シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

いい歳の男が危険運転を書き込んでいるんだから、「こういうの、いけない」って言わなきゃダメだろ

 
 高度な情報戦はとっくに始まっている - あざなえるなわのごとし
 
 先日、ネットウォッチャー界隈では有名なotsuneさんが暴風雨のなかで時速100kmほどで首都高を運転して事故を起こしたブログ記事がアップロードされた。記事のタイトルは「10年に一度の大型台風が来てたので、おもしろ全部で高速道路を走ったらスピンして自爆した」。タイトルの意味が少しわかりにくかったが、面白半分、という言葉に対して面白全部、という意味らしい。面白半分を超えた運転してたら事故ったよ、というニュアンスだろう。
 
 その記事に対して、「高度な情報戦は始まっているんだよ」などという反応記事が出ていた。はてなブックマーク上でも、茶化すコメントがぞろぞろと並んでいる。
 
 私はそうは思わない。
 
 情報戦もクソもあるか!あの、普段は冷静で、よく計算のできるotsuneさんが、暴風雨の最中に首都高で危険な運転を「面白全部」でやらかし、自損事故を起こし、それを(いささか高いテンションで)ネット上に書き込むこと自体、きわめてイレギュラーな事態じゃないか。事故内容もネットに書き込むという行為そのものも、日頃の彼らしくもないし、好ましくもない。だから、ネタだ情報戦だと言う前に、こういうべきじゃないのか。「こういうの、いけない」と。
 
 
 これがまだ、二十歳かそこらの若者が危険運転をやりました、というなら話は違う。二十歳の若者が、やさぐれた気分の時に“やらかす”&書き込むってのはありえる事だ。決して良いことではないし、やはり「こういうの、いけない」と言わざるを得ないが、若さゆえの過ちというのはあるし、そういう若さゆえの過ちに対して、(少なくとも)年長者は寛大でなければならないのだろう。ネットの一発炎上が致命的になりつつある昨今は特にそうだ。
 
 しかし、otsuneさんは、もうアラフォーの立派な男だ。ハイコンテキストハイコンテキストというなら、ネットウォッチャーとしての情報戦とかくだらねーこと読み取ってないで、まず彼の年齢、彼の社会的立場を読み取るべきではないか。二十歳の若者が、やさぐれて危険運転やらかしているのとは、わけが違うのだ。分別盛りの男、それも、多くの人からできるやつとみなされているであろう男が、著しく冷静さを欠いた行動をとり、それをネットに書き込んでいるのである。「こういうの、いけない」と大きな声で言うべきじゃないのか。少なくとも私はそう思う。
 
 にも関わらず、この一件をネタで済ませようとしている人達がいる。ネタで済ませようとしているその姿勢の背景には、炎上を慮ってのものもあるだろうし、私もそういう空気に荷担しようかどうか迷った。けれども、誰が相手であれ、いけない事はいけない、危ない事は危ない、と言うべきではないか。普段冷静な男が冷静さを欠き、あたら命を危険にさらし、他の人にも著しい危険を及ぼしかねない行為に及んでいたら「こういうの、いけない」と声をかけるべきではないか。
 
 個人的な思いを述べるなら、こんなのは俺の知っているotsuneさんではない。まるで物の怪がついているかのようだ。幸い、事故は軽くて済んだ。軽くて済んだということは、天命*1はotsuneさんに生きろと言っているのだと思う。もし、天命が彼を見放しているとしたら、この破れかぶれな事故で(身体的、または社会的)致命傷を負っていただろう。しかし運命石の選択は、彼を無傷たらしめた。つまり、生きろということだと私は解釈することに決めた。
 
 確かに、この一件の背景には心理的な事情があるのだろう。otuneさんは、しばしばネットウォッチャーマシーンのように喩えられるが、実際には、彼の人間らしい一面――そのなかには、最も優しい一面もあれば、最も見苦しい一面もあった――が垣間見えることもあった。だから、彼にだって心理的に辛い時期はあるだろうし、そのような時期に逸脱した行為を取りたくなるというのも推定できることではある。けれども、そのような心理ではみ出して構わないのはせいぜい二十代までであって、四十の、分別盛りの男がはみ出す行為は褒められたものでも茶化して良いものでもないと思う*2。
 
 うまく言葉がまとまらないので、私はotusneさんに「こういうの、いけない」としか言いようがない。しょせん部外者であるところの私は、細かな心理的背景とか、そういうのを忖度するには相応しくない。「目を覚ませ、otsune!」と言える間柄でもないだろう。しかし心理的背景のいかんにかかわらず、四十を迎える男は、やって良い事、やってはいけない事の分別を弁え、雨の日も、風の日も、人としてあるべき道を歩く背中をこそ、年少者に対して示すべきではないか。事故っただけならともかく、「面白全部」などと銘打ってブログ記事にしてはいけない。いけないんじゃないのか。少なくとも、俺はいけないと思うから、こういう事を書いている。
 
 私は今回のotsuneさんの事故について、色々な懸念を抱かずにいられない。無事を喜ぶと同時に、物の怪が取れる日が来ることを祈らずにいられない。この祈りがotsuneさん自身にどういう感想を去来せしめるものかは知らないが、ああいう男が一人歯車が狂ってそれまでというのは面白くないと思う。運命石の選択は、otsuneさんに「戻ってこい」と言っているはずだ。だから最後にもう一度書く。「こういうの、いけない」。
 

*1:俺は大乗仏教徒なので、厳密には、因縁は、と言うべきか

*2:もちろんこの言葉は、otsuneさんと同世代の私自身にも跳ね返ってくる言葉だ。そのことを承知のうえで書いている