家紋四方山話(大河ドラマ)
大河ドラマ「どうする家康」始まりましたね。
ドラマの内容や出演者については、ブログ村にも色々な投稿があるでしょうから、
そちらはお任せして、私のスキルを活かして、
ドラマに出て来る家紋について考察したいと思います。
ドラマの中では動きが早かったり一瞬だったりして、
家紋などは見過ごす事の方が多いです。
私見での考察ですが、ドラマを再度見る時に参考にして下さい。
沓掛城の「五七の桐」。丸根砦の「織田瓜」。岡崎城の「丸の内に二つ引き」。
この三点はわりと知られていますので、ここでは考察は省略します。
松平元康が兵糧を届けた大高城の「丸に三つ石」紋についてお話しします。
紋章学的には「石畳」といいますが、書籍等では畳は省略して石だけで表しています。
市松文様をご存知ですね。石畳文様ともいいます。単純な文様なので昔から衣類などに多用されています。ただこれを家紋とする武家は少ないです。
四角が石を表し、その数や配置で紋名とします。
松平元康の「三つ葵」らしき紋についてですが、この紋図は私が作りました。
劇中のこの紋は、水で染みていたり図のように馬上で揺れて動きが早く、はっきりと紋を見る事が出来ませんでした。そこで図を参考に作ってみました。
というのも、松平=徳川「三つ葵」紋との因果関係は、今だに歴史的な明確な答えは無いのです。諸説入り乱れていて、誰が何処でどの様な紋にしたのか解りません。
当時の三河地方の武家の間でも、「葵」紋は多く使われていたのです。
なのでドラマでもはっきりとした、演出は避けたのではないかと思われます。
「徳川三つ葵」と言えば、水戸黄門や徳川御三家の家紋として殆んど人が知っています。
それをあえてぼかしたのは、歴史的な背景からなのですね。
ちなみに「三つ葵」紋が御法度になったのは徳川吉宗の時代からで、家康の時代は使用は自由だったのです。
これからも大河ドラマの家紋について考察をして行きますので、参考にして下さい。
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