琉球大学「江戸立」探検隊フォーラム
今日の午後から琉球大学「江戸立」探検隊フォーラムがありました。
さて「江戸立」ってなんでしょう?
ワンも知りませんでした。意味はココで確認して下さい。
平日開催だけど是非これは参加したいと思い、この“フォーラム”と“通常の仕事”を天秤にかけた。
通常の仕事は明日以降2倍頑張れば取り返すが、このフォーラムは2度と無い!
参加!!
※この事業目的は琉球大学の学生が「江戸立」の道を追う!的なもの
行って良かった。とっても勉強になりました。
ワンはシマ唄に興味をもって以来、その背景にある琉球・薩摩との関わり合い・影響は避けては通れない事で、自分なりに調べたり聞いたりするが“?”が増える。もちろん、学者でも正解は見付けられないけど・・・
今日も古文書(中国含む)や考古学の新たな調査結果から、見解が変ってきている。
昔にはロマンがあるね〜
フォーラムの中で少し自分なりに思った事があります。
今日の本題とはずれるけど・・・、意見交換の中で奄美からの意見に対し、奈良出身の琉大の学生さんがこんな質問をしました。
「沖縄は、シマンチュとナイチャーとの若干の差別があるように思うが、奄美ではそのような差別はありませんか?」
参加者から数件回答がありました。ワンも意見を言いたかったけど、勇気がありませんでした。
ワンはこう思います。
奄美(大島)には沖縄ほどナイチャーがいない。だからまだ意識しない、むしろ今のところwell come(笑)
冗談だけど、数%本気。。
沖縄は奄美から遅れて日本復帰した。ここで奄美群島と大きく違うのは“沖縄県”として復帰した事。県として!
沖縄県は復帰以降住民の意識(心)の中に“固有の民族”の考えを持ち、大きな固まりとして政策を打って来た。社会は大戦の被害者として取り上げ、その動きを助長する。
結果、異文化の“琉球文化”をもって観光立国を築いた!!
その反面、現在でもメディア等の影響もあり、沖縄の人達は本土に対して反骨精神を持ち続ける(ように思える)。
“日本でありながら異国情緒あふれる地(沖縄パラダイス)”
観光の発信により、沖縄の魅力にひかれiターン者が急増。
しかし、この人達は自由です。(もちろん全ての人がではない)
先祖崇拝もなければ沖縄の風習も知らない。
同じコミュニティーで生活するのに、摩擦が起きる。(シマンチュとナイチャーの区別化が生じる)
この状況をつくったのは、いったいだれ?
本土の人が好きなのか?嫌いなのか?
さぁ、奄美です。
S28に日本復帰!鹿児島県のほんの一部として
奄美は古い時代から複雑な行政統治を受けてきた。
日本復帰後もそれを続けた。
言葉も文化も違うけど、それでもいい選択をした。望んだ。
言い過ぎました。これしか取る方法が無かった!!
いや!奄美群島が一致団結して勝ち取った日本国民だった。
奄美の歴史は教科書に出てこないので、自ら知ろうとする以外、知る方法が無い。
“砂糖地獄”という薩摩を敵視する言葉はあまりにも有名で、なんちゃって奄美の歴史を語る人は必ずこの言葉を口にする。
有名な言葉過ぎて奄美の人は、この言葉を知らず知らずに刷り込まれている。
また、これをあおるように、生まれてこの方怒られるのは殆ど鹿児島弁をしゃべる教員や警察。。
この事から「沖縄に戻ろう」と言う人もいるが、もうちょっと考えて欲しい。
沖縄だって昔奄美に攻め込んで統治した。
どっちに付くかじゃなくて、奄美の事をもっと奄美の人達が学び、これからどうするかです!!
今日はフォーラムからアドレナリンが出続けてるのか口調が強いですが・・・スミマセン
上の事も踏まえて奄美の既に起こっている課題は・・・
内地(本土/ヤマト)のモノが全ていいモノっち、まだ思っていること!
奄美のシマにしかない文化はどこにも負けない宝ど!
ナイチャーがもって来た新しい文化(例えばジャンベ隊、例えばよ)にすぐ飛びつく。悪い事とは全く言わない。しかし、同じカルチャーをするなら、少なくとも消え行く八月踊りを教えるのが先じゃ無いか?!と思うだけ。また、そのヤマトンチュにも奄美の文化を少しでも分かって欲しい。
まずシマの知識を島ンチュが知らなければ!!
話しは一番前に戻ります。
奄美の人は“現在ナ”イチャーを差別しません。むしろwell comeです。
だれか、今日質問した奈良出身の琉球大学生に話して下さい。
さて「江戸立」ってなんでしょう?
ワンも知りませんでした。意味はココで確認して下さい。
平日開催だけど是非これは参加したいと思い、この“フォーラム”と“通常の仕事”を天秤にかけた。
通常の仕事は明日以降2倍頑張れば取り返すが、このフォーラムは2度と無い!
参加!!
※この事業目的は琉球大学の学生が「江戸立」の道を追う!的なもの
行って良かった。とっても勉強になりました。
ワンはシマ唄に興味をもって以来、その背景にある琉球・薩摩との関わり合い・影響は避けては通れない事で、自分なりに調べたり聞いたりするが“?”が増える。もちろん、学者でも正解は見付けられないけど・・・
今日も古文書(中国含む)や考古学の新たな調査結果から、見解が変ってきている。
昔にはロマンがあるね〜
フォーラムの中で少し自分なりに思った事があります。
今日の本題とはずれるけど・・・、意見交換の中で奄美からの意見に対し、奈良出身の琉大の学生さんがこんな質問をしました。
「沖縄は、シマンチュとナイチャーとの若干の差別があるように思うが、奄美ではそのような差別はありませんか?」
参加者から数件回答がありました。ワンも意見を言いたかったけど、勇気がありませんでした。
ワンはこう思います。
奄美(大島)には沖縄ほどナイチャーがいない。だからまだ意識しない、むしろ今のところwell come(笑)
冗談だけど、数%本気。。
沖縄は奄美から遅れて日本復帰した。ここで奄美群島と大きく違うのは“沖縄県”として復帰した事。県として!
沖縄県は復帰以降住民の意識(心)の中に“固有の民族”の考えを持ち、大きな固まりとして政策を打って来た。社会は大戦の被害者として取り上げ、その動きを助長する。
結果、異文化の“琉球文化”をもって観光立国を築いた!!
その反面、現在でもメディア等の影響もあり、沖縄の人達は本土に対して反骨精神を持ち続ける(ように思える)。
“日本でありながら異国情緒あふれる地(沖縄パラダイス)”
観光の発信により、沖縄の魅力にひかれiターン者が急増。
しかし、この人達は自由です。(もちろん全ての人がではない)
先祖崇拝もなければ沖縄の風習も知らない。
同じコミュニティーで生活するのに、摩擦が起きる。(シマンチュとナイチャーの区別化が生じる)
この状況をつくったのは、いったいだれ?
本土の人が好きなのか?嫌いなのか?
さぁ、奄美です。
S28に日本復帰!鹿児島県のほんの一部として
奄美は古い時代から複雑な行政統治を受けてきた。
日本復帰後もそれを続けた。
言葉も文化も違うけど、それでもいい選択をした。望んだ。
言い過ぎました。これしか取る方法が無かった!!
いや!奄美群島が一致団結して勝ち取った日本国民だった。
奄美の歴史は教科書に出てこないので、自ら知ろうとする以外、知る方法が無い。
“砂糖地獄”という薩摩を敵視する言葉はあまりにも有名で、なんちゃって奄美の歴史を語る人は必ずこの言葉を口にする。
有名な言葉過ぎて奄美の人は、この言葉を知らず知らずに刷り込まれている。
また、これをあおるように、生まれてこの方怒られるのは殆ど鹿児島弁をしゃべる教員や警察。。
この事から「沖縄に戻ろう」と言う人もいるが、もうちょっと考えて欲しい。
沖縄だって昔奄美に攻め込んで統治した。
どっちに付くかじゃなくて、奄美の事をもっと奄美の人達が学び、これからどうするかです!!
今日はフォーラムからアドレナリンが出続けてるのか口調が強いですが・・・スミマセン
上の事も踏まえて奄美の既に起こっている課題は・・・
内地(本土/ヤマト)のモノが全ていいモノっち、まだ思っていること!
奄美のシマにしかない文化はどこにも負けない宝ど!
ナイチャーがもって来た新しい文化(例えばジャンベ隊、例えばよ)にすぐ飛びつく。悪い事とは全く言わない。しかし、同じカルチャーをするなら、少なくとも消え行く八月踊りを教えるのが先じゃ無いか?!と思うだけ。また、そのヤマトンチュにも奄美の文化を少しでも分かって欲しい。
まずシマの知識を島ンチュが知らなければ!!
話しは一番前に戻ります。
奄美の人は“現在ナ”イチャーを差別しません。むしろwell comeです。
だれか、今日質問した奈良出身の琉球大学生に話して下さい。
by samogari
| 2010-03-03 23:41
| シマ事