積極的支援を受けて、そして国際的連帯の支援を得て、決定的な役割を果たすことができるだろう。民衆委員会に基礎を置くUGTTの労働者政府という要求を提出することは、すみやかに完全な重要性を得ることになる。まさに出発したばかりのUGTT指導部を「革命政権」を構成するために引き入れることは、この方向に進むものだが、その呼びかけはブルジョア的翼をふくむすべての野党政治勢力に向けられている。したがって新たな明確化が必要なのである。

 最後にフランスの反資本主義政党(NPA)マグレブ委員会の同志たちは次のように強調している。

 「資本主義の世界的危機に直面したチュニジアの労働者・民衆は、われわれに唯一可能な出口、最も決然たる闘争の道を示している。この場で資本主義世界秩序ならびにその核心である帝国主義に対するオルタナティブをめざして組織し、闘うことは、かれらの闘いがわれわれへの真の励ましであるのと同様に、すべての被抑圧民衆への支援でもある」。



▼アトールフォ・リエラはベルギーのLCR―SAP(革命的共産主義者同盟―社会主義労働者党、第四インターナショナル・ベルギー支部の指導部メンバー)

(「インターナショナルビューポイント」2011年1月号)
 

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 エジプトでは二月一日の「一〇〇万人行進」に続き、四日にも「追放の金曜日」と名付けられた「ムバラク大統領即時退陣」を求める大規模な民衆行動が全国で繰り広げられた。この行動には一日と同規模の人びとが参加した。


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 独裁者ムバラクは、米国の中東戦略が瓦解することを恐れるオバマ米大統領の辞任に向けた圧力もあり、「九月大統領選不出馬」の声明を出した。しかしそれは時間稼ぎでしかない。「即時退陣」の声はさらに強まっている。翌二日にムバラク政権与党の国民民主党と治安機関が動員し、多数の情報機関員も混じった「ムバラク支持派」が、カイロ市内の広場に集まった「即時退陣」を訴える民衆を襲撃し多くの死傷者を出した事件は、人びとの怒りをさらにかきたてている。

 二月五日、恵比寿公園で行われた在日エジプト人の集会・デモと連帯し、有志の呼びかけで東京・目黒区のエジプト大使館前でも緊急の「ムバラクはすぐやめろ。民衆弾圧を許さない」と訴える行動が行われ、三五人が参加した。

 最初に反安保実の国富建治さんが「チュニジアの民衆決起によるベンアリ追放に続き、エジプトでも三〇年にわたるムバラク独裁体制崩壊の日が近づいている。同時に米国・イスラエルと結託するムバラク体制を支えてきた日本政府に対して、中東政策の根本的見直しを求めよう」と訴えた。核とミサイル防衛にNO!キャンペーンの杉原浩司さんは、米国にとってイラク、イスラエルに続いてエジプトが世界で三番目の軍事援助供国であったことを紹介し、武器輸出に支えられた独裁政権の腐敗した構造を糾弾した。さらに前原外相がムバラクの即時退陣は望ましくない、と語ったことも批判した。

 「無印良品」のイスラエルへの出店計画に抗議して中止を勝ち取った「STOP!無印良品」キャンペーンを展開してきた大富亮さん、「ミーダーン〈パレスチナ・対話のための広場〉」の岡田剛士さんは、エジプト民衆の闘いを支持するとともにイスラエルによるパレスチナへの不法占領と人権侵害の強まりを厳しく糾弾した。

 また参加した在日チュニジア人が「チュニジアに続き、エジプトにも自由を」と訴え、大きな拍手を受けた。さらに恵比寿公園での在日エジプト人の集会から駆けつけたATTAC japanの稲垣豊さんなどからも発言を受けて、最後にエジプト大使館に向けて「弾圧をやめろ」「ムバラクは即自退陣せよ」のシュプレヒコールを上げた。(K)

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