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という時に自分が取るべき行動で悩む。
「他人にゴチャゴチャ心配されたくない」という人であるケースを考えたら、その場合は何もしないのがベストだけど……辛いという事をわざわざ表明しているのならそれは救いを欲しているというサインだろう、と僕は妄想する。本当にその手の心配馴れ合いコメント的な反応が嫌いでたまらない人だったらそもそもそういう事を表に出さないように学習しているだろう、と僕は偏見で決めつける。
でも上記の「心配」は結局は相手のためではなく、自分自身のための物でしかない。本当に相手のためを思っているのであれば、自分がどれだけ他人から滑稽に思われようとも、相手のためになるようにだけ考えて行動しないといけないだろうし、強制されるまでもなく自然とそういう行動を取るものだろう。その場合の懸念は、鬱の人に「頑張れ」と言うような、タブーを犯していないかどうかだけであろう。
コメントで伝えるべきか、直接の連絡手段を使うべきか。1対1の通信手段で手間のかかるものである方が真心がこもっているという偏見があるから、できれば 会って話す>電話>メール>コメント という風な順位のうちなるべく高い手段を選びたい。でも過剰に真心を込めすぎるとそれはそれでストレスを与えそうだとも僕は勝手に思う。ただのネットの知り合いに、twitterで「風邪ひき中」と書いただけで自宅まで押しかけられて炊事洗濯全部やられたら、それはホラーだ。それに、家族なり恋人なり、その人にとって僕より近い存在である人よりも「出過ぎた真似」をすると、相手にとってもその家族なり恋人なりにとっても迷惑でしかないだろう、と僕は妄想する。
そういうわけで、1人にはメッセージを送り、1人にはコメントし、1人には何もせずスルーした。どうするのが僕の立場では「正解」だったのだろう。誰か教えて欲しい。
自分の場合はどうか。自分の場合はとにかく「そう思ってるのはお前だけじゃないんだよ」「その辛さは嘘じゃないよ、自分にも分かるよ」と言って貰いたい。自分が「辛さ」と思っている感情が本当に「辛さ」と呼んでいい物であると保証されたい。「そんなの辛さのうちに入らない」「そんなのただの『辛いフリ』でしかない」と言われないための裏付けが欲しい。
の末尾に2020年11月30日時点の日本の首相のファミリーネーム(ローマ字で回答)を繋げて下さい。例えば「noda」なら、「2009-05-06_comment.trackbacknoda」です。これは機械的なトラックバックスパムを防止するための措置です。
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