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2009年5月30日 (土)

大名貸し

陰暦 五月七日

 江戸時代の経済の勉強するのは、現在の複雑な経済を理解する上で非常に有効です。基本的な仕組みは江戸時代に全てそろっていますし、江戸時代の方が単純なので分かり易い、更に変な漢語や横文字を使わず、生活に根ざした言葉を使っているので我々庶民にも理解がしやすいという利点があります。それにまだバーチャルマネーがそれほど発達しておらず、小判や米といった実態とマネーの対応関係がはっきりとしているので分かり易いのです。

 先進国の経済の成長を邪魔しているのは、貯蓄です。格差を拡大させるのも貯蓄です。そして貯蓄の害を解消させるのは、政府による借り上げ、もしくは増税による所得の再分配です。

 しかし、これを説明すると、昔気質で真面目な人ほど激昂します。貯蓄は善であり、借金や増税は悪であるという思いこみが染みついているからです。

 さて私は以前、徳川幕府が財政再建に梶を切って経済がデフレ状態になると、御陰参りが流行して、それで慌てた幕府が貨幣改鋳や借り上げ拡大でインフレ政策に舵を取るという政策変更が江戸時代に四回ほど行われたと指摘しました。

 また、米沢や長州や薩摩などで実行された藩政改革は、藩内部でデフレ政策を行って人件費を下げ、生産性を上げて、江戸に輸出攻勢をかけて、藩の経済を再建させる物であったと説明しました。江戸はインフレなので、物の値段が上がる、それに対して地方はデフレなので、物の値段が江戸に対して下がる。だから地方は江戸に特産品を売って、江戸からお金を集めることができる。江戸と地方が同一の通貨を持ちつつも、お互いの経済がある程度独立していたからできたことです。サブプライムローンバブルが崩壊するまでの米国と日本の関係に似ています。

 江戸時代の不思議に「大名貸し」という物があります。

  • 大名貸しはなぜあれほど大量の金を持っていたのか。
  • 返してもらえる当てがないのに、なぜ大名に次から次へと金を貸したのか。
  • 藩政改革ではクライマックスにおいて「更始」という低利の借り換えがあって、これによって藩は債務を大幅削減し、これをきっかけにして財政の自由度が急激に回復するのですが、なぜそのようなことができたのか。
  • 明治の廃藩置県の時になぜ大名貸しは反対しなかったのか。

 ちょっと考えてみてもこれだけ疑問が生じます。

 さて、元禄の頃、紀伊国屋文左衛門や池田屋といった豪商が誕生し、贅沢を極めた挙げ句にお取り潰しにあいます。従来歴史家は、せっかく商業資本が誕生したのに、封建勢力の徳川幕府は儒教的農本主義から脱することができずに、資本主義が誕生する芽を摘んでしまったという説明をしてきました。司馬遼太郎や山本七平さんですら似たような説明の仕方をしています。さて、徳川幕府はその程度の物だったのでしょうか。

 今まで見てきたように、徳川幕府の官僚にはバランスシートの概念、マネーサプライの概念がしっかりとありました。

 元禄期に登場した豪商は流通・小売業でした。それにまだ手形取り引きは発達していませんでした。ということは彼等は、物を売って消費者から銭や小判を得ていたわけです。紀伊国屋や池田屋が貯めたお金は彼等の倉に積み上げられます。

 このままであると、世の中のお金が全て豪商の倉の中に入っていき、世の中に流通するお金が不足します。そして経済は停滞してしまいます。ちょうど佐渡金山や石見銀山の採掘量が減ってきた頃でもありました。競争力がある人がお金を貯めるのは結構なことなのですが、そのお金が"死に金"になってしまうと経済は停滞するのです。

デフレの仕組み

  1. 貨幣が不足する→少ない貨幣で生産・消費を維持しなければならない→物の値段が下がる(デフレ)→貯金の実質的価値が上昇する→格差が拡大する
  2. 貨幣が不足する→物の値段の下落が貨幣の不足に追いつかない→新規開業ができない、給料が払えない→弱者がますます困窮する

したがって、デフレを弊害を防ぐためには、紀伊国屋が倉の中に溜めたお金を吐き出してもらわなければなりません。しかし天井を金魚鉢にしたところで、贅沢なんかではき出せる金額はたかがしれているのです。最初幕府は豪商を強制的に破産させることで金を吐き出させようとしましたが、これは経済活動の萎縮をもたらしました。この悪影響は吉宗の時代ずっと続きます。

 デフレを解消するのが大名貸しでした。豪商が貯めたお金を、幕府や藩に貸すことで、倉に貯めた金は、新田開発、お城の改築、武士の生活費となり、最終的には庶民の懐に入ります。武士は庶民に米を売って生活していたわけですので、米の消費量が上がらないと生活できません。紀伊国屋文左衛門が金魚を飼ってくれても武士は儲かりません。何とかして豪商から金をぶんどって庶民にばらまいて、庶民に米を買ってもらわないといけなかったのです。大名貸しはそのためのシステムでした。

 大名貸しに頼らない方法がありまして、所得税・法人税を導入すればいいのですが、所得税が年貢・地租を上回ったのは昭和に入ってからでした。徳川幕府がなぜ商人から税金を取らなかったのかは大変な謎です。

 商人は封建的主従関係の外にいますので、商人に課税をするのは封建制のイデオロギーに反するのは確かです。しかしそれだけで説明が付くのか。

 あるいは大名貸しは商人の自衛手段であったのかもしれません。紀伊国屋や池田屋のお取り潰しは要するに「商人はストックを持ってはいけない(貯金をするな)」と言うことを意味します。したがって、商人は帳面を赤字すれすれにしなければいけません。儲かっているのに赤字にしなければいけない、しかし贅沢消費はいけない、となると不採算部門への融資をするしかありません。即ち大名貸しです。

 商人としては「うちは儲けを全てお武家様に貸していますので、倉には一銭も残っていません」ということだったのかもしれません。

 これは欧州でも共通でした。フッガー家とかメディッチ家とかロスチャイルド家というのは要するに大名貸しです。また、19世紀というのは国債の発行が華やかでした。日本や欧州の商人は、政府に金を貸すことで、帳面を赤にして課税を逃れていたんですね。

 商人は金を貯めても構わない、ただし税金によって回収する、と言う風に世の中が転換したのは、実は大恐慌以降の「大きな政府」が定着してからなのです。

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コメント

確かに何故「大名貸し」なんていうものが成り立ったのかは、謎の部分が多そうですね。マネーサプライの側面から考えた論考は、なるほどと思いました。
一度、この問題について飯田泰之氏の意見を聞いてみたいです。

 江戸時代の日本というのは
・基本的に閉鎖系
・外部からの流入と流出は限定的
・通貨の発行主は幕府だけ
・しかも統計は整備されている
・主要産業が米作だけ
・技術革新がほとんどない
これ即ち古典的な経済学にとって理想的な環境だと思います。

 だから経済学者はいなかったので理論化はされていなかったかもしれませんが、為政者には経済学の基礎的なことは全て分かっていたはずだと思います。

 貯金が積み上がるとデフレになる、と言われて怒る人も、紀伊国屋文左衛門の倉の中に千両箱が積み上がると庶民が苦しむ、と説明されると理解するんですよ(笑)

 今は日本人一人一人が紀伊国屋文左衛門になっている状態なんですね。

 大名貸しというのが貸したお金は、千両箱に収めた小判ではなくて、バーチャルマネーだったはずです。だから大名貸しの登場は手形制度の発達と関連があるはずです。

 戦国の開放系の経済から、江戸時代の閉鎖系の経済への転換期に政権を握っていたのは保科正之でした。会津藩の祖です。

 家綱の時代(寛永)、これは保科正之や酒井忠清が大老だった時代ですが、この時期に様々な制度が整備された結果、元禄の繁栄を迎えます。

 でも会津藩が朝敵にされたから保科正之の業績というのは正当に評価されていません。寛永期の幕府の経済政策の研究が待たれるところです。

 「大名貸し」については、江戸時代に景気が良い藩は確実に幕府から「手伝普請」が行われましたから、景気の悪い地域に対する手当てとして行われたという見方はあるのではないでしょうか。
 教科書等で習う感じですと「幕府による藩を弱める狙い」とかでてきますが、経済の循環構造の維持(金は天下の廻りもの)や地域の格差解消という形での「喜捨」に近いものがあったのではないでしょうか?
 

 天領以外の場所はどれだけ困窮しても自助努力に任されていましたので、やはり幕府による大名搾取の面は否定できないと思います。

 お手伝い普請と言っても、藩はお金を出すだけで、工事は幕府の官僚とか請け負った業者がするのですが(だから木曾三川の工事で薩摩藩がなぜ武士を現場に派遣していたのかちょっと解せません、薩摩藩はお手伝い普請のシステムを正しく理解していなかった可能性があります)、労働者はなるべく地震や洪水の被災者を雇うように配慮がなされました。ですのでそう言った意味での救済措置はあったと思います。

 天領は山地に多かったんですよね。木曾とか飛騨とか吉野とか、だから天領であると言うこと自体が(年貢の税率が低く、優秀な代官も多かった)山岳地の救荒策になっていた可能性はあると思います。

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