「あいうえお話法」の謎
れいわ新選組の見世物身障者として世間に知られる天畠大輔さん。
顔は「あの人が水道橋博士?」と思うくらい面白いが、いきなり「あかさたな、な行の…」と介護者が喋りだし、「あの人はああやらないと会話ができないのか」と感心した。
あの話法、妙に気になる。さすがに「意訳」しないと、会話が難しいはずだ。あの頃、Youtubeで動画を見たら、明らかに介護者が「追加」している。彼は博士課程まで出てるのだから、論文に限らず多くの論文を書かざるを得ないはずだ。
その秘密を探るべく、彼の著作「<弱さ>を<強み>に(岩波新書)」を読んでみることにした(写真もこの本より)。
ちなみみ天畠は「あまはた」ではなく「てんばた」と読む。読み間違えると周りのスタッフが優越感に浸りそうだ。
喜怒哀楽を伝えられない苦しみ
彼が普通に動けてた頃、14歳で不登校になって引きこもってて、結果としてロンドンに留学することになった。けっこう裕福そうな家庭のようだ。しかしそこでも馴染めず180cm120Kgの巨体だったのに激ヤセ。帰国して病院でいろいろ診てもらったが治らず、病状も悪化。医療過誤があり危篤、「例の状態」になってしまう。
痛くても「痛い」と伝えられない。いや、外部に喜怒哀楽一切を伝えられない。例の「あいうえお、あ行の」を思いついたのは母親で、会社員時代のテレタイプライターから思いついたらしい。舌が動くので、「あ か さ た な は ま や ら わ」とゆっくり読んで、ストップするところで舌で合図するのが第一号だった。
彼は体も動かないし声も出せないけれど、頭はバリバリに動いていた。なので医者の心無い言葉(知能も3歳に落ちてると思われてたらしい)も聞こえていたが、それが抗議もできないし証明もできない。外部に感情を表現できないのは強烈な苦しみなのだ。
なお、天畠「あいうえお」ボードは「あいうえお~わおん」だけで、濁点も小文字も「ー」もない。だから、例えばジェンダーは「しえんた」で後は推測するしかない。あいうえお会話第一号の母親との会話は「へつた」=「腹が減った」だったが、一発では理解できなかったようだ。
介助者は手足なのか
リハビリ施設でエロも鑑賞されたそうだが、「ほつき」するのだろうか。少なくとも「ますたへしよん」すなわち「おなに」はできないだろう。
それはともかく、天畠ボードも磨きがかかり候補語が充実し、周囲の支援もあり、大学進学を果たし、研究者の道に進むことになる。
その「周囲の支援」すなわち介助者や手伝ってくれるボランティアに関して、天畠氏は多くのページを割いてい後る。
「青い芝の会」という懐かしい名前が出てきて「介助者手足論」を紹介している(P.124)。すなわち「力は貸すが頭は貸さない」「介助者は障害者の「やってほしい」ことだけをやる」のだと。
しかし天畠氏は、それではやっていけないと考える(p.128)。自分の場合は全てにおいて介助者が必要になり、それをいちいち「当事者の意思」だけでやってたら、食事だけで時間がかかりすぎる。自分のやりたいことは他にも沢山あるのだ。現実に、「介助者手足論」でやってたら、自分の夢を実現できなかっただろうと語る。(~P.128)
他人の意思が入っても気にしない
博士論文執筆の際にも、介助者の一人から「博論なんだから1字1字自分で書くべきだ」と言われた(P.128~)。それは正論ではあるけれど、自分の能力ではそれができない。介助者の能力に依存でざるを得ない。そしてそのジレンマを研究テーマにすることにした。
What to doは自分で決められるがHow to do は介助者の影響が避けられない。天畠氏は、その日の予定はどの介助者が来るかに依存することに気がついた。「月曜日は天畠A、火曜日は天畠B、水曜日は天畠C」と介助者によって「あいてんていてい」が決まる。しかし「介助者手足論」よりも介助者への説明時間も省け、自分のやりたいことがやれるのだと(P.134)。
介助者とは「友だち以上介助者未満」を築きつつ(P.141)、文字通り「ともに創り上げていく(P.148)」のだ。
天畠大輔は策士である
天畠大輔と聞くと、山本太郎の顔を思い出し、「周囲のボランティアが気持ち悪そう」と思いがちになる。しかし、天畠大輔は相当に策士だし冷静だし、当然のことながら極めて高度な知能の持ち主だ。「依存しなければ生きられない(P.199)」自分を受け入れ、自分が成功するための「最善」を冷静に計算している印象を持った。
読んでみると、結構面白いですよ。
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