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あすなろ日記

あすなろ日記

黒執事小説『仔犬』

 
   黒執事「仔犬」


 「さあ、朝摘みの葉をお食べなさい。」

 ダイニングテーブルに一枚の皿が置かれた。皿には雑草や

 低木の葉っぱなどが無造作に盛られていた。

 「朝一番に起きて庭で摘んできた新鮮な葉っぱと草だよ。

 一応洗ってあるから安心してお食べなさい。」

 少年は皿の中の葉っぱをフォークを使って恐る恐る口に運んだ。

 しかし、本来食することのない葉っぱをどうしても飲み込めない

 でいた。

 「好き嫌いはいけないよ。出されたものは残さず食べなさい。」

 少年は泣きながら葉っぱを飲み込んだ。そして、思わず吐き気

 を催したが、食べたものを吐き出すとますます起こられるのが

 分かっているので、自分の手で口を押さえて耐えた。

 「アルベルトどうした?まだ沢山あるよ。早くもっと食べなさい。」

 「お父様、もう許して。」

 「ダメだ。これは儀式なのだよ。お前が従順な良い子になったか

 試しているんだ。昨夜は飲めと命じたものが飲めなかったね。

 好き嫌いはいけないと前々から何度も言っているのに、どうして

 言うことが聞けないのかね?私はお前の背中にこれ以上、鞭の

 痕を増やしたくないのだよ。良い子だから、おあがりなさい。」

 少年はポロポロ涙をこぼしながら葉っぱを食べた。

 屈辱を感じながらも更なる罰を恐れてひたすら食べた。

 「良い子だ。アルベルト。全部食べたらご褒美をあげようね。」

 父は満足そうに微笑んだ。


 緑豊かなロンドン郊外にその孤児院はあった。古い2階建ての

 粗末なレンガ造りの建物だが、そこで暮らしている孤児達は

 貧しいながらも生き生きとしていた。笑いながら5、6歳くらい

 の男の子達が庭で鬼ごっこをしている。初夏の陽ざしは眩しくて

 キラキラと木洩れ日が輝いていた。太陽は木陰にいても容赦なく

 人々を照りつける。

 「暑いぞ。セバスチャン。」

 シエルは不快そうに言った。

 「見たところ、さしたる虐待も行われていなさそうだが・・・

 本当にここの孤児院なのか?」

 「はい。ここに間違いはございません。情報によりますと、

 毎月第二土曜日に慈善事業家であるホーエンハイム男爵が

 子供達の慰問に参ります。そして、見目形の良い男の子を

 毎月1人もらって行くのです。怪しいとは思いませんか?」

 「確かに。怪しいな。」

 「あ、坊ちゃん。ホーエンハイム男爵がお見えになりました。」

 およそ孤児院には似つかわしくない立派な貴族の馬車が

 粗末な孤児院の前のあぜ道に停まった。そして馬車から美しい

 20代の男性が降りてきた。ホーエンハイム男爵だった。

 男爵は手に大きな紙袋を持って、にこやかに笑いながら

 子供達のいるほうへと真っ直ぐに歩いて行った。

 「キャンディーが欲しい子、この指とまれ。」

 男爵は戯言を言いながら、ペロペロキャンディーを紙袋から

 取り出して子供達に見せた。子供達がわーっと集まって来た。

 男爵は万遍の笑みを浮かべて子供達にキャンディーを配った。

 建物の奥から子供達と一緒に施設の責任者がやって来た。

 田舎臭い小太りの中年の男だった。


 「これはこれはホーエンハイム男爵。ようこそおいでください

 ました。皆、貴方様をお待ち申し上げております。ささ、奥へ

 どうぞ。8歳から10歳までの男の子を全員部屋へ集めて

 おきました。今日はどの子になさいますか?」

 小太りの男は卑下た笑いを浮かべて言った。

 「そうせかすな。まずは子供達にキャンディーを配ってからだ。

 ほら、チョコレートもあるぞ。」

 ホーエンハイム男爵はチョコレートをばらまいた。孤児達は

 一つ一つ銀紙に包まれたチョコレートを押し合いへし合いで

 地面に這いつくばり、我先にと拾い集めた。男爵はせせら笑う

 ように奪い合う子供達を眺めた後、満足そうに孤児院の建物の

 中へと入って行った。

 「嫌な奴だな。」

 遠くからその光景を見ていたシエルはセバスチャンに言った。

 「そうですか?でも、みなさん、喜んでいますよ。」

 セバスチャンは嬉しそうにチョコレートやキャンディーを頬張る

 子供達を指差して言った。

 「孤児院の子供達にとってお菓子は月に一度しか食べる事が

 できない贅沢品なのでしょう。貧しい者への施しはいかにも

 慈善家らしいやり方ですね。坊ちゃん、貧しい子供達は男爵に

 もらわれていくのを待ち焦がれているのではないでしょうか。

 多分、もらわれた後の運命を知らされていないのだと思います。

 きっと、ここよりも良い暮らしが待っていると信じて、皆、男爵に

 媚へつらうのでしょう。本当の地獄が待っているとも知らずに・・・

 あ、もう、出てきましたよ。意外と早いですね。」

 セバスチャンとシエルは木陰に隠れた。男爵が8歳くらいの

 金髪の男の子を連れて孤児院から出て来た。小太りの男は

 こめつきバッタみたいにペコペコと何度もお辞儀をして男爵を

 見送った。手荷物一つ持たない子供を馬車に乗せて、男爵は

 去って行った。後に残された子供達は美味しそうに施しを食べ

 ている。太陽は燦燦と輝き子供達の未来を照らしていた。


 数日後

 「坊ちゃん、ホーエンハイム男爵の主催するパーティーの招待

 状を手に入れました。」

 「秘密結社『仔犬の会』?随分と悪趣味な名前だな。」

 「はい。いかにも・・・という名前ですね。ホーエンハイム男爵の

 先代が結成した秘密結社なのですが、数年前、先代が不幸な

 事故で亡くなり、二十歳で後を継がれたアルベルト・ホーエン

 ハイム様は慈善事業に力を入れる傍ら商才がおありで毎月

 第三金曜日に会員制パーティーを主催されるようになりました。

 パーティーでは仔犬のオークションが行われているとの事です。

 招待状を入手するのに苦労いたしましたが、これでオークション

 に私共も参加する事ができます。」

 「オークションか・・・人身売買は今英国で問題になっている。

 ましてや孤児院の子供をもらってきては変態どもに売りつける

 なんて真似は許されるはずがない。女王はホーエンハイム

 男爵が人身売買に関与している噂が本当か確かめるよう御

 命じあそばされたが、彼が犯人なのはもう明白だな。あとは

 潜入して証拠をつかんでやる。セバスチャン、支度をしろ。

 パーティー会場へ乗り込むぞ。」

 「イエス・マイ・ロード。」

 セバスチャンは恭しく跪いてドレスを差し出し、こう言った。

 「坊ちゃん、潜入捜査に欠かせないものが一つございます。

 駒鳥のように美しいドレスでございます。さあ、お着替えを・・・」

 「何?!そんなことは聞いてないぞ。」

 「何をおっしゃいます。会員制といえども英国貴族が集まる

 パーティーに変装もせず堂々とファントムハイヴの名で出席

 するおつもりなのですか?女王の番犬と名高い坊ちゃんが

 現れたらオークションは中止になってしまいます。ここはなんと

 してでもお着替えを・・・」

 セバスチャンは無理やりシエルを脱がし始めた。


 「うわっ!よせっ!」

 シエルはセバスチャンに服を脱がされてしまった。下着まで

 剥ぎ取られた後、コルセットを装着する為に生まれたままの姿で

 壁際に立たされ、後ろからセバスチャンに抱き寄せられた。

 「さあ、壁に手をついて。」

 耳元でそっと囁かれて、シエルは逆らえなかった。

 「セバス・・・セバスチャン・・・」

 シエルは苦悶の表情を浮かべてセバスチャンの名を呼んだ。

 「もっと力を抜いてください。」

 「これ以上・・・無理・・・あっ・・・」

 セバスチャンが意地悪くコルセットの紐を思いっきり引っ張った。

 「ふふふ・・・よく締まりますね。」
 
 「あ・・・苦しい。あ・・・もう・・・我慢できない・・・」

 「やはり坊ちゃんはこういうのが好きでしょう?」

 「ち、違う。」

 「違うものですか。身体はこんなに喜んでる。」

 セバスチャンが前に手をまわした。

 「あっ・・・」

 シエルの身体がビクッと震えた。

 「相変わらず感じやすいですね。」

 セバスチャンが容赦なく腰を打ちつける。

 「あ、で、出る。あああああ~」

 シエルは絶頂に達した。コルセットを着けながらのプレイに

 シエルはあっけなくイってしまった。悪魔の考えていることは

 よく分からない。全裸にコルセットを着けた格好でシエルは

 絨毯の上に寝そべっていた。セバスチャンは壁に放たれた

 白い液体を何食わぬ顔で拭いている。

 「おい、セバスチャン。何をしている。早く服を着せろ。」

 「これは失礼いたしました。」

 セバスチャンが胸に大きなリボンのついたドレスをシエルに

 着せて、真っ赤なハイヒールを履かせた。シエルが

 「もう、勝手なマネはするなよ。」

 と不機嫌そうに言うと、セバスチャンは跪き、シエルの赤い靴に

 忠誠の証のキスをした。太陽は空を赤く染めて沈んで行く。

 シエルはしばらく黙って赤い空を見つめていた。空が闇に

 覆われるのは時間の問題だった。闇が訪れた頃、シエルは

 セバスチャンと共にパーティー会場へと向かった。


 ホーエンハイム男爵の屋敷に着くとセバスチャンが鎖を手に

 してこう言った。

 「坊ちゃん、とてもお似合いですよ。まるで可憐な駒鳥の

 ようでございます。今夜は私がエスコートいたします。」

 「セバスチャン。これはいったい何のまねだ。」

 赤い首輪をつけられたシエルが不満そうに訪ねた。

 「ですから、エスコートですよ。」

 セバスチャンは万遍の笑みを浮かべてシエルの首輪の鎖を

 クイッと引っ張った。シエルは一瞬、首が締めつけられて

 むせそうになったが、セバスチャンはそんなことお構いなしに

 首輪を引っ張ってパーティー会場の中へと入って行った。

 シエルは驚いた。会場内には首輪をつけた女装した男の子が

 数人いたのだ。いずれも貴族らしき紳士にエスコートされて

 大人しく連れられて歩いていた。そして、さらに奥へと進むと、

 裸で四つん這いになってお尻を振っている男の子がいた。

 頭に犬耳をつけて尻尾型のディルドをお尻にさしている。

 飼い主はもっと尻尾を振るように命令していた。

 「仔犬の会とは名前そのものですね。秘密結社のメンバーは

 毎月オークションの日に自分のワンちゃんを見せに連れて来る

 のですよ。きらびやかなドレスを着せて可愛がっている紳士から

 裸で地面を這わせていたぶっている紳士まで千差万別ですね。

 しかも私の調べたところ全員あの孤児院出身のワンちゃん

 たちです。」

 「ヘドが出るな。」

 悪趣味なパーティーにシエルは吐き気がした。


 「レディース&ジェントルマン。我が秘密結社へようこそ。

 ただ今からオークションを開催いたします。」

 会場のステージにスポットライトが当たると、金髪の美しい

 顔立ちの青年が立っていた。アルベルト・ホーエンハイム

 男爵だった。男爵は檻に被せてあった布をとりはらった。

 檻の中には少年が裸で口と手首を縛られて泣いていた。

 先週、もらわれて行った孤児院の少年だった。

 「歳は8歳。金髪碧眼の少年です。我が秘密結社の売りに

 出す規定年齢に至るまで数年間孤児院で飼育しておりま

 した。今月誕生日が来たばかりです。まずは1000から。」

 「2000」「2500」「3000」・・・

 次々と値が上がっていく。

 「久しぶりの上物ですよ。どなたか他にいらっしゃい

 ませんか?」

 「5000」

 「5000が出ました。では5000で落札いたします。」

 少年はかなりの高額で初老の紳士に売られていった。

 「では、次に皆様お待ちかねの逃げ出した犬のお仕置き

 ショーを行います。」

 ステージに大きな水槽が運ばれて来た。水槽の中には

 10匹のピラニアが泳いでいた。そこへ縄でグルグル

 巻きにされ口を塞がれた全裸の少年が連れて来られ、

 天井から吊るし上げられた。

 「イッツ・ア・ショータイム。」

 ホーエンハイム男爵がパチンと指を鳴らすと、少年は

 ピラニアの泳ぐ水槽へと沈められた。少年は声なき

 悲鳴をあげた。獰猛なピラニアが一斉に少年の身体を

 ついばみ始める。少年の身体から流れる血が水槽の水を

 赤く染めていった。


 「セバスチャン。命令だ。早く少年を助けろ。」

 シエルが言った。

 「イエス・マイ・ロード。」

 セバスチャンはピラニアの水槽に向かってナイフを投げた。

 水槽のガラスが割れて水とピラニアがどっと溢れ出した。

 観客は悲鳴をあげて逃げ惑った。セバスチャンは少年の

 元へ素早く飛び寄りロープを切って少年を助け出した。

 「貴様、何者だ。」

 アルベルト・ホーエンハイムがセバスチャンに銃を向けた。

 「そんなことをしても無駄でございますよ。」

 セバスチャンは不敵な笑みを浮かべてアルベルトに

 近づいた。

 「来るな!それ以上近づくな!撃つぞ!!」

 アルベルトは銃の引き金を引いた。銃声が轟き、会場に

 いた人々は我先にと逃げ出した。だが、撃たれたはずの

 セバスチャンは無事だった。目に見えぬ速さで銃弾を

 キャッチしていたのだった。セバスチャンが指に挟んで

 受け止めた銃弾を見せると、アルベルトは恐れ慄いて

 「化け物!!」

 と叫んで、ステージ裏の扉から逃げ出した。

 「失礼な。悪魔で執事ですから。」

 セバスチャンは逃げ足の速さに呆れたように呟いた。

 「何をしている。早く捕まえないか。」

 シエルが言った。
 
 「御意。」

 セバスチャンはかしこまって返事をするとステージ裏の

 地下へと続く階段を下りて追いかけた。地下にはいくつか

 の牢屋が並んでいた。おそらく逃げ出した少年を閉じ込め

 ておく為の地下牢だろう。狭い通路の先には鉄製の扉が

 あった。中から鍵がかけられているが、セバスチャンは

 ものともせずに蹴破った。

 「うわっ!!化け物!!」

 アルベルトが再び恐れ慄いた。

 「随分と失礼な方ですね。おや、そちらの車椅子に座って

 いる化け物のようなお方は誰ですか?」

 セバスチャンは部屋の中央の車椅子に座っている全身

 包帯でグルグル巻きのだるまのような人を指さした。

 そのだるまには手足がなかった。正確にいうと腕と脚が

 切断されていた。


 「お父様のことかい?」

 アルベルト・ホーエンハイム男爵がニヤリと笑って言った。

 「お父様は不幸な事故に遭われて手足を失ったんだよ。」

 アルベルトは車椅子に座っている包帯グルグル巻きの

 父親の肩にそっと手を置いた。

 「車が崖から落ちて炎上してね。お父様は全身大やけど

 を負い、こんな醜い姿になったんだ。病院で両手両足を

 切断された後、お父様は生きることを悲観されて自殺なさ

 ろうとした。まだ傷が治っていないのに自ら退院を申し出

 て、この屋敷に戻られたのだ。お父様は手がなくて自分

 で飲めないものだから僕に毒を飲ませるよう命令した。

 もちろん、僕は毒なんか飲ませなかったよ。代わりに

 お父様の飼っていた犬を殺して全身包帯でグルグル巻き

 にして葬式を出してやった。お父様の死亡届は簡単に

 受理され、僕は男爵の爵位を継いだってわけさ。そして、

 お父様は僕だけのものになった。」

 アルベルトはゆっくりと手を滑らせて父親を後ろから

 抱きしめた。

 「でもね、お父様は犬を殺したことに腹を立てて僕を

 罵ったのさ。だから僕はお父様の舌を切り取った。喋れ

 なくなってお父様は少し大人しくなったけど、今度は

 僕を睨むのさ。それで僕はお父様の瞳を抉り取った。

 耳と鼻をそぎ落とした頃にはすっかり大人しくなって、

 今では僕だけを愛してくれるようになったのさ。」

 アルベルトは包帯で覆われた父親の顔にキスをした。

 だが、父親は身動き一つしなかった。

 「バカじゃないのか?」

 シエルが言った。

 「愛?そんなことをして本当に愛を得ることができたと

 思っているのか?父親の自由を奪って独占欲を満たした

 だけだろ?」

 シエルの言葉にアルベルトは顔色を変えた。

 「君は何も分かっていない。僕はお父様を愛している。

 お父様だって昔は僕を愛してくれていた。あの犬を飼う

 までは・・・『仔犬の会』なんてなければ、ずっと僕を愛し

 てくれていたはずさ。お父様が初めて僕を愛してくれた

 のは8歳の誕生日だった。僕が生まれてすぐにお母様は

 亡くなったから僕にはお父様しかいなかった。それなのに

 僕が16歳になると、お父様は孤児院から8歳の子を連れ

 てきた。お父様は子供しか愛せない人だった。犬を調教

 するのは楽しいとお父様は言いながら、僕と愛を交わす

 時と同じ行為を8歳の子にした。お父様は泣き叫ぶ犬を

 可愛がり、僕には手を出さなくなった。僕は僕を愛する

 ことをやめたお父様が許せなかった。」

 
 セバスチャンは肩をすくめてこう言った。

 「人間とはやっかいな生き物ですね。血が繋がっている

 というだけですぐ愛だとかに結びつけたがる。鞭で打ち、

 暴行し、躾と称して数々の変態プレイを強要する父親が果

 たして自分の息子を本当に愛せるものなのでしょうか?

 世の中には腹を痛めて生んだ我が子を殴り殺すような

 母親もいるというのに精子を提供しただけの父親が血が

 繋がっているだけの理由で我が子を愛しむことができると

 お思いですか?もし本当に自分の息子を愛せる人間なら

 性的虐待はしないでしょうね。貴方はずっと愛という言葉

 に騙されていたのですよ。」

 「う、嘘だ!嘘をつくな!」

 「嘘ではありません。貴方も本当は気付いていた事で

 しょう?だから父親の自由を奪った。自分を罵る舌を切り

 取り、自分を蔑む瞳を抉り取り、更には耳と鼻をも削ぎ落と

 した。貴方は自分を愛さない父親に復讐をしたのです。」

 「違う!復讐なんかじゃない!僕はお父様を愛している。

 愛しているんだ・・・」

 アルベルトは泣き崩れた。

 「もう、いいだろう。」

 シエルはセバスチャンに言った。

 「よろしいので?捕まえないのですか?」

 「ああ。奴はもう逃げないだろうからな。行くぞ。」

 「随分と甘いですね。」

 シエルが部屋を出る時、銃声が2発鳴り響いた。

 アルベルトが父親を撃ち、自らの頭も撃ちぬいて自殺した

 のだった。シエルが振り返ると、アルベルトは父親の膝に

 顔を埋めて死んでいた。アルベルトの血が父親の包帯を

 赤く染めていた。父親の心臓から流れ出る血とアルベルト

 の血が混じりあい、二人は混じりあった血の海の中で

 死んでいた。地の底で二人は結ばれるだろうか。そんな

 想いが一瞬シエルの脳裏を横切った。

 「坊ちゃんはこうなることを予期されていたのですか?」

 「あの父親を連れて逃げる事はできないからな。本当に

 愛しているのなら父親を残して逃げたりはしないだろう。」

 「人間とは不思議な生き物ですね。」

 愛を渇望している人間ほど愛する人に残酷になる。

 憎しみは愛に比例するからだ。アルベルトは本当に父親

 を愛していたのだ。愛されていたかは定かではないが・・・

 血と肉体と親子を結ぶ絆に翻弄されてアルベルトは

 生きていた。死に逝くまで父親だけを見つめて。

                         (完)


   『仔犬』挿絵


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