放射線被曝の基準をどう考えるのか?(追記あり)
先週の報道直後に、下書きを書いたのですが、実際に指針が発表されるまで1週間以上かかりました。この間、もし自分が福島に住んでいて、自分の子どもが、小学校1年生に入学したばかりだったら、どうしただろうか考えていました。既に、いろいろな意見が書かれていますが、私見を少し。
<追記>
1.概念的な話ばかり書いて、超重要なことを書き落としてしまいましたが、20ミリSvという計算の根拠が、「現在以後の累積値」であること、「外部被曝のみ」であることは、今回の基準の致命的な問題点として指摘しておきます。
2.文部科学省が、基準を説明する文書を作りました。これは、文章としては、かなりよくできていると思います。
【保護者及び教育現場の皆様へ】放射能について正しく理解していただくために
ただし、「間違った情報」とは何なのか?とか、何が「わかっていないことなのか」が、書いていないので、既に小線量被曝について不安に思っている方には、あまり役にはたたなさそうです。その点については、FAQをつけるべきでしょうね。
3.日弁連が声明を出しました。同意します。
最初の報道:(4月9日)
学校の安全基準提示へ=福島県の放射線量調査受け-文科省
文部科学省は、校庭など、幼稚園や学校の屋外で子供が活動する際の放射線量の基準を近く福島県に示す方針を固めた・・・基準は、児童生徒の年間被曝(ひばく)許容量を20ミリ・シーベルト(2万マイクロ・シーベルト)として、一般的な校庭の使用時間などを勘案して算定する方針。<引用ここまで>
そして、昨日(4月19日)文部科学省から発表がありました。
<ICRPの勧告の部分を引用>
国際放射線防護委員会(ICRP)のPublication109(緊急時被ばくの状況における公衆の防護のための助言)によれば、事故継続等の緊急時の状況における基準である20~100mSv/年を適用する地域と、事故収束後の基準である1~20mSv/年を適用する地域の併存を認めている。また、ICRPは、2007年勧告を踏まえ、本年3月21日に改めて「今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベル(※1)として、 1~20mSv/年の範囲で考えることも可能」とする内容の声明を出している。
このようなことから、児童生徒等が学校等に通える地域においては、非常事態収束後の参考レベルの1-20mSv/年を学校等の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安とし、今後できる限り、児童生徒等の受ける線量を減らしていくことが適切であると考えられる。
※1 「参考レベル」: これを上回る線量を受けることは不適切と判断されるが、合理的に達成できる範囲で、線量の低減を図ることとされているレベル。
<引用ここまで>_____
まず、この20ミリSvという値は、通常、許容されている値の「20倍」で、「健康に全く影響がない」という科学的なコンセンサス(合意)はありません。また、ICRPの勧告は、「一般公衆」に対するものですが、一律の基準を幼稚園や小中高校にまで適用することが正しいのかという疑問もあります。しかし、では、どのような差をつけるべきかという根拠もないから同じ値になると思われます。
ただ、この値は自然被曝の10倍程度で、たとえ子どもであっても、何かの病気になった時には、CT検査などで被曝することがありうる線量のレベルです。ですから、「ただちに健康に影響であるレベルではない」ことも事実です。
前の記事に書いた通り、放射線被曝の悪影響に閾値があると「良いな」と思いますし、それを示唆するデータもあります。しかし、現時点では、線量に応じた確率で影響があるとするのが妥当だと思います。とすれば20ミリSvという値は、我慢を強制できる値でもないと考えます。
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この25ページから説明がありますが、これまでの研究からは、1000ミリSvの被曝で、癌の死亡率が5%増加することから、100ミリで0.5%、20ミリでは0.1%と推定されます。また、工学院大学緊急シンポジウムの柴田徳思先生の資料には、さらに詳しいデータや、他のリスクとの比較もあります。(→PDFファイル)
ただし、この0.1%という値は、限度の20ミリSvの被曝をした場合です。被曝量は個人差がありますし、内部被曝の問題もあります。また、被曝の影響の出かたにも個人差があります。稀な病気ですが、放射線被曝の影響が出やすい病気もあります。さらに、「良い方向」に考えると、現在の線量率が次第に下がってくれれば、現在ぎりぎりの状態の地域でも、限度の20ミリ近くまでの被曝はしない可能性もあります。しかし、逆に、ゆっくりとしか下がらなければ、1年後には限度値に達して、その後もさらに積算線量が増える可能性も否定できません。そもそも、原発からの漏出も、まだ止まっているわけではありません。
そこで、今、お子さんをお持ちの方に、どのようなオプションがあるのだろうかと考えてみます。何らかの方法で、環境、特に校庭の放射性物質を取り除くことができれば良いですし、その努力はするべきですが、すぐには難しいでしょう。そこで、大きく分けると、以下の二つが考えられます。
1.転居(疎開)する、越境通学する、または、環境が改善するまで、通園・通学させない
→つまり、物理的に被曝を避ける
2.文部科学省の指針にそって、その地域の学校に通わせながら、極力、放射線被曝を避ける
→一定の過剰放射線被曝を許容する
前にも書きましたが、この1.を希望することは権利として保障されて、できる限りのサポートがされるべきです。どこまで、誰が、それを行うのかは行政や東電が話しあうべきことですが、上述のように、我慢することが「義務」ではないはずです。
しかし、2.を希望することも許容されます。(別の問題ですが、20km圏内への立ち入りを法的に規制するようですが、住民の一次立ち入りは、時間を制限する限り、現状では問題ない地域も多いはずですから、これもやはり線量調査を行って、許可されるべきです。)
文部科学省の基準は、従来住んできた地域の学校に通い続けることの、子どもたちの心身の発達への良い影響と、地域社会を崩壊させないという社会的な目的と、放射線被曝の(潜在的な)悪い影響のバランスを考えた上でのぎりぎりの判断でしょう。そもそも、学校が問題になる地域では、通園・通学時や、室内にいても一定の被曝も起きる地域です。そうであれば、基準値は、現在の地域での居住を希望する場合の「許容値」という意味になるのでしょう。つまり、1.ができない人の権利も保障されないといけませんが、「ただちに健康に害が出るレベル」なら、学校を閉鎖しないといけませんので、20ミリSvは、「しかたなく許容される値」であり、「最大でここまでなら許されるが、この基準よりも、なるべく低くすることを求める」値のはずです。そう考えないと、たとえば、「以下の事項は、これらが遵守されないと健康が守られないということではなく、可能な範囲で児童生徒等が受ける線量をできるだけ低く抑えるためのものである。」などという表現は理解できないです。この表現も、正しくは、「これらを遵守したとしても、健康が守られるという保障はないけれど、遵守しなくいと、必ず健康に害が出るとも言えないので、罰則まで設けて強制はしませんが、できる限り守りましょう」と書くべきです。
さて、では、それが許容されるというのは、どういうことなのか?1.の選択肢を選ぶことのメリット・デメリットと2.の選択肢のメリット・デメリットは、どちらも、定量化できず、比較することが、そもそも無理です。1.を選ぶことには、「命にかかわる」ような危険はありません。だから、「命にかかわるかもしれない」被曝は、どんなに少なくても避けるべきだ、という考え方もあってよいと思います。ただし、自然放射線が年間1ミリシーベルト以上あることを考えれば、どこに住んでも、1~2ミリの被曝は、「宿命」として存在します。
結局、「わからない」ことばかりの中で、「現実的に可能なレベル」の対策を、社会(政治)は取らざるを得ないのだと思います。
今回の状況は、多くの方にとって、生きていく上で、種々の危険のリスクを、どのようにとらえて、人生の選択をするべきかということを問い直していると思います。「安心」でも「安全」でもない状況で、意識的に選択することは、大変辛い状況ですが、科学も社会も確定的なことが言えない場合に、当事者の権利と自由を、どうやって守っていくのか、今後も考え続けないといけない問題です。
なお、前のエントリーでも紹介させて頂いた、東大の島薗進先生も、ブログで以下のように書かれています。
原発による健康被害の可能性と安全基準をめぐる情報開示と価値の葛藤
”「残留義務」ではないことを明確にした上で、住民の健康被害への懸念を配慮したさまざまな方策を考えるべきときではないだろうか。”
この部分は、ぼくがここに書いたことと同じ方向だと思います。また、最後の
”政府やメジャーなメディアは地域住民が適切に判断し行動するための情報を十分に提供しているだろうか。否である。そしてそれは、事故当初より「パニックを避ける」「不安をあおらない」などの標語の下、「安全」ばかりを強調してきた姿勢の継続であるように思われる。これは科学技術をめぐる意思決定と報道のあり方にしみついた弁護体質ではなかろうか。そして実はそれによって危険を防ぐ方途がとれなくなるだけでなく、地域住民の不安はかえって増幅し、情報の「後出し」による不信や怒りの原因にもなっているのである。”
この部分については同感ですが、さらに追加すれば、「不安をあおらない」ことの目的が、「パニックを避ける」という事故発生当初の目的ならば、ぼくは許容できると考えてきました。でも、現段階では、既に「経済的な費用対効果」も考えられ始めているのではないでしょうか?上には1.2.の選択肢をのみを書きましたが、3.としては、20ミリSvという基準をもっと下げて、基準値以上の学校は放射線除去対策・当面の一時疎開などを、お金をかけて行うこともできるはずです。留意事項には、砂埃のことなども書いてありますが、それなら、校庭の土を入れ替えして、汚染のない土に変えた後、全面に人工芝を敷くのも良いのではないでしょうか?しかし、最悪の想定をした場合でも、健康被害が出る可能性があるのは、ごく限られた人数であることから、その被害と、これらの「被害をなくすための経済的な負担」との間のバランスが、既に考えられ始めているのではないかという気がします。そこまで、やるほどの危険ではないよ、ということでしょうか。もし「経済的な負担」のことがないのなら、少なくとも20ミリSvを現状で超えている学校については、できる対策を、是非、全て早急に進めて、さらに、20ミリSvにこだわらず、他の学校についても対策を進めて欲しいと考えます。
例えば、ワクチンの議論をする時には、常に便益とリスクのバランスで語るからこそ議論になるのですが、現在の福島の状況は、便益などない中で、一方的に押し付けられた不自由さの中でのリスクであり、ぼく自身を含めて、第三者には、どこまで語る資格があるのか、よくわかりません。また、費用の部分を、どこまであからさまに語るのが良いことなのかも、よくわかりません。しかし、お金の問題が出てくるのなら、これは政治の問題でもあり、議論をすべき問題だと考えています。
<追記>
津波の被災地で、精神障害、知的障害のある方たちの支援をしている人から話を聞く機会がありましたが、養護学校や施設が機能していない中で、ひどい差別的な扱いを受けている方も多いそうです。しかし、では被災地から出て、施設もケアも充分できて、そんな差別的な扱いを受けない別の地域に、一時期移りましょうと提案しても、断られることが多いそうです。どうして、嫌な思いをさせられている地域にこだわるのかわからないと、その人は言っていました。私も自分自身は転居することには抵抗がないのですが、差別や、いじめなどの悪い要素も含めて、地域社会が大切だと考える人も多いのではないかと思いますし、疎開を進めるより、現地での対策に、もっとお金を使って欲しいと思いました。
<追記>
文科省の説明会の資料(→こちら)には、 「放射線によって健康への影響が出るおそれのある区域には、すでに避難指示がでていますので、逆に出ていない地域では…」という表現がありますが、これは当事者として読んだら、他人事と考えられていると感じるのではないでしょうか。説明の中で決定的に足りないのは、「危険かもしれないけれど、必死に減らす努力していくから、その点を理解して頂いて、何とかみんなが幸せになるよう頑張りましょう」という姿勢だと思います。
ものすごく少量の被曝でも白血病が増えるというデータがあったり、いやいや、かなりたくさん被曝しても影響がなかったよというデータがあったり、専門家の意見にも、ばらつきがある中で、みなさん疑心暗鬼になったり、パニックになったりしている状況では、わからないことを、一緒に受けとめようとする姿勢がないと、信頼関係が結べないだろうと思います。
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Comments
国立がん研究センターがん対策情報センター長を委員長作成したがん統計によればがんによる死亡率は0.2735パーセントでありその率が1000ミリSvの被曝で5%しか増加しない。がん全体で言えば0.287パーセントにしかならない。数字の魔術で人心を乱してはならない。
→がんによる死亡率は0.2735パーセントは、年間でしょうね。それが累積していく効果を考えないといけないでしょう。 by オーナー
Posted by: | 2011.04.27 11:30 PM
ツイッター経由で読ませていただきました。20mSvの基準をどう考えるかは個人の受け取り方があって一概には言えないですが、実際に被曝している人が、「もっと低減させた基準を作るべきだ」ということは正当だと思います。僕が住んでいるところは0.2μSv/hr で、ずっと屋外にいれば2mSv/年に相当しますが、これを1mSv/年に、ということを、今年言うべきなのか、個人的には難しいなあと感じています。もっと優先すべき地域がありますし、実現可能性が極端に低い。いろいろな問題があり、いろいろな立場があり、いろいろな意見がある、としか言いようがないです。
Posted by: 千勝紀生 | 2011.06.06 11:14 PM
千勝紀生さん、コメントありがとうございます。
被曝している人が「もっと低減させた基準を作るべきだ」ということは正当だと思います。
→はい、その権利を阻害するような意見を書いたことはないつもりです。ただ、行政が、どのデータを採用するべきかについては、当事者しか意見を言ってはいけないわけではないし、医療系の人間は、自分の持っているデータの最善の範囲で、正しいと考える意見を言うべきだと思います。つまり、疫学の専門家は疫学の点で、放射線の専門家は放射線の性質の点で、政治に詳しい人は、政治的な視点で、それぞれが一定のバイアスと一定の限界ある視野と知識に基づく意見を言うから、知恵は集まるのだろうと思います。そして、いろいろな立場があり、いろいろな意見がある中で、えいっと決めざるをえないのが「政治」であったり「現場の医療」ですから、そこに影響を与えるべく、種々の意見を持ち寄るということなんでしょうね。だから、たとえば、「知っていて黙る」というも、実は、非常に大きな意見の行使方法なんですよ。
Posted by: | 2011.06.13 12:44 AM