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毎回1つのお題に4人のブロガーが答えていく期間限定ブログ

私は恋愛の素晴らしさを滔々と語るヤツが大っ嫌い

みなさん、今回のお題は、「人生に恋愛が必要な理由」だそうです。あなたは、人生に、恋愛は必要だと思いますか。不必要だと思いますか。

ここで、「そりゃあ人生に恋愛は不可欠ですよ、だって恋愛って、素晴らしいものでしょう?」とかいうのは簡単ですよ。だけど、私はそんなことは口が腐ってもいいたくない。「恋愛によって人は成長する」とかいっている人を見ると、頬を引っ叩いてやりたくなります。

さて、私がこんなことをいい出すのにはもちろん理由があります。私はですね、自分は「彼氏いない歴=年齢」だった可能性が余裕であった人間だと思ってるんですよ。10人の私がいたら、そのうち7人くらいは「彼氏いない歴=年齢」なのではなかろうか。そう考える理由はいろいろあるのですけど、まず1つとして、私は孤独耐性がハンパなく高い。「さみしい」とか「だれかと一緒にいたい」という感情を感知するセンサーが(話を聞く限り)人と比べるとぶっ壊れているらしくて、今まで生きてきたなかで孤独感に苛まれたことがほとんどないんですよね。まあその話をすると長くなるのでやめておきますが、幸か不幸か、今回はたまたま10人のうち3人のほう、異性とお付き合いをする機会に恵まれたほうの人生を歩んでいますけど、それは本当にまったくの偶然であって、今もパラレルワールドのどこかに、「彼氏いない歴=年齢」の私が存在していることは確かなのです。

私は恋愛の話をするときはいつも、そんなパラレルワールドにいる「彼氏いない歴=年齢」の自分を念頭に置いてしまいます。なにせそっちの人生を歩んでいる可能性のほうが高かったわけですから、情景がありありと目に浮かんでくるのです。

この「彼氏いない歴=年齢」の私は、恋愛(交際)経験がないことをめっちゃ悩んでいるんですよ。だって世の中は、さすがにアラサーともなれば恋の1つや2つしているよねという前提で話が進んでいくでしょう。あれホントムカつくよね。おかげさまで、異性との交際経験がない自分には、何か人として重大な欠陥があるんじゃないかと不安になってくるのですよ。だけど、ここは胸を張っていいますけど、そんなわけないじゃないか。マトモな恋愛経験がないからといって、その人に欠陥があるわけでも、その人が未熟なわけでもありません。しかしそう思わざるを得ないような状況に今の社会はなっていて、私はそれが死ぬほど憎いのです。

異性(または同性)と交際をしたいという欲望には、3段階あるんじゃないかと思うんです。もっとも上級のものが、「(目の前にいる)この人が好き、だから自分のものにしたい」という欲望。中級のものが、「1人でいるのがさみしい、だからだれでもいいけど、自分のまわりでもっとも相性が良さそうな相手を自分のものにしたい」という欲望。そしてもっとも下級のものが、「自分は欠陥人間ではないということを証明したい、だからだれかを自分のものにしたい」という欲望です。もちろん欲望というのは厳密にいえば単独では生まれ得ず、まるで鏡のように「他者の欲望」を自分の心に映しとって、それを再現しようするわけですが、それにしたってこの3つ目の欲望は病みすぎではないかと思うのです。「みんなが持っているものが私も欲しい、なぜならみんな持っているから」。そんな理由で恋愛をしなくたっていいでしょう。

タイトルでいったように、私は恋愛の素晴らしさを滔々と、無邪気に語るヤツが大っ嫌い。なぜならそのことによって、本人にはまったく悪気がなくても、この3番目の欲望をある人の心のなかに引き起こすことがあるからです。というか、「自分が今している・過去していた恋愛がどんなに素敵か」を語るだけなら別にいいのですが、「人生には恋愛が必要」「恋愛によって人は成長する」「恋愛でしか得られないものがある」みたいなことをいい出す人を見かけると、それはただのあなたの慢心でしょう、といいたくなるわけです。恋愛によって人は確かに成長するでしょうが、恋愛しなかったらしなかったでその時間を別のことに割いているわけで、そしたらそのぶん別の成長をするだけではないでしょうか。

恋愛が素敵なものであることは確かに認めます。が、それは「カニは美味い」といっているのとなんら変わりはないのであって、カニとイクラとウニがあるなかで「カニだけは人生に不可欠」とかいわれると、頬を引っ叩いてやりたくなるわけですよ。あと最悪なのが、「君も経験したらわかるよ」的なことをいってくる人ね。何様かっちゅーのね。

あなたが欲しいのは「彼/彼女」ですか、それとも「彼/彼女を持っている自分」ですか?

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「あなたはどうだか知らないが」、「私は」、カニなんか食わずとも生きていけるわいというのが本エントリにおける私の基本的な主張です。というか、カニの味を知ってしまった以上カニの味を知らない人生にはもどれないので「生きていけるわい」といい切れるかどうかは定かではないですが、そこは無理にでもいい切らないと、パラレルワールドの自分に申し訳が立たないわけです。どの世界で人生を送っている私も超頑張って生きているにはちがいないので、この世界の私があの世界の私より素晴らしいなんていいたくないわけです。

ただし。ここはちょっと上手くいえない部分もあるのですが、「カニは高いしめんどくさいしコスパ悪いからカニかまでいいや」みたいなことをいっている人たち。こういう人たちには、カニかまを食べるならカニを食べに行きなさいよ、と私はいっちゃうと思うんですよね。カニを食べなくても生きていけるのは、イクラとウニの美味さを堪能できる人間だけだと思うんです。私は、この世界でもパラレルワールドの世界でも、カニかまは食べないです。ちょっとここ、ここ共感してくれる方がいたら上手く言語化してください。コスパとかいい出す人は恋愛の素晴らしさを滔々と語るヤツよりタチが悪いですからね!

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女性向けのマンガやドラマでたまに出てくる、「彼がいなかったときの私は、この時間をどうやって過ごしていたんだろう」みたいなセリフが、昔から大っ嫌いでした。「彼」の素晴らしさを、「彼の不在」によって語るなよ、と思っていました。

私は、わりといいカニを食べてきたと思います。だけど、「もしカニがなかったら私の人生は今よりも価値が低いものだった」なんて思いません。カニがなくても、私は今と同程度に素晴らしく、今と同程度にくだらなく、今と同程度に面白く、今と同程度につまらない人間だったでしょう。カニあり/カニなしの人生の間に生じる差異は、価値の高低ではなくただの方向性です。

私にいえるのは、「私が食べたカニは美味かった」という事実それだけであって、他人にとってカニが美味いかどうかは知る由もないし、ましてや「人生にはカニが必要」なんて絶対にいいません。この人生においてカニを食べて良かったと思っているし、いいカニだったのでなかなか美味でしたが、なきゃないで、私は楽しくよろしくやってるのではないでしょうか。というか、そうでないと困ります。カニがないならイクラとウニを食べればいいじゃない。それなのに、何が何でもカニを口に突っ込もうとしてくるヤツが、というか社会が、私は気に入らないのです。


さあ、最初の問いにもどりましょうか。あなたは、人生に、恋愛は必要だと思いますか。不必要だと思いますか。


それと、海鮮丼は好きですか。


著者プロフィール

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「(チェコ好き)の日記」で旅・読書・アートのことを書いてるひと。芸術系大学院卒、専門はシュルレアリスムと1960年代のチェコ映画。ブログはBLOGOSにも寄稿(転載)中です。好きな言葉は「優雅な生活が最高の復讐である」。