私は、それなら、最初から産まなければいいじゃないと思っています。
http://q.hatena.ne.jp/1201319095
以前、こんな質問をしたものです。
社会がサポートする体制をなんていっている香山リカとかいう人もいますが、
そもそも産まなければ、こんなことにならなかったと思っています。
子育てが上手くいかなくても殺さない親が大多数ですが、殺す可能性も0ではなく、
それでも、産むのはなぜか私にもわかるように教えてください。
漠然と「子供を産む理由」については人それぞれ(本能とか)だと思いますので、触れません。
子供を殺す可能性が0ではない。それにも関わらず、敢えて産む。それは何故か。
というところに絞って書きます。
結論から言えば
「世の中の親の中に子供を殺す親がいる確率」は0ではないが、
「自分が子供を殺す確率」は0だ。だから産む。と普通の親は答えます。
そうでない親は、人でなしです。
質問者さんは
http://q.hatena.ne.jp/1100317210
の質問者と似たような意図だ。とコメント欄でおっしゃいましたが、
だとしたらやはり質問の仕方を間違えてしまったのではないかと思います。
子供が何かしらの障害を負って生まれてきたり、子育てがうまくいかない。ということと、
自分が自分の子供を殺す。ということには大きな隔たりがあります。意志の有無です。
障害やらなにやらは、自分の力の及ばないところです。それこそ、確率です。0ではありません。
それを理解したうえで、何が起きても子供を愛する、と決意して子供を生む人もいるでしょうし、
自分の子供に障害があるかもしれないなんて想像もしないで産む人もいるでしょう。
そういう想像力のない人に対して「一定の知能がない」と断罪するのは、まあわからなくはありません。
しかし、子供を殺すかどうかは意志の問題です。自分は殺さない。という意志があり、実際そのようにすれば子供を殺す可能性は0です。
そして、その程度の意志もない者に親になる資格はありません。
「自分は子供を殺すかもしれない…」なんて言う親からは即刻子供を引き離すべきです。
ここまで言っても、子供を殺す確率が0ではない。と言うならば、
あなたが次の瞬間周りの人を無差別に殺す確率も0ではないとは思いませんか?
親に殺されてしまうかもしれない他人の子供のことを思いやって、人に何故産むのかと問うならば、
あなたに殺されてしまうかもしれない他人のことを思いやって、あなたに何故自殺しないのか。
と問うこともできるのではないでしょうか。
でも、そんなことはないでしょう?あなたが周りの人を無差別に殺すなんてありえないように、
親が自分の子供を殺すことは普通の人にとってありえないのです。確率0なのです。
何度でも言いますが、そこを悩んでしまう人は親ではありません。
~~蛇足~~
ちょっと質問者さんに失礼なことを言いますが、この質問は思春期の子供が
「何であたしなんか産んだのよ!産まなきゃよかったのに!」
とわめき散らしているように見えてしまいます。もちろん文体は冷静ですが。
そうすると、それに対して「本能だから」とか「それが幸せだから」とか「気に入らない子は殺すかも」
って言う答えは見当違いというか、そう答える親はあんまり良くないな。とも思います。
ああもう!なんか言い足りないなー。
ちなみに自分は父親が何度も変わって虐待も受けたけど、今は2児の父です。
本当の父親は自分が生まれてすぐに家をでてるし、その人の血を引いてるから、自分がちゃんと親できるか不安だった。
それでも大好きな人との子供だから、きっとちゃんと愛することができる。
何があっても愛するぞ。と葛藤と決意のうえで子供を産んでもらったわけで。
一定の知能があれば…とかギャンブル…とか楽観的…とかいう物言いは、カチンと来ますよ。
とにかく、そこまでシニカルに構えることもないのではないでしょうか。
長々とすいませんでした。
ええっと、質問の意味が量りかねていますが・・・
そもそも未来が思ったとおりになるなら、誰も、何の苦労もしないと思いませんか。
その理屈の行き着く先は「どうせ死ぬんだから生きなければいい」です。
自分の思った通りにならない
どうなるかなんて考えもしない
どうなるかなんて考えられない
だけど、生きる欲望に縛られて生きていく。生き物の性質です。
人間は変に時間の概念とかあるからめんどくさいですけど。
結局なにを期待して、なにに絶望するかのバランスの問題でしょう。
別に子育て、子殺しに限らないですよね。
そうですね。生きていることそのものに繋がると思います。
>その理屈の行き着く先は「どうせ死ぬんだから生きなければいい」
なら、自分が産まれないという選択肢は不可能なので、これ以上そういう存在を作らないために
産まない、産ませなければいいという結論になぜ至らないのか教えてください。
>生きる欲望に縛られて生きていく。生き物の性質
それでは、自殺する人は生き物の性質がないということですか?
以下の3点が理由ではないかと思います。
少しでも参考になりましたら、幸いです。
生物として子供をつくらないと、人類が種として滅んでしまうため、本能として。
この世に生を受けたからには、人間として許されていることは一応すべて経験したい。(教育、恋愛、結婚、子育て...)
子供を育てること、子供が成長すること、が自己の成長につながる。それだけ大きな責任と価値を伴う崇高な行為だと思うから。
残念ながらまったく参考になりません。
質問のリンク先参照しましたか?
世の中には、子供の顔を見るだけで、殺したいほど憎くなるという親もいるのです。
そのことは生む前には想像できません。
私の家がそうでしたから間違いありません。
それは、親の想像を絶するお顔だったのでしょうか?性格?
産む前に想像もつかないほど恐ろしい子どもだったのですか?
親が、ある一定上の知能があれば、子どもを産む前にどんなことが起こるかもしれない可能性を
考えているものだと思っていました。あなたの親はなぜ、あなたを産んだのでしょう。
聞いた事は有りますか?なんか、夢物語でも描いていたのでしょうか?
あなたのお歳がいくつかわからないので一概に言えませんが、これほどTV、インターネットが普及し情報が氾濫している中、いろんな可能性を考えることがなかった人(親)なのですね。
私は、考えてしまう人ので、より、殺してしまう可能性を押してまで、産む人の気持ちがわからないです。
確かに生まなければいいのかもしれませんね。
しかしながら、できてしまったものを、生まれないようにする方法の方が、生んでしまう方法よりも難しいしお金がかかる、という実情もあるのではないでしょうか。
中絶するよりも生んだほうが楽(だしお金もかからない)
というのはよくあるようです。
生みすて、というのも結構あります。ご存知でしょうか?
また、リカさんについてですが、社会は一般的に、子どもは生んだほうがよいという風潮です。
なので、サポートすべきではないか?といっているのではないでしょうか。
回答がご期待に添えなければ申し訳ないのですが・・・。
>中絶するよりも生んだほうが楽(だしお金もかからない)
いやいや、産むほうが大変です。痛いし。。お金も、義務教育まで
養育しようと思っても、ずっとかかりますよ・・
お金がかからないと思うのは、すごい、あほな人だけだと思いますが。。
>生みすて
確かにありますね。殺すぐらいなら、産み捨てればいいのに。。。
私の率直な感想です。
まず、子どもを作ることは一種のギャンブルです。仰るようなクリティカルなデメリットが(稀な確率とはいえ)存在することは当然の前提です。そもそも女性にとって出産というのは死亡を伴う危険な行為です。(開発途上国で極端に高い妊産婦死亡)このように、先進国でも2800人に1人は妊娠出産の際に死亡するのです。
ではなぜそれでも(これほどの危険がありながら)人は子どもを生むのでしょうか。それは…
1成功体験に支えられているから。
大抵の場合、不幸な育ち方をした人は子どもを産むことをためらいます。逆に言えば、無邪気に子どもを求める人は幸福な親子関係を経ており、それを自らの未来に投射して幸福な人生像をイメージしていると考えられます。それは、必ずしも現在の自分の状況を客観的に分析してそうする訳ではないので、ときに不幸な結果をもたらしもします。子は親を見て育つと言いますが、親が子どもを幸せにするためにどれほど苦労しているかきちんと観察していない子どもも意外と多いものです。
2自分だけは不幸にならないという思いこみがあるから。
これは楽観というよりは、人は未来予測を願望によって歪める生き物であるというのに近いと思います。ギリシャ神話の「パンドラの箱」の話をご存じでしょうか。人間は、どれだけ不幸が多かろうと、不幸が未来に存在する限り「自分だけは大丈夫」という希望を抱いて生きることで、どんな状況でも絶望せずに生きていくようにできているのです。例えば今日自殺しようと思っている人であっても、自分が「自殺に失敗して半身不随になり生きるもならず死ぬもならずという地獄のような状態になる」といった不幸な未来を(起こりうる未来であるにもかかわらず)予測せず、たいていの場合漫然と自殺が成功するという予測において行動する、などといった例からも見て取ることができます。
3本能としての性欲と集団志向
本能としての性欲については説明不要でしょう。ここでは更に「家族」を作ろうとする欲求についても押さえておきたいと思います。リスクの多い社会になるほど、人は「安心」を求めます。その際「他人を一切信用できない」タイプの人が、逆にその裏返しとして「血の繋がった人間なら信頼できる」という信仰にすがろうとするケースがこれに当たります。親子関係に妙な幻想を抱いている人、すなわち1のタイプのゆがんだ発露と考えることもできます。
4人間は本能的に子どもを求めるものだという教育
曰く「子どものいる幸せ、オンナの幸せ」といった、少々偏ったジェンダー言説が世の中に多々見られますが、それはそういう教育が世間一般に行われているからで、後天的な刷り込みです。もちろんそれを生み出すためのいくつかの本能的快楽が人間にセットされていることは必ずしも否定しませんが(小さくころころした無害そうな生き物に対して攻撃衝動を発露するのは難しい、など)、たいていの場合それは他の行為によって代償可能なものです(例:腐女子「猫とBLさえあれば何もいらない」。猫の声はご存じの通り人間の子どもの泣き声と極めて似ており、猫飼いは子育ての代償行為になり得ます。)。こういった事実を前にしてそれでも現実に子どもを生む選択をするのは、一種の社会的洗脳と言えます。
5個体を単位として生命を捉えていないから。
…これは「意識」のレベルでなく、日常ほとんど意識されていないレベルで我々の行動を左右している行動原理があると仮定して、の話になりますが、我々は自分の「死」を自覚している珍しい生き物の一つです。そして自分の「死」を意識して生きていればいるほど、「自分が死んだあとどうなるか」を考えて行動するようになります。家庭を持った父親が生命保険に入るのはたいていそういう理由ですね。で、そういう風に考えるとき我々は生命というものを「自分という個体」単位で考えるのでなく「自分を含む群れ」単位で考えているのではないかと思われます。つまり自分と自分に連なる何物か(家族、血族のような集団)が永続することによって自分という存在は消えて無くならないという風に思いたくなる……荒唐無稽に聞こえるかもしれません。が、たとえば男性は一般に、疲労の際一時的に性欲が高まりますが、これは個体が危機に陥ったとき身体が子孫を残そうとするためだと言います。女性は乱暴された際に妊娠可能性が高まると言われていますが、これも個体が危機になった場合、母体よりも次世代を身体が選択するためだと言われています。つまり我々の身体は個体の存続よりも群れの存続を上位においているフシがあり、我々も知らず知らずのうちにその方向性を選んでいる可能性がある、ということです。
6最後に
まあ端的に言って人間はほとんど救いようもない馬鹿だからですね。
愛すべき馬鹿です。
馬鹿同士ですから、サポートくらいしてもいいんじゃないですか。馬鹿のこと放っておけないでしょう。なにせ放っておけないこっちも馬鹿なわけですから。
まあ、少しだけ明るい話をしますと、親が子を殺せばニュースになりますが、子どもが「信じられないくらい親孝行」をしてもニュースにはなりません。自慢したら「はいはい親バカ親バカ」と冷たい反応をされるのが分かり切っているからです。つまり子作りというギャンブルをする際に、マイナスの情報は入ってきやすいですがプラスの情報は入ってきづらい。つまり周囲から入ってくる情報だけを頼りにしていては、期待値の計算を誤る可能性もあるということです。どうしてもそこを正確に知りたければ、ここはひとつ、実際に体験してみて本当のところどうなのか試してみるしかないんじゃないですかね。
とりあえず質問主さんは子供が大嫌いなんですね。
普通の人はそんなに嫌いじゃありません。そこから話は変わってくると思います。
>最近、子殺しのニュースが多いですが、どう思いますか?
最近、目立っているだけで、戦後の方が圧倒的に子殺しや虐待は多かったです。
統計がちゃんととれていないだけです。
>私は、それなら、最初から産まなければいいじゃないと思っています。
>それでも、産むのはなぜか私にもわかるように教えてください。
質問主さんは子供を産み育てることにはリスクが伴うのになぜそんなことするの?と聞いていらっしゃるようです。
が、逆に言えば、出産育児といったリターンの無い苦労をする人の気持ちがわからない、とおっしゃってるだけのようです。
リターンが無くとも、充実感や喜びを感じられる事に投資するのが人間性だとは思いませんか?
それは育児出産に限った事ではありません。
女性が見た目を気にして、化粧したり着飾ったところでそれに見合ったリターンは常にありますか?
私はリスクの方が多いとしか思えませんが、一般女性はそれに喜びを見いだします。
もっと卑近な例で言えば、無味乾燥でマズイけれど栄養素の高い食べ物を十分に与えられても、人間は食べ物に満足できないということです。
人が子殺しに至るのは、「愛情とわがまま故の結果」ですが、そんなの男女のもつれでも親子のもつれでもある事例です。
それに、ご自分でも書いてらっしゃいますが、こんな時代でもこんな時代なりに、ちゃんと子育てをしている人の方が圧倒的に多いのです。
成功率が100%じゃないからやらない、というのは、どんなに言い訳しても、結局最初からその事柄を嫌悪しているだけです。
質問主さんは、何か切迫してるようですが、出産や育児を求められたらはっきり「私は子供が大嫌いで、産んだらすぐに殺してしまうから、嫌だ。」とまで言えばいいと思います。そこまではっきり言えば、だれも出産も育児も求めないと思いますよ。
いままでで、一番、納得のいく回答です。
話がなんというか、漠然としてないのがいいです。
>子供が大嫌いなんですね
おお!そのとーり。
>充実感や喜びを感じられる事に投資するのが人間性
確かにそうです。私も、1人で楽器の練習とか誰に披露することもないのにしますし。
>結局最初からその事柄を嫌悪しているだけです。
生い立ちから、事件のような内容や、リンク先のような事は、ものすごく身近に感じていますので確かに嫌悪しています。
>成功率が100%じゃないからやらない、というのは、どんなに言い訳しても、結局最初から>その事柄を嫌悪しているだけです。
これは、一種の賭けなのでしょうか。
まあ、ハズレだったら、大変ですね(子どもがですよ)
私が質問している理由は、自分の親が、私のことが大嫌いで、まあ、いろいろあったのですが、なのになぜ産んだのかが、自分も、いい年齢になってきたのですごく知りたくなってきたからです。どんな覚悟をして産んだのかということをです。
あ、私の親に聞けというのは無理です。すでに死んでますから。
本能だから。でしょう。
世の中そんなに理詰めで考えないですよ。
結婚したから次は子供。
彼氏できたから次はエッチ、子供ができちゃった。
そんな程度でしょ。
本能で腹が減ったから飯食いにいこうとする。だからと言って「汚染米かどうか、中国製冷凍食品か、食べたらどんなリスクがあるか?」なんて考えないんじゃない?
「そんな程度」
なら、別に、わざわざ、ここに回答しなくてもいいじゃないですか。。。。
これだけ、コメント欄も含めて「意志などない」みたいな回答を
ぶった切ってるのに・・・
意志がないと思う人は回答できないでしょ。
わからないならしなくてもいいのに。。。
あと、汚染米と人の命は同じレベルで考えれませんよ。
漠然と「子供を産む理由」については人それぞれ(本能とか)だと思いますので、触れません。
子供を殺す可能性が0ではない。それにも関わらず、敢えて産む。それは何故か。
というところに絞って書きます。
結論から言えば
「世の中の親の中に子供を殺す親がいる確率」は0ではないが、
「自分が子供を殺す確率」は0だ。だから産む。と普通の親は答えます。
そうでない親は、人でなしです。
質問者さんは
http://q.hatena.ne.jp/1100317210
の質問者と似たような意図だ。とコメント欄でおっしゃいましたが、
だとしたらやはり質問の仕方を間違えてしまったのではないかと思います。
子供が何かしらの障害を負って生まれてきたり、子育てがうまくいかない。ということと、
自分が自分の子供を殺す。ということには大きな隔たりがあります。意志の有無です。
障害やらなにやらは、自分の力の及ばないところです。それこそ、確率です。0ではありません。
それを理解したうえで、何が起きても子供を愛する、と決意して子供を生む人もいるでしょうし、
自分の子供に障害があるかもしれないなんて想像もしないで産む人もいるでしょう。
そういう想像力のない人に対して「一定の知能がない」と断罪するのは、まあわからなくはありません。
しかし、子供を殺すかどうかは意志の問題です。自分は殺さない。という意志があり、実際そのようにすれば子供を殺す可能性は0です。
そして、その程度の意志もない者に親になる資格はありません。
「自分は子供を殺すかもしれない…」なんて言う親からは即刻子供を引き離すべきです。
ここまで言っても、子供を殺す確率が0ではない。と言うならば、
あなたが次の瞬間周りの人を無差別に殺す確率も0ではないとは思いませんか?
親に殺されてしまうかもしれない他人の子供のことを思いやって、人に何故産むのかと問うならば、
あなたに殺されてしまうかもしれない他人のことを思いやって、あなたに何故自殺しないのか。
と問うこともできるのではないでしょうか。
でも、そんなことはないでしょう?あなたが周りの人を無差別に殺すなんてありえないように、
親が自分の子供を殺すことは普通の人にとってありえないのです。確率0なのです。
何度でも言いますが、そこを悩んでしまう人は親ではありません。
~~蛇足~~
ちょっと質問者さんに失礼なことを言いますが、この質問は思春期の子供が
「何であたしなんか産んだのよ!産まなきゃよかったのに!」
とわめき散らしているように見えてしまいます。もちろん文体は冷静ですが。
そうすると、それに対して「本能だから」とか「それが幸せだから」とか「気に入らない子は殺すかも」
って言う答えは見当違いというか、そう答える親はあんまり良くないな。とも思います。
ああもう!なんか言い足りないなー。
ちなみに自分は父親が何度も変わって虐待も受けたけど、今は2児の父です。
本当の父親は自分が生まれてすぐに家をでてるし、その人の血を引いてるから、自分がちゃんと親できるか不安だった。
それでも大好きな人との子供だから、きっとちゃんと愛することができる。
何があっても愛するぞ。と葛藤と決意のうえで子供を産んでもらったわけで。
一定の知能があれば…とかギャンブル…とか楽観的…とかいう物言いは、カチンと来ますよ。
とにかく、そこまでシニカルに構えることもないのではないでしょうか。
長々とすいませんでした。
私の質問が悪かったです。
「自分が自分の子供を殺す」
とは、自分の持っている遺伝子が遺伝することで、結果的に子どもの命を蝕んでいく
可能性について、一般論で例えたのですが、よくなかったと思っています。
「自分が自分の子供を殺す」可能性は、誰にでも起こり得る可能性だからと思い出したのですが、dolor 様のおっしゃるとおり、
「親が自分の子供を殺すことは普通の人にとってありえないのです。確率0なのです」
ということも、納得できます。
あなたの親としての気持ちがよくわかる、回答でした。ありがとうございます。
子供を生んだ時点では、まさか自分がこうなるとは皆思っていないのでしょうね。
憎しみや、怒りは、事前に自分で認識できますか?
未来に起こるだろう自分の感情は予測できないのが普通です。http://q.hatena.ne.jp/1222162536
子殺しのニュースですが いずれ殺そうと思って生む人なんてこの世にいないと思うので この子殺しの母親もPTAの役員とかもやっていたぐらいですし
子供に携帯を持たせていたから かわいがっていた時期もあったんじゃないでしょうか。
自分の親が、私のことが大嫌いで、まあ、いろいろあったのですが、なのになぜ産んだのかが、自分も、いい年齢になってきたのですごく知りたくなってきたからです。・・・とありますが、あなたのご両親に直接自分の子供の事嫌いなのか聞いてみたことありますか? 結婚して自然に子供ができたから産んだと言う人もいれば 妊娠していたのに気がつかなくて7ヶ月目に入ってしまい堕ろすことができなくてしょうがなく産んだと言う人、いろいろいると思いますが、親が自分のことどう思っているかなんて関係ないと思います。好きな人ができて 好きな人の子供がほしいと思えば産めばいいし、結婚しても子供はいらないと思えば子供ができても産まずに堕ろせばいいと思います。だって望まれないで生まれて来た子供はかわいそうですから。
結局育てる自信のない人は子供は産まないほうがいいです。また子供を殺すぐらいならおまえが死ね、といつも子殺しのニュースを見ると思ってしまいます
>それなら、最初から産まなければいいじゃないと思っています。
産む時に将来この子を殺そうと思って産む人なんて誰もいないと
思います。お腹の中で十ヶ月もの間、辛い思いをして命がけで産むのですから。
では、どうして殺さなければならい状況になったのか?となると
①経済的にどうにもならなくなった。一緒に無理心中をするつもりだった。
②自分が病気になり子育てができなくなった。
等が代表的に上がってきます。誰にも相談できず自分で始末する方向に突発的に考えてしまった結果ではないでしょうか?
その状況に立たされた時は精神状態は普通じゃないのです。
>子育てが上手くいかなくても殺さない親が大多数ですが、殺す可能性も0ではなく、それでも、産むのはなぜか私にもわかるように教えてください。
それでも産む理由ですが、まず夫婦の将来の為があると思います。
家族を作り、より幸せを掴む為。愛する人と結婚をして自分の子孫を残す考えは普通じゃないでしょうか?
また、老後の心配もあります。子供がいなければ誰も面倒を見てくれません。誰かしらの協力が無ければ生きていけないと思います。
それは他人ではできません。自分の子供じゃなければ面倒は見れないと思います。
私の質問が悪かったです。
「自分が自分の子供を殺す」
とは、自分の持っている遺伝子が遺伝することで、結果的に子どもの命を蝕んでいく
可能性について、一般論で例えたのですが、よくなかったと思っています。
「自分が自分の子供を殺す」可能性は、誰にでも起こり得る可能性だからと思い出したのですが、dolor 様のおっしゃるとおり、
「親が自分の子供を殺すことは普通の人にとってありえないのです。確率0なのです」
ということも、納得できます。
あなたの親としての気持ちがよくわかる、回答でした。ありがとうございます。