fc2ブログ

徐々に

こんなことしてる場合なんだろうか、行政書士試験の勉強の合間と思ってたら、ブログしたりブログみたりで、勉強が合間になってしまってる。

こそこそ

2012-05-08(Tue)

にほんブログ村 資格ブログ 社労士試験へ   にほんブログ村   現在 当然圏外

ビジネスブログ100選   士業  (弁護士、会計士等)   現在 56位


いやーーーーー、それにしても久々のアップである。まぁ、そこそこ忙しかったのではあるが、8ヶ月の間にブログ書くくらいの暇なときもあったはずだとも思うが・・・ まぁ、取り敢えず、近況としては、というか進歩なしで、社労士も行政書士もまた落ちた 行政書士にあっては、後2点で合格、ということは、兎に角あと1問あってさえいれば、今、こんなブログを書いてなかっただろあなぁ。微妙なところで乗らない不運というか、体質というか、試験だけの話でもなく、実生活そのものも微妙に上がらないとなると、社会構造的な歪をもろに受けているとしか考えられなくなってしまう。だけど、チャレンジしなければ、先には行けないわけで、苦しくとも挑む以外ないのだ。まぁ、ちょっと、疲れた、けどね。かなり、ショックが大きかったのだね。相変わらず、本はぼちぼち読んではいるのだが、備忘録的に読後感をここに書いてたりしてたのだけど、書く前に次の本に行ってしまっているから、それが続くと、書くのも億劫になるものなのね。まぁ、ということで、まだ、社労士に合格したわけではないのだけれど、社労士の参考書、問題集の一部を取り敢えず処分すべく、楽天オークションに初出品してみた。だけどまぁ、案外面倒くさいものだ。まぁ、ズレGW休暇で、ちょっと暇もあったので、いい暇つぶしになったか。設定金額が高いかなぁ、とも思うが、まぁ、売れなきゃ売れないで、ぼちぼち値を下げたりとかしてけばと思ってるから、いいけど、まぁ、1日1回くらいは落札あるなしをチェックするか。まぁ、それはそれで落札されても発送とかも面倒くさそうだね。

ということで、初出品の告知でした




PageTop

そこそこ

2011-10-10(Mon)

にほんブログ村 資格ブログ 行政書士試験へ  行政書士試験ブログ  現在 33位

ビジネスブログ100選   士業  (弁護士、会計士等)   現在 20位


やっと休みであった。震災の影響による電力受給の分散対策で、かなりハードな常夜勤的な日々を送ってきたわけなのだけれども、それも、先月で終わった。昨日は、夜勤明け、取り敢えず休みであったのだが、いつも通り、朝酌? して、昼は当然寝ていたのだが、かなりの爆睡であったのか、晩酌前まで眠っていた。それで、晩酌して、昨夜もよく眠れた。これを図式化すると、朝酌 → 睡眠(8時間) → 入浴 → 晩酌 → 睡眠(8時間) → 起床 となる。今日は、体育の日だから一般ピープルは、休みのはずであるが、サイコはまた、夜勤である。そう、ハード常夜からは解放されてはいるが、日曜日の昼勤が無くなっただけで、少しだけ楽なだけである。が、今までの疲れが溜まっていたのだろうか。よく寝てたな まぁ、なんやかや、ここ3か月であったのだが、案外というか、早かった。というか、もう10月だよ 今年の6月末に、まさに、グッドなタイミングで、ボーナスと退職金を掠め取って消えていたW氏の替わりに、常用型派遣で入った新人、それこそこれまで正に常夜勤であったのだが、彼にも昼勤を引き継がせるということであったのだが、それは来月に持ち越された。それで、サイコも一週間交互の昼勤は来月に持ち越されたのである。まぁ、昼勤に戻ると、車を駐車するのを考えないといけないということもあるのだが、というのも3か月だけのこととはいえ、それまで借りていた駐車場の賃料を払うのが勿体無かったので解約してしまっているからである。まぁ、駅前に24時間駐車場があって、最大1日700円なのでそこに泊めとけばいいのだが、そっから職場まで遠いのよね

ところで、行政書士の勉強の方であるが、各種の模試問題集も一日一回ずつコンスタントに進めていて、今は行政書士2011年法改正と完全予想模試の09年版を2回分までやったのだが、まぁ、合格点を楽々超えているので一安心ではある。まぁ、だけど、今度で5回目のトライアルということは、上記模試も最低3回はやってるから、答えを覚えてしまっているのだろうね
まぁ、でも、ここんとこ自分の記憶力の衰えというものを感ぜずにはおれない常況からして、取り敢えずの安堵ではある。まぁ、後1月くらいしかないわけで、やれるのは民法を押さえておくぐらいしかないわけで、残りの勉強方針は、そこに特化している。もちろん記述対策も含めてということである。記述式の出題の2問は民法典からの出題であるからして、これに尽きる気がする。まぁ、兎に角、早いとこ、試験に受かろうや!

PageTop

GT始動

にほんブログ村 資格ブログ 行政書士試験へ  行政書士試験ブログ  現在 29位

ビジネスブログ100選   士業  (弁護士、会計士等)   現在 31位


うーーん、ブログも更新するのが億劫になってしまうほどに、仕事の方も、特に忙しいわけではないのだけれども、ほとんど常夜勤に近いようなシフトに変わってしまったので、家でパソコンに向かっている時間も、減った、わけでもない それにしても、3か月あまりも更新してなかったのか 社労士試験も無事?終わって、今度はGT(行政書士トライアル)である。去年は、ぼーーーっと、一週間過ごしてしまった経緯からすれば、我ながら今回の始動は早い。だけか 去年の、22年度の試験をやり直してみたのだが、おい、当然足きり(一般常識たったの5問正解)、合計点でも、記述を相当あまーく見積もっても、146点くらいだ。そこで、当然、分析してみたのだが、、うーーーん、過去問だけやってても、解けるだろーよ、というのを間違ってる。まぁ、それでも、この早い?段階で、行政書士試験ほど毎年、同じような出題が出される試験もないのか、という感じである。そして、行政書士完全攻略ガイド(2011年版)の音声ガイドをしっかり繰り返し聞いている。まぁ、基本的なことしか言ってないので、単なる基本固めのつもりだけなのだが、それで、民法を制するもの必ずや合格、とまでの信念で、4冊、久々に図書館で借りてきた。

不法行為法 第4版  吉村良一

初学者のための民法学習ガイド  山野目章夫

ケースではじめる民法  山野目章夫/編

スタートライン債権法 第5版   池田真朗

まぁ、新しそうなのを、適当にピックアップしてきただけなので、実際、行政書士の勉強になるのか分からないのだけれども、まぁ、折角なので読んでみる。後、2月ちょいしかないわけだけれども、やるだけはやっておこうか。


現代宗教意識論  大澤真幸

3か月もたって、続きを書くのも何なのだけど、第三者の審級というのは「者」であるからして擬人化も含めて人的な要素に限られてしまうような、そんな感は否めない。しかし、これを中華思想にあてはめれば、まさに「天」が全てを決する、第三者の審級と同様な思想ではなかろうか。この天命というのは易姓革命のことなのだが、大澤の盲点としてうまく批判に絡めることができるかもしれない。いわゆる宗教一般だけではなく孔子、孟子と続く儒家において、天命というものが第三者の審級にあたるはずであり、翻ってその儒家を隠者的に批判した老子の道家がそれこそ現代では「オタク」という範疇であろう。まぁ、多少アクロバティックな意味づけではあるとは分かっている。なぜなら、道家というのは、「天」の更に上に「道」という範疇を設定する教えであり、まぁ、またちょっと無理を承知で騙るならば、その設定こそ「セカイ系」なのである。大澤から数学的な設定と宗教の普遍的設定を崩してしまえば、それは中国ですでに2500年以上前にあった思想なのである。それこそ、キリストも生まれる前にである。

PageTop

虚構の時代の果て

にほんブログ村 資格ブログ 社労士試験へ   にほんブログ村   現在 54位

ビジネスブログ100選   士業  (弁護士、会計士等)   現在 31位


現代宗教意識論  大澤真幸

まず、冒頭「すべての偉大な社会学者は、いずれも宗教社会学者でもあった」(「現代宗教意識論」序P7)。社会は宗教現象でしかない、としていろいろと例示を踏まえて論考していく。この「宗教」というのは、バリバリのキリスト教であったりイスラム教といった一神教をのみ意味するのではなく、アジア的なものに合致する意味で仏教やヒンズー教なのどの多神教的なものも含み、また、そうした世界宗教のみならず、信仰は薄くとも、というか仏教国だろう日本で年末にクリスマスパーティーが盛んに行われたりするような、形式のみが模倣されている現象も「宗教」として含んで考えるのである。もっと言えば、無神論者は、神を信じない、という宗教者なのである。だから、無宗教者という概念があるとして、宗教を持たない、という宗教を信じている者と言っていいだろう。しかしながら、宗教の中でも、キリスト教は異質なものであるとして、その中に予め世俗化の形式が用意されており、近代がそうした脱宗教へと進む過程が資本主義的なものと相まって、進行した。にも係わらず、現代においても、局地的な事情に限らず、宗教に根を持つ現象、たとえ形骸化された儀式や祭りであったとしても、他者の総体としての市民なり国民なりの共通行為として行われる宗教的行為は無くなっているわけではない。逆に、クリスマスの例でわかるように、宗教が完全に世俗化して形式化しているのが、日本的なクリスマスでもあり、それをも宗教行為とするのである。そして、それなりの洗練化も進んでいるわけである。さて、特異なキリスト教の例示だけではない。その成立過程も含めて歴史的遡及から古代、中世において超越的第三者による審級が成立しただけではない。そうした、宗教に根ざした社会でのみ、第三者による審級が機能するのではない。超越的第三者は、たまたま宗教が浸透する普遍的な社会においては神であり、神々であり、仏様であるわけだが、部分社会においても、例えばあるアーティストのファンクラブであれば、対象のアーティストが超越的第三者となりえるわけである。また、脱宗教化が進行しているはずの現代においてなお、メディアで占いをやらない日はないし、ヨガとかホットスポットなどが流行っていたりするのも含めて宗教現象であり、神(々、仏)に変わって、そうした中に第三者の審級がたち現れているのである。まぁ、共に何となく「われわれ」よりも上に存在する何かを仮構することで、それによって共同体の統率、統括を機能させるということなのだが、宗教だから分かりやすい、ということで何か安易な設定のようにも思ってしまうのだが。取り敢えず、上記を前提とした上で、オタクについての補論をして、いよいよ1980年代から2000年代に起きた猟奇殺人(オウム、宮崎勤事件、サカキバラ事件、アキバ事件)を分析している。もちろん、第三者の審級ありき、でである。大澤の理論構築はそういう意味でもかなり緻密なので、批判というのはかなり難しいように思うのだが、アキバ事件について、セカイ系からの視点はKの裁判記録まで読んでいて説得力はそれなりにあるのだが、ちょっと安直な感じがする。詳述するかわりに以前書いたルサンチマンを参照して欲しい。



PageTop

ディーバーシステム

にほんブログ村 資格ブログ 社労士試験へ   にほんブログ村   現在 圏外

ビジネスブログ100選   士業  (弁護士、会計士等)   現在 26位


プレップ労働法第3版なる本も読みつつ、ぼちぼち社労士の勉強はしているのであるが、えーーー、試験日は変わらないのだが、時間が早くなる。しかも、択一式を先にやって、選択式を後にと。まぁ、1時間早くなるだけなのだが、何か変な感じだ。まぁ、それよりも兎に角勉強しないといけないのだが、そのプレップ労働法第3版はまだ去年出たばかりなので、法改正にもそれなりに対処してていいか、と思って借りてきたのだが、社労士用というよりも司法書士用ということで書かれているらしい。しかしまぁ、これを読んだ奇特な人は(実際著者が言っている)、あれ、と思うかも。というのは、サイコ自身は凄い親近感を持つような文体で、法律について書いているからなのだ。というか、サイコが書いているような書き方である。凄く大胆な本で、流し読みしてもらって結構、なのだそうだ。それを、しっかり読まさせてもらっている。まぁ、一応知識として労働法全般について理解?しているつもりなので、確認の意味で読んでる、と言ったほうがいいのかもしれないけれど。まぁ、兎に角、100日を切ってきたし、本腰入れて勉強しないと、と思いつつも、また何冊か読んでしまってる そのうちの一冊を紹介しておこう。


戦争報道  武田徹


この本は、おおまかにいうと、大東亜戦争時の日本の報道、ベトナム戦争時のプロ・ジャーナリストの行動や素人といっていい日本の文学者による現地レポやベトナム映画について、湾岸戦争時後の報道システム、の3部から報道の体質を非常に緻密に分析していると思う。それぞれについて騙ってみたいところなのだが、特に、ハーバーマス概念には、大東亜戦争当時の日本のメディアに公共性が欠けていたことを、ルーマン概念には、ネット時代の情報氾濫下で「信頼」という幻想を持ってメディアの情報を信頼することを、対比的に叙述しているところを詰めて騙りたいところなのだが、今回は、第3章の「湾岸危機以後の戦争報道」で出てくるディーバーシステムに絡めて、騙ってみたい。まさにリンクに本著そのものが参考文献として、そのシステムについて説明しているのだが、脈々とで書いたマルチチュ-ド(上)について、学者もこのディーバーシステムに踊らされたのではないか、と思うのである。ピンポイント爆撃だけが戦争ではなく、そればかりを象徴的にニュースソースとして出してくることによって、かなり無残な他の事柄が見えなくなっていたのであるから、新たな戦争の陰に、それこそアメリカを混合政体と呼んだネグリが、実際のアメリカ軍の悲惨を見ていなかったのでは、、と思うのである。ハイテク武装ばかりに気を取られていて、かなりの失策(イラク侵攻自体がそうなのだけれど)があったことには気づかなかった、ということだ。まぁ、あの本の構成からして、アクロバティックであるから、作為的にそれには触れていないのかもしれないけれど。
さて、やはりルーマンについて、ちょっとだけは騙っておこうか。、アナムネーシス(想起)で2年ほど前にリオタールについて騙ったものだが、忘却というものはついて回るものだ。リオタールが非人間的なものについて語っていた「モナド化された言語活動の現実性に依拠」する社会、を後期ルーマンの社会システム論にも見ていたサイコである。後期ルーマンもそれこそポストヒューマンと言っているわけで、リオタールとどこか通底するのではなかろうかと。

まぁ、全然本の紹介になっていないのだけれども、この本は、いろいろな意味で面白かった。ということで、今日はここまで。


PageTop