一昨日、昨日と引用してきた能川氏の記事は、その続きで残りの
(2)「強制連行」という論点の過大視、
(3)現に存在する「強制連行」の証拠の無視や過小評価、
(4)「強制連行」概念の不当な歪曲
の3点について、次のように読売・産経の誤りを指摘している;
◆右派紙こそ日本の恥
(2)は前述の通り、国際社会からまったく相手にされていない主張だ。本誌7月4日号の拙稿でも指摘したが、「強制連行」という論点への固執は売春に携わる女性への根深い差別意識の現れでもある。
(3)は主として河野談話の発表後の研究・調査により発掘された、日本軍占領地における「慰安婦」の「強制連行」を示す文書や証言を無視して「強制連行はなかった」とするもの。『産経』は8日の「朝日新聞『慰安婦問題を考える』を検証する」において「兵士の個人犯罪や、冤罪の多い戦犯裁判の記録」だと弁明を試みている。だが今年の3月には、インドネシアのバリ島で「慰安婦」集めに関与していた海軍下士官が、敗戦後に軍の資金で口止めをはかったと供述している資料が見つかった。口止めに軍の資金を提供しておいて「個人的犯罪」扱いが通用するはずがない。また、具体的な根拠もなしに「冤罪」扱いするのはおよそ報道機関のやることではない。
02年から公開が始まった戦犯関係資料を調査した『日本経済新開』社会部の井上亮(まこと)編集委員は、オランダによる戦犯裁判で弁護人を務めた人物の一人が、戦後の聞き取り調査において「起訴状に出ているくらいのことは事実であったと思う」「戦犯的事実は起訴された五倍も十倍もあったと思う」などと語っていたことを紹介している(半藤一利・秦郁彦・保阪正康・井上亮共著『「BC級裁判」を読む』、日本経済新問出版社)。
(4)もまた、『報告書』によって反駁されている。そこでは、強制性をめぐる両国政府のやりとりの中で、韓国政府が「理論的には自由意志で行っても、行ってみたら話が違うということもある」などと意見を述べていたことを明らかにしているからである。つまり、この当時から韓国政府は甘言や欺瞞等による募集も「強制」だという立場に立っていたのであり、日本政府はそのことを承知のうえで河野談話を発表したのだ。もちろん、「行ってみたら話が違う」といったケースを国際社会がどう判断するかといえば、韓国政府の認識を支持するのは間違いない。
それにしても、韓国や米国を含む国際社会と、日本との「慰安婦」問題を巡る認識ギャップは、もはや修復が疑われるほど広がってしまっている。保守・右派メディアがこうした事態に対して負っている責任は極めて大きい。「朝日の責任」を追及している両紙が、歪曲、ミスリードに対する責任を問われる日は遠くないだろう。
2014年8月22日「週刊金曜日」13ページ「右派紙の『慰安婦報道批判』のデマ」から一部を引用
河野談話が発表されてから20年以上たち、その後続々と慰安婦関係の史料が発見されているので、もし来年、戦後70年を記念して安倍政権が河野談話に代わるものを発表するとなれば、これは河野談話よりも数段厳しい内容のものにならざるを得ません。仮にも河野談話より後退した内容の談話を出したのでは、世界中の非難を浴びて、我々の子孫に大きな不名誉を残すことになります。安倍政権の真価が問われます。