有名人のエピソードを紹介する「週刊金曜日」の連載「抵抗人名録」は佐高信氏が執筆しているが、9月17日号では歌手の美輪明宏氏を取り上げ、次のように紹介している。
14年ぶりのインタビューは鮮やかなカウンターパンチで迎えられた。
サッカーのワールドカップで活躍した本田圭佑(ほんだけいすけ)について、美輪が、
「本田は花も実もある男ですよ。俺が俺がじゃないんだもの。私はお嫁に行かなきゃいけないと思った」
と言うので、驚いて
「ああ、いまちょっと聞こえなかった」
と聞こえないふりをしたら
「あら耳が遠くなられたのねぇ、もうお年だから」
と叩き込みを食わされたのである。
10歳も年上の美輪にそう言われては立つ瀬がない。
そう言いながら美輪は、まさに艶然(えんぜん)という感じで笑っている。
通された自宅の応接間には、20代と思われる美輪の、これぞ美少年という絵が飾ってあった。
女子高生のケイタイの待ち受け画面に美輪が大人気らしいが、美輪の直言(ちょくげん)が若い人にもてはやされるのはいい。
その日も美輪のなめらかな舌によどみはなかった。私が美輪に、右筋からの圧力はないのかと尋ねると、顔色も変えず、
「何にもないですね。中曽根(康弘)の悪口なんか言ってると、ひどい目に遭うかもしれないから、注意した方がいいですよ、と忠告されたことはありますけどね」
と答える。
中曽根には実際に会ってケンカ別れしたという。先ごろ亡くなったシャンソン歌手の石井好子の紹介で会い、いきなり、
「キミらみたいなのは海軍魂を知らんだろうな」
と言われた。それで美輪は、
「ええ、年齢が年齢ですから(敗戦の年が10歳)海軍魂は知りませんけど、原爆にやられました。竹槍の練習もさせられましたし、銃後の守りでいろいろやらされました」
と返し、さらにこう反論した。
「でも、おかしいですね。そんなに海軍魂とやらが大層なものだったら、何で負けたんですか。向こうが原爆つくってる時に何で私たちは竹槍をつくらされてたんですか」
中曽根の無礼に対する美輪の怒りは、これでとどまらない。
「自分の同僚を見殺しにして、おめおめと帰って来て、腹も切らないでのうのうとしている。そういう面汚しの厚かましいのが海軍魂なら、私は知らなくて結構です。知りたくもありません」
トドメを刺されて中曽根は憮然とした面持ちで席を立って行った。
その後、新幹線に乗ったら、中曽根が先に座っていた。美輪の席はその真後ろである。それでも仕方がないから知らん顔をして座っていると、秘書が次の車輌に行き、老夫婦を連れて来て交替した。逃げたわけである。
この逸話を紹介した後の美輪のタンカがまた凄い。
「男の風上にも置けない。てめぇ、キンタマついてんのかですよ。たかが芸能人風情に対してね」
大体、中曽根は前線に出なくてすむ主計にいたのだから、勇ましいことを言う資格はないのである。それにしても美輪の爽快な毒舌に圧倒されて、私は、なぜ怪しげな江原啓之(えはらひろゆき)をかわいがるのかと尋ねるのを忘れてしまった。
2010年9月17日 「週刊金曜日」815号 23ページ「抵抗人名録-美輪明宏」から引用
相手が芸能人だからと思っての発言だったのかどうかは知らないが、戦争が終わって65年もたってから、しかも負けた戦争だったのに、自分が軍人だったことを自慢げに語った中曽根氏の心境が理解できない。結局、何も反省していないということなのではないか。