みなさん見ましたか!
「Free!」第7話!絵コンテ・演出/山田尚子!
映像の素人の自分でも、初見放送を眺めていて
「なんかこの回、今までと違うな?」と思ったんですけど
スタッフロールをみて超納得&改めて驚嘆ですよ!!
素人目にも違いを感じさせるとかそれだけでもすごくないですか?
演出がめっちゃ濃かった!
情報量がすごかった!
やっぱ山田尚子すげえっすよ!!
でまあ、この記事では我らが「けいおん!」監督・山田尚子の映像を堪能する視点で、自分がどの辺りをみて「ああ、山田尚子やっぱすげー!」ってのを堪能したかというとこをつらつら書いていくわけですが、本当に細かく 見ていったら大変なので、とりあえずこの記事では70点ほどカットを抜いて、ピックアップして紹介していくことにしますw この回をけいおんクラスタ的に(山田尚子フリーク的に?)楽しむ一助になれば幸いですw
ところで、「映画けいおん!」からこの方、山田さんが絵コンテ、演出ともに担当された作品って、「たまこまーけっと」の第1話だけじゃないのかな?というわけで、本当に久々の山田監督―Free!は監督じゃないけど…けいおんクラスタ的には常に監督なんだよ!―のコンテ、演出を23分間、文字通り堪能できる回でした
あ、ちなみにもちろんホモ水泳「Free!」は毎回楽しくみてますよ?
BLとか801とか大好きなんで全然おっけーっすよ!
でまあ、ぼちぼちみていきます
まず印象的だったのはPOV(Point of View:ある人物の見ている風景)で視聴者を引き込むテクニック
例えばアバンでの場面
渚がプールサイドの江に話しかけると、切り替わって渚視点のPOVで江と真琴を見上げるカットになる
これによって、視聴者の心理をキャラクターに寄せて作中に引き込むわけですよね。この小技はこの回、色んな所で使われてます。Bパートのこことかも
凛を探す遙、またこの後の去っていく遙を見る真琴のカットが、それぞれのPOVになってましたね
で、やはりAパートでの凛の夢のシーンはさすが細やかな演出と情報量でした!w
もうこの一連のシーンは細かく見ていくと大変なんで、大雑把に行きますが…
水平線を傾け、魚眼レンズを使うことで不安定で非現実的な絵を作っているわけですが、それだけでなく、撮影さんの光の入れ方といい、この夢の絵は陰影を強調していて、不安感を与える絵作りになっています。なぜこの夢のシーンが不安感を煽っているかというと、それは夢の内容が凛の父親の死と関連してるからなのですが…それは見ていくとわかるようになってます
で、金魚がでてくる。本作で金魚が死を意味するイコンであることは過去の回で語られている通りです。これでこの夢が益々死の影を強くするわけですね。またこの金魚の姿が金魚鉢によって歪んで見えるのも不安感を煽ります
ちなみにこの金魚、背びれがないので蘭鋳です。twitterからしつこくいってますがこれは蘭鋳です。山田監督つながりの小ネタですよ小ネタ!映画けいおんネタですよ!わかってますか皆さん!w
(ところで、この直前の金魚鉢がひとつぽつんとおいてあるシーンとか映画っぽくていかにも山田尚子って感じしませんか!)
そしてここ! この演出すげー!って思いますよね!w
死の金魚が益々強調される。しかもそれらが無数に、遙と対峙する凛の足元にまとわりつく。凛が死に囚われていることがわかる、実に象徴的なショットです。山田尚子がいかに繊細な感性でこのシーンを作っているか!
あとこのシーン、「フリー」という遙の口元がアップになるところも不快感を与えられますよね。心をザラッと触られる感じ。この不快感はそのまま、フリーにこだわる遙への凛の不快感なんだろうなと思ったり…
で、プールから父親を追いかけていくわけですが、左のカットもまたすごく象徴的で、凛は明るい海を背に手前に走ってきてV字に折れ曲がり、父親は山のトンネルへと向かっていく。この画面を左右対称に切ったような手前に突き出してくる極端なV字も、視聴者に不快感と不安感を与えます。そもそも消失点がふたつあり、現実にはありえない光景なので、異様な印象を与えるのは当然です。さらに画面がぐらーっと傾いていく。これでもかってくらい不安にしてきますw
ちなみに、このトンネルというのもまた「死」を意味するイコンでしょう。民俗学的にも、古来、洞窟とか山の穴は死の世界との淡い(境界)と考えられたものだからです。トンネルの中へかけていく死んだ父親、その脇にも金魚鉢と金魚、反対側には道祖神かあるいは慰霊碑?のような小さな祠がある。さらに電信柱には黄色と黒の警告色。これらも死や不安感を意味する記号です。恐怖映像か!という…つか、何なのこの情報量w
で、トンネルを抜けると、案の定、そこは父親の死を弔う葬列で、この夢が死のイメージとつながっていることがはっきりするわけです
で、このトンネルを明かりへとかけていく父親の姿というのは、この後のBパート、凛が似鳥に自分の父親について話すシーンで「非常口」のカットがワンカット挿入される理由なんですね。ふたつを重ねているわけです
これ。山田尚子の演出ってこれですよこれ!w
凝り過ぎだろう! もうホント見てて面白い、面白すぎます!w
そして最後にこれ。これはもう山田尚子というよりは内海監督の意図が知りたいところ
小さいころの凛はなんと言っていたのか?、それはこの後のエピソードで語られるんでしょうね
こういう妄想的なシーンはたしか「CLANNAD」の担当回でもやっていたと思うので、ぜひとも見比べてみたいところです
でもって、いつもの山田尚子の、対象物を左右どっちかに寄せるロングショットは健在。例えばここ
彼女の絵は多くの場面で神経質なほど「奥行き」をみせることにこだわっているのですが(それはこの回でも意識してみていればほとんどのシーンがそうであることがわかると思います)、場面全体の状況を見せるシーンでは、こういう平面的なFIX(カメラ固定)構図をポンっと好んで入れます。それがメリハリを生んでるんですね
一方いつもの、FIXで画面手前に物体や人物を置いて奥行きをみせるという手法もいっぱい使ってます。例えばここ
手前の凛、中央の似鳥、後列の椅子と、ぱっと見でも3つのレイヤーがある奥行きのある絵だとわかりますよね
ちなみにこのシーンはFIX、フォーカスはずっと似鳥に固定で、手前の凛はピンボケしててろくに顔も映らないけど、画面内で一番大きく動くw こういうのも彼女の演出だよなあとか
ところでこの回、シリアス回だけあって場面切り替えにワイプを使ってません。その代わり…
左のようなオーバーラップ(ディゾルブ)や、水の泡を使っての画面切り替えをやっていたのが印象的でした
特にAで2度使ってるオーバーラップはけいおん!などではあんまり記憶になかったなあ…でも、遙サイドと凛サイドをオーバーラップでつなげて描いていることで、Aパートの流れがスムーズになってたと思います
あと、「けいおん!」で山田監督は、「感情を出すシーンでは好んで横顔を使うのが癖」と言ってましたが、今回も横顔多かったですね。ここではあえて遙、凛を引用せず、怜くんw
なぜ怜を引用したかというと深い意味はないんですが、ちゃんとメガネのつるを描いてるなあと、くだらないことが気になったのでw だってほら、和ちゃんはメガネのつるなかったじゃん? でもほら、つるあってもこうしてちゃんとやれるじゃん?とかけいおんクラスタ的に思ってみたりしただけw
あと、感情を描くということではもうひとつ「けいおん!」では多用されていた足元カットふたつw
左は似鳥くんの足が落ち着かなく動くのが印象的。右のカットは歩くシーンですが、真横でなく斜め上から見せてたので、「あれ?真横じゃないよ?絵コンテ誰?」と思いました…山田さんだったとはw
ところでこの回、斜め上から見下ろすように一同を見せる、ハイアングルのカットが多かったですね。「けいおん!」では小津安二郎ばりのローアングルが印象的だったのですが…例えばBの待ち合わせ場所での一同
こうしたハイアングルからのショットはローアングルが対象を力強く見せるのと逆に、対象を矮小化するとされていますが…
どういう効果を狙ってこうしていたんでしょうね? 腐女子が彼らを愛でるため?w
じゃあ反対に、山田尚子お得意のローアングルのカットもふたつほど拾ってみてみましょうw
左は対峙する遙と凛を見上げる絵、これもうカメラを床に置いてますよ!床に!w 超ローアングル!
ローアングルは対象を威圧的に、強く、凛々しく見せる効果があるとされるので、これはもう最高度に緊張感を高めるための演出といえますね
また右は、プールサイドの縁の影?から撮影してます。これまたすごいローアングルw ここも緊張感を狙ったものと言えそうです
他にも、真琴と待ち合わせている遙をローアングルで見せていたりして。対決前の気合の入っている雰囲気が伝わります
というわけで、ローアングルはこの回もさり気なく効果的に使ってます
また、映画けいおん!でさんざん出てきた、画面中の文字、映像情報の暗喩を使ったマニアックなギミックも健在でした
おみくじ。フォーカスしてるのは待ち人来るですが、他の項目「旅行 楽しみ多い思いでとなる」は夏合宿のことでしょうし、「願事 他人の助けにより望み事叶う」は、第8話以降の展開を暗喩するものであるように思われますが、如何にw
怜がリレーに興味を示す直前のシーンに挿入される鳥のカット。4羽の海鳥が列をなして飛んで行く。これはリレーする4人になぞらえたものでしょう。鳥に登場人物を暗喩させる演出は「けいおん!!」s2e20や「映画けいおん!」でも印象的に使われました。これはもうお約束って感じですねw
でもって花。「けいおん!」でも「たまこま」でも花言葉にはそのシーンを象徴する暗喩がありました
これは凛の墓参りのシーンの直前に入るワンカットですが、きっとこの花言葉にも意味があるはず! でもこの花ちょっとわからんのですよねw 野菊であれば「障害」ということになりますが―遙の存在がそうなのか、それとも、父親の死にこだわることが、凛の障害なのか…?(追記/0828:コメントで水仙という指摘がありました。確かに葉っぱがそうかも。水仙なら「うぬぼれ」「自己愛」「エゴイズム」などが花言葉。この対決は凛のエゴ…ということならストーリーにも合致する!?)
こうした細かいギミックで深読みさせる(というかさり気なく情報を仕込んでいる)のも、山田さんの映像の持ち味でしょう
また、自販機での凛と似鳥のやりとりの場面は、セミロングとアップの起伏の激しさとテンポが見ていて小気味良いものがありました
凛が視聴者に(似鳥に)向けてPOCKET SWEATの缶を放り投げるという演出でおどかしておいてから…
ロングで入って、いきなり凛の手元アップにぱっと切り替わる。そのままジュースを飲む凛の口元へカメラが動いて…
応答をする似鳥に切り替えてから、少し寄ってセミロング…
でもってまた突然手元にアップ。で、父のイメージ回想はいって、父の死を語る前段に上の非常口のカットからまたイメージシーンに入って、今の場面に戻ってくる。この会話の場面は、ヘタするとすごく退屈な絵になってしまいそうなのに、手元を映すショットをパシパシ入れるカメラワークとリズムのせいで飽きずに見れました
この一連のシーンのポイントは凛の手元で、上の足元カット同様に、このシーンではアップになる凛の手元、その缶の扱いにこそ、彼の感情が描かれているといえるでしょう
つまり大げさに言えば、この一連のシーンを象徴している主役は缶であって、この缶が重要なアイテムであることは最初に放り投げるシーンで提示されてるんですね
このシーンを振り返って見なおしてみると、そのことがはっきりわかる
こういう仕掛けが凄いなあと素直に思います
さて、この回のメインテーマ。遙vs凛の扱い
このふたりについては、対決前は、おそらく意識的に、対照的なカットを平等に入れまくってます。全部取り上げるの大変なんで、例を挙げると
こことか…
ここなど。つまり対決前はふたりを対等に撮影している
それが対決で勝敗が決着すると、立ち位置の高低が変わり、カメラの映像もローアングルとハイアングルに変わります
こうなって
こうなると
決着後にふたりの立ち位置を変えることで、それまでふたりを対照的・対等に撮影していたカメラも、勝敗でアングルを変えるわけですね
これは陳腐でわかりやすい演出ですが、こういうのをストレートにやられると小気味いいですw
また、こうして対決後にふたりが正対し、イマジナリーラインを形成することは、次の映像演出で重要な意味を持ちます
で、個人的に注目すべきは一連の競技場のシーン!
この競技場のシークエンスは実にカメラの存在を強く感じさせる作りになってます!
ここからは、カメラの位置を意識しながら見ていくべきです!
まず最初。カメラはハイアングルで競技場を見下ろす場所(岩鳶側スタンド最後列?)にあり、遥たちに寄って行きます
ハイアングルで寄って、彼らのところに来たカメラは、水平に彼らを写します(右のカットは、上記した奥行きのない横からのロングショットの典型例ですねw)。つまり、カメラは彼らの場所にやってきたわけです。で、ここから先生の一連の会話と、そのためのカメラワークを挟んで…
真琴たちがプールサイドを見下ろす視線に合わせて、今度はカメラはプールサイドをハイアングル(彼らのPOV)で見せます。すると次の場面では
真琴たちの視線に導かれるようにして、カメラはとうとうプールサイドまで降りてきて、真琴たちを見上げて撮影します。その後、内海監督の要望を満たしつつ(笑)、カメラは真琴たちのスタンドとプールサイドを行ったり来たりするようになります
そして、競技シーンから決着までは、ほぼ遙を応援する真琴たちのいる岩鳶側からプールと競技の様子を映しています
こんな感じに。例外はターンですれ違うシーンの凛のPOVの遙を除けばワンカット。遙が劣勢になってきたときの、遙、凛舐め岩鳶スタンドのカットだけです
このカットにすごく異質なものを感じたなら、多分その感覚は正しい。なぜなら、この一連の対決シーンで唯一このカメラだけが、遙を鮫柄側から撮影しているからです(見返してみてください。他は上記した凛のPOVを除いて、ずーっと岩鳶側から泳ぐ様子を映してます)
そしてこのアングルこそ、内容と同じく敗北の伏線でもあります…というのは
やがて凛が勝利すると
今度はプールサイドの上空、ローアングルから鮫柄学園スタンドを映し、似鳥にアップで寄ると…
ここで初めて、鮫柄学園側スタンドから見下ろすようにプールを見せます
つまり、カメラは鮫柄学園スタンドに移動したのです
そして勝敗がついた後、カメラは、凛、遙が作るイマジナリーラインの左側(鮫柄側=勝利側、遙の左側)に置かれて、もう岩鳶側からは映しません
つまりこの一連の場面は、岩鳶側スタンド上段→岩鳶メンバーのいるところ→プールサイドに降り→試合中プールを主に岩鳶側から撮影し→試合後には鮫柄側スタンドの応援団のいるところへ上がる、というカメラの移動経緯がイメージできます。遙と凛の対決の最初から終わりまでを、競技場の上空からV字に接近、移動して撮影したわけです。それだけでなく、それまで主人公の遙のいる岩鳶側にあったカメラが、ドラマが作るふたりの勝敗によって、遙と凛が作るイマジナリーラインをまたいで勝者の凛側に移動しているのです
どうすか、カメラの存在感すげえ!って思いません!?
つか、山田尚子やっぱすげえ!!w
やはり山田さんは、アニメの映像感覚でなく、実写映像の感覚でコンテを切ってるんじゃないでしょうかね
あと、対決シーンもいろいろ映像演出が細かった
ここでも魚眼レンズ出てきた! でもこの後の、ふたりが飛び込むシーンは普通のレンズで映してます。ということは、ここでの魚眼レンズの使用は、意図的な映像演出ってことですよね?
意図を推察すると、多分、ただ横に並んでいるのでは対決のニュアンスが伝わりにくいので、このカットではふたりの向いているベクトルを交差させる、いわゆる「閉じた空間」の絵が欲しくて魚眼を使ったんだと思います
それによって緊張感を作ろうとしたわけです
また、飛び込む寸前のフォーカス移動!
最初は奥の凛の躰にフォーカスしていて、ふたりが前傾姿勢をとるにつれて、焦点が手前の遙に移動する
この臨場感はしびれました! さすが山田尚子w
「映画けいおん!」でもフォーカスの移動は多用してましたよねえ。オルドゲートイースト駅のシーンとかw 焦点の移動で奥行きを意識させるっていうのも、彼女の映像ではよく出てくる気がします
そしてやっぱり
でましたハンドカメラによる手ブレ撮影! まさにここ一番での山田尚子の十八番w
競技中、ここともうワンカット(記事のちょっと上にあるカットですが)、手ブレ撮影が入ってます
いうまでもなく、これも臨場感を出すための映像演出でしょう
でもって最後はこれ
ぐにゃーw
うわあ。こんなベッタベタな演出を!w いやでもありです!あり!w
……というわけで
ざっと「Free!」第7話の山田尚子の映像・演出テクニックを、自分が気づいたところをとりあえずかいつまんで紹介してみました。細かく見ていけばまだまだあるし、きっと気づいてないものも未だあると思うんですが、いやもう、ホント23分たっぷり山田尚子の映像を堪能した!って感じの一話でした!
つか、何度見返しても飽きない!!w
この1話を見返す充足感というのは、「映画けいおん!」を映画館で何度も見返していた時の興奮に近しいものがありますw アニメ演出で、たった23分にこれほどの見どころを詰め込める演出家・映像家ってそうそういないのでは…というか、最初に言ったように、この第7話はそれまでの6話とは本当に全く映像のレベルというか質が違った。そう感じさせるものがありました
「Free!」は内海監督以下、山田監督のもと、「けいおん!」で育ったスタッフが中心になって作っているわけですが、やっぱり山田尚子というのはまだまだ格が違うというか、京アニの中でも異才といっていいんじゃないか?とファンの贔屓目込みで思いますw
つーわけで、この1話は
何度も見返す価値があると思いますよ!
絵コンテ欲しいです!w
■ 追記 (0825)
海外の反応系サイトでこの回の外国人の反応を翻訳していました
演出の秀逸さを指摘している声がやはりありましたw
「Free!」第7話!絵コンテ・演出/山田尚子!
映像の素人の自分でも、初見放送を眺めていて
「なんかこの回、今までと違うな?」と思ったんですけど
スタッフロールをみて超納得&改めて驚嘆ですよ!!
素人目にも違いを感じさせるとかそれだけでもすごくないですか?
演出がめっちゃ濃かった!
情報量がすごかった!
やっぱ山田尚子すげえっすよ!!
でまあ、この記事では我らが「けいおん!」監督・山田尚子の映像を堪能する視点で、自分がどの辺りをみて「ああ、山田尚子やっぱすげー!」ってのを堪能したかというとこをつらつら書いていくわけですが、本当に細かく 見ていったら大変なので、とりあえずこの記事では70点ほどカットを抜いて、ピックアップして紹介していくことにしますw この回をけいおんクラスタ的に(山田尚子フリーク的に?)楽しむ一助になれば幸いですw
ところで、「映画けいおん!」からこの方、山田さんが絵コンテ、演出ともに担当された作品って、「たまこまーけっと」の第1話だけじゃないのかな?というわけで、本当に久々の山田監督―Free!は監督じゃないけど…けいおんクラスタ的には常に監督なんだよ!―のコンテ、演出を23分間、文字通り堪能できる回でした
あ、ちなみにもちろん
BLとか801とか大好きなんで全然おっけーっすよ!
でまあ、ぼちぼちみていきます
まず印象的だったのはPOV(Point of View:ある人物の見ている風景)で視聴者を引き込むテクニック
例えばアバンでの場面
渚がプールサイドの江に話しかけると、切り替わって渚視点のPOVで江と真琴を見上げるカットになる
これによって、視聴者の心理をキャラクターに寄せて作中に引き込むわけですよね。この小技はこの回、色んな所で使われてます。Bパートのこことかも
凛を探す遙、またこの後の去っていく遙を見る真琴のカットが、それぞれのPOVになってましたね
で、やはりAパートでの凛の夢のシーンはさすが細やかな演出と情報量でした!w
もうこの一連のシーンは細かく見ていくと大変なんで、大雑把に行きますが…
水平線を傾け、魚眼レンズを使うことで不安定で非現実的な絵を作っているわけですが、それだけでなく、撮影さんの光の入れ方といい、この夢の絵は陰影を強調していて、不安感を与える絵作りになっています。なぜこの夢のシーンが不安感を煽っているかというと、それは夢の内容が凛の父親の死と関連してるからなのですが…それは見ていくとわかるようになってます
で、金魚がでてくる。本作で金魚が死を意味するイコンであることは過去の回で語られている通りです。これでこの夢が益々死の影を強くするわけですね。またこの金魚の姿が金魚鉢によって歪んで見えるのも不安感を煽ります
ちなみにこの金魚、背びれがないので蘭鋳です。twitterからしつこくいってますがこれは蘭鋳です。山田監督つながりの小ネタですよ小ネタ!映画けいおんネタですよ!わかってますか皆さん!w
(ところで、この直前の金魚鉢がひとつぽつんとおいてあるシーンとか映画っぽくていかにも山田尚子って感じしませんか!)
そしてここ! この演出すげー!って思いますよね!w
死の金魚が益々強調される。しかもそれらが無数に、遙と対峙する凛の足元にまとわりつく。凛が死に囚われていることがわかる、実に象徴的なショットです。山田尚子がいかに繊細な感性でこのシーンを作っているか!
あとこのシーン、「フリー」という遙の口元がアップになるところも不快感を与えられますよね。心をザラッと触られる感じ。この不快感はそのまま、フリーにこだわる遙への凛の不快感なんだろうなと思ったり…
で、プールから父親を追いかけていくわけですが、左のカットもまたすごく象徴的で、凛は明るい海を背に手前に走ってきてV字に折れ曲がり、父親は山のトンネルへと向かっていく。この画面を左右対称に切ったような手前に突き出してくる極端なV字も、視聴者に不快感と不安感を与えます。そもそも消失点がふたつあり、現実にはありえない光景なので、異様な印象を与えるのは当然です。さらに画面がぐらーっと傾いていく。これでもかってくらい不安にしてきますw
ちなみに、このトンネルというのもまた「死」を意味するイコンでしょう。民俗学的にも、古来、洞窟とか山の穴は死の世界との淡い(境界)と考えられたものだからです。トンネルの中へかけていく死んだ父親、その脇にも金魚鉢と金魚、反対側には道祖神かあるいは慰霊碑?のような小さな祠がある。さらに電信柱には黄色と黒の警告色。これらも死や不安感を意味する記号です。恐怖映像か!という…つか、何なのこの情報量w
で、トンネルを抜けると、案の定、そこは父親の死を弔う葬列で、この夢が死のイメージとつながっていることがはっきりするわけです
で、このトンネルを明かりへとかけていく父親の姿というのは、この後のBパート、凛が似鳥に自分の父親について話すシーンで「非常口」のカットがワンカット挿入される理由なんですね。ふたつを重ねているわけです
これ。山田尚子の演出ってこれですよこれ!w
凝り過ぎだろう! もうホント見てて面白い、面白すぎます!w
そして最後にこれ。これはもう山田尚子というよりは内海監督の意図が知りたいところ
小さいころの凛はなんと言っていたのか?、それはこの後のエピソードで語られるんでしょうね
こういう妄想的なシーンはたしか「CLANNAD」の担当回でもやっていたと思うので、ぜひとも見比べてみたいところです
でもって、いつもの山田尚子の、対象物を左右どっちかに寄せるロングショットは健在。例えばここ
彼女の絵は多くの場面で神経質なほど「奥行き」をみせることにこだわっているのですが(それはこの回でも意識してみていればほとんどのシーンがそうであることがわかると思います)、場面全体の状況を見せるシーンでは、こういう平面的なFIX(カメラ固定)構図をポンっと好んで入れます。それがメリハリを生んでるんですね
一方いつもの、FIXで画面手前に物体や人物を置いて奥行きをみせるという手法もいっぱい使ってます。例えばここ
手前の凛、中央の似鳥、後列の椅子と、ぱっと見でも3つのレイヤーがある奥行きのある絵だとわかりますよね
ちなみにこのシーンはFIX、フォーカスはずっと似鳥に固定で、手前の凛はピンボケしててろくに顔も映らないけど、画面内で一番大きく動くw こういうのも彼女の演出だよなあとか
ところでこの回、シリアス回だけあって場面切り替えにワイプを使ってません。その代わり…
左のようなオーバーラップ(ディゾルブ)や、水の泡を使っての画面切り替えをやっていたのが印象的でした
特にAで2度使ってるオーバーラップはけいおん!などではあんまり記憶になかったなあ…でも、遙サイドと凛サイドをオーバーラップでつなげて描いていることで、Aパートの流れがスムーズになってたと思います
あと、「けいおん!」で山田監督は、「感情を出すシーンでは好んで横顔を使うのが癖」と言ってましたが、今回も横顔多かったですね。ここではあえて遙、凛を引用せず、怜くんw
なぜ怜を引用したかというと深い意味はないんですが、ちゃんとメガネのつるを描いてるなあと、くだらないことが気になったのでw だってほら、和ちゃんはメガネのつるなかったじゃん? でもほら、つるあってもこうしてちゃんとやれるじゃん?とかけいおんクラスタ的に思ってみたりしただけw
あと、感情を描くということではもうひとつ「けいおん!」では多用されていた足元カットふたつw
左は似鳥くんの足が落ち着かなく動くのが印象的。右のカットは歩くシーンですが、真横でなく斜め上から見せてたので、「あれ?真横じゃないよ?絵コンテ誰?」と思いました…山田さんだったとはw
ところでこの回、斜め上から見下ろすように一同を見せる、ハイアングルのカットが多かったですね。「けいおん!」では小津安二郎ばりのローアングルが印象的だったのですが…例えばBの待ち合わせ場所での一同
こうしたハイアングルからのショットはローアングルが対象を力強く見せるのと逆に、対象を矮小化するとされていますが…
どういう効果を狙ってこうしていたんでしょうね? 腐女子が彼らを愛でるため?w
じゃあ反対に、山田尚子お得意のローアングルのカットもふたつほど拾ってみてみましょうw
左は対峙する遙と凛を見上げる絵、これもうカメラを床に置いてますよ!床に!w 超ローアングル!
ローアングルは対象を威圧的に、強く、凛々しく見せる効果があるとされるので、これはもう最高度に緊張感を高めるための演出といえますね
また右は、プールサイドの縁の影?から撮影してます。これまたすごいローアングルw ここも緊張感を狙ったものと言えそうです
他にも、真琴と待ち合わせている遙をローアングルで見せていたりして。対決前の気合の入っている雰囲気が伝わります
というわけで、ローアングルはこの回もさり気なく効果的に使ってます
また、映画けいおん!でさんざん出てきた、画面中の文字、映像情報の暗喩を使ったマニアックなギミックも健在でした
おみくじ。フォーカスしてるのは待ち人来るですが、他の項目「旅行 楽しみ多い思いでとなる」は夏合宿のことでしょうし、「願事 他人の助けにより望み事叶う」は、第8話以降の展開を暗喩するものであるように思われますが、如何にw
怜がリレーに興味を示す直前のシーンに挿入される鳥のカット。4羽の海鳥が列をなして飛んで行く。これはリレーする4人になぞらえたものでしょう。鳥に登場人物を暗喩させる演出は「けいおん!!」s2e20や「映画けいおん!」でも印象的に使われました。これはもうお約束って感じですねw
でもって花。「けいおん!」でも「たまこま」でも花言葉にはそのシーンを象徴する暗喩がありました
これは凛の墓参りのシーンの直前に入るワンカットですが、きっとこの花言葉にも意味があるはず! でもこの花ちょっとわからんのですよねw 野菊であれば「障害」ということになりますが―遙の存在がそうなのか、それとも、父親の死にこだわることが、凛の障害なのか…?(追記/0828:コメントで水仙という指摘がありました。確かに葉っぱがそうかも。水仙なら「うぬぼれ」「自己愛」「エゴイズム」などが花言葉。この対決は凛のエゴ…ということならストーリーにも合致する!?)
こうした細かいギミックで深読みさせる(というかさり気なく情報を仕込んでいる)のも、山田さんの映像の持ち味でしょう
また、自販機での凛と似鳥のやりとりの場面は、セミロングとアップの起伏の激しさとテンポが見ていて小気味良いものがありました
凛が視聴者に(似鳥に)向けてPOCKET SWEATの缶を放り投げるという演出でおどかしておいてから…
ロングで入って、いきなり凛の手元アップにぱっと切り替わる。そのままジュースを飲む凛の口元へカメラが動いて…
応答をする似鳥に切り替えてから、少し寄ってセミロング…
でもってまた突然手元にアップ。で、父のイメージ回想はいって、父の死を語る前段に上の非常口のカットからまたイメージシーンに入って、今の場面に戻ってくる。この会話の場面は、ヘタするとすごく退屈な絵になってしまいそうなのに、手元を映すショットをパシパシ入れるカメラワークとリズムのせいで飽きずに見れました
この一連のシーンのポイントは凛の手元で、上の足元カット同様に、このシーンではアップになる凛の手元、その缶の扱いにこそ、彼の感情が描かれているといえるでしょう
つまり大げさに言えば、この一連のシーンを象徴している主役は缶であって、この缶が重要なアイテムであることは最初に放り投げるシーンで提示されてるんですね
このシーンを振り返って見なおしてみると、そのことがはっきりわかる
こういう仕掛けが凄いなあと素直に思います
さて、この回のメインテーマ。遙vs凛の扱い
このふたりについては、対決前は、おそらく意識的に、対照的なカットを平等に入れまくってます。全部取り上げるの大変なんで、例を挙げると
こことか…
ここなど。つまり対決前はふたりを対等に撮影している
それが対決で勝敗が決着すると、立ち位置の高低が変わり、カメラの映像もローアングルとハイアングルに変わります
こうなって
こうなると
決着後にふたりの立ち位置を変えることで、それまでふたりを対照的・対等に撮影していたカメラも、勝敗でアングルを変えるわけですね
これは陳腐でわかりやすい演出ですが、こういうのをストレートにやられると小気味いいですw
また、こうして対決後にふたりが正対し、イマジナリーラインを形成することは、次の映像演出で重要な意味を持ちます
で、個人的に注目すべきは一連の競技場のシーン!
この競技場のシークエンスは実にカメラの存在を強く感じさせる作りになってます!
ここからは、カメラの位置を意識しながら見ていくべきです!
まず最初。カメラはハイアングルで競技場を見下ろす場所(岩鳶側スタンド最後列?)にあり、遥たちに寄って行きます
ハイアングルで寄って、彼らのところに来たカメラは、水平に彼らを写します(右のカットは、上記した奥行きのない横からのロングショットの典型例ですねw)。つまり、カメラは彼らの場所にやってきたわけです。で、ここから先生の一連の会話と、そのためのカメラワークを挟んで…
真琴たちがプールサイドを見下ろす視線に合わせて、今度はカメラはプールサイドをハイアングル(彼らのPOV)で見せます。すると次の場面では
真琴たちの視線に導かれるようにして、カメラはとうとうプールサイドまで降りてきて、真琴たちを見上げて撮影します。その後、内海監督の要望を満たしつつ(笑)、カメラは真琴たちのスタンドとプールサイドを行ったり来たりするようになります
そして、競技シーンから決着までは、ほぼ遙を応援する真琴たちのいる岩鳶側からプールと競技の様子を映しています
こんな感じに。例外はターンですれ違うシーンの凛のPOVの遙を除けばワンカット。遙が劣勢になってきたときの、遙、凛舐め岩鳶スタンドのカットだけです
このカットにすごく異質なものを感じたなら、多分その感覚は正しい。なぜなら、この一連の対決シーンで唯一このカメラだけが、遙を鮫柄側から撮影しているからです(見返してみてください。他は上記した凛のPOVを除いて、ずーっと岩鳶側から泳ぐ様子を映してます)
そしてこのアングルこそ、内容と同じく敗北の伏線でもあります…というのは
やがて凛が勝利すると
今度はプールサイドの上空、ローアングルから鮫柄学園スタンドを映し、似鳥にアップで寄ると…
ここで初めて、鮫柄学園側スタンドから見下ろすようにプールを見せます
つまり、カメラは鮫柄学園スタンドに移動したのです
そして勝敗がついた後、カメラは、凛、遙が作るイマジナリーラインの左側(鮫柄側=勝利側、遙の左側)に置かれて、もう岩鳶側からは映しません
つまりこの一連の場面は、岩鳶側スタンド上段→岩鳶メンバーのいるところ→プールサイドに降り→試合中プールを主に岩鳶側から撮影し→試合後には鮫柄側スタンドの応援団のいるところへ上がる、というカメラの移動経緯がイメージできます。遙と凛の対決の最初から終わりまでを、競技場の上空からV字に接近、移動して撮影したわけです。それだけでなく、それまで主人公の遙のいる岩鳶側にあったカメラが、ドラマが作るふたりの勝敗によって、遙と凛が作るイマジナリーラインをまたいで勝者の凛側に移動しているのです
どうすか、カメラの存在感すげえ!って思いません!?
つか、山田尚子やっぱすげえ!!w
やはり山田さんは、アニメの映像感覚でなく、実写映像の感覚でコンテを切ってるんじゃないでしょうかね
あと、対決シーンもいろいろ映像演出が細かった
ここでも魚眼レンズ出てきた! でもこの後の、ふたりが飛び込むシーンは普通のレンズで映してます。ということは、ここでの魚眼レンズの使用は、意図的な映像演出ってことですよね?
意図を推察すると、多分、ただ横に並んでいるのでは対決のニュアンスが伝わりにくいので、このカットではふたりの向いているベクトルを交差させる、いわゆる「閉じた空間」の絵が欲しくて魚眼を使ったんだと思います
それによって緊張感を作ろうとしたわけです
また、飛び込む寸前のフォーカス移動!
最初は奥の凛の躰にフォーカスしていて、ふたりが前傾姿勢をとるにつれて、焦点が手前の遙に移動する
この臨場感はしびれました! さすが山田尚子w
「映画けいおん!」でもフォーカスの移動は多用してましたよねえ。オルドゲートイースト駅のシーンとかw 焦点の移動で奥行きを意識させるっていうのも、彼女の映像ではよく出てくる気がします
そしてやっぱり
でましたハンドカメラによる手ブレ撮影! まさにここ一番での山田尚子の十八番w
競技中、ここともうワンカット(記事のちょっと上にあるカットですが)、手ブレ撮影が入ってます
いうまでもなく、これも臨場感を出すための映像演出でしょう
でもって最後はこれ
ぐにゃーw
うわあ。こんなベッタベタな演出を!w いやでもありです!あり!w
……というわけで
ざっと「Free!」第7話の山田尚子の映像・演出テクニックを、自分が気づいたところをとりあえずかいつまんで紹介してみました。細かく見ていけばまだまだあるし、きっと気づいてないものも未だあると思うんですが、いやもう、ホント23分たっぷり山田尚子の映像を堪能した!って感じの一話でした!
つか、何度見返しても飽きない!!w
この1話を見返す充足感というのは、「映画けいおん!」を映画館で何度も見返していた時の興奮に近しいものがありますw アニメ演出で、たった23分にこれほどの見どころを詰め込める演出家・映像家ってそうそういないのでは…というか、最初に言ったように、この第7話はそれまでの6話とは本当に全く映像のレベルというか質が違った。そう感じさせるものがありました
「Free!」は内海監督以下、山田監督のもと、「けいおん!」で育ったスタッフが中心になって作っているわけですが、やっぱり山田尚子というのはまだまだ格が違うというか、京アニの中でも異才といっていいんじゃないか?とファンの贔屓目込みで思いますw
つーわけで、この1話は
何度も見返す価値があると思いますよ!
絵コンテ欲しいです!w
■ 追記 (0825)
海外の反応系サイトでこの回の外国人の反応を翻訳していました
演出の秀逸さを指摘している声がやはりありましたw