公文書を読む
種子島に来ている。
ご存じの通り、H-IIAロケット12号機は2月16日に打ち上げ予定時刻直前に天候悪化で打ち上げ中止になってしまった。さあ、次の打ち上げまで島で仕事をしながら粘るか、あきらめて帰るか。思案のしどころである。
前回書いた、自転車の車道通行禁止問題は、相当数のパブリックコメントが集まったそうで、そのせいかどうかは不明ながら警察庁は態度を変えた。基本的に自転車専用レーンの普及へと方針転換したのだ。詳細は疋田智氏のメルマガを読んでもらいたい。
・
今回のことからもわかるように、国のやることに対して無力感を持たずに、きちんと意見を出すことは非常に重要だ。「はやぶさ2」予算についても、JAXA自身が折衝の過程でゼロにしたものが、文部科学省の力があったとはいえ、1/10だけでも復活したにあたって、私は、皆さんのメールが幾分かの力を発揮したのだろうと思う。
ところで、自転車の件については、様々なコメントやトラックバックをもらった。その中には、今回疋田氏が提唱した運動に疑問を投げかけるものもあったし、そもそも自転車の将来性を疑問視するものもあった。
私から見て目立ったのは、「そもそも警察庁の出した文面は、疋田氏が主張するように読めない。疋田氏は文面を歪曲して解釈している」というものだった。
確かにそう読めるのだ。常識的には。
だが、「常識的」というのがくせ者なのである。
ちょうど良い機会なので、ここでまとめておこう。
官僚の作文において、「常識的にどう読めるか」は意味を持たない。
1)常識をいっさい働かせずに、その文章の文脈と論理のみではどう読めるか
2)その文章の前にどのような文章が公式文書化されているかという脈絡
のみがすべてである。
常識で色々補って読むと、官僚の思うつぼにはまってしまうのだ。
私の見るところ、疋田氏は官僚の作文の読み方を理解した上で、今回の運動を起こしている。対して、「疋田氏は警察庁の文書を歪曲解釈している」と指摘する向きは、官僚作文の読み方を知らず、常識で読み解いてしまっているのである。
今回、問題になった文章は以下の通り。
提案の趣旨は以下のpdfファイルにまとまっている。
・「道路交通法改正試案」に対する意見の募集について
問題の文面は、全部で19ページのファイル中、9ページ目に記載されている。
3 自転車利用者対策の推進
(1) 通行区分の明確化
現在、自転車は、車道通行が原則とされ、例外的に道路標識等で通行することが認められている場合に歩道を通行することができることとされていますが、必ずしもこれによらず、自転車の歩道通行が言わば無秩序になされている状況が見られます。
そこで、自転車の通行区分について、車道通行の原則を維持しつつ、道路標識等により普通自転車歩道通行可の規制がなされている場合のほか、児童(6歳以上13歳未満の者・幼児(6歳未満の者)が普通自転車を運転する場合、車道を通行する)ことが危険である場合等と、普通自転車が例外的に歩道を通行することができる場合の要件を法律で明確に定めることとします。
一方、歩道通行が認められる場合であっても、歩道における歩行者の安全を確保するため必要があると警察官等が判断した場合には、当該普通自転車の運転者に対して当該歩道を引き続き進行してはならない旨を指示することができる(指示に違反した場合には、処罰の対象となります)こととします。
一般社会の常識でこの文章を読むならば、「車道通行の原則を維持しつつ」とあることから、「ああ、車道通行を維持するんだな」と読んでしまうことになる。疋田氏の呼びかけに対する批判者は、この文章を読み「いったいこれのどこが自転車の車道通行禁止と読めるのか」と言っているわけだ。
では、この文面を「官僚作文の正しい読み方」で読み解くとどうなるか。
1.まず、「先行する文書との関連」を見てみよう
今回の道路交通法改正にあたっては、先だって「自転車の安全利用の促進に関する提言」が出ており、それを受けての改正という形をとっている。
有識者を集めて委員会を立ち上げ、委員会における議論をコントロールして都合の良い内容の提案を作り、「有識者の皆様がこういっているので、それに沿って法律を作ります」という形で法改正を進める――これは官僚の常套手段だ。覚えておいて損はない。
「自転車の安全利用の促進に関する提言」(平成18年11月30日)は、以下のリンクから読むことができる。
・警察庁、安全・快適な交通の確保:提言などが掲載されているページ
- 「自転車の安全利用の促進に関する提言」(平成18年11月30日):以下の4つのpdfファイルに分割されて掲載されている。
まず「要旨」を読んでみよう。該当する部分は2の(2)だ。
(2)歩行者の通行の安全確保に配慮し、歩道上での自転車の通行方法をより明確にすること、指定された自転車の通行部分には歩行者もできるだけ立ち入らないようにすることなど、特に歩道における自転車と歩行者の共存を図るための実効性のある具体的なルールを定める。
また、幼児や児童を始め、自転車利用者に対し広くヘルメットの着用を促進する。
「ほらみろ、ちゃんと自転車と歩行者を分離するという趣旨になっているじゃないか」と思うかもしれない。
しかし、まずこれが「要旨」であることに注意しなくてはならない。官僚は、反発が予想される内容についてはわざと要旨には入れないことがある。逆に要旨に入っていないのに、提言全体では大きく扱われるトピックがあるなら、それは官僚がこっそり通したいとと考えている部分だ。
そしてすでに、この要旨の部分で自転車を歩道にあげてしまおうという意図がちらりと見えている。「特に歩道における自転車と歩行者の共存を図る」という部分だ。車道通行を基本とした自転車専用レーンを目指すなら「特に車道における自転車と自動車の共存を図る」と書かねばならないはず。なぜ歩行者と自転車なのか?
次に「概要」を読んでみよう。これは、要旨をビジュアルかつ箇条書きに展開したものだ。該当する部分は、2ページ目の「1 利用目的・利用主体に応じた自転車の通行空間の確保(自転車の通行空間の在り方)」という部分である。
○ 自転車の車道通行の原則を維持
* 自転車は車両の一種であり、走行性能等を発揮するためには、車道(又は自転車道)に通行空間を求めるべき
○ 普通自転車歩道通行可の規制が行われている歩道のほか、要件を限定し自転車の歩道通行を認める(児童・幼児が運転する場合、車道通行が著しく危険な場合等)
* 子供や高齢者の利用、買物目的の利用等では、車両としての迅速性等は必ずしも求めておらず、安全の観点からは歩道通行の必要性
これを「ほらみろ、自転車の車道通行を維持と書いているじゃないか」と読んでしまうと、官僚の術にはまったことになる。
このまとめは「原則はこうだが、原則とは別に特別な例を認めるべき」という論理の流れで書いてある。こういう場合は後段に重みがかかっており、また書き手の意図も後段にある。
ジョージ・オーウェル「動物農場」のスローガンと一緒だ。「すべての動物は平等であるが、一部の動物はより平等である」という奴。
つまり、ここで官僚が主張した意図は「普通自転車歩道通行可の規制が行われている歩道のほか、要件を限定し自転車の歩道通行を認める」というところにある。
「普通自転車歩道通行可の規制」は、1978年の道路交通法改正で緊急避難的に認められた、現在の歩道通行可の歩道を指す。だから、この文章は、現在の歩道通行に加えて、さらに自転車の歩道通行を許す、という意味である。
「でも、『要件を限定し』と書いているじゃないか」と思う人もいるだろう。「これなら、むやみやたらに自転車を歩道にあげるようなことはしないはずだ」と。
実は要件はまったく限定されていない。
限定の中身について「車道通行が著しく危険な場合等」という」という条件が入っていることに注目してもらいたい。
誰が「著しく危険」と判断するのだろうか。
答えは警察である。そして警察が「著しく危険だ」と判断したことに関する事前のチェック機構は、現在の行政システムの中にはない。
この部分は、警察が恣意的にすべての道路を「著しく危険」とすることで、自転車をすべて歩道に上げてしまうということを可能にしているのである。本当に危険かどうかは関係ない。警察が「著しく危険」と判断すれば、そこは危険ということになるのだ。
この提言に従って道路交通法を改正すれば、警察は自転車をいつでも全面的に歩道に上げることができる。そのための法的な根拠を、フリーハンドで得られることになる。
こういう文書の読み方に、とまどう人も多いだろう。「そこまでうがち読みしないといけないのか」と思うかもしれない。「常識で読んではいけないのか」と。
しかし、官僚の作文は常識で読んではいけないのだ。その文書にかかれた文面がすべてであり、その文面の論理を追っていくことで矛盾が生じなければ、それは正しいということになるのである。
官僚は文書の作成を仕事としており、文書作成のプロだ。彼らは、文書の文言を操作することで行政を動かしている。そのことを軽く見るべきではない。
プロの文書である以上、官庁の文書はその一言一句に至るまでに意味を持たせている。それを読みとれるかどうかは、国政を左右する重大問題なのである。
ここまでを理解した上で、「提言」の本文を読もう。関係する部分は17ページ以降の「第4 自転車の通行空間・通行方法の在り方について」という章である。すると、だ。 2/18記:該当ページ数を間違えていたので訂正しました。
自転車は、現行道路交通法でも規定されているように、車両の一種であり、その走行性能を発揮し、通行の安全性とともに迅速性・快適性を確保するためには、その通行空間は、専用の通行空間である自転車道か、又は車道に求められるべきである。このような考え方は、諸外国においても例外がなく(資料6)、ルールはクリア・シンプルであることが望ましいことからすれば、自転車の通行空間は(自転車道が整備されている場合は別として)車道に一本化すべきという考え方もあり得る。
しかしながら、我が国における自転車利用の多様性、とりわけ、子供や高齢者の利用、主婦等による買い物や子供の送迎目的の利用等身近な生活における移動手段として自転車が幅広く利用されており、これらの利用主体又は利用目的においては、自転車に車両としての迅速性等の機能を求めていない場合も多いことを考慮する必要がある。
「原則は車道歩行で、国際的にも車道一本化だ。でも日本では自転車に迅速性は求められていない」という、ねじれた論理を展開している。道路環境が悪いから、多くの自転車ユーザーは自転車に迅速性を求めるのを諦めているというのが正しい理解だろう。
こうした我が国の事故実態や道路実態、更に今後の高齢化社会の進展等を考慮すると、我が国において自転車を一律に車道通行とすることは現実的ではなく、車道通行を原則としつつ、一定の場合に歩道での通行を認める現行制度の考え方を今後も基本的に維持することが適当と考えられる。
1978年の道路交通法改正で、緊急避難的に認めた自転車の歩道通行を、法的裏付けのもとに恒久的なものにしようとはっきり言い切っている。「30年間ほったらかしで、実態として定着したから、このまま行こう」というわけである。緊急避難を30年間も放置した責任については一切触れていない。
さらに、我が国の道路事情を考慮すると、歩道の幅員が狭く自転車歩道通行可の規制は行われていないが、車道における自動車の通行量が多く、自転車の車道通行が著しく危険である場合も少なからず見受けられる。また、歩道について、通勤・通学時間帯等は歩行者の通行量が多く自転車の通行は適さないが、その他の時間帯は通行に支障がないような状況も多いと考えられる。このような場合に幅員の広さにかかわらず交通規制を実施したり、細かく時間を区分した規制を行う方法も考えられるが、道路標識等の設置により普通自転車の歩道通行を可能とする現行制度では、ある程度画一的な規制とならざるを得ず、自転車利用者の多様性や時間帯等によって変化する交通実態に対応することは困難である。
これらのことを考慮すると、幅員等の要件を満たし自転車歩道通行可の規制が行われている歩道以外の歩道であっても、児童・幼児が運転する場合や自動車交通量が多く自転車が車道を通行することが危険な場合などには、歩道通行を認めても差し支えないのではないかと考えられる。
じわじわと、自転車の歩道走行を拡大する意図がはっきりと出た文章であるといっていいだろう。
そして問題の提言4.2.4となる。
上記の環境整備にあたっては、
○ 自転車道や車道における自転車の走行環境の整備状況に応じ、自転車歩道通行可の規制を解除すること
○ 自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずること(注:強調は松浦による)
など、個々の道路について交通環境の変化に応じた交通規制を実施するよう配慮する必要がある。
この文面だけを読むと公平な処置に見えるが、ここまでの文脈をたどってくると、論旨の中心は強調部分にあることがわかると思う。
前段の「歩道通行可の解除」は、緊急避難処置の解除であり、「自転車は車道」という原則に戻すにすぎない。しかし、強調部分は、「自転車の車道通行禁止」という新たな立法を必要とする処置である。つまり、警察庁が目指しているのは「危険な道路での自転車の車道通行禁止」であり、危険はどうかは恣意的に判断できるようにするということだ、と読みとれるわけだ。
「提言」の文脈をたどる限り、これ以外の読み方はない。
同時に、常識で読んでいくと、このようには読めないことも事実である。
繰り返すが「官僚の作文に常識は通用しない。文書が論理的にどう読めるかだけがすべて」である。
2.「提言」をふまえた上で、パブリックコメント用資料を読んでみよう
さて、有識者委員会からの「提言」が出たので、次は「提言」の趣旨を生かした形の法改正ということになる。
官僚は形式上「提言」の趣旨からはずれた法案作成はできない。これは重要なポイントだ。彼らに立法の権限はないのだ。
提言の内容が上記の通りである以上、改正法案は提言の趣旨に沿って読み解かなくてはならない。
実はパブリックコメントを求めるに当たっての資料には、改正法案そのものは掲載されていない。警察庁側の解説が掲載されているだけである。
再度、その部分を掲載しよう。
3 自転車利用者対策の推進
(1) 通行区分の明確化
現在、自転車は、車道通行が原則とされ、例外的に道路標識等で通行することが認められている場合に歩道を通行することができることとされていますが、必ずしもこれによらず、自転車の歩道通行が言わば無秩序になされている状況が見られます。
そこで、自転車の通行区分について、車道通行の原則を維持しつつ、道路標識等により普通自転車歩道通行可の規制がなされている場合のほか、児童(6歳以上13歳未満の者・幼児(6歳未満の者)が普通自転車を運転する場合、車道を通行することが危険である場合等と、普通自転車が例外的に歩道を通行することができる場合の要件を法律で明確に定めることとします。
一方、歩道通行が認められる場合であっても、歩道における歩行者の安全を確保するため必要があると警察官等が判断した場合には、当該普通自転車の運転者に対して当該歩道を引き続き進行してはならない旨を指示することができる(指示に違反した場合には、処罰の対象となります)こととします。
この記事の冒頭で、この文章を読んだ時と、印象が全く異なるのではないだろうか。この文章は「提言」を踏まえた上で読み解かなくてはいけないのだ。
つまり、だ。「提言」の趣旨は「児童(6歳以上13歳未満の者・幼児(6歳未満の者)が普通自転車を運転する場合、車道を通行することが危険である場合等」の「車道を通行することが危険である場合等」という形で極力目立たないように記述してあるのである。もちろん目立って欲しくないからこう記述してあるわけだ。
目立って欲しくない理由は、これこそが本音だからなのである。
また、「一方、歩道走行が認められる場合であっても、」という文章は、提言4.2.4の「自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずること」を、まるっきりケースをひっくり返して記述していることがわかる。
ここは「提言」の文面を踏まえた上で「一方車道走行が認められる場合であっても、車道における自動車の安全を確保するため必要があると警察官等が判断した場合には、当該普通自転車の運転者に対して当該車道を引き続き進行してはならない旨を指示することができる(指示に違反した場合には、処罰の対象になります)こととします」と読まねばならないのである。
「えーっ、そうなのかよっ」と驚いたのではないだろうか。「そんな無理な読み方でいいのか?」と。
しかし論理的にも手続き的にもこれ以外の読み方はないのだ。常識は通用しないのである。
実のところ、この道路交通法改正案の文書は、官僚の作文としても、かなり無理目のアクロバティックなことをやっている。それだけ、彼らの論拠が薄弱であり、なおかつ警察庁としては、その根拠薄弱な法改正を押し通さねばならない事情が存在したということを意味する。
警察庁の事情がなにかは、知らない。天下りの椅子の誘惑かも知れないし、有力議員のごり押しかも知れないし、そのほかになにかあるのかも知れない。
今回はっきりしているのは、その無理筋の改正案に対して、疋田氏の運動により反対のパブリックコメントが殺到し、警察庁が態度を変えざるを得なかったということである。
3.公文書を読み解くにはどうしたらいいか
今回、疋田氏がこの問題に気がつき、運動を起こし得たのは、日頃からこの分野の行政をウォッチングして官僚の動向を把握していたからだろう。
日頃のウォッチングはとても大切だ。法改正の議論の流れは、それこそ庁舎内の立ち話から生まれることだってある。
今回のような文書が出てきたとき、背後に存在する意図を読み解く方法をまとめておく。
- 日頃のウォッチングを欠かさない
- 公文書の流れを理解し、先行する公文書にも目を通す
- 官僚は文書のプロであり、彼らの起草する文書には一言一句であっても意味があるということを肝に銘じておく
- 公文書に常識による読み解きはは存在しない。文面の論理に矛盾がないことだけが重要である。
- 矛盾のなさについては、先行文書との整合性も要求される。
4.ネットの言論に潜むわな
今回のことで気がついたのだが――ネットの言論では、「ソース」が重要だとされる。主張の根拠を示せというわけだ。
ところが、ソースそのものは、「ソースの読み方」は教えてくれない。従って読み方は「常識」によることになる。
それは、今までにない言論の場を作り出したわけだが、今回の官僚文書のように、常識とは全く異なる読み方を必要とする「ソース」にぶつかると、途端に「誤読」を起こしてしまうことになる。
私としては、最低でも日本の官公庁が発行する公文書については、その読み方がネットの常識となればいいと思う。
5.よくある質問と答え
ここまでを読んで、出てくるであろうFAQをまとめてみた。
Q:なんで官僚の作文に常識が通用しないなどということになるのでしょうか。文章は常識で読むのが当たり前なんじゃないでしょうか。
A:一言でいうと、官僚には文書しかないからです。官僚は、選挙で選ばれたわけではありません。実際にものを作っているわけでもありません。
彼らにできること、許されていることは文書を作成することだけです。彼らが仕事を遂行する根拠は文書にしかないのです。ですから、「文書がどう読めるか」は彼らにとって死活問題です。それを「常識」というあいまいで、時代と共に変化するものに頼ってはおれません。だからこそ「論理的整合性」が最重要視されるのです。逆に言えば、官僚が行政においてフリーハンドを得たいならば、論理的にそのように読める公文書を作成するしかないのです。
このほか「いかようにでも読める玉虫色の文面」というのも、同じ目的で使用されます。
Q:「有識者を集めて委員会を立ち上げ、委員会における議論をコントロールして都合の良い内容の提案を作る」なんてことが実際に可能なのでしょうか。有識者の意見をコントロールするなんてことができるとは思えません。
A:できます。一番簡単な手段は、「自分にとって都合の良い意見を持つ有識者ばかりを委員に任命する」というものです。「そもそも問題の所在を理解していなくて、なんでもかんでも官僚の言うとおりの意見を言う有識者を選ぶ」というやりかたもあります。
言うことを聞かない委員ばかりが集まった場合も、議論をコントロールする手段は存在します。委員会の事務局は基本的に官僚が担当します。有識者の議論をいちいち全部聞いた上で「では、次回までにレジメを作成してきます」とします。議事録要旨などもこれに入ります。
この、レジメや要旨の作成過程で、「常識で読むと委員の意見が記載されているように読めるが、論理を追うと官僚の意見になる」という文書を作成するのです。そのために、彼らは一言一句を精査します。その文書が次回の委員会で認められたらしめたもの。後で文句を言う委員に対しては「でも、この文書にはこう書いてあります。認めたのはあなたですよ」と返すわけです。
委員会を分科会に分割し、分科会レベルでは不満続出を許して、上位委員会に意見を集約する課程で、徐々にガス抜きをしていうことをきかせるという技も存在します。
最終的な手段としては、事務局が委員の意見を集約する形で、全く委員の意見を無視した文書を作成するという荒技もあります。当然委員会は荒れます。事務局トップに不満を抑えきる力量があるかどうかが、この技を成功させるポイントです。
私が実際に見聞した中では、1988年から1989年にかけて宇宙開発委員会で審議された、宇宙開発政策大綱の審議が、まさにこのパターンでした。分科会レベルでは不満続出、本会でも民間委員から異論反論が次々に出たのですが、事務局は「そんなことをやる予算がない」の一点張りで押し切りました。
Q:ある文書を読み解くに当たって、先行する文書が重要なのはわかりました。でも、先行文書を調べるのはそんな簡単ではありませんよね。どうしたらいいでしょうか。
A:官公庁の仕事のパターンを押さえておくと、先行文書の探索がいくぶん楽になります。官僚は「自分がこうだからこうする」という形で仕事をすることが許されていません。たとえ「自分はこうしたい」と思っても、まずは同じ意見の有識者なり政治家なりをつかって、お墨付きを作らないと動けないのです。
ですから、まずは委員会を立ち上げて、まず「構想」とか「ビジョン」といったものを作ります。これには法的拘束力は全くありません。次に法改正なり行政施策に向けた委員会を作り「こうすべき」というお墨付きを作ります。目的が法改正なら、さらに法改正にを目的に委員会を作り法改正の方向を文書化していきます。
ですから、一つの施策なり法改正なりが官公庁から出てくるに当たっては、前段階として2つないし3つの委員会が動いています。当該委員会の報告書を子細に読んでいくと、彼らの目指すところが見えてきます。
Q:そんなことをする官僚というのは悪人集団なのでしょうか。
A:違います。特に中央官庁にはそれなりの責任感を持ち、能力の高い人たちがあつまっています。本当に官僚が悪人集団なら、今の日本はもっともっとひどいことになっているでしょう。
しかしながら、官僚組織には組織を保存しようとする自衛本能が働きます。それは、私の観察する限りでは「自分の所属する組織が小さくなるのはいやだな」という素朴な人間の本能に基づいています。官僚組織が集団で動くことを旨としているので、素朴な本能が巨大な組織の慣性に組織化されてしまうわけです。
官僚が立法についてフリーハンドを持たないというのは、三権分立から見ても正しいありかたです。けれどもその仕組みの中で、公文書のみで仕事を遂行しようとすると、今回のようなことが起きるわけです。
この問題は、巨大であり、非常にやっかいです。詳細については別途機会があれば書くことにしたいと思います。
以下2/18追加
Q:いくら「官僚の作文を常識で読んではいけない」としても、これは恣意的な読みが過ぎるのではないでしょうか。こんな読み方をしていたら、どんな文書でも白を黒と読み替えることができてしまいそうです。自転車かわいさが過ぎた結果の被害妄想による、過剰反応じゃないでしょうか。
A:文章を深読みする場合は、「どちらの方向に深く読んでいくか」という方針が大切です。でなければ、とんでもない見当違いをしてしまいますから。
見当違いを防ぐためには「普段からのウォッチング」が大切です。今回のケースですと、過去に警察庁がどのような態度を取ってきて、以前の関連委員会や懇談会などでどのような発言を出してきたかを知った上で、出てきた提言や試案を読んでいくことになります。
今回の場合、ウォッチングによる判断材料は以下の通りです。
1)警察庁は、1978年に緊急避難措置として、自転車の歩道通行を認めた後、自転車の通行に関する積極的な施策をとってきませんでした。
2)主に情報源は疋田メルマガとなりますが、過去数年に疋田氏が出席した懇談会などの席上で、警察庁関係者は自転車の車道通行を推進する趣旨の発言を一切しませんでした。
3)多くの人が感じているところでしょうが、現場の警察官が乗る白い自転車は、現在多くの場合歩道走行をしています。これは、上意下達を旨とする警察内部で「自転車は原則車道通行」という現道路交通法の趣旨が徹底しておらず、代わって標識表示がある場合は歩道通行可という緊急避難措置が強調された雰囲気となっていることを示唆しています。
つまり、現状は「原則車道通行」なのです。にもかかわらず警官すら歩道通行をしているということは、事実上「原則車道通行」という法的規制は骨抜きになっているわけですね。
ですから、公文書中で「原則車道を通行」と書いてあるのは、単に現状を示しているだけということになります。
このことを手がかりにもう一度昨年11月30日に出た提言の17ページ以降を読んでみてください。
どう読めますか?
道路交通法改正案は、提言の趣旨を生かして作成されねばなりません。提言は4.2.2で「○ 自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずること」と書いています。パブリックコメント募集の際に添付された資料は、提言の4.2.2をどのように記述しているでしょうか。
こうやって、実質的に変わるのはどこか、を探していくわけです。
ちなみに、今年2月7日の段階で、警察庁がどのような態度でいるかは多摩美術大学アーバンデザインラボのホームページで公開されています。2月7日開催の自転車議員連盟総会で、警察庁が配布した資料と答弁の動画像です。
・自転車議員連盟総会での警察庁配付資料
・同総会における答弁の画像(Youtube)
これらと、昨年11月の提言、そしてパブリックコメントに当たっての資料を比較すると、色々見えてくるのではないかと思います。
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松浦様
>Q:そんなことをする官僚というのは悪人集団なのでしょうか。
>A:違います。特に中央官庁にはそれなりの責任感を持ち、能力の高い人たちがあつまっています。本当に官僚が悪人集団なら、今の日本はもっともっとひどいことになっているでしょう。
>しかしながら、官僚組織には組織を保存しようとする自衛本能が働きます。それは、私の観察する限りでは「自分の所属する組織が小さくなるのはいやだな」という素朴な人間の本能に基づいています。
クーデターが何年かに1回起こる最貧国(差別用語と見る方もいると思いますが、事実として貧しい国)の官僚に比べれば日本の官僚は優秀かつ高潔です。(「この法案を通したかったらオレに+++万円よこせ!」と言う頭の弱い方はいないでしょう。スマートは別のやり方がありますから・・・)
しかし省内へ利益をもたらさない官僚は「ダメなヤツ」の烙印を押されて政策決定には関与できないでしょう。それ以上に昇進しません。
官僚は階級/等級がすべての世界です。
どこの組織でも内部での功名心、出世欲が外部から見ておかしな状況を作り出しています。
Posted by: DVDを見せたがる男 | 2007.02.17 03:56 PM
と、おっしゃっていますが、やっぱり試案を常識的に読んだ通りに進んでいる訳ですよね。予想通りに。今回のエントリも「被害者妄想から来る陰謀論の自己弁護」との区別が全くつきません。
「いかようにでも読める玉虫色の文面」など言いたいことはわからなくもないのですが、試案に「車道通行の原則維持」と明記されているものをひっくり返す根拠にしてはかなり弱すぎます。そして、公文書が常識で読めないなどという大嘘を垂れ流すのもどうかと思います。
疋田氏に関しては、パブリックコメント案に「現行法で十分対応可能であり、法を改正する意味がまったく認められません。」と書きながら、同じ文章で「現実として警察官の乗車する自転車が、無秩序に歩道を走る現状を鑑みると」などと書くなど一貫性が全く感じられません。その警察官を含む一般人の意識を変えるためにも、法を(中身は現行法で対応可能でも)改正して明記することは重要であると考えます。現状でも扱えるけど、グレーゾーンをわかりやすくするために法律をより明確化するというのはよくある話ですよね。
また今回のグダグダによって、今後万が一本格的な車道閉め出しが始まろうとしたときの反対運動の際に、「また自転車乗りが嘘をいって騒いでいる」と思われる素地ができてしまったと考えます。この罪は、今後重くのしかかると思います。
ここで必要なのは、「公文書の読み方」などという自己弁護ではなく、「ごめん。今回は過剰反応だった」と潔く認める態度だと思います。それこそが味方を増やすのです。
あと、一つお聞きしますが、警察庁の関係者がパブリックコメント〆切後に各紙に出した解説は読みましたか? 私は毎日新聞に載っているものを読んだのですが。そこには、はっきりと試案の自転車に対する考え方が書かれていたのですが。
#それに目を通していないのなら、「被害者妄想でアンテナが低くなっているなぁ」と思わざるを得ません。
##また、それを後出しというのなら、今回のエントリも後出しです。
Posted by: かなりの疑問 | 2007.02.18 03:18 AM
法案には書いてないけど俺様がそう解釈したら書いてあるのと同じだ、というわけですか。
さすがチャリ乗りらしいセルフィッシュさw
Posted by: だからチャリ乗りは嫌われる | 2007.02.18 09:07 AM
で、警察が自転車を歩道に追いやって何を得ようというのでしょうか。
それに対する答が
>警察庁の事情がなにかは、知らない。天下りの椅子の誘惑かも知れないし、有力議員のごり押しかも知れないし、そのほかになにかあるのかも知れない。
とは開いた口がふさがらない。
立派な陰謀論ですよ。
Posted by: ntrer | 2007.02.18 12:16 PM
公文書よりも疋田氏やTBS、毎日新聞の日頃の言動をウォッチすることが松浦氏には必要だったと思います。
公文書に対しては書いていないことどころか、書いてることと正反対のことを読み込み、
いちTVプロデューサーのメルマガに対しては無批判に鵜呑みにする。これが陰謀論でなかったら何でしょうか。
>A:文章を深読みする場合は、「どちらの方向に深く読んでいくか」という方針が大切です。
>でなければ、とんでもない見当違いをしてしまいますから。
どう見ても、泥沼です。このエントリの全ての言説が陰謀論の兆候を強く示しています。こういう場合に方向転換して
行き過ぎを認めるのは勇気のいることで、大方の人が頬かむりをするのはいつものことですが、
やはり、今回は訂正なり判断留保なりで後退するコメントを出される方が、今後のためと存じ上げます。
Posted by: please reconsider | 2007.02.18 04:27 PM
「かなりの疑問」さん
「やっぱり試案を常識的に読んだ通りに進んでいる訳ですよね。予想通りに。」と書いておられるところをみると、今回の事態を以下のように見ているわけですね。
・警察庁は最初から車道通行を堅持するつもり
↓
被害妄想に駆られた疋田氏が運動開始
↓
あわてた警察庁がきちんと説明
そう考える根拠は「自分の予想通り、常識に沿って読んだ通りに事態が進んでいるじゃないか」というところにあるということでよろしいでしょうか。
私はそうは見ていません。
・警察庁は今回、自転車を歩道に上げるにあたっての
最初の地ならしをするつもりだった
↓
察知した疋田氏が運動開始
↓
あわてた警察庁がパブリックコメント資料の文面を手加減
↓
しかるにパブリックコメントに反対意見殺到
↓
おそらくは自転車議連の動きもあり、
警察庁は自転車の原則車道通行の徹底に方針転換
↓
2月7日の自転車議連総会でその旨説明
↓
体質的に方針転換を認められない警察庁は、
「方針転換ではなく誤解だ」とマスメディアに説明
と、こうであろうと見ています。
繰り返しますが、今回の道路交通法改正に向けた方針は、昨年11月30日付けの「自転車の安全利用の促進に関する提言」にすべて書かれています。
「かなりの疑問」さんは、もちろんこの文書を全部きちんと読んでいますよね。
パブリックコメント募集に当たっての資料は、疋田氏による反対運動が起きてから公開されています。ですから反対運動の存在を知った上で、どう書けば賛成のコメントが得られるに腐心して書かれていると判断できます。
まず、文書を読むに当たっての前提条件があります。ウォッチングの結果ですね。これについては本文中のFAQに追加しました。
私としては、中でも現行道路交通法が「自転車は原則車道通行」と明記しているにもかかわらず、実際問題としてママチャリのみならず警官の白自転車に至るまでが歩道走行しているという実態を一番重く見ます。
この実態から、警察庁が「法律に書かれた原則と実態は異なる」ことを認識していたと推理できるからです。「原則をいくら文書に書き込んでも、『原則は原則ですから』ということにして実態はどうにでも動かせる」と考えていたということですね。
以下、「警察庁がそう考えていた」ということを作業仮説として、昨年11月30日付けの提言を読んでいきましょう。本文に書いたように、特に17ページ以降の文章の論理の組立です。
すると以下の通りになります。以下は私なりの要約になりますので、きちんと原文に当たってくださいね。とりあえず語尾については括弧でくくって引用します。
・、自転車の通行は専用自転車道か、車道に求められるべき。外国も例外なくそうなっている。ルールは明快なほうがいいので、自転車通行は車道に一本化すべき、「という考え方もありうる。」
・しかし、我が国では、子供や高齢者の、主婦の買い物や子供の送迎など自転車が幅広く利用されている。これらの利用では迅速性が要求されない「場合も多いことを考慮する必要がある。」
ここまで、語尾の歯切れが非常に悪いです。文章の起草者もきちんと言い切れない方向に、読み手を誘導しようとしている痕跡だと読みとれます。
・事故の分析。ここでは省きます。
・こうした我が国の事故実態や道路実態や、今後の高齢化社会が進展することを考えると、自転車を一律に車道通行とすることは現実的ではない。「車道通行を原則としつつ、一定の場合に歩道での通行を認める現行制度の考え方を今後も基本的に維持することが適当と考えられる。」
ここで「現行制度を基本的に維持」とはっきり言っていますね。現行制度の元で、どんな実態になっているかは、もちろん「かなりの疑問」さんもご存じの通りです。
・現状を考えると、歩道が狭くて自転車走行可の標識は出していないけれど、自動車があまりに多いので、自転車が歩道に乗っている例が多い。また、歩道といっても通勤通学時間帯は歩行者が多くて、その他の時間帯はすいているというような状況も多い「と考えられる。」
そんな場合は歩道が狭くても自転車走行可にしたり、時間別走行区分変更も考えられる。でも、道路標識の設置で自転車の歩道通行を示す現行制度では、ある程度画一的な規制とならざるを得ない。自転車利用者の多様性や時間帯等によって変化する交通実態に対応することは困難だ。
・だから、今の自転車歩道通行可の道路以外でも、児童・幼児が運転する場合や自動車交通量が多くて自転車が危険な場合は、「歩道通行を認めても差し支えないのではないかと考えられる。」
・そんな自転車の歩道通行を認めると歩道での歩行者の安全が問題になる。子供や高齢者を含む歩行者の通行の安全を確保するため、歩道上での自転車の通行ルールを明確にして、「これを普及啓発し遵守させる努力が必要である。」
ここで90度ぐらい、論理がひねられているのがわかるでしょうか。「原則車道通行を維持しつつ」と言いながら、限定的に歩道通行を認めるべきという話に振って、なおかつ歩道通行のルールマナーを普及啓発しなくちゃね、という話になっています。
「原則車道走行を維持」と言うならば、交通安全のためには、まずなによりも車道走行時の安全確保の方策をきちんと考察して、より多くの自転車が安全に車道を走行するための方策を書かねばならないはずなのです。
そうなっていないということは、文書の読み手の意識を歩道走行に誘導しようとしているわけです。
・自転車の車道横断の方法について。ここでの議論とは関係ないのでこの部分は省きます。
さて、この後に、具体的な自転車の走行に関する提言が続きます。同様に私なりに要約し、一部はそのまま引用して強調表示します。
まず、4.2.1
自転車の快適な通行のために自転車道や車道における通行空間を確保する必要がある。たとえ、歩道走行可の道でも整備が必要。
次に4.2.2
歩道に自転車を上げる時は、可能な限り歩行者と分離する。この場合は走行の邪魔になる違法物件を排除する取り組みが必要。
4.2.3
自転車の走行可能な場所がはっきりわかるようなカラー舗装のような区分の明確化が必要。
ここまでは、実のところ法改正の必要は薄いです。現行道路交通法は「原則車道通行」なのですから。上記の提言は、現行法における警察庁の裁量範囲といってもいいでしょう。それを法文化するのはいいことですが、抜本的な問題ではありません。また、道路そのものの整備は警察庁ではなく、国土交通省の管轄であることに注意してください。
で、問題の4.2.4です。
・環境整備の進み方に応じて歩道走行可の指定は解除すること。
そして、問題の部分です。
自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずること
と、いうように、個々の道路に応じた交通規制を実施する必要がある。
一見、正しいことを書いていますが、おわかりでしょうか。通行区分を決めるのは警察ですが、道路整備は国土交通省の管轄です。つまり、通行空間の確保のために警察庁はまず国土交通省と折衝していかなくてはなりません。しかる後の通行区分の決定が、警察庁の管轄となります。過去の例からすると、こういう複数官庁にまたがる施策はなかなか進みません。
従ってこれらの提言の中で、警察庁単独で法改正後にすぐにでも実施できるのは、 自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずることだけなのです。そして、この部分はいかなる形でも、事前の歯止めがありません。しかも現行道路交通法に、このような規定はありません。
この部分だけは、是非とも法改正を実施しなければ実現できないのです。
つまり、昨年11月30日の段階において、道路交通法改正最大の眼目は 自転車が車道を通行することが特に危険な場合は、当該道路の自転車通行を禁止するなどの措置を講ずることということにあった、と読みとれるわけです。
もちろん、これは一気に自転車を歩道に上げるというものではありません。「自転車を車道に上げるにあたっての、長期的な第一歩」と言うべきものです。おそらく警察庁は、じわじわと「車道通行禁止」区間を増やしていくつもりだったのでしょう。
なぜこのように手の込んだ、かつ無理筋の文書を作ってまで、警察庁が道路交通法改正を進めようとしたか。ここからは私の推測になります。
一番最初には、交通事故件数と死傷者数を減らすのに効果的な対策は何かという問題意識でしょう。そこで、誰かはわかりませんが「歩道に自転車を上げれば自転車と自動車間の交通事故が減る」と言い出したのではないか。言い出した人物がそれなりの地位だったので、その方向でどんどん話が進んでしまい、文書の起草をやらされた現場の官僚は苦労して文章を書いたのではないか――そう思います。
疋田メルマガによると、これには自動車の速度制限引き上げという問題も絡まっているそうです。一部幹線道路の速度制限を60km/hから80km/hに引き上げるという話が進んでおり、その場合自動車走行の邪魔になる自転車を歩道に上げろという議論があったとのことです。
このことについて、私は一つ前のパブリックコメント呼びかけの記事で書いています。
私も自動車工業会が、自動車速度制限引き上げで動いていることは知っていましたので、「天下りの椅子の誘惑かも知れない」と書いたわけです。
これはntrerさんの「これは立派な陰謀論ですよ」 という意見に対する回答になっているでしょうか。
この件に関しては私も断定できる材料は持ち合わせていませんので、断定を避けた書き方をしたわけです。
さて、「かなりの疑問」さん、
以上のように私は考えたわけです。
従って私は、「かなりの疑問」さんの「試案に「車道通行の原則維持」と明記されているものをひっくり返す根拠にしてはかなり弱すぎます。」という意見は、常識にとらわれていると判断するものです。
「警察官を含む一般人の意識を変えるためにも、法を(中身は現行法で対応可能でも)改正して明記することは重要」であることは事実です。しかし、法改正に乗じて警察庁単独で実施可能な規制条項、それも決定的なものをこっそり挟み込むのは感心できる行いではないでしょう。
また、今回の文章は「「公文書の読み方」などという自己弁護」ではありません。なんだかんだで過去20年近くつきあってしまった官僚の文章作成術から見ても、今回は良い例だったので、これを機会に私の体得したものを文章としておこうと思って書いたものです。
「公文書が常識で読めない」というのは「大嘘」ではなく、私の取材経験からの実感です。
果たして私の読み方が普遍性のあるものなのかどうかは、願わくば「かなりの疑問」さんが次に公文書を読むことになった時にでも試してみた上で判断してもらえればと思います。
「警察庁の関係者がパブリックコメント〆切後に各紙に出した解説」については、私は「警察庁が体面を保つためにマスコミを使って言い訳しているな」と理解しました。こういう場合のマスコミは事件報道で警察から情報をもらわなければならない立場ですから、警察の言い分をそのまま記事にする傾向があります。
そして、警察庁がなかなか自らの判断ミスを認めたがらないお役所であることはご存じですよね。
「被害者妄想でアンテナが低くなっている」のではなく、過去の事例に基づいて「たいしたことではない」と判断したというわけです。
最後に。
「かなりの疑問」さんは、警察庁の態度が終始一貫していると考えておられるわけですが、そうではないと考え得る証拠を一つ提示しておきましょう。
本文のFAQに追加しましたが、多摩美術大学アーバンデザインラボのホームページで2月7日開催の自転車議員連盟総会における、警察庁が配布した資料と答弁の動画像が公開されています。
・自転車議員連盟総会での警察庁配付資料
・同総会における答弁の画像(Youtube)
ここでYouTubeにアップされた警察庁横山交通企画課長の答弁の画像を見てください。
道路交通法改正案の説明2(警察庁横山交通企画課長)http://www.youtube.com/watch?v=4r4Fs5dbrAI
3分20秒あたりに、「現実的には車道通行を原則としつつ、例外的に歩道通行を認めざるを得ないと考えられるところでございます。そしてこの例外的に歩道通行を認める要件でございますけれども――」という発言があります。
私の見るところ、警察庁は昨年11月30日付けの「提言」をそのままに、重み付けをより常識的な方向に変えることで、「我々の態度は変化していませんよ」と印象づけようとしています。
ところが、「提言」の中に、「例外的に」という言葉は、一言も使われていないのです。
検索をかければわかりますが、唯一「、専用の通行空間である自転車道か、又は車道に求められるべきである。このような考え方は、諸外国においても例外がなく」(「提言」17ページ)と、諸外国がすべて車道基本である記述において「例外」という言葉が使われているだけです。
では、「提言」中で、同じ部分がどのように記述されているかというと、以下の通りです。
これらのことを考慮すると、幅員等の要件を満たし自転車歩道通行可の規制が行われている歩道以外の歩道であっても、児童・幼児が運転する場合や自動車交通量が多く自転車が車道を通行することが危険な場合などには、歩道通行を認めても差し支えないのではないかと考えられる。
:(提言18ページ)
「例外的に」という言葉はありません。
官僚は文章作成に当たって、この「例外的」のような施策の強度や実施範囲を示す副詞句には非常に注意します。この言葉一つが入るか入らないかで、その施策の持つ意味が変わってしまうからです。無造作にこの言葉を使うことはありません。
「提言」に入っていなかった「例外的」という言葉を、横山課長が続けて2回も使った――このことを持って、私は警察庁はパブリックコメントの前後で方針を転換したと考えるものです。
「だからチャリ乗りは嫌われる 」さん
まず、この場所は匿名掲示板ではなく、私個人がコストを負担してインターネット内に解説している場所であることを思い出してください。
あなたが中学生以下の子供ならば、私は「おとなのぎろんしているところにこどもがでてきちゃいけないよ」とやさしく諭すでしょう。
あなたが高校生以上大学生までの青年であれば、「まずはきちんと読みなさい。それから自分で考えなさい。書き込むのはその後だ」と意見することになると思います。
あなたが、大人と判断される年齢ならば、私が言えるのは以下の言葉です。
「ここはあなたのような書き捨て野郎が来ていい場所じゃないよ」
以後、意見、分析などは受け付けます。私に対して批判的が書き込みも同様です。しかし、書き捨てと判断される書き込みは削除します。
Posted by: 松浦晋也 | 2007.02.18 05:44 PM
please reconsiderさん
書き込みおよび、忠告、どうもありがとうございます。please reconsiderさんのような書き込みはうれしいです。私にも常に錯誤と行き過ぎの可能性はあるわけですから。
まず今回のことですが、私は疋田氏をTBSのプロデューサーという職では判断していません。TBSがニュース番組で様々な歪曲をやらかしていることは知っていますし、毎日新聞に問題があることも承知しています。
ただし、それは疋田氏本人の評価とは切り離して考えねばならないことだと思っています。疋田氏に関しては、疋田氏の書いたものと発言とで判断しなければ、それこそが差別ということになるでしょう。「あいつあのTBSのプロデューサーだから、きっと事実を歪曲しているぞ」という評価は不公平であり不公正であると考えます。
私としては「TVプロデューサーのメルマガに対しては無批判に鵜呑み」にしたつもりはありません。疋田氏のメルマガは数年前から購読しています。自転車に関して色々と同意できるところが多いので購読し続けているわけです。
今回の件は、疋田氏のメルマガで事態を知り、警察庁ホームページから資料をダウンロードして自分なり過去の経験と蓄積を生かしつつ読んだ上で判断し、自分なりの意見としてパブリックコメントへの参加を呼びかけました。
この記事自体は、自分が公文書を読んだ過程を記録して公開することに意味があろうと考えて書いたものです。
それを陰謀論だと言われるのは心外ですが、同時に深読みには陰謀論に堕ちる可能性が常にあることも理解しています。
実際問題として私は過去に色々とアクロバティックな官僚作文に触れていますので、その経験にとらわれて深読みしすぎたという可能性は残されています。ただし、現状私の手に入る材料では、この記事と、この投稿の前に書いた長文のコメントで示したように読むのが妥当であると考えているわけです。
私としては、多くの人があまりに公文書を素直に常識で読んでいることにびっくりしています。うっかり読み過ごし、後で「え、あの文言でこんなことやったのか」と愕然とした経験をした者としては、「どうにもあやういなあ」と感じます。
もっとも、今後皆さんのような読み方が主流になるのなら、公文書もより常識に則した書き方に変わっていく可能性はあります。
そして今回、その転換点で私が深読みをしすぎた可能性もまたあるわけですね。
私の論拠は本文と、一つ前の長文の投稿ですべて示しました。
ここから後は、皆さんの投稿をじっくり読んで、時間をかけて返事を書こうと思います。
最後にもう一度、please reconsiderさん
どうもありがとうございます。
Posted by: 松浦晋也 | 2007.02.18 06:16 PM
丁寧なレスポンスをありがとうございます。
私は松浦さんの「公文書の読み方」に、余り賛成しません。
何でも批判できるということは、何も批判できないことと同じである、という事態を恐れるからです。
吼えすぎる番犬は、全く吼えない番犬と同じと考えています。
しかし、対立する意見であろうと、こうしたかたちで自説に一定の留保をつける勇気をもつ方の論は、
耳を傾ける価値のあるものだと思います。ここで引き合いに出すことに他意はありませんが、
極東ブログのwebmasterの方も、判断留保まで後退されていました。
(勿論、松浦さんやfinaleventさんが「翻意」したなどとは思っておりません。あらためて
熟考時間を取られるということだと理解しております)
多くは申しませんが、ひるがえって、今回のゴタゴタの一番の肝は、疋田智氏やその支持者達から、
「自分の立場を一寸でも疑ってみる姿勢」が寸毫もみえなかった点だったと感じています。
疋田氏の主張に疑問を発していた人たちは、みな彼の主張に「反対」していたのではありません。
それ以前に、彼がなぜ自説の絶対の真実性を確信できるか、まるで理解できなかったのです。
それが、「陰謀論」とかデマゴーグといった批判の内実だったと思います。
その意味で、松浦さんのコメントは、大変救いのあるものであったことも書き添えておきます。
今後も、ますますのご活躍を期待しております。
p.s.
松浦さんがおっしゃる公文書の読み方の「転換点」は、私達の公権力観の転換点を意味しますから、
微妙な問題です。大げさに言えば、ものを考える人のほとんどは、今このことで悩んでいると感じます。
これを機に、私も、もう一度判断を「留保」して考え直してみようと思います。
Posted by: thank you for your reconsiderarion | 2007.02.18 10:34 PM
警察関係ではありませんが、現職の官僚の方のブログでも話題にしています。
http://bewaad.com/20070218.html
ご参考までに。
Posted by: MUTI | 2007.02.19 12:16 AM
>多くは申しませんが、ひるがえって、今回のゴタゴタの一番の肝は、疋田智氏やその支持者達から、
>「自分の立場を一寸でも疑ってみる姿勢」が寸毫もみえなかった点だったと感じています。
>
>疋田氏の主張に疑問を発していた人たちは、みな彼の主張に「反対」していたのではありません。
>それ以前に、彼がなぜ自説の絶対の真実性を確信できるか、まるで理解できなかったのです。
ああっ、なるほど。そういうことでしたか。
これは確たる証拠がないので書くのを控えていたのですが、私は疋田氏が「自分の立場を一寸でも疑う余地がない確実な証言を得ていた」可能性があると考えています。
具体的には警察庁内部の「提言」を作成した部局にきわめて近く、「提言」作成に当たって内部の事情を聞き知る立場の者から「実はこういう意図で文章が作られている」というレクチャーを受けた可能性があると感じたのです。
内部通報者、ディープスロートですね。
ディープスロートが存在した場合、自分の記事の根拠を「誰から聞いた」と示すことは絶対にできません。ディープスロートは暗黙の信頼関係の上に、自分の職を賭してして話をしてくれたわけです。ジャーナリストにとって、ディープスロートの保護とニュースソースの秘匿は絶対に守らねばならない職業倫理です。
ですからディープスロート由来の情報で記事を書く場合、ジャーナリストは非常に神経を使います。間違ってもその存在を知られてはいけないので、裏を取り、ディープスロートが存在しなかったとしても読者が納得できる論理の筋道を見つけ、それにそって記事を書きます。
悲しいことに、場合によってはそれが「無理な主張をしている」と受け取られることがあります。
情報がディープスロート経由で、かつそれが社会的な重大問題であった場合、ジャーナリストは厳しいジレンマに直面します。問題をなるべく早く、より広い層に訴えねばならない。しかし、声高に訴えるとかえって「あいつなに根拠なしのことを頭をかっかさせて書き散らしているんだ」と反発されてしまいます。ディープスロートを保護しつつ、読者を納得させる細い道筋を必死でたどらなければなりません。書き方にもいっそうの工夫がいります。
規模は小さいのですが、私にも覚えがあります。
私は疋田氏と同じく情報を仕事とする者として、私はこの問題を取り上げる一連も疋田メルマガの文章に「あ、これは相当深い部分にディープスロートがいるな」と感じていました。
自分がディープスロートと連絡があったら、こう工夫して書くだろうというような文章が、あちこちにあったからです。
これが、私が「彼がなぜ自説の絶対の真実性を確信できるか、まるで理解できなかった」とは考えなかった理由のひとつといっていいでしょう。
もちろん、これは同業者の感触であって、根拠は皆無です。この手の勘はけっこう当たるので、私は相応の自信を持っていますが、それを皆さんに説明することはできません。根拠を示せない自信というわけですね。
もちろん疋田氏自身に問いただしても絶対に答えないでしょう。それが職業倫理というものですから。
とりあえず、「こういう可能性だってありうるのだよ」ということを指摘するに留め置きます。
これはソース第一主義のネット言論と、対人取材主体の従来型ジャーナリズムの接点としても面白い事例かも知れません。
「根拠はどこだ」といってソースを追求するネット言論のありかたの中では、ディープスロートの存在とその意味はなかなか想像すらしにくいのではないかと思います。
もう少し時間をかけて考えて、別途記事を書こうかと思います。
ところで、今後投稿する場合は、固定ハンドルでお願いできませんか→thank you for your reconsiderarionさん、またはplease reconsiderさん(同一人物ということでよろしいのですよね)。呼びかけにくいので。
Posted by: 松浦晋也 | 2007.02.19 09:53 AM
松浦さん、貴方自分で何言ってるのか分かってるの?
> これは確たる証拠がないので書くのを控えていたのですが、
>私は疋田氏が「自分の立場を一寸でも疑う余地がない確実な
>証言を得ていた」可能性があると考えています。
>
> 具体的には警察庁内部の「提言」を作成した部局にきわめて近く、
>「提言」作成に当たって内部の事情を聞き知る立場の者から
>「実はこういう意図で文章が作られている」というレクチャーを
>受けた可能性があると感じたのです。
>
> 内部通報者、ディープスロートですね。
正直、幻滅しました。根拠無き陰謀論、いや願望、妄想と言ったほうがよいです。
内部通報者、ですか。堀江メール事件の永田議員のように、詐欺師を内部通報者だと思い込んでいたらどうする気ですか?
どちらみちこれで「松浦はまた陰謀論調を強めた。相変わらず根拠はないようだ」とされてしまうでしょうね。
Posted by: 名無しランドナー | 2007.02.20 06:57 PM
>警察関係ではありませんが、現職の官僚の方の
>ブログでも話題にしています。
>http://bewaad.com/20070218.html
>ご参考までに。
そのbewaad氏ですが、翌日の日記で主張を転換、法案反対派叩きに転じました。
http://bewaad.com/20070219.html
彼の所の読者が、松浦晋也氏の主張はおかしいのではないか、と苦言を呈したことから、bewaad氏も主張を転じています。
Posted by: 名無しランドナー | 2007.02.20 07:02 PM
上記の発言はカール・ユングの共時性を思い出しますね。
仮に因果律があるとすると・・・
松浦氏がある発言をブログに載せる。
↓
各読者が松浦氏に苦言を呈するとその他の各ブログの発信者/発言者がが発言を変える。
↓
だから松浦氏は間違っている。(結論は多数決の論理から生まれる)
時系列的にブログ発言の変化を表示していただけませんでしょうか?
ソシオグラムはご存知でしょうか?
Posted by: DVDを見せたがる男 | 2007.02.20 10:11 PM
名無しランドナーさん
>松浦さん、貴方自分で何言ってるのか分かってるの?
ですから、私はきちんと「これは全く根拠がないので書くのを控えていたのですが」と最初に断っていますよ。
私が書いたのは可能性に過ぎません。ただし、そんなにめったにないことでもありません。
さすがにディープスロートという言葉を有名にしたウォーターゲート事件の例のような機密情報の提供者はめったにいません。その意味では私がディープスロートという言葉を使ったのは大げさに過ぎたかも知れません。
実際問題として取材とは、そのほとんどは人間関係の構築です。きちんと取材をしていれば自ずと人間関係ができ、その中で、しかるべき人が報道に必要とすることを話してくれるわけです。そして取材する側は話をしてくれた人が迷惑を被ることがないように細心の注意を払うのですね。
疋田氏もジャーナリズムの住人ですから、自転車に関してもこのような人間関係を構築していたとしてもさほど不自然なことではない、ということを指摘したわけです。
日頃インターネットを使っていると、どんな情報でもネットで収集することができると思いこみがちですが、必ずしもそんなことはありません。特に官庁の動きのようなダイナミックに状況が変化することに関しては、ネットだけではなく、様々な人と連絡を取り、面会しての情報収集が重要になります。
そのあたりに現代のジャーナリストの存在価値があるのだ、と私は思っています。
>内部通報者、ですか。堀江メール事件の永田議員のように、
>詐欺師を内部通報者だと思い込んでいたらどうする気ですか?
これには根拠がありませんね。「一般的にこうだから、こうである可能性がある」という推定ですらありません。あまりこういうことは、ネットで書くべきではないでしょう。
一般論から推定するならば、官僚は身元と所属がしっかりしていますので、疋田氏が情報源としている人物が存在するならば、詐欺師である可能性はきわめて低いでしょう。疋田氏が官僚以外を情報源としている場合も考えられますが、今回は警察庁主催の委員会が出した「提言」に関する話題ですので、警察庁、あるいはそれに近い筋以外が情報源になっている可能性はごく低いと思いますよ。
まあ、推定に推定を重ねるのはやめましょう。
>どちらみちこれで「松浦はまた陰謀論調を強めた。相変わらず根拠はないようだ」とされてしまうでしょうね。
私はネットで公表した私の意見が、どう評価されたとしても自分の責任であると考えています。逆に、自分が逆風にさらされたとしてもきちんと胸を張って行動しうることしか公表していません。
「松浦はまた陰謀論調を強めた。相変わらず根拠はないようだ」と評価されるなら悲しいことですが、それは私の言葉がきちんと読者に届かなかったということだと考えます。それは、きちんと届く文章を書けなかった自分に責任があります。
>そのbewaad氏ですが、翌日の日記で主張を転換、法案反対派叩きに転じました。
bewaad氏は自分のコストでネットにblogを開設しています。ですから、そこでどのような主張をするのも氏の自由です。そして、bewaad氏が主張を転じたという一点は、私が翻意する理由にはなりません。
彼の主張が、私の論拠を崩し、今回の問題についてより妥当な筋道を示し、それに私が納得してこそ、私が前言を撤回するということになるわけです。
私としては現役霞ヶ関官僚であるbewaad氏が、なぜ一度公にした意見をひるがえしたのかに興味がありますね。
今回のことで、「あやういなあ」と思うのは、「疋田は陰謀論で世間を扇動した」という意見を書く人の多くが、どうも昨年11月30日付の「提言」をきちんと読んでいるようには見えないということです。
名無しランドナーさんは、「提言」を本文と資料の両方に渡ってきちんと読みましたか。その上で自分なりの意見を作り上げた上で、「疋田の陰謀だ」という結論に達したのでしょうか。
一部blogの「あれは陰謀だ」という記事だけを読んで、「そうか、陰謀なのか」と思っているのでなければ幸いです。
この問題に関しては、なるべく多くの人に「提言」を読んでもらいたいと思っています。パブリックコメントの時の概要ではなく、オリジナルの「提言」です。
その上で、4.2.4が撤回されたことを念頭に、今後警察庁がなにをしていくのかきちんとウォッチングしてもらいたいと思うのです。
もうこんな報道も出ていますしね。
http://www.asahi.com/national/update/0219/TKY200702190319.html?ref=rss
「陰謀だ、陰謀だ」というお祭り状態は早晩引いていくでしょう。
しかし官僚組織は持続的であり、継続すると決めた案件については、確実に続けていきます。それを、「疋田の陰謀だ」とする人も含めて多くの人が継続的にウォッチングしてこそ、この問題は最終的な解決、すなわち自転車を公共交通の中に安全な形で位置づけるという着地点に近づいていくのだと思います。
最後に言えることは、「提言」をきちんと「資料」を含めて読んで欲しいとということ、そして今後数年の単位で継続的にウォッチングをしてもらいたいということです。
名無しランドナーさんも、よろしくお願いします。ハンドルからすると自転車に乗る方のようですし。
Posted by: 松浦晋也 | 2007.02.21 09:07 PM
地方自治体に在籍しています。知人に自転車乗りがいて、教えてもらっていたので、この問題をウォッチしていました。bewaadさんのところからのリンクで、松浦さんのブログを初めて読みましたが、「国産ロケットはなぜ・・・」は購入して読みました。この1年でもっとも感銘を受けた本です。
松浦さんの主張する今回の官僚の意図ですが、私には素直に納得できます。コメントしていながら申し訳ないのですが、忙しいので全体に流し読みしかしていませんが、おおむねすべてに渡って納得がいきます。
そもそも、そういった論理的な途中経過を抜きにしても、この法案を通して実質得るものが、「危険と考えられる道路で自転車の車道通行を禁止する権限」ですから、意図は明らかかな、と思いますね。
私の疑問は「そういうことをして警察機構にどんな利権があるのか?」という1点だったのですが、いろいろ読んでいると疋田さんの意見をデマゴーグと考える人が案外多いらしいので少し驚いて書き込む気になりました。
普段から官僚機構に接していると、松浦さんや疋田さんが主張していることは無理なく納得できる、ということを改めて書いておきたいと思います。
Posted by: じーさ | 2007.02.21 09:55 PM
ファイル共有ソフトによる情報漏洩や著作権侵害が社会問題となっています。
ソフト開発者は「決してそのような意図で開発したわけではない」と主張しましたが「意図はどうあれ実際にそのソフトで何が可能で現実社会においてどのように使用されるか、その危険性に十分留意する責任があなたにはあったはずだ」という厳しい批判にさらされました。
松浦氏が一連の記事で訴えたことはまさにこの危険性の検証です。
「公文書に常識による読み解きはは存在しない。文面の論理に矛盾がないことだけが重要である」
これは正しい視点であると私は思います。
公文書とはコンピューターのプログラムの文字列と同様です。
それは命令文の集合体であり一字一句に明確な意思がこめられています。
そこに曖昧さの入る余地はなく仮にそのような箇所を発見したら大いに警戒するのが当然です。
法令とは権力者の放つ言葉の弾丸です。
「狙っているのはあの的です」というのを鵜呑みにしては危ない。
発射された弾丸がどのような弾道を描くか計算し弾道上に何が存在しているかを確認し警告を発することが絶対必要です。
正直なところ松浦氏の分析が妥当なものであるか否かは実際に法律が施行され警察官が自転車をどのように扱うかを確認するまでわかりません。
ただし現実になってからでは遅いというのは確かです。
公権力による法令の恣意的な解釈と運用を警戒し国民生活に不利益が生じぬよう努めるのがジャーナリストの使命です。
重箱の隅を針でつつくような行為に常識豊かで善良な人々が不快感を覚えることは理解できます。
しかし私はこう思います。
「公文書に対する分析と評価に常識による読み解きは通用しない。分析に論理上の矛盾がないことだけが重要である」
松浦氏の文章に論理的な矛盾を私は発見できませんでした。
Posted by: 空天 | 2007.02.21 10:36 PM
結局、日本国民の中で、ロードサイクルの必要性を認識していない人+無関心な人の方が、
ロードサイクルが必要と考えている人より
(おそらく)圧倒的に多数であることが問題なのではないでしょうか?
(この前提が誤っているのでしたら、これは私の単なる「妄言」であります。)
と、ここまで書いて、そういえば日本国民の多数が、
宇宙開発に積極的でないことを思い出した次第。
Posted by: MUTI | 2007.02.22 08:27 PM
『実際には自転車はすこし鍛えれば誰だって1日100km以上を走れる、極めて優れた省エネ交通機関なのだ。』とか
『雨風関係なく誰でも時速30kmで走れる自転車の時代が来るだろうと予測している。』を見る辺り、そして「歩道に追いやる」という被害者意識を見ると、法律の解釈云々以前に、結局自動車が自転車を邪魔に見る視点と同様のエゴで物を語っているようにしか見えませんでしたが如何でしょうか?
「とろとろ歩く邪魔な歩行者と一緒にすんな。こっちはかっ飛ばしたいんだ」と正直に言った方がいいんじゃないでしょうか。エコロジーな交通機関とか、そんなお為ごかしを言わずに。
Posted by: 通りすがりの歩行者 | 2007.02.26 01:46 AM
通りすがりですが。
この問題、自分も色々思うところが有るのですが、記事本文の「4.ネットの言論に潜むわな」のトコ、私もソレが一番の問題と思ってます。
というかですね、今回問題なのは「情報としての1次ソース」と「そのソースの読み解き方」が常にセットで流布されている事だと思います。
本来ならば1次ソースを読み、各人が「自分ルール」で読み解くべき問題なのですが、ここで「他人ルール」を安易に利用する事で、実は他人ルールの結論なのに自分ルールの結論だと誤解してしまう事に問題が有るように思います。
松浦氏が法案の読み解き方を力説してもそれは思想の自由と思いますが、その読み解き方を他人に喧伝するのは問題大きいと思いますよ。
Posted by: ヘビー級のチャリ乗り | 2007.02.26 04:50 PM
「とろとろ歩く邪魔な歩行者と一緒にすんな。こっちはかっ飛ばしたいんだ」というのが自転車乗り。
「とろとろ走る邪魔な自転車と一緒にすんな。こっちはかっ飛ばしたいんだ」というのが自動車乗り。
「じゃあ俺たちが車道に出るよ」というのが自転車乗り。
「だからお前ら歩道に行け」というのが自動車乗り。
ま、本音を言えば自動車には車道から出て行ってほしいんですけどね。
Posted by: 文文文化 | 2007.02.26 09:57 PM
思想の自由は仕方がないが、表現の自由は有害と?
ともあれ、この件で思い出すことがある。
「完全民有化」が「完全に民有化」に差し替えられたと怒りまくっていた某担当大臣のことだ。
私の当時の「常識」ではこの文言は全く同じ意味であった。
しかし、彼と彼のブレーン達がこの文言が全く異なる意味を持つと主張していたことは、
彼らの愚かさを示すものではないと、私は考えている。
Posted by: k,h | 2007.02.26 10:06 PM
あっ、ごめん「民営化」だった…。しまらねー。
Posted by: k,h | 2007.02.26 10:17 PM
感想
(あれこれ十数行書いたのだけど、思いこんだ人達には何を書いても、正直馬鹿らしくなったので止めた)
歩行者の立場から言えば、自分のすぐ脇をすり抜けていく自転車への怒りは確実に乗り手へ向けた怒りであり、
「車道を通行できないから」というのは加害者側の詭弁でしかない。
被害者意識の前に嫌われ者だというまず自覚を持ちましょうよ。
それと、世の自転車利用者は「1日100km以上を走」るつもりも体力技術も無い人が大半だという事実も。
俺様達は自転車バンバン転がせますよ、こっちはかっ飛ばす事ができるんだ!!
というレベルの方々の主張しかでてきていないですよ、自転車側は。
Posted by: あく | 2007.02.27 03:11 AM
>思想の自由は仕方がないが、表現の自由は有害と?
私のコメントへのレスかと思うけど、貴方が示すその2つの言葉は同じような意味では? また文脈から「表現の自由」は「他人への喧伝」を指していそうだが、これを言い換えると... 言い換えようが無いけど、教えて回る、言い聞かせる、説教する...はまた違うか。それとも別の部分を指しているのだろうか...
松浦氏の示す「公文書の読み方」は、私がいう「思想の自由」の内容そのものです。ただそれを、「このようにして読む、読まなければならない」とするのが「他人への喧伝」となり、私は問題だと思うわけです。
なんか論理に矛盾あるかなぁ... 私ゃバカだから判んないけど。
Posted by: ヘビー級のチャリ乗り | 2007.02.27 09:29 AM
訂正。
昨日のコメントでは「他人に喧伝」と書いてありますね。「他人への喧伝」じゃなかった。ま、同じ意味だけど細かい事言う人が居そうなので、一応訂正しときます。
Posted by: ヘビー級のチャリ乗り | 2007.02.27 09:41 AM
MUTIさん
たぶんおっしゃるとおりだろうと思います。ただし、ロードサイクルではなく「真の自転車」だと私は思っています。
自転車は歩道を走行する程度が適当、という発想は、1978年の緊急避難的道路交通法改正から生まれました。そしてこの環境に適応した消費者に喜ばれる商品として、1990年頃からだと記憶していますが、中国製の性能の低い低価格自転車が発売され、爆発的に普及してしまいました。そんな自転車に乗ったことしかない人にとっては、安くて速度が出ない自転車こそが自転車なのです。
それは、自転車という人力の乗り物の可能性を狭める、憂慮すべき事態だと私は考えています。
>と、ここまで書いて、そういえば日本国民の多数が、
>宇宙開発に積極的でないことを思い出した次第。
積極的でないというよりも、「知らない」というほうが正しいでしょうね。しかし、そのことは直接「宇宙開発を行うべきでない」ということにはつながりません。
自転車に関しても同様であると私は考えます。
「本国民の中で、
真の自転車の必要性を認識していない人+無関心な人の方が、
真の自転車が必要と考えている人より
(おそらく)圧倒的に多数である」
ということは、
「だから真の自転車のための道路行政を求めなくて良い」
ということを意味しないわけです。
通りすがりの歩行者さん
>結局自動車が自転車を邪魔に見る視点と同様のエゴで物を語っているようにしか見えませんでしたが
そのように取れる文章も例示してもらったのですが、私にはそのように読めませんでした。
おそらく「歩道に追いやる」と書いた「追いやる」という言葉に、「歩道に上がることが嫌なんだな」と感じたのかと思います。
しかしそれは同時に、歩道を行く歩行者の保護にも繋がることだと思いますがいかがでしょうか。
繰り返しますが、必要なのは自転車という乗り物を安全かつその性能を十全に発揮できる形で交通システムの中に正当に位置付けることなのです。
自転車の原則車道歩行は、むしろ歩行者保護のために必要であると考えていますが、いかがでしょうか。もしかして、通りすがりの歩行者さんは、「自転車は歩行者と一緒に歩道を走るべきだ」とお考えなのでしょうか?
その場合は、平均時速4km/hの歩行者と、一声20km/hの自転車が歩道で共存することになります。そのことが歩行者に与える危険性を、どのように考えますか?
自らのハンドルネームを「通りすがりの歩行者」としているところから、歩行者を保護すべきという意見かと思いますが、もしかして「あの邪魔な自転車の野郎が困るならば、歩道の上で歩行者が多少危険な目にあっても構わない」という、自転車憎しの発想なのでしょうか?
なお私は、自転車の性能を十全に引き出して走る快感を否定はしません。乗り物にはそれぞれに本質的な快感があることを理解しています。それは交通の安全が守られる範囲内で発揮されるべきであるでしょう。
ヘビー級のチャリ乗りさん
>「情報としての1次ソース」と「そのソースの読み解き方」が常にセットで流布されている
まず、「情報としての一次ソース」を配布しているのは、警察庁ホームページです。
http://www.npa.go.jp/
「そのソースの読み解き方」を書いているのは私のblogです。
https://smatsu.air-nifty.com/
私の「読み解き方」は、読み解く対象である、警察庁文書へのリンクを掲載しています。
これは「常にセット流布されている」というのとは違う状況でしょう。文書を出しているのは警察庁で、読み解いているのは私。つまり別の出所ですから。
警察庁が文書と同時に読み方を流布するならば、「常にセット配布されている」ということになります。その意味では、警察庁が2月15日に行った「誤解に基づくパブリックコメントが多数集まった」という記者会見こそが、「一次ソースと読み解き方のセット配布」ということになりますね。
>読み解き方を他人に喧伝するのは問題大きい
はて?
これこそがインターネットが実現した自由な言論空間ではないでしょうか。「考えるのは自由だがネットで書くな」ということではないですよね。
>ただそれを、「このようにして読む、読まなければならない」とするのが「他人への喧伝」
「このように読まないと、理解を間違えるよ」というのが私の主張です。これは喧伝といえるものでしょうか。それを喧伝とするのは、多分にヘビー級のチャリ乗りさんの主観ではないかと私は思います。「俺と違う意見がうっとうしいから、『喧伝』というマイナスのイメージのある言葉を使う」というなら、それは議論に臨む態度の未熟さですね。
>私ゃバカだから判んないけど。
いいえ、これだけの文章を投稿できるのですから、私はヘビー級のチャリ乗りさんがバカだとは思いませんよ。
しかし、「俺バカだからおまえの書いている難しいことわかんないけれど」という態度を取るならば、それは逃げです。
ひとたび他人のblogのコメント欄で自分の意見を開陳したのですから、意見をする者として互いに平等の立場を選んだことになります。「自分はバカだ」という自己認識は、自らの発した言葉に対して何の言い訳にもなりません。
あくさん
>歩行者の立場から言えば、自分のすぐ脇をすり抜けていく自転車への怒りは確実に乗り手へ向けた怒りであり、
その通りでしょうね。
>「車道を通行できないから」というのは加害者側の詭弁でしかない。
そして、「警察庁は自転車を歩道走行させるよう強制できる権限を得ようとしていたんだよ」というのが私の読み解きなわけです。加害者の詭弁に、警察庁は法的な裏付けを与えようとしていた、というわけです。法的裏付けがあればそれは詭弁ではなくなります。
「あぶない!歩道を走るな!」
「バカ野郎、法律がそうなってんだよ」
となりそうだったわけです。
>被害者意識の前に嫌われ者だというまず自覚を持ちましょうよ。
あくさんは、自転車はお嫌いと推察しましたがよろしいでしょうか。そのような気持ちを持つきっかけは、無法自転車の走行により危ない目にあわされたということでしょうか。
実のところ、無法自転車の増殖には、自転車を歩道に上げるとした1978年の法改正があると、私は考えています。自転車を歩道に上げたことにより、軽車両としての自転車と歩行者との区別があいまいになってしまい、歩行者のできることは自転車は何をやってもいいという意識が蔓延してしまいました。
自転車は軽車両です。あくまで車両なのです。だから、歩行者の保護義務があります。乗りつつ携帯電話を掛けるのは問題外です。乗りつつイアフォンで音楽を聴くのも危険行為でしょう。傘を差しての片手乗りも同様です。
しかし、歩行者との区別があいまいになったことにより、現在これらのことが悪いことだという認識はごく薄くなってしまいました。
私は、「自転車は原則車道を走行すべき」と考えています。それは歩行者保護のためであると同時に、自転車に乗るマナーの再構築を伴わねばならないでしょう。
この問題は、自転車側が単に「俺様達は自転車バンバン転がせますよ、こっちはかっ飛ばす事ができるんだ!!」という認識でいては済まない問題だと考えています。
>「それと、世の自転車利用者は「1日100km以上を走」るつもりも体力技術も無い人が大半だという事実も。」
もちろんその通りです。ただしその事実は、「自転車の可能性を追求する」ということを妨げるものではありませんね。私は、より多くの人が自転車の利便性を利用できるようになる方向で、社会環境の整備と技術開発とが進むことを期待しています。
Posted by: 松浦晋也 | 2007.02.27 02:08 PM
>松浦晋也さん
回答ありがとうございます。しかしですね、1次情報=警視庁HPと、その読み解き方=貴方のblog、これを並行して読める状態をして、「「常にセット流布されている」というのとは違う状況」とみるのは有り得なくないですか?
貴blogの状況を例えれば、メールと添付文書の関係にあたるかと。メール本文と添付文書は別個の文書ですが、メール本文に添付文書のドコソコを読んでください、などとした場合はセットでないと意図が伝わらないため、1まとめの文書(常にセット)と見なす事は普通にあると思います。
また流布ですが、ネット上で不特定多数の人が読める状態が流布にあたってしまうと思います。この件は異論ないかと思います。
結果としてセット流布にあたる、と思うのですが。
また「喧伝」ですが、喧伝をgoo辞書で調べると... 貴blog及び貴方自身は違いますね。大変失礼しました。でも疋田氏がやった事(メールマガジン配信)は大当たりですね。同じような主張なので同一視してしまい、すいません。
それと私の「バカだから」発言に過剰反応されてますけど、それは「論理に矛盾~」に対する余計な一言です。どう解釈されても構いませんが...
追記になりますが今回の件、警察側の「誤解に基づくパブリックコメント」が松浦氏や疋田氏の主張を指すのであれば、理解結果が「誤解」と判断される読み解き方を公開するのは、かなり問題あると思うのですが。
Posted by: ヘビー級のチャリ乗り | 2007.02.28 12:11 PM
松浦さま、ご丁寧な返信、ありがとうございます。
真実は数ではない、
デモクラシーにおける多数決は、
数の暴力である。他の暴力よりましだが。
といった言葉に共感する者として、
現状の多数とは別の選択肢を求める点には
全く共感するものであります。
ただ、自らが正しい、より望ましいと考える政策等を持つ者が
少数派である場合、その少数派の正論を実現しようとすれば、
何らかの方法で多数を獲得するか、
非民主的方法にたよるかしか方法がないわけであります。
私、こちらや以前紹介したWebページ、そして
http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/archives/000397.html
等から今回の状況を拝見させていただいたわけですが、
どうも私には、今回の「運動」、
短期的には成果があったとしても、
ロードサイクルに興味がなかったり反感を持つ人に対する誘い、
という点での効果は極めて疑問だったような気がするのです。
ちゃんとしたアンケート等をとった訳ではないので、
私の感覚が間違っているのなら良いのですが。
Posted by: MUTI | 2007.03.04 02:51 AM
一ヶ月以上も間を空けてしまいました。
色々とお返事が遅れてしまいました。申し訳ないです。
ヘビー級のチャリ乗りさん
>1次情報=警視庁HPと、その読み解き方=貴方のblog、これを並行して読める状態をし
>て、「「常にセット流布されている」というのとは違う状況」とみるのは有り得なくない
>ですか?
それはセット配布ではなく、「原典を示している」ということでしょう。
ネットの発達により、このようにオリジナルの文書と文書に対する意見を、同時に読者に提示することが可能になりました。それは「セット配布」というようにネガティブにとらえるべきものではなく、多くの人がより容易に主張を検証できるようになったという「進歩」であると私は考えます。
>ネット上で不特定多数の人が読める状態が流布にあたってしまう
言葉のニュアンスの問題ではありますが、ヘビー級のチャリ乗りさんの理解では、すべてのネット上の主張は「流布」というネガティブな行為となってしまうでしょう。
自分の気に入らない主張は「流布」ということではないですよね。私達は、すべての主張を尊重しなくてはなりません。一方、それを無視するのも批判するのも、読み手の自由です。
>短期的には成果があったとしても、
>ロードサイクルに興味がなかったり反感を持つ人に対する誘い、
>という点での効果は極めて疑問だったような気がするのです。
これは難しいところだと思います。私にも疋田氏の書きようが、MUTIさんのおっしゃるような印象を与えた部分はあると考えています。
では、どう主張すべきだったのか。これは、私達が今後に向けて考えねばならないところです。
そして、大変重要なことですが、「主張の正当性は、主張の形態とは別に考え、判断しなければならない」ということです。
「疋田の物言いは気に入らない。だから、疋田の主張は間違っている」ということにはならないということですね。疋田氏の主張は、主張の内容で判断しなくてはいけないのです。
Posted by: 松浦晋也 | 2007.04.01 12:00 AM