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2016年5月31日火曜日

選挙を改善するための2つの方法、標本抽出と順位付け投票

(このブログは古いサーバーで動いていたarai blog 05/24/2010からの再掲です。一部表現を分かりやすくするため修正しています。)

選挙や政治というのは、なんかうまく動いていないような感じを持つ人が多いのではないでしょうか。改善策は色々と提示されますが、その多くは非論理的であり、効果は不明確で、いわば思いつきにすぎないものだと思います。

選挙をよりよくする、ということは、すなわち民意をより正確に反映するということです。たとえば私は以下のような価値観を持っています。これは比較的、多くの方にとって受け入れやすい価値観ではないでしょうか。

  • 考えなしの投票よりも、よく考えておこなう投票の方がよい
  • 組織票の影響など、投票者(=棄権者)の偏りによる影響は少ないほうがよい (組織化された集団ほど投票率が高くなり、組織化されてない人の意見が反映されにくくなるので)
  • 似たような候補者間での票の食い合いによって当選者が変わることはないほうがよい

もちろん一票の格差などは正されるべきですが、それは社会の平等さの問題であり、より正確な選挙を実現するための技術的方法とは、また別かもしれません。

この数年間いろいろ考えていて、結果的に選挙を良くするために行える論理的な方法には、主に二つがある、ということに思い至りました。

一つは、抽選による投票者の絞り込み(標本抽出)で、もう一つは、順位付け投票です。


抽選による投票者の絞り込みとは、すなわち投票できる人を、ある選挙区で有権者の中から抽選で選ばれた数百名ないし数千名に絞り込むということです。

全ての有権者から抽選でランダムに選ぶならば、投票者数を絞り込んだとしても、全員が投票可能である場合と高い確率で同じ結果となるように統計学的に裏付けることができます。

これにより、一票の重みは限りなく重くなり、投票者は真剣に吟味して投票をすることが期待されるようになります。選ばれた人には投票を義務づけることも可能でしょう。

さらに追加で、投票者に対し、休暇を与えたり、もしくは強制的に図書館に拘束するなどして、調べたり勉強したりすることを義務づけることも可能になります。

もし社会が許すなら、選挙期間を長くして、その間は、投票者に定期的に勉強を受けさせたり、また候補者に説明を行う機会を与えたり、討論会をさせたりすることもできます。投票者は、候補者に自由に質問を行ったり、情報公開を命じたりできるようにするといいでしょう。

こうすることで、候補者は広く薄く働きかける必要が減り、資金力や動員力に頼らずとも、説得力のある主張によって当選することも可能になり、質の高い選挙を行うことができるようになります。

デメリットとしては、もし候補者による直接の説明の機会を与えるならば、買収や脅迫などが容易になったり、従来の選挙結果との差異が大きくなり社会不安を惹起する可能性があるということです。また投票者の人数を小さくしすぎると、選挙結果にばらつきが大きくなるので、適切な大きさを探す必要があります。


順位付け投票とは、投票するときに一人の候補者を選ぶのではなく、候補者のリストを提示して、それぞれに1位、2位などと順位をつけて投票する方式です。

これにより候補者が増えて票が分散してしまい、本来受かるべき候補者が落選したり、本来はAさんに投票したいのだが、当選の見込みが低いので受かりそうなBさんに投票しようなどといった事態を減らすことが期待できます。

本当に好きな候補を1位にして、次に好きな候補を2位にして、一番嫌いな候補を最下位にするというような投票行動が可能になることで、票の分散や、バンドワゴン効果を減らすことができるでしょう。

デメリットとしては、投票が面倒くさくなるので、投票率が下がったり、無効票が増加することが考えられます。その場合は、同列順位(一人が1位であとはすべて2位など)で投票できるようにすれば少し改善されます。

標本抽出で選ばれた有権者であれば、この投票法をきちんと時間を取って説明することもできますし、投票義務化もできますので、投票方法が複雑になることによるデメリットは完全に解消することができます。


このような選挙方法の変更を取り入れるだけで、選挙はよりよく民意を反映するものになるのではないかと私は考えています。皆さんはいかがお考えになるでしょうか?

2014年9月19日金曜日

発注者側から「なぜ価値創造契約がうまくいかないのか」を考える



永和さんの「価値創造契約」が大苦戦を強いられている件 - GoTheDistance

永和システムマネジメントさんでは、アジャイルらしいシステム受託開発の方式として、ソースコードを納品しないで、利用中も継続課金するという契約方式を試行しておられます。

それが実は苦戦しているそうだということが、永和さんの発表資料から話題になっています。

私もソフトウェア開発を外注することも良くありますが、たしかに発注者の立場からみると、開発中も利用中もずーっと継続課金させるという課金方法で発注するのは、かなりうまくできた仕組みでないと難しいかなと思います。

当たり前ですが、ソフトウェア開発・運用を考えれば、開発フェーズの方がずっと重く、運用フェーズの方がずっと軽いわけです。

ですから、通常の契約では開発フェーズは多くの費用を請求し、運用フェーズでは少ない費用を請求するということになります。それは理にかなったやり方だと思います。

もし納品しない方式であれば、「開発フェーズの金額は受注者が負担し、長期的に回収する方式」なら発注者にはリスク低減メリットがあるでしょう。もしそうではない(稼働時間分を全て請求するor請求金額分しか稼働しない)のなら、単に発注者に対して余計なコストを背負わせているだけということになります。

価値創造契約では、開発フェーズの負担は永和さんが負うように見えますが、その部分をどのような計算で、いくらくらいの開発費や工数を永和さんが負担し、その金額をどのように後日の請求に回していくのか、ということがウェブサイト上では明確ではないように見えます。

経済的に見て、誰がどのように開発費などを負担し、それをどのように償還していくのかということを、きちんと経済学やファイナンスの知見を踏まえて、経営者にとって分かりやすいように説明する必要があるかと思います。

「スモールスタートで」と言うことが書かれていますが、わざわざ支払を繰り延べしてリスク低減する必要があるシステムというのは、スモールスタートよりも社運を賭けた一大プロジェクトのようなものになるのではないでしょうか。

スモールであれば、べつに一括発注でも、普通に人月契約でプログラマを雇って作らせても全く構わんわけですから。失敗すればまたやり直せばよろしなので。

永和さんには、まずファイナンスやミクロ経済学の観点から(リース契約などに習って)契約形態を見直し、ウェブサイトの記述なども見直し、経営者から見てメリットがある形に整理する必要があるかと思います。

もちろん契約書などもかなり入念にレビューして、双方にとって妥当性のあるものにしなければならんでしょうね。

ではでは。

2014/9/19 追記: あと顧客にとって特定の契約形態を押しつけられて売り込まれても何のメリットもないので、プッシュ営業するのは無理だと思いますね。あくまで選択肢の一つという形で提示しておいて、引き合いがあれば提供するという形でないと無理かと思います。

2013年11月26日火曜日

なぜ日本でカジノ解禁なのか? 政治経済的に必要な配慮を考える

日本では最近、カジノを解禁しようという動きが盛り上がっています。

私は自由主義者であるので、ことさらに他人が賭博するのを咎め立てしようとは思いませんが、現在のカジノ解禁に向けた議論には多くの穴があると考えられます。

まず広く認識されていることとして、賭博は社会にとってはマイナスの働き(負の外部性)を持っていると考えられます。賭博は、困窮者を増やしたり、それによって犯罪や福祉費を増やしたりすることで社会に負の影響を与えます。要するに他人を困らせて利益を得ているということです。

また賭博はしばしば暴力団の資金源になったり、汚職官僚や汚職政治家や政治後援者の資金源となり、社会に腐敗をはびこらせます。新設されるカジノがどのような運営形式を取るとしても、警察の天下り先を増やすことは間違いないでしょう。

とくに現在、新聞などで報じられているように、特定の企業などに特区を作らせてカジノを運営させる方式だと、そうした企業に大きな利権を認めることになり、腐敗の原因となります。もっと広い層が参入できて利益を得られるようにすべきではないでしょうか?

賭博は先に述べたように社会悪ですので、賭博の胴元が得る利益の多くは税金などの形で社会に還元させるようにせねばなりませんが、そうした議論が不足しています。

もし賭博事業者が大きな利益を得るようになれば、その利益を使って新規出店やマーケティングを繰り返し、賭博利用者が増えすぎて、困窮する人も、悪事で儲ける人も増えすぎることでしょう。

そうしたことを考えると賭博事業者が胴元となって賭博ユーザーの負け分を利益として青天井に儲けることを許すべきではありません。

あくまで時間あたり少額の場代(遊戯料)を利益として取れるのみにするべきです。プレイヤーがそれ以上負けた分は税金として公の取り分にするか、他のプレイヤーの取り分にするべきです。

遊戯料を取るだけの事業を広く許すことにすれば、既存の賭け麻雀のような文化も合法化することができますし、腐敗官僚や政商の取り分も少なくすることができます。自由主義の観点から言っても良い手段です。

また既存のパチンコのような社会問題にしても、彼らも少額の遊戯料のみを得られるような規制を適用すれば、公平な観点から社会悪を規制することができます。

これは現在のように腐敗警察官僚によって運営される脱法行為である三店方式よりもずっと公正で透明な制度です。

場代を取るだけの賭博のようなことは株式や外貨取引を利用すればいくらでも合法的に行うことができるので、それに比べて社会悪を大きく増やすわけではありません。


さて、とりわけ「カジノを解禁して海外旅行者を誘致しよう」みたいな議論には、いくつもの大きな陥穽があることに注意すべきです。

カジノで本当に海外旅行者を誘致するだけなら、日本居住者は遊べないような制度にすべきです。そうすれば社会悪の影響を減らして、海外旅行者を誘致することができます。「海外旅行者を誘致する」といったお題目で日本人も入れるカジノを建設するような甘言に騙されてはなりません。

カジノで海外旅行者を誘致するなどといっても、日本の近くだけでもマカオ、韓国、フィリピン、シンガポール、カンボジアなど数多くの国にカジノがあります。このような状況下で、カジノを作っただけで本当に海外旅行客が誘致できるのでしょうか?

「カジノを作って海外旅行客を誘致」という砂上の楼閣のようなプランに、政治家がのせられて貴重な政治能力を浪費するべきではありません。

ましてや、そのような甘言を弄して日本人を危険な賭博に誘い込み多額の金を巻き上げようとする政商どもに甘い蜜を吸わせるべきではありません。

政治家がやるべき仕事はもっと他に重大なものがたくさんあるのではないでしょうか?

2013年11月9日土曜日

関税は日本の庶民を貧しくさせ、不健康にし、海外の農民をも貧しくしている

日本では農作物などに多額の関税や輸入制限がかけられています。

これは日本や日本国民にとって大きな害をもたらしています。

なぜなら食料品にかかる関税は、日本国民が安価な野菜などを購入することを妨げており、そのせいで庶民の生活は苦しくなり、庶民は安価な野菜が購入できないことにより不健康な食生活を強いられることになるからです。

関税というのは、直接徴収されるわけではないので、市民としては払っている実感の薄い税金です。しかし、実際には高い日本の農作物を買わされたり、海外の食料品が関税によって高くなるなどといった形で、市民から徴収されている税金の一種なのです。

目に見えない、厄介な税金です。


経済学的には関税は極めて厄介な存在です。

例えば、日本で米を作るのをやめて、タイやカリフォルニアで日本米を生産すればずっと安く上がるでしょう。そして日本では、その分の労働力で精密部品などを作れば、ずっとお金を儲けることができます。

関税は、そうした経済原理が働いて社会をより豊かにすることを妨げる存在です。

やはり日本の美味しくて安全なお米が食べたい、という人もいるかもしれませんが、今の日本の商社などは海外でも手広く事業を展開していますので、契約農場でこしひかりなどの日本の品種を安全に育てることが可能です。タイあたりでは有機栽培農場も徐々に登場しつつあります。


関税は、たしかに日本の農民を保護することにつながります。日本では東京に比べて地方や田舎の所得は低いので、農民には何らかの保護が必要なのは確かです。

しかし日本の農民を保護する方法としては、他にも農作物への補助金、所得補償や、都市への移住・教育補助など、さまざまな支援方法があります。

日本で零細農家をそのままの形で保護する以外にも、そうした人が都市へ移住して新しい仕事についたり、もしくは農業でも国際競争力のある日本でしか作れないような特化した農業や、大規模農業などに転業するなど、さまさま競争力を高める方法があります。

関税という縛りがなければ、自治体や政府は、補助金をさまざまな形で投入することができます。

たとえば農業のかわりに工場を誘致すれば、農業をやっているよりも収入が上がるかもしれません。高付加価値の作物に転作を促すことに使えるかもしれません。

また日本には農家以外にも多くの困窮している人がいますが、飲食店などのサービス業に勤めるような人はこうした保護を一切受けることができません。関税という支援策は、不公平であると言えます。

さらに「関税の聖域」があるせいで、日本は海外との自由貿易協定などの締結で不利な立場に立たされます。日本の自動車や電子部品などは、より不利な貿易条件を強いられることにもなるのです。これは国益を著しく損ないます。


関税がなければ、海外の農民、たとえばミャンマーやカンボジアなどの農家は日本に米を輸出することができて、より多くのお金を得られるようになります。

農業国には貧しい国が多く、こうした国を支援しようという志を持った人は日本にも大勢いますね。しかしNPOなどとして現地に渡って小学校を建てるなどしても、救える人はごくわずかです。

関税を廃止することは、NPOだのが援助するよりも、よほど効果的に農民を貧困から救います。


関税は、日本の庶民を貧しくし、不健康にし、農家を不効率な農業に縛り付け、日本の産業競争力を損なう諸悪の根源です。

関税は、農協のような既得権者が、地方住民や一般市民を犠牲にして既得権を守り続けるための施策です。

関税の廃止のために声を上げましょう。

2012年12月29日土曜日

いまこそ日銀法改正でデフレ脱却のとき

自民党の安倍内閣に変わりましたが、彼らに期待することはとにかくデフレ脱却により経済を回復させることです。

ウェブ上では、10年くらい前から山形浩生らのリフレ論者が、インフレターゲットによるデフレ脱却を主張してきましたが、リーマンショック以降、英米欧がリフレ策を取り始めたことにより、ようやく日本でもインフレ目標が真剣に検討されるようになりました。

デフレとは持続的に平均物価が下がっていく現象のことです。すなわち現金の価値があがっていくということです。

平均物価がさがっていくと、以下のような弊害が起こります。

1. 現金の価値があがっていくということは、来年の1万円は現在の1万円よりも価値があるということです。1万円を借りて来年に1万円を返す場合には、金利を払っているのと同じことになります。この場合は名目金利は0%ですが、実質金利はデフレ率と同等になります。名目金利は0%以下にはなりえないため、デフレ下では実質金利が高止まりするために、企業や消費者は現金を持ちたがり、設備投資などを手控えることになります。そうなると現金は死蔵されて使われなくなり景気が悪くなります。

2. デフレによって物価が下がっても、正社員の給与などは急には下がりません。そうすると、相対的な人件費が高くなり、人件費負担が大きくなるために利益が逼迫されます。そのために全体の人件費を抑制する必要が生じて、失業者や期間労働者などにしわ寄せがいきますし、企業の投資が手控えられたり、正社員の解雇が行われたりすることになります。逆に安定して高給与を保証された正社員や、現金を主に所有する資産家には有利になります。失業者やローンを抱える弱者にしわ寄せがいくという点でデフレの弊害があります。

3. デフレ下では総供給にくらべて総需要が少なく、設備や人材などの生産力が遊休状態にあります。これは産業の効率を下げたり、失業の原因となります。すなわち本来なら働けるのに、無駄にされる生産力があるということです。生産力がすべて使われた状態に比べて、経済の成長力が阻害されることになります。高齢化して社会保障費が増大する日本にとって、経済成長することはきわめて大事なことです。

4. デフレであれば、通貨の価値が上昇するので、他国に比べて通貨高となります。通貨高は輸出企業の業績を悪化させ、輸入を増大させるので、日本の経済を悪化させ、総需要は一層低下します。

そのため経済にとっては、年率2%程度物価が上昇する、ゆるやかなインフレが望ましいと考えられています。

デフレの原因については、バブル崩壊やリーマンショックなどの資産価格下落により需要が一時的に下落すると、それによりデフレが生じて設備投資や消費などが手控えられます。それにより需要が下がり、さらなるデフレを引き起こすというデフレスパイラル論がよく言われます。

原因がどうであれ、デフレやインフレなどの物価水準の変動をちょうどよい水準に保つことは日銀などの中央銀行の責務です。

日本ではデフレが20年も続いており、それが深刻な不況や失業や円高などの原因の一つと考えられています。

デフレを退治する方法はシンプルであり、インフレ目標に従って、日銀がお金を刷って様々な資産を買い続ければよいのです。それは物価がほどよく上昇する程度でやめるのですから、それによってハイパーインフレになる恐れもありません。

日本のようにデフレ下で債務が大きい状況では、公共事業の増大などの財政政策の効果は限定的であると考えられます。公共事業の増大は、増税や、債務を増加させ将来の増税をもたらしたりするため、それだけ企業や消費者の需要を低減させるからです。公共投資を行うなら、老朽化したインフラの更新など、将来の税負担を先食いするようなものが良いのではないでしょうか。

またデフレ不況下で増税を行うことは絶対に避けるべきです。増税した分だけ需要が低減して、税収の低減を招くために、政府財政の改善につながりません。

デフレを退治するためには、日銀法改正が一番です。

政府が政治的圧力で日銀を脅かして従わせたように見えても、実際には日銀は裏で舌を出して、金融緩和策を骨抜きにするでしょう。自主的にインフレ目標らしきものを設定したとしても、実際にはそれを達成するための行動はとらず、デフレが続いても何の責任もとらないのではないでしょうか。これまで日銀はずっとそのような行動をとってきましたから。

日銀をきちんと従わせるためには、日銀法を改正して、インフレ目標を政府が設定できるようにして、もしそれが達成できなければ日銀総裁の解任などの政治介入が行えるようにすべきです。

政治的圧力というもやもやしたもので金融緩和するよりも、きちっとしたルールにもとづいて金融緩和するほうが、通貨の信認という観点からも望ましいのではないでしょうか。

安倍内閣に期待することは、とにかくそれだけです。全力で頑張って頂きたい。

参考文献

2011年7月11日月曜日

マクロ経済学 - ポール・クルーグマン

私は、なにかの学習をするときは、基本的にアメリカ人の書いた大きな教科書を使って学ぶことにしています。アメリカの学者は、教科書を書くことに大変な重きを置いていて、とにかく詳細で分かりやすい教科書を苦心して書こうとするので、日本の教科書とは比べものになりません。

本書は、ノーベル賞経済学者ポール・クルーグマンが書いたマクロ経済学の教科書です。ポール・クルーグマンは、ニューヨークタイムズのコラムニストとしても有名で、文筆の才能にも恵まれています。そのため、この教科書も極めて分かりやすく、経済学の素人が読んでも理解することができるでしょう。

マクロ経済学という学問は、普通の人が生きていく生活上ではあまり関係のない学問です。なぜなら、この学問は、国の経済など、大きな規模の経済の動きについて学ぶものだからです。ミクロ経済学は、経営者やビジネスマンにも関係があることを学びますが、マクロ経済学はそのような意味で役に立つことはないでしょう。

では、私はなぜマクロ経済学を学んだのでしょうか?

それは、一人の有権者として、国政に票を投じ、国政を論ずるためには、最低限のマクロ経済学の知識がなくてはならないからです。

世の中には、わかったような顔をして、国政についてああでもないこうでもないと論じる人々が多くいます。しかし、その多くは、経済学を少しでも学んだ人間からすれば笑止千万の幼稚園レベルの議論なのです。そうした轍を踏まないために、本書を読みました。もちろん本書のような学部レベルの知識だけで、国政を論じるには足りませんが、少なくとも大きな誤りには気づくことができます。

私は、マクロ経済学というと、IS-LMモデルなど複雑怪奇な抽象論や数式が多数でてくる印象を持っていました。しかし、本書には数式は殆ど出てきませんし、IS-LMモデルのような複雑な話も少しも登場しません。あくまで一般常識、一般教養レベルで、簡単に読みこなせる内容です。

もし国政について少しでも興味があるのなら、ぜひマクロ経済学を学んでみませんか? なるべく毎日読めば1~2ヶ月もあれば読み終えることができると思います。



ミクロ経済学もあわせてどうぞ。