シロクマの屑籠

p_shirokuma(熊代亨)のブログです。原稿に追われてブログ記事はちょっと少なめです

「“バカ”製造装置」としてのtwitterを考えてみる

 
 インターネットをやっていると、ときどき「twitterってバカ発見器だよね」という表現を見かけます。辛辣すぎる表現ですが、確かに、過激な表現を繰り返しているうちに分別を失っていくような人、ジャンヌ・ダルク気取りの人、唯我独尊になってしまっている人は、twitterでチラホラ見受けられるように思います。タイトルのような「バカ」は言い過ぎとしても、「唯我独尊」「ジャンヌ・ダルク気取りの人」に遭遇しやすいツールであろう、とは言えると思います。
 
 とはいえ、これはインターネット全体についてもある程度は言えます。日本だけでも何千万人もネットユーザーがいるんですから、そりゃ色んなタイプの極端な人が目に飛び込んでくるでしょう。本来なら「大衆居酒屋の勇者」みたいな人で済んでいたはずの大言壮語が、インターネットによって「twitterの勇者」へと可視化され、極端な声を上げている人達が目立つようになってしまった、という部分も否定できません。
 
 けれども私なりにtwitterを約五年間、継続的にやっていて思うのは、「もとから唯我独尊の人ではなく、自分の間違いの可能性を疑ったら一歩引くぐらいの人だったのが、自分の考えだけを押しつけて対立意見を認めない人に変貌していった」例もかなりあるような気がするんです。見識や専門性を高く評価されているような人・職業的に発言力を必要としているような立場の人のなかにすら、そういった唯我独尊の彼岸に旅立ち、帰らぬ人となってしまったケースがあるのではないでしょうか。
 
 すべてのtwitterユーザーが唯我独尊化するわけではありませんが、どうも、twitterユーザーのうち一定の割合は、だんだん唯我独尊化してしまうのではないか、と思うのです。
 
 

“twitterの力を己の力と勘違いする現代の魔法使い達”

 
 寓話の世界では、「魔法書や水晶玉の力を己の力と勘違いし、破滅する見習い魔法使い」や「力の指輪に魅了されて指輪の下僕になってしまう人」がときどき登場しますよね。twitterをやっているうちに唯我独尊になってしまう人達って、あれに似てませんか?
 
 twitterは、それを使う人、特になまじっかの文章力やアテンション蒐集能力を持った人に、とてつもない発言力があるかのように錯覚させるような、そういう“勘違い”を惹起しやすい部分があると思うんです。
 
 ポイントは、「文章力もアテンション蒐集能力もろくに持たない人」にはtwitterはさほど強い影響を及ぼさないけれども「文章力やアテンション蒐集能力を持っている人ほど、強力なtwitterの力に心が晒される」という点です。
 
 twitterは、一定以上の文章力なりアテンション蒐集能力なりを持っている人には、ときに、莫大なアテンションの集中と、自分の発言が特別であるかのような体験をもたらします。経験したことのある人ならわかる筈です――自分のツイートが何十回何百回とリツイートされたり、「お気に入り登録」されたりしているうちに、何か、自分がひとかどの発言者や人気者になったような、そういう錯覚を感じたことがありませんか?しかも、反対意見から耳をふさぐための「ブロック」という機能がtwitterにはついていますから、この「ブロック」を多用すれば、あっという間に自分のブラウザをイエスマンと賛辞者で固められるのです。そこまでやってしまったら、よほど心が強い人間でない限り、唯我独尊のほうに傾いてしまうのは自然です*1。
 
 このような、発言力がインフレを起こしたかのような錯覚は、全くアテンション蒐集能力を持っていない人にはまず起こりません。しかし、中途半端なアテンション蒐集能力を持っている人には、無視できない頻度でインフレ錯覚を体験させるでしょう。言い換えれば、「アテンション蒐集能力が高い人ほど錯覚に騙されるか否かの正気度判定をさせられる」といいますか。twitter上で、何度も何度もリツイートや「お気に入り」をされている人というのは、それだけ、唯我独尊に陥るか否かの判定をやらされていて、のぼせあがってしまうか否かを試されているようなものです。だから、何万人からもfollowされているのに唯我独尊モードに至っていない人達は、なるほどたいした人達だと思いますよ。のぼせあがらず正気度を保っていられるんですから。道具の大きさに負けない悟性というか、心の強さを持っているのでしょう。
 
 

その快感はギャンブルにも似て……

 
 しかし、問われるべきはユーザーの心の強弱だけでもないと思います。
 
 twitter、いや、他のSNSもそうなんですが、微妙に嫌らしいところがあるというか、習慣になりやすい&錯覚しやすいカラクリがあるように思えるんです。実際には、それほど注目を集めているわけでも御意見番として重宝されているわけでもないのに、自分はそういう人物なんじゃないかと錯覚させてしまうような。
 
 私は、twitterで唯我独尊に陥る人のなかには*2パチンコやスロットマシンにのめり込む人に似たような錯覚を起こしている人がいるんじゃないかと疑っています。
 
 ほら、パチンコとかスロットから抜け出せない人のなかに、実際には負け越しているのにたまに大勝ちしては「自分は勝っている」って勘違いしている人っているじゃないですか。月に10万円ほど負け越しているのに、自分はパチンコが上手い、スロットが上手いと思い込んでいるような人のことです。あれに似たような錯覚が、twitterなんかでも起こるんじゃないかと疑うんですよ。パチンコは出玉という形で報酬が得られるところが、twitterは承認欲求とか自己愛とかいった心理学的な形で報酬が得られる、というわけです。しかも、フィーバーしている時に頭がボウッとするところまでよく似ている!
 
 そのうえtwitterの場合、パチンコやスロットのような金銭的ダメージがありませんから、その気になれば幾らでも発言できてしまいます。パチンコとかなら、金銭的ダメージが現実を省みるためのフィードバックになり得るんですが、twitterにはそれがありません。
 
 繰り返しますが、私はtwitterユーザーの皆がそうだと言いたいわけではありません。けれども、こういった、パチンコに似たような錯覚の構造・熱に浮かされやすい構造がtwitterにあるとするなら、一定割合の人間が、唯我独尊に引っ張られていくに違いない、ということには注意を払っておきたいわけです。そして、使い方を誤ると容易く道具の下僕に成り下がってしまうこの手のツールが、Social Networking Service という煌びやかな名称のもと、現代人に標準装備されつつあるということが、これからどのような風景を招来するのか・そして個人はどのように付き合っていくべきなのかを、たびたび振り返っておいたほうがいいんじゃないか、とも思うのです。
 
 『唯我独尊製造装置としてのtwitter』のような道具と人間とのお付き合いは、始まってからまだ数年程度しか経っていません。それらが人間の心に与える短期的なエフェクトは既に観察できていますが、中期〜長期的にどのようなエフェクトを及ぼしていくのかが観察されるのはもう少し先のことでしょう。どんな未来が見えてくるんでしょうね?どんな人間ができあがるんでしょうね?
 
 道具の力が強くなったぶん、私達自身の心の強さなり、悟性の強さなりが問われる時代になってきました。
 

*1:尤も、「ブロック」機能で片端から意見の異なる人間を視界から締め出すということ自体が、既に唯我独尊の兆候、ともいえなくもありませんが。

*2:勿論、全部とは言いませんが……