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カテゴリ:国内旅行
さらに「香積寺」の参道から、巴川方向の紅葉の絶景を追う。
「総門」・「山門」を振り返って。 この写真は、2018年に訪れた時の写真。 山門を潜った先ににあった石碑。こちらが本来の正面参道なのである。 「飯盛山 香積寺 杉木立ともみじの香積寺は曹洞宗の古刹である。応永三四年(1427)足助氏の居館跡に創建された もので開基は関白二条良基と成瀬三吉丸(尾張犬山城主成瀬家の祖)、開山は白峯祥瑞禅師である。 かつては学林として栄え、時には100名もの雲水が参禅したという。もみじの開祖十一世 参栄禅師、画技にも卓越した二五世風外禅師はあまりにも有名で、風外禅師の絵を多数 蔵している。」 「総門」を背にし石段を下りながら。 石段の下には「飯盛山 香積寺参道入口」案内板。 その横には「不許葷酒入山門」と刻まれた石碑。「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」と 読む。「修行の妨げになるので「葷(くん)=ニラやニンニクなど、臭いがきつく勢力が つきすぎるもの」や、お酒はお寺に持ち込んではいけない」と。 「香積寺」は禅宗・曹洞宗の寺なのである。 「飯盛山 香積寺参道入口」案内板にあった御朱印案内の写真。 通常御朱印(右)と高級小原和紙の御朱印(左)と。 「曹洞宗 香積寺」案内碑。 「巴川」に沿った遊歩道を「香嵐渓 一の谷」方向に戻る。 「巴川」の白き帯を。 敢えて段差を造り、酸素を溶解し水質の保全を企図し施工しているのだ。 河川水の汚染物質を除去する微生物が、河床の石の上で棲息し汚染物質を食べてくれるのだ。 その為には酸素が必要なのである。河床は下水処理場のミニ版なのである。 吊橋「香嵐橋」が見えて来た。 この時は吊橋「香嵐橋」の上には観光客の姿は少なかった。 「香嵐渓 一の谷」の南側では「巴川」が緩やかにカーブ。 そして再び「香嵐渓 一の谷」の見事な紅葉をカメラで追ったのであった。 日本の秋の紅葉は、自然が織りなす壮麗なアートそのもの。 山々や川岸を鮮やかな赤、橙、黄色が彩り、まるで大地全体が温かな光に包まれているかの ように感じる空間なのであった。 木々の葉が真っ赤に染まり、この日は空気も澄みわたり、柔らかな日差しが葉を照らして 輝かせていたのであった。 「巴川」の清流の近くでは、赤や黄色の葉が水面に映り込み、さらに幻想的な景観を作り出し ていたのであった。 紅葉狩りを楽しみながら、枯葉の舞う音や秋の風の涼しさを感じることで、今年の猛暑を 忘れて、五感すべてで香嵐渓の秋を堪能できたのであった。 紅葉の色づきは一瞬の儚い(はかない)美しさを持ち、葉が散るとともに冬の訪れを告げるのだ。 この移ろいゆく季節の美しさこそが、日本の自然と文化の深い結びつきを象徴しており、 私たちの心に秋の思い出を刻むこと間違いなし。 日本の秋の紅葉は、その多彩さと繊細さが世界中の人々を魅了するのだ。 地域ごとに異なる景色が楽しめるのも大きな魅力なのであろう。 そして「香嵐渓 落部駐車場」に辿り着き、駐車場の背の山の紅葉を。 黄色の炎がメラメラと空に向かって。 今回は時間の関係で「足助城」👈️リンク 周辺の紅葉は訪ねなかったが、下の写真の真っ赤に 輝く紅葉を見たかったのであった。 この2枚の写真は2018年の写真。 本丸の下で存在感を示し、今も元気に、この鮮やかな赤の姿を見せてくれていたのであろうか。 そして2007年?以来度々訪ねて来た「香嵐渓」を2019年以来久しぶりに訪ね、 毎回、新しい感動に出会い、その絶景を大いに楽しんだのであった。 そして次の目的地の10,000本を超える四季桜が植栽されている「小原の四季桜」に向かって 車を走らせたのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2025.01.26 08:23:43
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