質問1
塾と学校で国語の授業の進め方が全く違うのは、なぜでしょうか?
質問2
学校教育で学ぶ国語は本当に真面目に聞いていて頭が良くなるのでしょうか?先生の授業を利いているより、自分の好きな本を読んでいる方がマシな気がします。
理由
学校で行っている国語の授業(私は中学2年を担当)は、生徒と先生がみんなで文章を鑑賞しましょうというノリです。授業中、私は生徒に質問するのですが、その質問のレベルは塾で言えば、小学校6年生でも答えることが出来るほど簡単な質問です(質問の答えは、教科書を見ていれば簡単に発見できるレベルです。)
私なりの考えをページ下のコメント欄に書いているので、時間のある方はコメントも読んでいただけると嬉しいです。
小学校高学年の子どもを持つ親として、まったくの主観で回答します。
質問1
塾と学校で国語の授業の進め方が全く違うのは、なぜでしょうか?
コメントに記されているように、私も両者の目的が異なるからだと思います。
つまり、塾は高校合格が目的ですし、学校は指導要領に沿うことが目的だからです。
高校の立場からしてみれば、指導要領に沿って学習してきた生徒が来ることは当たり前の話で、それに加えて欲しい条件を入試に出題するので、両者の進め方が違うのは自明のことかと思います。
質問2
学校教育で学ぶ国語は本当に真面目に聞いていて頭が良くなるのでしょうか?先生の授業を利いているより、自分の好きな本を読んでいる方がマシな気がします。
何をもって「頭が良くなる」という基準によります。
私は、どんな相手であってもコミュニケーションをとることができる能力が「頭が良い」ことだと考えています。したがって、国語教育の目的は「日本語を使ってコミュニケーションする能力を高める」ことだと考えます。
この観点でみると、学校にしても塾にしても、「読む力」「書く力」をトレーニングする時間が圧倒的に足りません。マンガでもいいので、もっと読んだ方がいいと思いますし、ブログでもいいので、もっと書いた方がいいと思います。
大切なのは、読んだ本のあらすじや感想を他者に説明できること――中学生レベルならば、全員が違う本を読んで、5分間であらすじを発表させ、他の生徒がその内容を理解できたかという評価をさせます。教師は場を用意するだけで、評価・判断に絡む必要は一切無し。
書く力についても同様で、全員が違うテーマで作文し、それを回し読みさせます。内容を理解できたかどうか、生徒同士でディスカッションさせます。
もちろん、こうした生徒同士のディスカッションを行うには、小学生レベルの基本的な文法(とくに接続詞の扱い)がマスターできていないと始まらないのですが、小学校でそうしたディスカッションや作文の指導が行われていないのは残念なことです。
回答者として言うのも変な話ですが、将来先生になる方にお願いがあります。
こうしたトレーニングを、小学校でやらないから中学校でもやらないというのは勘弁してください。中1でも遅くはないので、トレーニングしてやってください。
私は親であると同時に会社人間であるのですが、最近、ちょっと困ったことが起きています。毎年、新入社員の教育を兼ねて技術会議の議事録を作成させているのですが、毎年、徐々に質が低下してきているのです。新入社員のPCスキルは高く、発言をその場で丸々記録するので情報量は膨大です。しかし、話し言葉と文章は違うものですから、日本語としての意味が通じないことがあります。さらに、要約して相手に理解してもらう(この作業によって自分が理解する)という意志が希薄になってきているように感じます。
オジサン世代としては、誤字・脱字は大目にみるとしても、四字熟語や比喩表現が減ってきていることも気になります。
質問1
塾は、受験問題を解くためのテクニックを教えるところで
学校は、テクニックでなくて読解力等を教えるところだからです。
質問2
テクニックで問題が解けても読解力がない人もいますから、一概に学校教育が悪いと
いうわけでもないと思います。基礎学力がない人は、テクニックを覚えると
一見、問題が解けるようになりますが、問題が解けるだけで、物事の本質を分かってるわけでは
ありません。
>その質問のレベルは塾で言えば、小学校6年生でも答えることが出来るほど簡単な質問です(質問の答えは、教科書を見ていれば簡単に発見できるレベルです。)
発見できるって、それはテクニックだからですよね。読解力がなくてもできるからですよね。
学校は読解力を養うところですか。なるほど!
以前、塾で英語の講師をしていました。その経験からしかコメントできませんが、塾と学校の授業の進め方が異なるのは、存在する位置自体が異なっているので、仕方ないことではないでしょうか?
学校の場合、学習レベルの異なった、しかも学習意欲の差のある子がいるクラス全体のレベルを、ある一定まで持っていかないといけないため、授業がクラスの平均か、やや平均より下の子を中心に進めていくしかありません。
その一方、塾の場合、学校の成績をあげるための塾、進学のための塾に大きく2つに分かれると思います。学校の成績をあげるための塾の場合、学校の定期試験に合わせて、出題されそうな所(点数に直結するような問題)を中心に解き、結果がすぐに見えるような授業の進め方をします。進学の場合は、入試に向けて総合的にいろいろな分野を基礎から積み上げていき、応用、または入試本番で新出問題が出題されても対応できるようにと授業を進めていきます。
質問2に関してですが、学ばないよりかはいいと思いますし、学校はあくまでも基礎の基礎までしか教えないので、自分の好きな本を読んだりして文学の世界を広げていくのは、あくまでも生徒本人次第という所では無いかと思います。
なるほど!ありがとうございます。
質問① あなたの考えと同意見なので割愛
質問② いろいろな考え方がありますが日本の学校教育は「同学年の子は全員が同じ漢字を書け、同じ文章を読めるようにする」というコンセプトに基づいています。質問者さんがどうかはしりませんが、ある学校では「六年生で習う漢字を五年生が授業のプリントで書いたら注意するか、保護者にそういった漢字を学校で使わないように指導する」といったことも行われています(つまり、同じ漢字を誰も読めない、ということでもあります)
なのでつまり誰か一人が突出して頭がよくなる、悪くなることがないような教育をしているということですから、それは逆に言えば積極的に頭が良くなるような教育を行わないということでもあります。
しかしそれでも私は国語の授業が必要だと思います。なぜなら読みたい人間だけ文章が読めるようになる社会を日本社会は望んでいませんし、銀河鉄道の夜、注文の多い料理店みたいなものに触れておく機会を作ることは自分の読みたい本を読んで読む力を鍛えることと同じぐらい重要だと思うからです
平均的な学力が必要なのですね!頭の賢い生徒にとってはやっぱり学校で受ける国語の授業は微妙なのかな。
質問1
塾と学校で国語の授業の進め方が全く違うのは、なぜでしょうか?
みなさんおっしゃられている通り、存在の目的が違うからです。
学校は義務教育なので。
ちなみに、同じ学校でも、公立の学校と、私立の学校では、国語の授業も微妙に違いますよ。
質問2
学校教育で学ぶ国語は本当に真面目に聞いていて頭が良くなるのでしょうか?先生の授業を利いているより、自分の好きな本を読んでいる方がマシな気がします。
食わず嫌いをなくす、っていう効果もありますね。
自分の知らない事柄に、授業を受けてみて、はじめて出会う、という楽しみもあります。
好きな本だけ読んでいると、より「自分の好き」なことに、出会えない可能性もあります。
「何でも食べましょ、よくかんで」。
たとえがおもしろいです!
こんにちは。
質問1
塾と学校で国語の授業の進め方が全く違うのは、なぜでしょうか?
教える人が違うから。
質問2
学校教育で学ぶ国語は本当に真面目に聞いていて頭が良くなるのでしょうか?先生の授業を利いているより、自分の好きな本を読んでいる方がマシな気がします。
学校は頭を良くする為に勉強しているだけではありません。
好きな食べ物ばかり食べていては栄養が偏るように、好きな本だけ読んでたら、頭の中も偏ります。
食べ物で例える例が多いですね。
国語学習が社会に出て役立つよう、授業を工夫したいものですね!