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大河ドラマ・光る君への最終回の最後のシーンで、双寿丸が東国で戦が起きたと言っていましたが、それは前九年の役のことですか?確か藤原頼通の時代だったと記憶しています。教えて下さい。

A 回答 (3件)

それは道長の死後に起こった「平忠常の乱」です。



双寿丸がまひろに「東国で戦が始まった。 これから俺たちは朝廷の討伐軍に加わる」と言って去っていきました。
この「東国」とは現在の千葉県(上総・下総・安房の国)です。

平忠常は母が平将門の娘、つまり自身にとって祖父に当たります。
母親が幼いうちに将門は討ち死にしたものの、武勇伝としてその名をずっと聞いていたかもしれません。
その子孫であるからには自分も何かしら成したり、名を揚げようと考えたとしても不思議はありません。

大河ドラマのラストは主人公の最期の場面が描かれることが多いですが、紫式部は生没年が諸説(970~78年頃/1014~31年頃)あり、はっきりしていません。
最も短い説を取れば、道長より10年以上も早く亡くなっていることになるので、あのような最後のシーンは描けないはずです。
しかし、一方で長い方の説だとまひろは宮仕えを終え「源氏物語」も書き終えており、娘の賢子(大弐三位)が宮廷に入り、自身は自由な旅に出ていたと見れる向きもあります。

大石さんの脚本では最後の場面はまひろの「道長様、嵐が来るわ…」と言うセリフで、まだ何か続きがありそうな余韻あるラストになりました。
道長の死と共に、太平の世の終わりを告げるかのようでした。

「忠常の乱」はこちらに詳細があります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%BF%A0 …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2024/12/21 16:38

前九年の役は1051年からなのでもっと後です。



平忠常の乱です。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%BF% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2024/12/21 16:38

あのシーンの年代は明示されていなかったと思います


また紫式部の没年には色々な説がありますので
確定的なことは言えませんけど

年代的には前九年の役とは直接の関係はないと思われます
道長さんの没年は1028年で前九年の役は1050年でしたっけ?

流石に道長さんが亡くなって二十年以上のちに旅に出たとは思えませんので

前九年の役が突然発生したわけではなく
それ以前にも色々な武者の争いが起きていたはずなので
それらを前提にしたシーンで

時代はやがて公家の時代から武者の時代へ・・・・
という暗示だと思っています
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

お礼日時:2024/12/21 16:39

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