カンエアー(KAN AIR)
2012年08月13日
タイのマイナー航空会社「カンエアー」で
チェンマイからメーホンソンに行ってきました。
カンエアーはタイのローカル航空会社。
チェンマイを拠点に、コンケーン、メーソット、チェンライ
ナーン、パイ、ピサヌロークに就航しています。
以前から気になっていた航空会社。
機体はなんとセスナ!おもしろそー!
ってことで、チェンマイに行ったついでに
カンエアーを利用してきました。
チケットの予約はカンエアーのサイトからでもOKだけど
そこは、いい加減なところがあるマイペンライなお国柄、
トラブルが心配なので、直接、コールセンターに確認してみると、
チケットの支払いは銀行振込みのがいいと言われました。
早速、言われた通りに町のATMまで
レンタバイクでひとっ走りして
チケット代を振り込み予約完了。
チェンマイ空港
一つしかないカンエアーのカウンターでチェックイン。
左側には、かつて運航問題により危ない航空会社に指定されていた
オリエント・タイ航空のカウンターがズラッと並んでいる。
タイ人にも敬遠されがちな
オリエント・タイ航空なのに存在感すげー。
むしろ威圧的、。
スーツケースの中は荷物が満載だったので、
重量オーバーで超過料金を覚悟してましたが、
何も取られませんでした。
飛行機は小さいけど良心的です。
乗客はチラホラ。
しばらくすると
カンエアーのスタッフから差し入れが。
箱を開けると
お菓子に水にキャンデー2ケ。
搭乗アナウンスがかかり、
駐機場まではターミナルバスで、
てか、ワゴンで
横からもパチリ
そのあと
前方から飛行機を撮影しようとすると
ワゴンの運転手さんに物凄い剣幕で怒られた。
しかも、早口のタイ語で怒鳴られて
何言ってるかわかんねーし
一応は反省した素振りをしていると、
実は全然違う人、
自分の背後にいた空港のスタッフに怒鳴ってたらしい。
おかげで飛行機の写真を撮り損ねました・・・。
乗りこむ
最前列の席でした。
コクピットが丸見え
「機内では計器に支障をきたす恐れが・・・」のアナウンスもなく
乗客は飛行機が動き出してからもバシバシ写真撮影。
日本ではありえない。でもここはタイ。
郷に入れば・・で、撮影再開。
にしても、操縦士さんは忙しい。
絶えずコクピットの計器類を確認、
あちこちスイッチをイジってます。
ここまでテキパキと仕事をこなす
タイ人、初めて見ました。
機窓から
もういっちょ
プロペラ
ご来光
ご来光+プロペラ音を聞いていると
映画「トラ!トラ!トラ!」のワンシーンを思い出す
てか、写真は夕陽だけど
メーホンソンに到着
滑走路から撮影した
メーホンソン空港
ターンテーブルと白人のおじさん
翌日の話ですが
帰りのチケットを発券したときに、
「時間がないから急いでチェッキングカウンターで
搭乗手続きを済ませてください!早く!」と言われた。
で、チェッキングカウンターが
どこなのか訊いたら
お前アホだろ?的な顔で、
ため息まじりに「隣りですよ」と言われた。
俺「えっ、隣り??」
何のことはない、上の写真の、
右側が発券カウンターで、左側がチェッキングカウンター。
横に3歩ほど移動すると、
グラホのお姉さんも移ってきた。
結局、搭乗手続きも
同じグラホのお姉さんでしたが、
心なしか搭乗手続きする時の方が
優しく感じました。
さて、荷物も受け取りメーホンソンの町へ
まずは、外に出てメーホンソン空港を撮影していると
空港の中から誰かが駆け寄ってきた。
「忘れ物ですよー!」
よく見ると、
さっき捨てたビニール袋を持っている。
それ、中身はゴミだから・・・
空港の人にゴミ箱がどこにあるか訊いたら
親切にも捨ててくれると言うので渡してきた。
なんで、また戻ってくるわけ??
知らない人「忘れ物ですよー!」
善意を無下にはできない。
「コックンマーククラップ(本当にありがとう)」
すると満面の笑みを返してくれた。
ひとまず空港に戻り、ゴミを捨て直してから
メーホンソンの町に向かいました。
チェンマイからメーホンソンに行ってきました。
カンエアーはタイのローカル航空会社。
チェンマイを拠点に、コンケーン、メーソット、チェンライ
ナーン、パイ、ピサヌロークに就航しています。
以前から気になっていた航空会社。
機体はなんとセスナ!おもしろそー!
ってことで、チェンマイに行ったついでに
カンエアーを利用してきました。
チケットの予約はカンエアーのサイトからでもOKだけど
そこは、いい加減なところがあるマイペンライなお国柄、
トラブルが心配なので、直接、コールセンターに確認してみると、
チケットの支払いは銀行振込みのがいいと言われました。
早速、言われた通りに町のATMまで
レンタバイクでひとっ走りして
チケット代を振り込み予約完了。
チェンマイ空港
一つしかないカンエアーのカウンターでチェックイン。
左側には、かつて運航問題により危ない航空会社に指定されていた
オリエント・タイ航空のカウンターがズラッと並んでいる。
タイ人にも敬遠されがちな
オリエント・タイ航空なのに存在感すげー。
むしろ威圧的、。
スーツケースの中は荷物が満載だったので、
重量オーバーで超過料金を覚悟してましたが、
何も取られませんでした。
飛行機は小さいけど良心的です。
乗客はチラホラ。
しばらくすると
カンエアーのスタッフから差し入れが。
箱を開けると
お菓子に水にキャンデー2ケ。
搭乗アナウンスがかかり、
駐機場まではターミナルバスで、
てか、ワゴンで
横からもパチリ
そのあと
前方から飛行機を撮影しようとすると
ワゴンの運転手さんに物凄い剣幕で怒られた。
しかも、早口のタイ語で怒鳴られて
何言ってるかわかんねーし
一応は反省した素振りをしていると、
実は全然違う人、
自分の背後にいた空港のスタッフに怒鳴ってたらしい。
おかげで飛行機の写真を撮り損ねました・・・。
乗りこむ
最前列の席でした。
コクピットが丸見え
「機内では計器に支障をきたす恐れが・・・」のアナウンスもなく
乗客は飛行機が動き出してからもバシバシ写真撮影。
日本ではありえない。でもここはタイ。
郷に入れば・・で、撮影再開。
にしても、操縦士さんは忙しい。
絶えずコクピットの計器類を確認、
あちこちスイッチをイジってます。
ここまでテキパキと仕事をこなす
タイ人、初めて見ました。
機窓から
もういっちょ
プロペラ
ご来光
ご来光+プロペラ音を聞いていると
映画「トラ!トラ!トラ!」のワンシーンを思い出す
てか、写真は夕陽だけど
メーホンソンに到着
滑走路から撮影した
メーホンソン空港
ターンテーブルと白人のおじさん
翌日の話ですが
帰りのチケットを発券したときに、
「時間がないから急いでチェッキングカウンターで
搭乗手続きを済ませてください!早く!」と言われた。
で、チェッキングカウンターが
どこなのか訊いたら
お前アホだろ?的な顔で、
ため息まじりに「隣りですよ」と言われた。
俺「えっ、隣り??」
何のことはない、上の写真の、
右側が発券カウンターで、左側がチェッキングカウンター。
横に3歩ほど移動すると、
グラホのお姉さんも移ってきた。
結局、搭乗手続きも
同じグラホのお姉さんでしたが、
心なしか搭乗手続きする時の方が
優しく感じました。
さて、荷物も受け取りメーホンソンの町へ
まずは、外に出てメーホンソン空港を撮影していると
空港の中から誰かが駆け寄ってきた。
「忘れ物ですよー!」
よく見ると、
さっき捨てたビニール袋を持っている。
それ、中身はゴミだから・・・
空港の人にゴミ箱がどこにあるか訊いたら
親切にも捨ててくれると言うので渡してきた。
なんで、また戻ってくるわけ??
知らない人「忘れ物ですよー!」
善意を無下にはできない。
「コックンマーククラップ(本当にありがとう)」
すると満面の笑みを返してくれた。
ひとまず空港に戻り、ゴミを捨て直してから
メーホンソンの町に向かいました。
ファイポン村「日本兵士鎮魂之塔」
2012年07月09日
ファイポン村「日本兵士鎮魂之塔」
タイ北部メーホンソンから国道108号線を南下してクンユアムの町に行く途中のファイポンという村に、タイ風の祠を備えた慰霊碑が建っている。慰霊碑には「日本兵士鎮魂之塔」と刻まれている。
第二次世界大戦のインパール作戦で敗走した日本兵が兵站基地、野戦病院のあるクンユアム、そしてチェンマイを目指した道で、力尽きてしまった無数の兵士達の遺体が道に転がり白骨街道と呼ばれるようになった。戦後、慰霊碑の後ろに広がる田地からは多くの日本将兵の遺骨が発見されたそうだ。
「日本兵士鎮魂之塔」
「二〇〇〇年十一月吉日 倉敷有志建立」
この慰霊碑は元日本陸軍憲兵隊通訳の永瀬隆さんが建立した。永瀬氏はこの地のほかにも、映画「戦場にかける橋」の舞台にもなったカンチャナブリーをはじめ、タイ各地に慰霊碑や寺院を建立している。
散乱していた木の枝や落ち葉を掃除したあとは、持参の線香と火をつけたタバコを供えて合掌。嬉しかったのはタイ人の運転手さんが掃除を手伝ってくれたり合掌を一緒にしてくれたり。相場より高い金額を要求する運転手も多いのに、チップすら要求せずに最後までよくしてくれた運転手さんに感謝です。
第二次世界大戦時、旧日本軍は東南アジアに広く進軍しており、タイ国内でも数多くの旧日本軍の残した歴史の足跡を見つけることが出来ます。このブログでは過去に訪れた旧日本軍の足跡を少しずつ紹介していきたいと思います。
タイ北部メーホンソンから国道108号線を南下してクンユアムの町に行く途中のファイポンという村に、タイ風の祠を備えた慰霊碑が建っている。慰霊碑には「日本兵士鎮魂之塔」と刻まれている。
第二次世界大戦のインパール作戦で敗走した日本兵が兵站基地、野戦病院のあるクンユアム、そしてチェンマイを目指した道で、力尽きてしまった無数の兵士達の遺体が道に転がり白骨街道と呼ばれるようになった。戦後、慰霊碑の後ろに広がる田地からは多くの日本将兵の遺骨が発見されたそうだ。
「日本兵士鎮魂之塔」
「二〇〇〇年十一月吉日 倉敷有志建立」
この慰霊碑は元日本陸軍憲兵隊通訳の永瀬隆さんが建立した。永瀬氏はこの地のほかにも、映画「戦場にかける橋」の舞台にもなったカンチャナブリーをはじめ、タイ各地に慰霊碑や寺院を建立している。
散乱していた木の枝や落ち葉を掃除したあとは、持参の線香と火をつけたタバコを供えて合掌。嬉しかったのはタイ人の運転手さんが掃除を手伝ってくれたり合掌を一緒にしてくれたり。相場より高い金額を要求する運転手も多いのに、チップすら要求せずに最後までよくしてくれた運転手さんに感謝です。
第二次世界大戦時、旧日本軍は東南アジアに広く進軍しており、タイ国内でも数多くの旧日本軍の残した歴史の足跡を見つけることが出来ます。このブログでは過去に訪れた旧日本軍の足跡を少しずつ紹介していきたいと思います。
タイ・ローイ島 【2アイラ】
2012年07月09日
ローイ島(チョンブリー)
タイの首都バンコクから車で約2時間。チョンブリー県のシーラチャに位置する小さな島。ローイ島までは橋が架かっているので徒歩や車で渡ることができる。島内には中国風のお寺や小さな動物園、タイ人好みのローカルシーフードレストランが立ち並び、シーチャン島行きのボート乗り場などがある。夕方や休日は地元タイ人の憩いの場となっている。
渡島記
グーグルマップを頼りにバンコク近郊でしっかりと島に名前が付けられていて、尚且つ上陸できそうな島を探してみたところ、バンコクから一番近い島がチョンブリー県シーラチャにある「ローイ島」でした。夜の高速道路を飛ばしシーラチャの町で一泊。(夜の行動は番外編にて)翌日は炎天下の下、シーラチャ中心部から少し離れたローイ島に向かう。
島への入り口にある時計塔
ローイ島まで架かる橋の両側に出店が並んでいるが、海とはまるで無関係のタイではありふれた店しか並んでいない。海がこれほど近いのに(むしろ橋の上なので海上)魚介類の店がが見当たらない。これがもし日本なら地元の漁師さんの直営店があったり、仮に北海道だとすると、ホタテのバター焼き、イカ焼き、ツブ貝焼き、生牡蠣、北海シマエビの刺身、ホッケの開き、毛ガニ、焼きタラバ、バフンウニ、すすきの!ああああああああああーー北海道に行きてーーー!!!
ローイ島上陸まであと少しのところで射撃ゲームの店を発見。よく祭りなどで見かけるおもちゃの鉄砲。早速チャレンジ。40バーツ(約120円)の投資でぬいぐるみ2個GET。なかなかの収穫です。お次はダーツの店に。島よりもゲームに熱中。。
島の先端にあるボート乗り場
ローイ島に上陸。ゲームの余韻で感動まるでなし(泣)シーチャン島行きのボート乗り場に到着。シーチャン島行きの船は1日に何便も出ているそうだが時間がないので諦めた。
チェ・ゲバラのイラストがカッコいい。
島の先端から陸地を望む
島の先端にある建造物。
島の先端にある建造物。岸壁に海上警察の船が係留していたので海上警察に関係する施設だと思う。一階スペースがほぼ吹き抜けになっているのは高波避けだろうか。建物付近は釣りスポットにもなっていて夜は釣り人で賑わうそうだ。アジがよく釣れるらしい。有料トイレ(約10円)もあった。
海上警察の船
岸壁で網を掬っているおじちゃんがいたのでバケツの中を覗いてみた。そこそこ収穫はあるようだ。たまにイカも網にかかる言う。刺身用に一杯100バーツ(約300円)で譲ってもらう交渉成立。期待して見ていたが収穫はなかった。
島の東側は中国風のお寺などがある。派手派手なタイや中国の寺院には全く興味がないので迷わずスルー。後から知ったが小さな動物園や子供向けの遊戯施設もあるそうだ。
島の西側は海沿いにローカル・シーフードレストランが立ち並ぶ。
シーフードレストランの中
シーフードレストランはタイ人客で賑わっていた。欧米人を中心に外国人観光客で賑わうパタヤビーチとは対称的な光景だ。メニューもタイ語のものしかなかった。価格は日本と比べると驚くほど安い。
タイで一般的な生牡蠣の食べ方。カリカリに揚げた玉ねぎ(店によっては揚げニンニク)ピリ辛のつけ汁(ナムチム)食あたり防止に効果があるという草(和名 ミズオジギソウ)これらを生牡蠣と一緒にスプーンにのせ一口で食べる。因みにタイで何度も食あたりになっているが、この草の効果なのかタイで生牡蠣を食べてあたったことは一度もない。
テーブルクロス(カーペット)はよく見るとドラえもんだ。
ローイ島の帰り際、欧米系の団体が突如現われ写真を撮りまくって去っていった。
タイの首都バンコクから車で約2時間。チョンブリー県のシーラチャに位置する小さな島。ローイ島までは橋が架かっているので徒歩や車で渡ることができる。島内には中国風のお寺や小さな動物園、タイ人好みのローカルシーフードレストランが立ち並び、シーチャン島行きのボート乗り場などがある。夕方や休日は地元タイ人の憩いの場となっている。
渡島記
グーグルマップを頼りにバンコク近郊でしっかりと島に名前が付けられていて、尚且つ上陸できそうな島を探してみたところ、バンコクから一番近い島がチョンブリー県シーラチャにある「ローイ島」でした。夜の高速道路を飛ばしシーラチャの町で一泊。(夜の行動は番外編にて)翌日は炎天下の下、シーラチャ中心部から少し離れたローイ島に向かう。
島への入り口にある時計塔
ローイ島まで架かる橋の両側に出店が並んでいるが、海とはまるで無関係のタイではありふれた店しか並んでいない。海がこれほど近いのに(むしろ橋の上なので海上)魚介類の店がが見当たらない。これがもし日本なら地元の漁師さんの直営店があったり、仮に北海道だとすると、ホタテのバター焼き、イカ焼き、ツブ貝焼き、生牡蠣、北海シマエビの刺身、ホッケの開き、毛ガニ、焼きタラバ、バフンウニ、すすきの!ああああああああああーー北海道に行きてーーー!!!
ローイ島上陸まであと少しのところで射撃ゲームの店を発見。よく祭りなどで見かけるおもちゃの鉄砲。早速チャレンジ。40バーツ(約120円)の投資でぬいぐるみ2個GET。なかなかの収穫です。お次はダーツの店に。島よりもゲームに熱中。。
ローイ島に上陸。ゲームの余韻で感動まるでなし(泣)シーチャン島行きのボート乗り場に到着。シーチャン島行きの船は1日に何便も出ているそうだが時間がないので諦めた。
島の先端にある建造物。岸壁に海上警察の船が係留していたので海上警察に関係する施設だと思う。一階スペースがほぼ吹き抜けになっているのは高波避けだろうか。建物付近は釣りスポットにもなっていて夜は釣り人で賑わうそうだ。アジがよく釣れるらしい。有料トイレ(約10円)もあった。
海上警察の船
岸壁で網を掬っているおじちゃんがいたのでバケツの中を覗いてみた。そこそこ収穫はあるようだ。たまにイカも網にかかる言う。刺身用に一杯100バーツ(約300円)で譲ってもらう交渉成立。期待して見ていたが収穫はなかった。
島の東側は中国風のお寺などがある。派手派手なタイや中国の寺院には全く興味がないので迷わずスルー。後から知ったが小さな動物園や子供向けの遊戯施設もあるそうだ。
島の西側は海沿いにローカル・シーフードレストランが立ち並ぶ。
シーフードレストランの中
シーフードレストランはタイ人客で賑わっていた。欧米人を中心に外国人観光客で賑わうパタヤビーチとは対称的な光景だ。メニューもタイ語のものしかなかった。価格は日本と比べると驚くほど安い。
タイで一般的な生牡蠣の食べ方。カリカリに揚げた玉ねぎ(店によっては揚げニンニク)ピリ辛のつけ汁(ナムチム)食あたり防止に効果があるという草(和名 ミズオジギソウ)これらを生牡蠣と一緒にスプーンにのせ一口で食べる。因みにタイで何度も食あたりになっているが、この草の効果なのかタイで生牡蠣を食べてあたったことは一度もない。
テーブルクロス(カーペット)はよく見るとドラえもんだ。
ワット・サワーンバントゥーンの慰霊碑
2012年07月09日
ワット・サワーンバントゥーンの慰霊碑
チェンマイ市内から国道107号線を北に進み、メーリムの町の少し手前にあるサワーンバントゥーン寺の境内の一角に太平洋戦争で亡くなられた日本兵戦没者の慰霊碑とお地蔵さんがあります。
祈り
人と人との殺し合いがいつの
日かなくなりますように
憎しみあうことなく助け合う
世になりますように
世界の平和を守りゆく人と
なりますように
合掌
チェンマイ市内から国道107線をまっすぐ進むと軍用地が見えてくる。その長く続く軍用地の終わりから最初に見えるお寺が「ワット・サワーンバントゥーン」である。(新明天庵さんのブログを参考にさせていただきました)
境内の一角にある慰霊碑とお地蔵さん。この慰霊碑とお坊さんはチェンマイ在住の日本の年配女性の方が「人と人が殺しあう戦争が2度と起こらないように」との願いを込めて建てられたそうです。境内、そして慰霊碑のまわりは清掃が行き届いている。この寺のお坊さんが掃除をしてくれているのであろう。感謝です!
このお寺のあるメーサー地区は、かつて旧日本軍の駐屯地などの軍事施設があったとされており、お寺の近所には、当時の日本軍兵士のことを知るお年寄りの方も住んでいるとのこと。毎年、お盆の時期には慰霊祭が行われ、地元の方や日本の方が参列しているそうだ。
持参の線香を供え仏様にも合掌をしてメーリムを後にしました。
第二次世界大戦時、旧日本軍は東南アジアに広く進軍しており、タイ国内でも数多くの旧日本軍の残した歴史の足跡を見つけることが出来ます。このブログでは過去に訪れた旧日本軍の足跡を少しずつ紹介していきたいと思います。
チェンマイ市内から国道107号線を北に進み、メーリムの町の少し手前にあるサワーンバントゥーン寺の境内の一角に太平洋戦争で亡くなられた日本兵戦没者の慰霊碑とお地蔵さんがあります。
人と人との殺し合いがいつの
日かなくなりますように
憎しみあうことなく助け合う
世になりますように
世界の平和を守りゆく人と
なりますように
合掌
チェンマイ市内から国道107線をまっすぐ進むと軍用地が見えてくる。その長く続く軍用地の終わりから最初に見えるお寺が「ワット・サワーンバントゥーン」である。(新明天庵さんのブログを参考にさせていただきました)
境内の一角にある慰霊碑とお地蔵さん。この慰霊碑とお坊さんはチェンマイ在住の日本の年配女性の方が「人と人が殺しあう戦争が2度と起こらないように」との願いを込めて建てられたそうです。境内、そして慰霊碑のまわりは清掃が行き届いている。この寺のお坊さんが掃除をしてくれているのであろう。感謝です!
このお寺のあるメーサー地区は、かつて旧日本軍の駐屯地などの軍事施設があったとされており、お寺の近所には、当時の日本軍兵士のことを知るお年寄りの方も住んでいるとのこと。毎年、お盆の時期には慰霊祭が行われ、地元の方や日本の方が参列しているそうだ。
持参の線香を供え仏様にも合掌をしてメーリムを後にしました。
第二次世界大戦時、旧日本軍は東南アジアに広く進軍しており、タイ国内でも数多くの旧日本軍の残した歴史の足跡を見つけることが出来ます。このブログでは過去に訪れた旧日本軍の足跡を少しずつ紹介していきたいと思います。
国民党残党の村「メーサロン」
2012年07月08日
国民党残党の村「メーサロン」