not simple

デザインと言葉の実験です

デザインとは、何か。

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最近、独身こじらせているネタばっかり書いてる気がするので、たまには真面目な話を。

デザインとは、何か。この言葉は抽象的で、扱う領域が多様かつ広範囲で、さらに時代によって意味を変えていった経緯もあり、実は理解が難しい。

賢者は歴史に学ぶ、ということで先人の言を引用して考察してみよう、と。

デザインとは

デザインとは何か、と定義しようと試みること自体が、デザインが捉えようのないくらい広範囲で、解釈の多様性を持ち、多くの人が(時には便利に、もしくはビジネスの相手を煙に巻くための詭弁として!)使うようになった言葉となった証明でしょう。(Judith Kidd,2005)

グラフィックデザイン、インターフェースデザイン、インタラクションデザイン、UXデザイン、チームデザイン、ビジネスデザイン、デザインマネジメント、ライフデザイン...

デザインと名のつくものは多く、便利に使える言葉であるけれど、その「デザイン」がなにをすることなのか、感覚的にはなんとなくみんなわかってるけれど言葉にすると難しい。

デザインをする、という行為そのものはとても簡単です。あなたの愛用のメモパッド(それはきっとRHODIAのものだと思います)に併せるためにボールペンを買おうと思い立ったとしましょう。あなたはGreenwich Letterpress(訳者注:ニューヨークにある文具店)でメモパッドの表紙や方眼紙のカラーにマッチするボールペンを探すことでしょう。それは煩雑で多忙な仕事のひと時の安らぎのためかもしれないし、あなたが直面している日々の雑務を効率的にして余暇を生み出すためなのかもしれません。どうであれ、目的のためになにかを組み合わせてより良い効果、それによってもたらされるより良い結果を得ようとする行為がデザインという行為なのです。(Justin Newman,2011)

日々の行為を整理・組み立てることにデザインという言葉が割り当てられるのは、それが一般化していることの証左にもなり得る。

もう少しデザインという行為についての引用を続ける。

デザインはあらゆるものを対象とする。あなたの週末の予定を台無しにする心地よいソファ、直線的で住むには向かない美術館、貴重な時間を浪費させるモバイルアプリケーション、画一化されて面白みのないコーポレートサイトなど、物質的で、表層化され目に見えて触れるデザインから、クリエイティブなモノやコトを生むための組織のデザイン、過疎化した地域の活性化のための計画のデザイン、地球温暖化対策のための世界的な施策の組み立てや調整まで、目に見えないものも「広義」のデザインの範疇である。「広義」であるがゆえに範疇が広いが、共通するのは、既存の多くの要素と、幾ばくかの新しい要素を組み合わせることで、目的を達成することに対して適切な相乗効果と突破力を生み出すために施されることだということ。それこそデザインであり、その本質であるということだ。(Jonan R Jenes,2014)

デザインがいくつかの事象や行為の組み合わせによって相乗効果をあげ、なにがしかの成果をあげる目的で行われる行為、という解釈。僕はこれがひとつ本質だと思っている。

もうひとつ引用する。

デザインとは何かなんてそんな問いかけなんて、豚の餌にもならないじゃないか。いや、豚の餌の方がよっぽど有益だろ?デザインは何かを生み出しアプトプットするまでのただの過程だよ、それを哲学みたいに考えてどうするの?それをつらつら語るのをクールだと思ってるのはそれを作った「デザイナー様」だけだよ!(Kim Culley , 2014)

本記事の内容と目的を真っ向から否定されている引用であるけれど、とてもよくわかるし大好きなものなので引用。デザイナーならアウトプットで語れ、という一節。

某エンブレム問題でデザインにおけるプロセスの議論は白熱してあっという間に冷めた感あるけど、過程が正しくてもアウトプットが悪ければ意味がないというのは思うところ。「デザイナー様」でてきたので、デザイナーの仕事について。

デザイナーとは

デザイナーという職業の定義はすごく難しいですね。Photoshopを使ってビジュアルを作れることがデザイナーである、という認識の人もいれば、プラスオンでインタラクションデザインができなきゃいけない、という人もいれば、もっとプロダクトの本質に近く関わる人じゃなきゃデザイナーではないという人もいる。デザインの定義が時代によって変わってきてるというのも、もちろんあるんですけど。(Junya Iriyama,2010)

デザイナーという言葉が包括的すぎて、分野によって役割も印象も違うというのは実感としてある。

場所によってはPhotoshopを1日中開いてることを求められるのがデザイナーかもしれないし、エンジニアと話して何かを決めてXML書くのが仕事な僕の肩書きもデザイナーであったりする。デザイナーの扱う範囲についての話をもうひとつ。

アプリケーション開発におけるデザイナーの仕事というのは、技術者とビジネスサイドのメンバーが担当する以外のすべてのことなのです。(Kenichi Yamagata,2008)

ちょっと極端だけど、開発そのものとメンバー同士の隙間を埋めるのもデザイナーのこれからの立ち回りには大事かもしれない。

ただし、「デザイナーじゃない人が思い描くデザイナーの仕事」の分野も大事だな、ということで次の引用。

デザイナーの仕事は、小さな画面のインターフェイスをつくることだけでは無くなってきている。しかし、もともと画面のデザイナーが得意としてきたいわゆるスタイリングとしてのデザイン、それはほとんど人にはわからない、例えばECサイトの「カートに入れる」ボタンの色をちょっと明るくしたりだとか、グローバルメニューの位置を1px上にあげるだとかいうものだが、やはりこれはデザイナーにとって今でも最も重要な仕事で、デザイナーにしかできないことなのだ。(Masashi Namiki,2008)

ビジュアルとかスタイリングと言われるデザインはある程度理論化できるものの、感覚的なところももちろんある。

それは経験によって磨かれていくものであって、一朝一夕にはできない。役割が増えていっても、ひとつ尖ったスキルや得意分野を持っておくことも大事。

必要でないことを削ることは、デザイナーにとって最も重大で価値のある仕事だ。これだけは揺るぎないことだ。(中略)作る側の人間はいつも足したがる。Facebookなんてシンプルなコミュニケーションに使うアプリは10MB以下でいい。(Norman Maxwell ,2014)

やや各論だけれど。デザインの項では、物事や事象の組み合わせで効果を最大化することについて触れたけれど、忘れてはいけないのは削ることの大切さ。

これは忘れがちなので、自戒としてのそれ。次で最後。

デザイナーは、それ自身が与する組織に対しても、解決されるべき課題に対しても、静かに躍動する機関としての立ち振る舞いを求められるべきだ。それは、融けて流動する、粘度の高い、そして磁力を帯びた液体であり、物事の隙間に潜り込み、対象を引き寄せあい、時には離し、まるで透明の血のように、隙間なくかつ絶えず活動する。それこそがデザイナーでありデザインの本質である。(Ashish L. Alexander , 1982)

もはや考えすぎて、よくわからなくなった哲学のようになってきたのでこのくらいに。

おわりに

いかがだったでしょうか。

引用文献を最後に書こうと思ったけどそんなものは存在しないので書けません。

全ての引用は創作であり、架空の引用にコメントをつけてデザインっぽい話をするという悪ふざけでした。

本当にどうもありがとうございました。