想像力をフルに使って、あなたの説を書き込んでください。
浦島太郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E5%B3%B6%E5%A4%AA%E9%83%8E
お母さん、わたしのことは気にせずに、どうぞその男の人と幸せになって下さい。たかのビューティクリニックのコンテストに出て優勝したりして下さい。その方が楽しいから。
映画『下妻物語』の桃子の台詞です。
桃子のお母さんは、医者の男性を好きになったので、お父さんと別れることになりました。
しかし「桃子を連れ子にすると、向こうの家はどう思うか」内心では気になるので、
「お母さんだけ幸せになって、なんだか桃子に申し訳ないの」とそんなこと気にしてる自分に罰が悪くなって、泣き崩れるのですが、
小学生の桃子ちゃんは、そんなお母さんに上のように諭して送りだすのでした。
浦島太郎は、自分だけ幸せになることに恐怖したので、内心罰せられたいと思っていたのです。桃子のお母さんと同じ心理です。
絶頂のままでいられるほど、肝も据わっていなかったので、竜宮で乙姫と幸せに暮し続けるより、何百年も経っているのに浜辺に戻って、今手にしている幸せを全てを失いたくなったのでしょう。
乙姫のせいにするのは他罰的で良くないです。
「笑ゥせぇるすまん」見ていていつも思っていたのですが、自己破滅への願望というのを、依頼人自身が持っていたのだという印象が、わたしには強くありました。(あるいは我孫子先生や見ている読者の破滅願望の投影?)
依頼人が持ってる「破滅したい欲求」を充たしてやるのが本当の喪黒クオリティだった、とわたしは感じてました。
乙姫もそうです。
浦島太郎自身が、絶頂へと一旦登りつめた後の絶望への転落を、心のどこかで望んでいたので、そのように体験させてやったのです。
乙姫は、人間にはわざわざ「〜してはいけない」と禁止された行為ほど、犯したくなるという欲求があることも知っていました。
これは死への欲求にも通じるかと。
昔新聞でちらっと読んだ、「慢性的自殺衝動」という、ある心理学者の唱えた説が印象に残っていて、「笑ゥ〜」を見るといつもその説を思い出してました。
ただしこれは、自動車運転での速度違反とか喫煙とかもみんな「慢性的自殺衝動」(願望だったか?)の内として捉えるべし、みたいな、かなり乱暴というか雑な印象があったので、学会ではすでに否定されてるだろなーと思います。