2021年◆傑作ノンフィクション(後)★このノンフィクション10篇も堪能した
ベスト10には選ばなかったが、出版年月が昨年前期もの、おなじみのベテラン作家たちのもの、その他いろいろ興味深く読んだ本10篇をあげる。
★11
◆高橋大輔◆剱岳・線の記 平安時代の初登頂ミステリーに挑む
/2020.08/朝日新聞出版
…………〈点の記〉から〈線の記〉へ、そして〈もうひとつの点の記〉へ
*
見えてきたのは、剱岳に埋もれた線の物語だった。
ファーストクライマーを追って剱岳に5度登ったわたしは、埋もれ古道のリアリティをつかんだ。それは伝統的に立山信仰の中心地とされてきた芦峅寺、岩峅寺を起点としない、上市黒川遺跡群や大岩山日石寺から剱岳へと登拝する道だ。古き良き立山の山岳信仰を伝える道である。
ファーストクライマーの5W1Hという点を繋ぎ合わせることで、古代人と山の関係が明らかになった。
山は古来日本人が死生観を投影してきた精神的土壌であった。そこに外来の神仏を招き入れ開山し日本を文明国にとの平安朝廷の国策があった。
その担い手は奥深い霊山を開いた山伏であった。
彼らは古代日本を開拓した探検家たちであった。(本書)
*
〈memo〉
剱岳は立山連峰にある標高2,999 mの文字通り劔のような険しい山。新田次郎『剱岳〈点の記〉』(1977)で有名である。
これに対し、本書の〈線の記〉とは、剱岳ファーストクライマーの謎の5W1H、すなわち、いつ――山頂に立ったのは何年か、誰が――山頂に錫杖頭と鉄剣を置いたのは誰か、どの――どのルートから山頂にたどり着いたのかなどを探す旅、これが“線の記”である。
最古の遺物、錫杖頭と鉄剣を山頂に残置した者が剱岳のファーストクライマー、初登頂者である。その“線の記”を追えば、目的や実像を明らかにできるのではないか。探検家高橋大輔は、文献と現場への旅を重ね「物語を旅する」人である。
――山に登ってみることはもちろん、〔…〕埋もれた地方史や民俗学的資料を発掘し、それらを登山エキスパート、歴史学者、考古学者らの経験や知見、叡智と結びつけ、現場から考えることで謎に迫ってみたいと思った。(本書)
★12
◆常井健一◆地方選 無風王国の「変人」を追う
/2020.09/KADOKAWA
…………これは宮本常一『忘れられた日本人』の“首長版”ともいうべき傑作
*
私は昭夫〔村長〕に役場の中を一通り案内された。
2階にある村長室の近くに「議場」と表札のかかった一室があった。
扉を開けると、がらんどうだった。部屋の中央には安っぽい長机をつなぎ合わせ、「ロ」の字にされていたが、これでは議場というよりも会議室だ。
私がこれまで訪ねた町や村で見てきた、「自治の殿堂」たる議会の重々しい雰囲気とは大きく異なった。 〔…〕
つまり、昭夫にとって村長就任後から18年がたったそのころから現在に至るまで、議会なんてあってないようなもので、数ある会議のうちの一つに過ぎないのだと私は悟った。
村議の1人によると、議会では質疑も一般質問もなく、執行部提案が原案通り可決されて1日で閉会するという。32年間で質問に立った議員はのベ7人しかいない。
――第3章 風にとまどう神代の小島(大分県姫島村長選)(本書)
*
〈memo〉
マイナーな地方選の現場を1人で自由に見て歩き、住民からの聞き取りや史料の発掘を通して日本政治の奥の奥、そこに映る「にんげん」の本性にまで肉薄しようと試みた。
選挙の民俗学、首長の文化人類学とも言えるだろう。(本書)
扱われているのは北から、北海道中札内村、同えりも町、青森県大間町、和歌山県北山村、愛媛県松野町、大分県姫島村、佐賀県上峰町の7町村である。いずれも国の“平成の大合併”に抗い、独立独歩の行政を営んできたという共通点がある。
★13
◆森 功◆鬼才 伝説の編集人齋藤十一
/2021.01/幻冬舎
…………新潮社OBによる齋藤十一と「週刊新潮」の“評伝”
*
しかし、文士が集まって出版事業を始めた文藝春秋と新潮社では、おのずと出版社としての性格が異なる。
なにより齋藤は作家を志したこともなく、一冊の本も描き残していない。一編の著作もなく、残っているのは名タイトルだけだ。
とどのつまり齋藤は小説からノンフィクション、評論にいたるまで、その構想を示し作品を生み出すプロデューサーだったのである。
編集者に徹してきたからこそ、ものすごい数の作家や作品を世に送り出せたのだろう。文芸誌「新潮」で20年も編集長を務め、週刊新潮で40年という長さにわたって誌面の指揮を執ってこられた。(本書)
*
〈memo〉
齋藤十一(1914~2000)は、死去するまで新潮社に長く君臨した。著者森功はノンフィクション作家として活躍する以前、新潮社で「週刊新潮」次長などを務めた。その新潮社OBによる齋藤十一と「週刊新潮」の“評伝”である。
「墓は漬物石にしておくれ」と言い残した齋藤の墓は本物の漬物石だった、と著者は書く。「これはひょっとすると、本人が自任してきた俗物を意味しているのではないだろうか」。
★14
◆柳澤健◆2016年の週刊文春
/2020.12/光文社
…………究極の仲間ぼめによる「週刊文春」の60年
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「雑誌は編集長のものだ、たとえ社長でも口出しはできないと教えられてきたから、自分が編集長になった時には、やりたい放題をやってやろう。ずっとそう思っていました」〔…〕
もっと昔、たとえば1990年前後の花田紀凱の時代に編集長になっていたら、潤沢な予算の下で、記事やページ作りだけに集中できたから楽しかっただろうな、と新谷[学]は思う。だが、毎号1億円の広告が入り、80万に近い部数を売り上げた時代は遠く過ぎ去っていた。
「ただ、俺は何度も粛清されたけど、牙を抜かれることなく、野放しの状態で突っ走ってきた。
そういう人間が編集長になれるのが文藝春秋」(本書)
*
〈memo〉
柳澤健は、元文藝春秋社員、「週刊文春」編集部員だった。その著者による花田紀凱と新谷学という名物編集長を軸に“百花繚乱”の「週刊文春」編集部の60年を描いたノンフィクション。いまや官邸を右往左往させる1強のジャーナリズム。
記憶に残る事件を取材エピソードをまじえ綴ったクロニクルだが、当然物語のようにヤマ場があるわけではない。しかし最後まで退屈させない。
500ページを超える大冊、全編これ究極の編集者同士の仲間ぼめ本である。さすがに自社からの出版は控えたのだろう。
★15
◆魚住昭◆出版と権力 講談社と野間家の110年
/2021.02/講談社
…………社史のもとになった秘蔵資料合本約150巻を駆使して綴った“110年”史。
*
私がここで強調したいのは、この作品がいまはなき『月刊現代』の仲間たちの全面協力によってできあがったということだ。
さらに付け加えれば、権力から独立した自由な言論を目指そうという『月刊現代』の志がなければ、この作品は生まれなかったということである。(本書)
*
〈memo〉
講談社が1959年に編纂した社史『講談社の歩んだ五十年』のもとになった秘蔵資料合本約150巻を基に綴った“講談社と野間家の110年”史である。
講談社の近年の功罪……。「功」として『昭和萬葉集』全21巻の刊行。「罪」として『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』(ケント・ギルバート著)の出版をあげている。
『昭和萬葉集』には、「出版物は、その時代、その民族の文化の水準を示すバロメータ」で「人類の共有財産」だという省一の理念が結晶化されている。その出版の経過が詳述されている。
また『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』はベストセラーになったヘイト本。編集者と会社の精神の荒廃を示すものではないかと批判している。
★16
◆三浦英之◆災害特派員
/2021.02/朝日新聞出版
…………若手記者やジャーナリスト志望の学生に贈る「ジャーナリズムとは何か」
*
渡辺龍に捧ぐ――巻頭にはそんな一文を掲げたが、それは津波が押し寄せてくるなかでシャッターを切り続けた伝説的な報道カメラマンの固有名詞であり、同時に比喩でもある。
かつてあの被災地には泣きながら現場を這いずり回った数十、数百の「災害特派員」がいた。
悲惨な現場を目撃し、名も無き人々の物語を必死に書き残そうとした無数の「渡辺龍」たちと、今後ジャーナリズムの現場に飛び込もうと考えているまだ見ぬ「渡辺龍」たちに、この小さな手記を贈りたい。(本書)
*
〈memo〉
著者のノンフィクションは全作品を読んでいるが、これは朝日新聞記者としての「個人」を強く表面に出した“手記”である。
3.11発生翌日に被災地に入り、その後宮城県南三陸町に駐在員として赴任し、約1年現地の人々と生活を共にした。その“私生活”を回想したもの。
その後、アメリカ留学で学んだ「ジャーナリズムとは何か」を含め、これらの理論と被災地での実践は若手記者や将来ジャーナリズムの世界に飛び込もうと考えている学生たちの必読書である。
★17
◆大原扁理◆いま、台湾で隠居してます――ゆるゆるマイノリティライフ
/2020.12/K&Bパブリッシャーズ
…………でも台湾だから、ひきこもりでも大丈夫なんです
*
無料で誰でも使えるインフラが整っているということは、自分の経済力でインフラを整えられない社会的弱者にもやさしいってことなんですよね。
最悪、このまま下流老人になっても、路上生活者になっても、台湾でなら生きていけるかもしれない。
でも私がそう思うのは、たぶん、無料の水やWi-Fiや、スマホの充電スポットだけの話ではないんじゃないか、という気がする。
台湾社会には、「どんな人も、居ていい存在である」という共通認識のような気分があるんです。
排除されないこと。これって人間的インフラともいえるんじゃないかな。(本書)
*
〈memo〉
――週に2日だけは生活費のために働くけれども(介護の仕事をしていました)、あとの5日はなるべく社会と距離を置き、年収100万円程度稼いだら、あとは好きなようにさせてもらう、という感じ。少労働、低消費、そして省エネ型の最高な生活。
その“隠居生活”を31歳で台湾に移住し体験した3年間を綴ったもの。
言語が不自由な外国人の著者は、台湾で相変わらず引きこもりながらも、「友人未満、他人以上」の近所づきあいで自らを解放していく。
――でも台湾だから、ひきこもりでも大丈夫なんです。
★18
◆花房観音◆京都に女王と呼ばれた作家がいた
/2020.07/西日本出版社
………… 山村美紗の死後、“美紗命”の男二人はどう生きているか
*
山村美紗の死後、肖像画を描き続ける夫の山村巍(たかし)。
山村美紗をモデルにして、ふたりの恋愛を小説にした西村京太郎。〔…〕
もしもそれを愛と呼ぶならば、その愛は、私には狂気にすら思えた。「執着」という言葉が浮かぶ。ひとりの女に対する、男たちの執着は、彼女が亡くなっても彼らを捕らえて離さない。
夫の描く絵、京太郎の小説、どちらからも漂ってくるのは、山村美紗への執着だ。
彼らはまるで山村美紗に取り憑かれているかのようだ。
亡くなったあとも離れない女の念が、絵や小説を描かせたのか。
そう思わずにはいられないほどに、山村巍が描いた美紗の肖像画からは、強い念が漂ってくる。そして小説『女流作家』からは、美紗がどれだけ魅力的で愛されていた女だったかということを残したい、という切々とした想いが伝わってくる。(本書)
*
〈memo〉
山村美紗は、京都に住み、京都を舞台にしたトリック重視のミステリーを書き、その作品の多くは2時間ドラマとなり、人気を博したベストセラー作家である。
当時週刊誌が書かない文壇のスキャンダルが記事にしていた『噂の真相』に山村美紗はしばしば登場した。
とびらに足立三愛のイラストがあり、実在の人物とは関係ありません、という注釈付きで、山村美紗と西村京太郎とおぼしき二人が裸で絡み合っているのもあった。
作品を売るためには、自らもミステリーな存在に、スキャンダルも華のうちと考えていたようだ。京都東山に移り住んだとき、隣りに引っ越してきた西村京太郎邸とは地下通路でつながっていた、という噂も同誌で知った(夫の巍は目の前のマンションに居住、と本書にある)。
山村美紗は、1996年東京帝国ホテルのスイートルームで執筆中に心不全で急死する。65歳(公称では62歳)であった。
“美紗命”だった男二人のその後では、まことに興味深い。
★19
◆坂崎重盛◆季語・歳時記巡礼全書
/2021.08/山川出版社
…………日本のホテルに和英版俳句歳時記が置かれるのを夢見る
*
思えば俳句歳時記、季寄せは、日本の言語空間に生きつづけてきた。ということは日本人の風土、生き死にとともにあった、そら恐ろしいほど重厚的な感情や、イメージの発露を記録、編集した、日本文化の総合辞典であったのである。
歳時記が日本人にとっての聖書といわれる道理である。
と、すれば、たとえば日本の一流ホテルの各室に和英版でもよし、和仏版でもよし、俳句歳時記の類が置かれていてもよいのではないか。
季語・歳時記巡礼をなんとか、まがりなりにも無事終えたいま、もしや、日本のホテルに、常備されている、歳時記のページを気ままにめくる幻影を思い浮かべるだけで、この道楽、愚行も少しは報われる気もしてくる。
幻しは、時として現実になる。(本書)
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〈memo〉
著者にとって神田神保町古本散歩は中毒、宿痾のようなもの。店頭の均一台の背表紙から「俳」の字が飛び込んでくる。明治以降の俳書が安く売られている。
こうして歳時記など俳句関連本が約80種類が手元に(種類と書いたのは歳時記は春夏秋冬新年と分冊になっている)。雑誌連載10年、500ページの大冊ができあがった。
当初は“季語道楽”として、美しい、珍しい、面白い、難解な季語に関心をもっていたが、やがて優れた歳時記の選定、すなち書評の方向へ動いていく。
自分にふさわしい歳時記が本書で見つかるか。
★20
◆味田村太郎◆この世界からサイがいなくなってしまう アフリカでサイを守る人たち
/2021.06/学研プラス
…………「子どものための感動ノンフィクション大賞」最優秀賞受賞作
*
キタシロサイの数は激減し、1960年代には、2千頭ほどが残っていましたが、1990年代に入ると数十頭にまで減少します。
そして2008年ごろには、アフリカの地に野生のキタシロサイはいなくなってしまいました。
幸いだったのは、かつてアフリカの国ぐにから、ヨーロッパのチェコ共和国の動物園に送られた数頭のキタシロサイがまだ生きていたことです。
これらのサイをもう一度、アフリカ大陸にもどして子どもを産んでもらい、キタシロサイを絶滅から救おうというプロジェクトが始まりました。
2009年には、チェコから4頭のキタシロサイが東アフリカのケニアにあるオルぺジェタ自然保護区に到着しました。(本書)
*
〈memo〉
南アフリカの人たちに人気がある野生動物は「ビッグ・ファイブ」と呼ばれる、ライオン、ヒョウ、ゾウ、バッファロー、サイ。
このうち密猟によって激減しているのは、ゾウとサイ。象の密猟に関しては、三浦英之『牙 アフリカゾウの「密輸組織」を追って』に詳しい。
本書は児童向け環境ノンフィクション・シリーズの1冊として、サイと密猟者、サイを守る人たちの“戦い”を描いたもの。
――新型コロナウイルスも、もともとの感染源は野生動物とみられています。
新型コロナウイルスの拡大は、わたしたちに野生動物を保護することの大切さを改めて伝えることになりました。野生動物たちの命を守るということは、じつは、わたしたちのくらしを守ることにもなるのです。(本書)
2021年傑作ノンフィクション補遺
最期に亡くなられた二人の作家の作品に触れておきたい。
半藤一利 2021年1月12日(90歳没)
★21
◆勝目梓◆落葉の記
/2020.10/文藝春秋
…………“百科全書”的に老人の日々のできごとを記録する日記小説の傑作
*
いつからか自分の心の奥底には、得体の知れないぼんやりとした虚ろな気持ちが巣くっていた。それが自分ではっきりわかっていた。
それは77歳になったいまも消滅してはいない。
そいつの正体がなんとはない虚無感や、うっすらとした厭世観だということがわかったのは、40前後になったあたりだったと思う。
要するに生来の気質がネガティヴ一辺倒の人間だということだ。思えばこれまで、何かに熱中したり、躍起になったりしたことがほとんどない。俳句も途中で熱が冷めた。人から見ればつまらない人間に思えるだろうが、そういう質なのだから仕方がないではないか。
――「落葉日記」(本書)
*
〈memo〉
勝目梓(1932~2020)。87歳の作家は心筋梗塞で亡くる前日までこの小説を書いていた。
絶筆となった長篇「落葉日記」と7つの短篇を収めた最後の作品集。エロチシズムにみちたバイオレンス小説などが300冊を超える流行作家だが、晩年『老醜の記』など私小説を書いた。
「落葉日記」は、ノンフィクションではないが、日記文学の傑作である。克明に72歳から77歳までの日々“自分”を綴った日記である。
ウォーキングと1日10句をノルマとした俳句の日々である。
ときに老人ホームの建設出資者勧誘という詐欺事件に巻き込まれたり、コンビニで万引きをする少女を救ったり、テレビや新聞を見て政治と政治家の劣化と機能不全を嘆いたり、ときどき料理を担当し豚レバー唐揚げや揚げ豆腐と野菜のあえもののレシピを詳細に記したりという日々が綴られる。
「前立腺がん」を患っているが、手術など積極的な治療を断っている。
――加齢による肉体の老いと衰えを自然のこととして受け入れて、格別の病苦をやわらげること以上の積極的な医療は謝絶し、生命の摂理に従って死を迎えたい、と考えているだけなのだ。 (本書)
1日10句をノルマとする俳句作り、あわせて句集など俳句関連書を多読する。膨大な数の自作の俳句が収録されており、「これと思える作はない。ノルマとして無理矢理ひねり出した句は、自分にも無理矢理の作と映るから虚しい気持ちが残る」など、自作の反省文も併記されている。
――自分と伸子に残されていることは、あとはそれぞれの死という大仕事だけだ。生老病死。この先に自分たちがどんな病気になってどんな最期を迎えるのか、おたがいに予測のしようはない。いずれにしろ、死は大仕事と思われる。 (本書)
ところが妻の突然の交通事故死が襲う。「享年71の、あまりにも呆気がなさすぎる不慮の死」、その後日記は100日余り途絶える。
――ふと思い立ってはじめた回想記が止められなくなった。独り暮らしの暇つぶしにちょうどいい。先のことを考えようにも、そこにはそう遠くないはずの死のことしかないのだし、それについてはいずれじっくり考えるつもりなので、思いは来し方にしか向かうところがない。(本書)
その後、「なんとはない虚無感や、うっすらとした厭世観だ」という上掲の一節を書き、本書末尾に「――絶筆」とある。
死の前日まで書かれていた『落葉日記』は、高齢夫婦そして一人暮らしの日常のすべてを網羅し、わかりやすい日記体の文章で書かれている。これは時代の暮らしを記録する老人文学の傑作かも。
★22
◆半藤一利◆昭和史 昭和史戦後篇 B面昭和史 世界史のなかの昭和史
/2004~2018/平凡社
…………“歴史探偵”爺ちゃんが語る面白くて分かりやすい昭和史
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たとえば、国力が弱まり社会が混沌としてくると、人びとは強い英雄(独裁者)を希求するようになる。
また、人びとの政治的無関心が高まると、それに乗じてつぎつぎに法が整備されることで権力の抑圧も強まり、そこにある種の危機が襲ってくるともう後戻りはできなくなる。
あるいはまた、同じ勇ましいフレーズをくり返し聞かされることで思考が停止し、強いのに従うことが一種の幸福感となる。
そして同調する多くの仲間が生まれ、自分たちと異なる考えをもつものを軽蔑し、それを攻撃することが罪と思われなくなる、などなど。
そうしたことはくり返されている。と、やっぱり歴史はくり返すのかなと思いたくなってしまいます。(本書)
*
〈memo〉
教科書では昭和に行く前に授業が終わってしまうので、まとまって昭和史を読んだのは三好徹『興亡と夢――戦火の昭和史』(1986)だった。
教科書のようにできごとを簡潔かつ羅列したものではなく、学者の本のように論文、注釈多しではなく、読み物として長丁場をらくらく読了できるもの。その唯一無二が『興亡と夢――戦火の昭和史(1~5)』であった。
“歴史探偵”、“昭和史の語り部”と称される半藤一利の著作に最初の出会ったのは『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』(1965)だった。当方が読んだのは角川文庫版(1973)。といっても大宅壮一編とあり、著者の名はない。「あとがき」に「文藝春秋戦史研究会・半藤一利」とある。半藤名義で本書が出たのは、1995年である。その経緯は『半藤一利 橋をつくる人』(2019)に詳しい。
いま手元に半藤一利『昭和史』4部作がある。著者が編集者に授業形式の語り下ろしによる「わかりやすい通史」として刊行された。三好徹『興亡と夢』よりも執筆時期が20年も新しいことに歴史の“現在”を知る意味がある。
(了)
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