The Soft Core Project - 「Phase 2」(仮想アルバム、1999年)
まずは新年あけましておめでとうございます。個人的に昨年は下から数えた方が早い最悪に近い一年だったのですが、年が改まったことを機に、これから状況をより良くしていきたいと気持ちを新たにしているところです。また、昨年末は急に色々と忙しくなった関係で、このブログの更新はかなりご無沙汰していました。「一年の計は元旦にあり」ということで、休日を利用して遅れていた作業を一気に片付けることから今年を始めることにしましたので、久しぶりにこちらのブログも更新させていただきます。
そんな本ブログでは、私が1998年に制作したThe Soft Core Project名義による「Phase 2」の音源を中心に紹介してきた訳ですが、例によって程よい分量がたまってきましたので、仮想アルバムの形式にまとめてみました。
The Soft Core Project名義のアルバムとしては通算3作目のアルバムとなるのですが、基本的に本作は同プロジェクトの「Phase 2」に属する作品群を紹介するアルバムですので、タイトルは『Phase 2』としました。リリース時期としては、これまでブログ記事を書いている段階では気付かなかったのですが、「Phase 2」の制作は98年ではなく99年の2月であったことが別な資料から判明した背景もあり、1999年の半ばぐらいを想定しました。仕様としては例によってアナログ盤を想定した作りになっています。個々の楽曲については既に本ブログにてページを割いて説明しておりますので、曲名をクリックしていただくと該当ページへ飛ぶようにリンクを貼りました。今回はリンクを貼っていない楽曲が1曲だけありますので、その楽曲については本稿で触れていくことになります。
Side One:
1) Phase 2: Part 1
Theme
Bridging Piece A
Death Song
Pow! Am Thy Pop
Bridging Piece B
Genius at Sensitivity
Bridging Piece C
2) Just a Kiss
まず、アルバム全体のレイアウトなのですが、これまで6つのパートに分けて紹介してきた「Phase 2」の音源を切れ目なしに繋いでしまうと総演奏時間が30分をちょっと超える長さになり、アナログ盤を想定している事情から片面に無理やり収録するとアルバムの体裁を成さなくなると考えたことから、両面に分割することにしました。その結果、Side Oneにはブログ記事で紹介してきたPart1~3を1曲目に収録し、残りをSide Twoに配するレイアウトになっています。本アルバムに紹介する音源は両面に分割した箇所を除いて、切れ目なしで収録されていますので、これまでの記事で紹介した音源とはその点だけが異なります。2曲目の「Just a Kiss」はブログ記事で紹介していない新曲になりますが、この曲については最後に触れたいと思います。
Side Two:
1) Phase 2: Part 2
Bridging Piece C (continued)
She's Gone
Song of May
Bridging Piece D:
for Acoustic Guitar - Flute - Harpsichord - Strings - Recorder - Bab Pipes - Piano
The Story:
The Convict
Jailbreak Runaways and a Village Girl
The Sovereign Governor
Baby, I Love You
The Extension
Theme (Reprise)
2) Room
Side Twoの収録曲には色々と細かい副題が付いていますが、音源としては既に過去の記事で紹介したものと同じです。「Part v」として紹介した部分は記事でも述べたとおりブリッジ部分の一つなのですが、分かりやすくするためにメインで登場する楽器の名前を並べておきました。「Part vi」は元ネタがストーリーに基づいていたことから楽曲に「The Story」というタイトルを付けて、メドレー形式で演奏される個々のテーマにはストーリーに登場する役柄の名称を副題として付けてあります。
さて最後に唯一の新曲(?)「Just a Kiss」ですが、これは私がまだ学生だった1989年の終わり頃に書いた作品で、その頃のデモは音質面・演奏面ともやや荒削りな印象があったことから、手直しが必要だと考えていました。そしてThe Soft Core Projectというレコーディング主体のプロジェクトを1996年に構想した際、「売れる可能性のある上出来の楽曲」ということで、実はPhase 1の段階で私はこの曲の再録を試みたのであります。正直なところ、この再録バージョンもイマイチの仕上がりだったことから、一連のSoft Core Projectの仮想アルバムに取り上げる機会もなかったのですが、『Phase 2』のアルバムを時間的に埋める必要が生じたことから、今回「Just a Kiss」の両バージョンを聴き比べて、可能な限り理想の状態でここに再現してみることにしました。
ちなみにYouTubeにもこの曲はアップしているのですが、2014年にビデオを制作するに際して、私は「足りない」と思っていたピアノのアルト パートを追加した他、荒削りな89年のギター ソロにもう一本のギターを重ねた音源でアップしました。今回のアルバムに収録したテイクとは編集が異なるのですが、その時のビデオを下に貼り付けましたので、参照程度にお楽しみください。
上のビデオでは最後のギター ソロのところで2014年に新たに付け加えたギターのパートは微妙にリズムがズレているのですが、これは音質を維持する都合上、ギターのパートを独立したトラックに収録した上で、そのトラックをビデオに重ねる編集を施した結果で生じた“デジタルの誤差”とお考えください。究極的に言ってしまうと、この曲に関しては何回レコーディングを重ねても、ついに決定的なバージョンを作るには至らなかった残念な作品と言えるかと、自分の中では思っています。。。
そんな本ブログでは、私が1998年に制作したThe Soft Core Project名義による「Phase 2」の音源を中心に紹介してきた訳ですが、例によって程よい分量がたまってきましたので、仮想アルバムの形式にまとめてみました。
The Soft Core Project名義のアルバムとしては通算3作目のアルバムとなるのですが、基本的に本作は同プロジェクトの「Phase 2」に属する作品群を紹介するアルバムですので、タイトルは『Phase 2』としました。リリース時期としては、これまでブログ記事を書いている段階では気付かなかったのですが、「Phase 2」の制作は98年ではなく99年の2月であったことが別な資料から判明した背景もあり、1999年の半ばぐらいを想定しました。仕様としては例によってアナログ盤を想定した作りになっています。個々の楽曲については既に本ブログにてページを割いて説明しておりますので、曲名をクリックしていただくと該当ページへ飛ぶようにリンクを貼りました。今回はリンクを貼っていない楽曲が1曲だけありますので、その楽曲については本稿で触れていくことになります。
Side One:
1) Phase 2: Part 1
Theme
Bridging Piece A
Death Song
Pow! Am Thy Pop
Bridging Piece B
Genius at Sensitivity
Bridging Piece C
2) Just a Kiss
まず、アルバム全体のレイアウトなのですが、これまで6つのパートに分けて紹介してきた「Phase 2」の音源を切れ目なしに繋いでしまうと総演奏時間が30分をちょっと超える長さになり、アナログ盤を想定している事情から片面に無理やり収録するとアルバムの体裁を成さなくなると考えたことから、両面に分割することにしました。その結果、Side Oneにはブログ記事で紹介してきたPart1~3を1曲目に収録し、残りをSide Twoに配するレイアウトになっています。本アルバムに紹介する音源は両面に分割した箇所を除いて、切れ目なしで収録されていますので、これまでの記事で紹介した音源とはその点だけが異なります。2曲目の「Just a Kiss」はブログ記事で紹介していない新曲になりますが、この曲については最後に触れたいと思います。
Side Two:
1) Phase 2: Part 2
Bridging Piece C (continued)
She's Gone
Song of May
Bridging Piece D:
for Acoustic Guitar - Flute - Harpsichord - Strings - Recorder - Bab Pipes - Piano
The Story:
The Convict
Jailbreak Runaways and a Village Girl
The Sovereign Governor
Baby, I Love You
The Extension
Theme (Reprise)
2) Room
Side Twoの収録曲には色々と細かい副題が付いていますが、音源としては既に過去の記事で紹介したものと同じです。「Part v」として紹介した部分は記事でも述べたとおりブリッジ部分の一つなのですが、分かりやすくするためにメインで登場する楽器の名前を並べておきました。「Part vi」は元ネタがストーリーに基づいていたことから楽曲に「The Story」というタイトルを付けて、メドレー形式で演奏される個々のテーマにはストーリーに登場する役柄の名称を副題として付けてあります。
さて最後に唯一の新曲(?)「Just a Kiss」ですが、これは私がまだ学生だった1989年の終わり頃に書いた作品で、その頃のデモは音質面・演奏面ともやや荒削りな印象があったことから、手直しが必要だと考えていました。そしてThe Soft Core Projectというレコーディング主体のプロジェクトを1996年に構想した際、「売れる可能性のある上出来の楽曲」ということで、実はPhase 1の段階で私はこの曲の再録を試みたのであります。正直なところ、この再録バージョンもイマイチの仕上がりだったことから、一連のSoft Core Projectの仮想アルバムに取り上げる機会もなかったのですが、『Phase 2』のアルバムを時間的に埋める必要が生じたことから、今回「Just a Kiss」の両バージョンを聴き比べて、可能な限り理想の状態でここに再現してみることにしました。
ちなみにYouTubeにもこの曲はアップしているのですが、2014年にビデオを制作するに際して、私は「足りない」と思っていたピアノのアルト パートを追加した他、荒削りな89年のギター ソロにもう一本のギターを重ねた音源でアップしました。今回のアルバムに収録したテイクとは編集が異なるのですが、その時のビデオを下に貼り付けましたので、参照程度にお楽しみください。
上のビデオでは最後のギター ソロのところで2014年に新たに付け加えたギターのパートは微妙にリズムがズレているのですが、これは音質を維持する都合上、ギターのパートを独立したトラックに収録した上で、そのトラックをビデオに重ねる編集を施した結果で生じた“デジタルの誤差”とお考えください。究極的に言ってしまうと、この曲に関しては何回レコーディングを重ねても、ついに決定的なバージョンを作るには至らなかった残念な作品と言えるかと、自分の中では思っています。。。
The Soft Core Project - Room (自作曲のデモ、1998年)
過去の記事でも触れているかと思うのですが、私は高校1年次の終わり頃からドアーズ(The Doors)の音楽にハマってしまい、1982年の終わりから翌83年の秋ぐらいまでの短い期間に、集中してドアーズのオリジナル アルバムを一通り買い揃えました。もちろんリリースされた順番で買い揃えた訳ではなく、バンドにとって5作目のアルバムだった『Morrison Hotel』(1970年)を買ったのは1983年の春ぐらいのことと記憶しています。当時の私は基本的に普通のレコード店で国内盤のアルバムを買っていましたので、国内盤に特有のライナーノーツを読むのも楽しみの一つではあったのですが、当時の日本で発売されていた『Morrison Hotel』のライナーノーツには面白いことが記されていました。具体的な文言はもう思い出せませんが、「基本的にアーティストというものは、自分のスタイルを確立すると、それ以後はそのスタイルを繰り返していく傾向がある」といったような主張が述べられていました(これはライナーノーツの執筆者が持論を述べたのではなく、そのような説を唱える批評家か何かの言葉を引用して述べた文章でした)。そこに言われているアーティストというのは音楽に限ったことではなく、芸術全般に共通するとも記されていて、私が後にダリ展を見に行った時(1991年)に、ほとんどの作品に歪んだ時計が描かれている彼の画風から、このライナーノーツで述べられていたことを追認したことを今でもよく覚えています。
ドアーズの音楽をアルバム単位で整理していくと、デビュー作で既に独特の音の世界を確立 → 2作目でその世界を色彩・空間的に拡張 → 3作目では音楽面での守備範囲を拡張(逆にまとまりを欠く面も露呈) → 4作目ではビートルズ(The Beatles)の影響などもあってホーン セクションやストリングスを大々的に導入した実験を敢行(正直なところ失敗作) → 5作目の『Morrison Hotel』は原点回帰の作品と一般的には呼ばれており、作風的にはオーソドックスなスタイルに戻った感もあるが、決してデビュー作の世界に戻ったという感じではない。6作目の2枚組ライヴ盤の方が(ライヴ演奏での編成的な制約ゆえに)むしろデビュー作に近い音が聴けるように思う。そしてボーカリストのジム モリソン(Jim Morrison)がレコーディングに参加した最終作となる7作目は、5作目の延長線上にある作風という感じもするが、その世界観はさらに枯れているようにも聴こえる。
このようにアルバム単位での変化を考えた場合、ドアーズというバンドには「確立されたスタイルの繰り返し」というパターンは、それほど顕著には見えてこないような気もするのですが、原点回帰に位置づけられる『Morrison Hotel』のライナーノーツに記されたことを象徴する収録曲の一つに「Indian Summer」(1970年)が挙げられるかと思う。東洋的でエキゾチックなスタイルの作風は、デビュー作で聴かせた「The End」以来、ドアーズというバンドを象徴する作風の一つに数えられるかと思う訳ですが、そのスタイルが初めて「繰り返された」作品こそが、この短いバラード曲になるからです。
The Doors - Indian Summer (1970)
さて、当ブログではこのところ、私が1998年に制作したメドレー形式のデモ音源であるThe Soft Core Project名義の「Phase 2」を計6つのパートに分けて紹介してきたのですが、今回はそれとほぼ同じ時期に制作されたと記憶する単体の別な楽曲を紹介したいと思います。「Room」と題されたこの楽曲は古いアイデアを活用しつつ、その時期に書いた一応は新曲になるのですが、内容的にはその頃までに培ってきたスタイルというか作風の焼き直しに終始した感じが強い楽曲であり、いい意味で言えば「集大成」的な作品、悪く捉えるならば「確立されたスタイルの繰り返し」に尽きる作品になるかと思います。
The Soft Core Project - Room (demo, 1998)
この曲のビデオを製作してYouTubeにアップした際に、なぜこの曲をThe Soft Core Projectの名義にしたのか、今となっては思い出せないのではありますが、正直なところデモ音源を制作した時点では、この楽曲をProjectの作品に位置づけるような意図は、特になかったと思われます。とは言うものの、「Phase 2」メドレーの音源だけでは一枚の仮想アルバムを制作する分量として時間的に不十分であることや、制作時期が割りと近い時期であったことなどの理由から、上に紹介した音源はProjectの“Phase 2”に属する作品と、これまた仮想の世界で定義することにしました。
最後にビデオの内容について付け加えておきたいのですが、楽曲のタイトルが「Room」であることから、私はYouTube用にビデオを制作した当時に住んでいた自分の部屋を題材に使うことを思い立ちました。実はその当時、私は仕事の関係で南アフリカのケープ タウンに住んでいたのですが、ビデオを制作した頃までには(治安が悪いので)日本へ帰国することを決めていて、半年ぐらいしか住まなかったアパートの一室にあった私物の処分を進めており、その関係で部屋の様子を撮影した写真があったことや、部屋そのものは気に入っていたので記念品にする目的も兼ねて、上のビデオに使用した動画も追加で撮影したりした次第です。
上のビデオには同じ部屋の中で私が演奏するシーンも出てきますが、これらは他のビデオに使用した動画を使い回したものに過ぎません。しかしながら、せっかくの機会ですのでこの部屋で撮影したThe Soft Core Project絡みのビデオを下に紹介したいと思います。K. ft. The Soft Core Project名義による「Jamming with My Past Self」と題したビデオがその音源になります。
K. ft. The Soft Core Project - Jamming with My Past Self (demo, 1998 + 2014)
この音源についての詳細は、また然るべき時に記すことになるかと思うのですが、ベースとドラムは1998年にスタジオで録音された音源であり、2014年にケープ タウンの部屋でレコーディングしたのは、その模様をビデオで撮影したギターのパートのみです。使用したストラトキャスターは現地のセカンドハンド ショップで買った安物で、弦高の調整にかなり苦しんだ使い勝手の悪いギターでした。98年のスタジオ録音はドラムを友人に頼んで、私がベースを弾いて演奏した内容を4トラックでライヴ録りしたものになります。これをThe Soft Core Project名義としたのは、このレコーディングが同プロジェクトのPhase 3に位置付けられていた為だったのですが、そこら辺のことについては、いつか改めて記していきたいと思います。
ドアーズの音楽をアルバム単位で整理していくと、デビュー作で既に独特の音の世界を確立 → 2作目でその世界を色彩・空間的に拡張 → 3作目では音楽面での守備範囲を拡張(逆にまとまりを欠く面も露呈) → 4作目ではビートルズ(The Beatles)の影響などもあってホーン セクションやストリングスを大々的に導入した実験を敢行(正直なところ失敗作) → 5作目の『Morrison Hotel』は原点回帰の作品と一般的には呼ばれており、作風的にはオーソドックスなスタイルに戻った感もあるが、決してデビュー作の世界に戻ったという感じではない。6作目の2枚組ライヴ盤の方が(ライヴ演奏での編成的な制約ゆえに)むしろデビュー作に近い音が聴けるように思う。そしてボーカリストのジム モリソン(Jim Morrison)がレコーディングに参加した最終作となる7作目は、5作目の延長線上にある作風という感じもするが、その世界観はさらに枯れているようにも聴こえる。
このようにアルバム単位での変化を考えた場合、ドアーズというバンドには「確立されたスタイルの繰り返し」というパターンは、それほど顕著には見えてこないような気もするのですが、原点回帰に位置づけられる『Morrison Hotel』のライナーノーツに記されたことを象徴する収録曲の一つに「Indian Summer」(1970年)が挙げられるかと思う。東洋的でエキゾチックなスタイルの作風は、デビュー作で聴かせた「The End」以来、ドアーズというバンドを象徴する作風の一つに数えられるかと思う訳ですが、そのスタイルが初めて「繰り返された」作品こそが、この短いバラード曲になるからです。
The Doors - Indian Summer (1970)
さて、当ブログではこのところ、私が1998年に制作したメドレー形式のデモ音源であるThe Soft Core Project名義の「Phase 2」を計6つのパートに分けて紹介してきたのですが、今回はそれとほぼ同じ時期に制作されたと記憶する単体の別な楽曲を紹介したいと思います。「Room」と題されたこの楽曲は古いアイデアを活用しつつ、その時期に書いた一応は新曲になるのですが、内容的にはその頃までに培ってきたスタイルというか作風の焼き直しに終始した感じが強い楽曲であり、いい意味で言えば「集大成」的な作品、悪く捉えるならば「確立されたスタイルの繰り返し」に尽きる作品になるかと思います。
The Soft Core Project - Room (demo, 1998)
この曲のビデオを製作してYouTubeにアップした際に、なぜこの曲をThe Soft Core Projectの名義にしたのか、今となっては思い出せないのではありますが、正直なところデモ音源を制作した時点では、この楽曲をProjectの作品に位置づけるような意図は、特になかったと思われます。とは言うものの、「Phase 2」メドレーの音源だけでは一枚の仮想アルバムを制作する分量として時間的に不十分であることや、制作時期が割りと近い時期であったことなどの理由から、上に紹介した音源はProjectの“Phase 2”に属する作品と、これまた仮想の世界で定義することにしました。
最後にビデオの内容について付け加えておきたいのですが、楽曲のタイトルが「Room」であることから、私はYouTube用にビデオを制作した当時に住んでいた自分の部屋を題材に使うことを思い立ちました。実はその当時、私は仕事の関係で南アフリカのケープ タウンに住んでいたのですが、ビデオを制作した頃までには(治安が悪いので)日本へ帰国することを決めていて、半年ぐらいしか住まなかったアパートの一室にあった私物の処分を進めており、その関係で部屋の様子を撮影した写真があったことや、部屋そのものは気に入っていたので記念品にする目的も兼ねて、上のビデオに使用した動画も追加で撮影したりした次第です。
上のビデオには同じ部屋の中で私が演奏するシーンも出てきますが、これらは他のビデオに使用した動画を使い回したものに過ぎません。しかしながら、せっかくの機会ですのでこの部屋で撮影したThe Soft Core Project絡みのビデオを下に紹介したいと思います。K. ft. The Soft Core Project名義による「Jamming with My Past Self」と題したビデオがその音源になります。
K. ft. The Soft Core Project - Jamming with My Past Self (demo, 1998 + 2014)
この音源についての詳細は、また然るべき時に記すことになるかと思うのですが、ベースとドラムは1998年にスタジオで録音された音源であり、2014年にケープ タウンの部屋でレコーディングしたのは、その模様をビデオで撮影したギターのパートのみです。使用したストラトキャスターは現地のセカンドハンド ショップで買った安物で、弦高の調整にかなり苦しんだ使い勝手の悪いギターでした。98年のスタジオ録音はドラムを友人に頼んで、私がベースを弾いて演奏した内容を4トラックでライヴ録りしたものになります。これをThe Soft Core Project名義としたのは、このレコーディングが同プロジェクトのPhase 3に位置付けられていた為だったのですが、そこら辺のことについては、いつか改めて記していきたいと思います。
The Soft Core Project - Phase 2, Part VI (自作曲のデモ、1998年)
このブログでは通常、まず関連音源の紹介をしてから、当該記事のメインとなる自分の音源を紹介するスタイルを取っているのですが、今回は一貫して自分の音源を紹介する例外的なパターンでいきたいと思います。この手法を取らざるを得ない理由として、今回の記事でメインに取り上げる音源に聴かれる「メドレー」の発想が、どのように育まれていったのかを説明する必要があることが挙げられます。このところ集中的に紹介してきた一連のThe Soft Core Project名義での「Phase 2」の記事では、元ネタになった楽曲のオリジナル デモ音源を記事の結びで紹介するスタイルを取ってきたのですが、今回はその流れも逆転させることになります。
そもそも私が「メドレー」のアイデアを考案したキッカケは、1991年の秋に当時の友人だったヒロ氏が「演劇パフォーマンス」の企画を持ちかけてきたことに始まります。そこら辺の経緯については過去の記事で既に詳しく記しているわけですが、簡単にまとめてしまうと当時はまだ留年生として5年目の学生生活を送っていた友人のヒロ氏と、その年の3月に大学を卒業したものの、そのままフリーター生活に入っていた私とが親しい交遊を継続していた中で、彼が唐突にこの「演劇パフォーマンス」を上演するという企画を持ちかけてきたのでした。最初に何人か核となる人物が集められ、何度か企画を練る会議を行なっていく中で、徐々に上演する演目のストーリーラインが輪郭を持ち始めます。この時点で私は「音楽監督」の立場からストーリーの流れに沿うサウンドトラック的な音源を製作する作業に入り、忙しい中ほんの数日内でアルバム一枚分に相当する量の楽曲を作曲して、そのデモ音源を完成させます。この音源におけるクライマックス部分として私の頭に浮かんできたアイデアこそが、今回の記事で主要な役割を演じる「メドレー」の構想だったのであります。
私が考えたアイデアは、デモ音源を製作した時点で既に決まっていた出演者候補の中に何人か自作曲を提供できる学内のミュージシャンがいたことから、それらの人材に楽曲の提供を依頼して、数曲をメドレー形式で演奏する場面を演劇パフォーマンスのクライマックス部分に持って行くという発想でした。私もそのような人材の一人であったことから、デモ制作の段階では全体のメドレーの「テーマ」となる部分(イントロとエンディングに使用する予定)に加えて、私が提供する楽曲として「Baby I Love You」と題した新曲をデモ音源に含めて、監督総指揮を務めるヒロ氏に自らのアイデアを売り込んだ訳でした。ところがヒロ氏の考えは徐々にストーリー性のある演目からより抽象的・前衛的な方向性へと変化していったことや、演劇に重点を置く目的から音楽的な要素を削る方向へと動いていったため、私の考案した「メドレー」の発想は却下されました。それでもヒロ氏は私が書いた「Baby I Love You」という楽曲のことは大変に気に入ったことから、この曲のみを上演の際にライヴ演奏するよう指示を出しました。下に紹介する音源は私が制作したデモ音源を主体に、部分的にライヴ演奏用に組んだバンドによるデモ音源を挿入した「Baby I Love You」になります。ちなみに「Kunst」というのはバンド名ではなく、演劇パフォーマンスを上演した団体の名称になります。
K. ft. Kunst - Baby I Love You (demo, 1991)
1991年の12月にKunstが学内の小ホールで上演した演目には『Zone』というタイトルがついていました。これは製作総指揮を務めたヒロ氏の発案によるもので、彼はそれなりに背景を説明してくれたのですが、演目の内容と同様に極めて抽象的な説明で、真意のほどは計り兼ねました。それから2年を経た1993年の終わり頃、私はこの演劇パフォーマンスの話しが持ち上がった当初に議論されていたストーリーラインに基づいたロック オペラを作曲することを思いたち、その第一弾として「第一幕の序曲」の作曲とデモ制作に着手します。この時点で私の頭の中ではある程度までストーリーラインを煮詰めていたとは思うのですが、Kunst用に数日内で制作したデモとは違って、この時のデモ制作には相当な時間をかけました。理由の一つとしては当時の私が自身のバンドであるCulotte(キロット/キュロット)の活動に主軸を置いていたことから、バンド用の楽曲を製作することに重きを置かざるを得ず、オペラの製作はその一環として少しずつ進めざるを得なかった環境がありました。そんな訳で、ストーリーの終盤となる第三幕のデモ制作に着手したのは1994年の夏を過ぎてからであり、「The Grand Meeting」と題したクライマックス部分のメドレーをデモ制作したのは同年11月のこと。当時は完成したロック オペラをバンドCulotteとして上演することを意図していたことから、当時のデモはリズム マシンを使用しないスタイルで制作されました。翌年に入ると今度はオペラを上演する役割を担う予定だったバンドの方に、ドラマーの交代という危機が訪れます。結局、バンドでは第一幕の数曲と第二幕の序曲を分散的にライヴ演奏するところまでにしか至らず、バンドとしての音源制作も中途半端なところで終わってしまいました。
1998年に私がThe Soft Core Project名義でのPhase 2のデモ制作に入った時点で、私は既にPhase 3の構想も練っていました。その関連から、『Zone』という仮題のまま制作を進めた未完のロック オペラでクライマックスの役割を務める予定だった「The Grand Meeting」というメドレーをPhase 2の終盤に配置することは、制作に着手した時点から決まっていたアイデアでもあったのです。そういう訳で、これまで5回にわたって紹介してきた長いメドレーの最終部となる「Part VI」は、それ自体が複数の楽曲を組み入れたメドレーの形式で書かれております。
The Soft Core Project - Phase 2, Part VI (demo, 1998)
音源を聴いていただけるとお分かりのとおり、この「Part VI」にはメドレーの序盤で使用した無機的なシンセサイザーの音が戻って来るのですが、演目のロック色が強いせいか、序盤に聴かれたような効果は感じられないかと思います。また、序盤ではベース音も無機的な雰囲気を出す目的から、ドアーズ(The Doors)にも通じるオルガン音色のベース音を使っていたのですが、このパートでは普通にベース ギターを弾きました。YouTubeにアップした音源は元々のデモ音源を少し編集して短くしたバージョンなので、最後のテーマに戻る部分あたりは少し繋ぎ目が自然ではないように感じたりもするのですが、正直なところ元々のデモ音源は演奏時間が長すぎると感じてもいますので、一応ここに紹介した音源を「Phase 2」の“完成形”に位置付けておきたいと個人的には思っています。
さて、通常ですと最後に元ネタになった音源を紹介するパターンに入る訳ですが、今回は元ネタだった「The Grand Meeting」のオリジナル デモをYouTube上には公開していない関係から、同じ1998年に制作したPhase 3用のデモを最後に紹介したいと思います。
K. flies solo - Operetta: The Grand Meeting (demo, 1996 + 1998)
上のビデオに紹介した音源についてですが、正直なところ具体的な制作時の記憶がないことに加え、2015年に音源を編集してYouTubeにビデオをアップした際に、具体的にどのような作業を行なったのかでさえ思い出せない状況にあるのですが、メドレー形式で楽曲を繋いでいく流れの中に、明らかな「違和感」があることは紛れもない事実であり、ここにヒントが隠されているように思います。途中で急にテンポが遅いバラード調の楽曲に移行する部分があるのですが、ここの繋ぎ部分で「テンポを落とす」ことに対処する方策が何も取られていないことから考えて、恐らくここに集められた音源は、楽曲ごとに元々は個別に制作したデモ音源を、ビデオ制作時の段階で無理やりメドレー形式に繋げて編集したと考えるのが自然かと思います。問題のバラード系の楽曲は94年に私が最初に「The Grand Meeting」を製作した段階から、メドレーの一部に含まれることは決まっていた楽曲なので、その時点での編曲ではテンポが落ちることに対する「対策」が施されていたハズなのですが、98年の音源はあくまでもPhase 3で利用する目的で制作されたデモ音源であったことから、楽曲ごとに単体のデモが制作された結果、この「対策」が抜け落ちたと考えるのは自然な流れであり、それでもYouTubeに未完のロック オペラを全体像としてアップするに際して「The Grand Meeting」の音源が必要だったことから、98年に制作したデモ音源を無理やりメドレー形式で繋ぐ編集を2015年に試みたというのが、真相に限りなく近いところなのではないかと、勘ぐる訳であります。。。
そもそも私が「メドレー」のアイデアを考案したキッカケは、1991年の秋に当時の友人だったヒロ氏が「演劇パフォーマンス」の企画を持ちかけてきたことに始まります。そこら辺の経緯については過去の記事で既に詳しく記しているわけですが、簡単にまとめてしまうと当時はまだ留年生として5年目の学生生活を送っていた友人のヒロ氏と、その年の3月に大学を卒業したものの、そのままフリーター生活に入っていた私とが親しい交遊を継続していた中で、彼が唐突にこの「演劇パフォーマンス」を上演するという企画を持ちかけてきたのでした。最初に何人か核となる人物が集められ、何度か企画を練る会議を行なっていく中で、徐々に上演する演目のストーリーラインが輪郭を持ち始めます。この時点で私は「音楽監督」の立場からストーリーの流れに沿うサウンドトラック的な音源を製作する作業に入り、忙しい中ほんの数日内でアルバム一枚分に相当する量の楽曲を作曲して、そのデモ音源を完成させます。この音源におけるクライマックス部分として私の頭に浮かんできたアイデアこそが、今回の記事で主要な役割を演じる「メドレー」の構想だったのであります。
私が考えたアイデアは、デモ音源を製作した時点で既に決まっていた出演者候補の中に何人か自作曲を提供できる学内のミュージシャンがいたことから、それらの人材に楽曲の提供を依頼して、数曲をメドレー形式で演奏する場面を演劇パフォーマンスのクライマックス部分に持って行くという発想でした。私もそのような人材の一人であったことから、デモ制作の段階では全体のメドレーの「テーマ」となる部分(イントロとエンディングに使用する予定)に加えて、私が提供する楽曲として「Baby I Love You」と題した新曲をデモ音源に含めて、監督総指揮を務めるヒロ氏に自らのアイデアを売り込んだ訳でした。ところがヒロ氏の考えは徐々にストーリー性のある演目からより抽象的・前衛的な方向性へと変化していったことや、演劇に重点を置く目的から音楽的な要素を削る方向へと動いていったため、私の考案した「メドレー」の発想は却下されました。それでもヒロ氏は私が書いた「Baby I Love You」という楽曲のことは大変に気に入ったことから、この曲のみを上演の際にライヴ演奏するよう指示を出しました。下に紹介する音源は私が制作したデモ音源を主体に、部分的にライヴ演奏用に組んだバンドによるデモ音源を挿入した「Baby I Love You」になります。ちなみに「Kunst」というのはバンド名ではなく、演劇パフォーマンスを上演した団体の名称になります。
K. ft. Kunst - Baby I Love You (demo, 1991)
1991年の12月にKunstが学内の小ホールで上演した演目には『Zone』というタイトルがついていました。これは製作総指揮を務めたヒロ氏の発案によるもので、彼はそれなりに背景を説明してくれたのですが、演目の内容と同様に極めて抽象的な説明で、真意のほどは計り兼ねました。それから2年を経た1993年の終わり頃、私はこの演劇パフォーマンスの話しが持ち上がった当初に議論されていたストーリーラインに基づいたロック オペラを作曲することを思いたち、その第一弾として「第一幕の序曲」の作曲とデモ制作に着手します。この時点で私の頭の中ではある程度までストーリーラインを煮詰めていたとは思うのですが、Kunst用に数日内で制作したデモとは違って、この時のデモ制作には相当な時間をかけました。理由の一つとしては当時の私が自身のバンドであるCulotte(キロット/キュロット)の活動に主軸を置いていたことから、バンド用の楽曲を製作することに重きを置かざるを得ず、オペラの製作はその一環として少しずつ進めざるを得なかった環境がありました。そんな訳で、ストーリーの終盤となる第三幕のデモ制作に着手したのは1994年の夏を過ぎてからであり、「The Grand Meeting」と題したクライマックス部分のメドレーをデモ制作したのは同年11月のこと。当時は完成したロック オペラをバンドCulotteとして上演することを意図していたことから、当時のデモはリズム マシンを使用しないスタイルで制作されました。翌年に入ると今度はオペラを上演する役割を担う予定だったバンドの方に、ドラマーの交代という危機が訪れます。結局、バンドでは第一幕の数曲と第二幕の序曲を分散的にライヴ演奏するところまでにしか至らず、バンドとしての音源制作も中途半端なところで終わってしまいました。
1998年に私がThe Soft Core Project名義でのPhase 2のデモ制作に入った時点で、私は既にPhase 3の構想も練っていました。その関連から、『Zone』という仮題のまま制作を進めた未完のロック オペラでクライマックスの役割を務める予定だった「The Grand Meeting」というメドレーをPhase 2の終盤に配置することは、制作に着手した時点から決まっていたアイデアでもあったのです。そういう訳で、これまで5回にわたって紹介してきた長いメドレーの最終部となる「Part VI」は、それ自体が複数の楽曲を組み入れたメドレーの形式で書かれております。
The Soft Core Project - Phase 2, Part VI (demo, 1998)
音源を聴いていただけるとお分かりのとおり、この「Part VI」にはメドレーの序盤で使用した無機的なシンセサイザーの音が戻って来るのですが、演目のロック色が強いせいか、序盤に聴かれたような効果は感じられないかと思います。また、序盤ではベース音も無機的な雰囲気を出す目的から、ドアーズ(The Doors)にも通じるオルガン音色のベース音を使っていたのですが、このパートでは普通にベース ギターを弾きました。YouTubeにアップした音源は元々のデモ音源を少し編集して短くしたバージョンなので、最後のテーマに戻る部分あたりは少し繋ぎ目が自然ではないように感じたりもするのですが、正直なところ元々のデモ音源は演奏時間が長すぎると感じてもいますので、一応ここに紹介した音源を「Phase 2」の“完成形”に位置付けておきたいと個人的には思っています。
さて、通常ですと最後に元ネタになった音源を紹介するパターンに入る訳ですが、今回は元ネタだった「The Grand Meeting」のオリジナル デモをYouTube上には公開していない関係から、同じ1998年に制作したPhase 3用のデモを最後に紹介したいと思います。
K. flies solo - Operetta: The Grand Meeting (demo, 1996 + 1998)
上のビデオに紹介した音源についてですが、正直なところ具体的な制作時の記憶がないことに加え、2015年に音源を編集してYouTubeにビデオをアップした際に、具体的にどのような作業を行なったのかでさえ思い出せない状況にあるのですが、メドレー形式で楽曲を繋いでいく流れの中に、明らかな「違和感」があることは紛れもない事実であり、ここにヒントが隠されているように思います。途中で急にテンポが遅いバラード調の楽曲に移行する部分があるのですが、ここの繋ぎ部分で「テンポを落とす」ことに対処する方策が何も取られていないことから考えて、恐らくここに集められた音源は、楽曲ごとに元々は個別に制作したデモ音源を、ビデオ制作時の段階で無理やりメドレー形式に繋げて編集したと考えるのが自然かと思います。問題のバラード系の楽曲は94年に私が最初に「The Grand Meeting」を製作した段階から、メドレーの一部に含まれることは決まっていた楽曲なので、その時点での編曲ではテンポが落ちることに対する「対策」が施されていたハズなのですが、98年の音源はあくまでもPhase 3で利用する目的で制作されたデモ音源であったことから、楽曲ごとに単体のデモが制作された結果、この「対策」が抜け落ちたと考えるのは自然な流れであり、それでもYouTubeに未完のロック オペラを全体像としてアップするに際して「The Grand Meeting」の音源が必要だったことから、98年に制作したデモ音源を無理やりメドレー形式で繋ぐ編集を2015年に試みたというのが、真相に限りなく近いところなのではないかと、勘ぐる訳であります。。。
The Soft Core Project - Phase 2, Part V (自作曲のデモ、1998年)
私がマイク オールドフィールド(Mike Oldfield)の音楽に初めて接したのは、高校2年次に入って本格的にプログレッシブ ロックに興味を持ち始めた1983年の初夏ぐらいのことであった。当然ながら、最初に手にしたアルバムは有名な『Tubular Bells』(1973年)でした。何しろ外野からの情報が何もなく、単にレコード店でジャケ写やオビに書かれている宣伝文句などの比較で決めただけだったのであるが、やはりあのジャケ写にはインパクトを感じるものがあったし、両面とも1曲しか収録していないという大胆なアルバムの構成に興味を持った訳であった。で、針を落としてみて最初に聴いたメロディーが、ホラー映画の傑作として著名だった『エクソシスト(The Exorcist)』(1973年)のテーマだったので驚かされた。その当時のオールドフィールドはマギー ライリー(Maggie Reilly)をリード ボーカルに迎えた「Moonlight Shadow」(1983年)をシングル ヒットさせていた時期だったので、そこへ至る変遷を知りたいと思ってすぐに彼の2作目アルバム『Hergest Ridge』(1974年)を買ってみたのであったが、デビュー作と同様の片面1曲ずつの構成ながら、印象としてはイマイチであった。
私がオールドフィールドの音楽に本格的に夢中になり始めるのは大学を卒業して以後のことであり、実質的に私にとって最後のバンドとなったCulotte(キロット/キュロット)の活動が終わりに近づいた1994年ぐらいに入ってからのことだったと記憶します。発売当時に買った『Amarok』(1990年)と『Tubular Bells II』(1992年)を別にすると、上述の「Moonlight Shadow」を収録した『Crises』(1982年)や『Islands』(1987年)あたりは94年頃に買って親しんだ記憶がありますし、それ以後にリリースされたアルバムになる『The Songs of Distant Earth』(1994年)、『Voyager』(1996年)、『Guitars』(1999年)については、ほぼ発売と同じ時期に購入し続けたことを覚えています。当然ながら、この期間中にリリースされたもう一枚のアルバム『Tubular Bells III』(1998年)も同様に購入した訳ですが、このテーマの第三弾として少し意外性を持った側面はあるものの、実に聴き応えのあるアルバムとして大いに気に入ったことを記憶しています。そんな訳で、まずはそのアルバムのクロージング曲だった「Far Above the Clouds」を紹介したいと思います。
Mike Oldfield - Far Above the Clouds (1998)
さて、このところ当ブログでは私が(恐らく)1998年に制作したThe Soft Core Project名義での「Phase 2」のデモ音源について集中的に記載している訳ですが、久しぶりに当時の私が暮らしていた状況についてここで振り返ってみたいと思います。前年の夏に失業手当を半年ほど受給していい加減な生活を送った末に、秋に入って入力100%の仕事を新しく登録した派遣会社から依頼されてフルタイムで働き始めたぐらいまでの経緯は過去の記事で紹介したかと思うのですが、この仕事は季節限定で繁忙期が年に一度だけある仕事で、その時期を除くと基本的には大暇な仕事でした。余りにもやる事がなく(朝の10分ぐらいで一日の仕事が終わってしまうのが普通でした)暇を持て余すのが日常であり、雇用している会社の側もそこら辺は承知していたことから、仕事中(と言っても何もする事がない状況の時)にはちょくちょく適当な言い訳をして外へ散歩に出かけて、近くの公園で読書をしたりして過ごしていました。それでもフルタイムで勤務した分の時間給が支払われていましたので、生活は安定していましたし、普通のオフィス勤務とは違って服装の規定などもなく、しかも通勤に際しては私の方が都心に近い場所に住んでいたことから通勤ラッシュに遭遇することもなく、改めて振り返ってみるとこの上なく好条件な仕事の日々だったと思い返されるのであります。また、私生活でも98年に入ってから年下の子と付き合うようになり、その方面も充実していました。そんな状況でしたので、「Phase 2」の製作はかなり精神面に余裕をもって進められる環境があったものと思われる訳です。
その一方で、この頃ぐらいまでに新しい音楽に対する興味は、ロックも含めてほぼ全面的に失われていました。たまに名前だけしか聞いたことのない新しいアーティストのCDをレンタルで借りて聴いてみることはまだありましたが、そのような状況の中で新譜が出るたびにアルバムを購入して聴き続けた唯一のアーティストが、マイク オールドフィールドになる訳で、私の中に蓄積された彼の音楽からの影響や憧れは、この頃ぐらいまでにピークに達していたと言っても過言ではないでしょう。そんな要素がグッと凝縮した作品としか言いようがないのが、今回の記事で紹介する「Phase 2」の「Part V」になります。
The Soft Core Project - Phase 2, Part V (demo, 1998)
この「Part V」を説明するに当たっては、少し過去に指摘した点を繰り返す必要があるのですが、第一に「Phase 2」の基本的なコンセントは“私が理想とする音をシンセサイザーを使って創造する”であったこと。第二に、YouTubeには6つのパートに分けてビデオをアップした訳ですが、制作していた時点ではこのような“区切り”は意識しておらず、全編が30分程度にわたる一つの長い楽曲を“理想的な音で”提示することが意図されていました。それをするに際して、当然ながら異なるキーの楽曲を自然に繋げていく必要が生じることから、各楽曲を繋ぐ役割を果たす“ブリッジ部分”を新たに作曲する必要が生じた点も既に指摘した訳でありますが、実は上に紹介したこの「Part V」は、前のパートと次のパートを繋ぐ目的で書かれた「ブリッジ部分」に、その全体が相当するのであります。
もちろん、単純にブリッジ部分の機能だけを果たすのであれば、ここまで手の込んだ作品にする必要はなかったのですが、これまでに登場してきたブリッジ部分みたいに単なる転調の役割を担うだけではなく、この「Part V」には次の部分に登場する作品群を紹介する“導入部”の機能を加えたことが、このような形態のブリッジ部分になった一因であったことも事実ではあります。その点については「Part VI」の記事で取り上げたいと思うのですが、今回の「Part V」は曲調が次々と変化する構成となっており、ジャンル的にも民族音楽調のイントロから始まってフルートを主体にしたプログレ調 → バロック調 → 弦楽四重奏のロックンロール → 笛とアコースティック ギターによるアイリッシュ調 → カントリー風のソロを聴かせるピアノ音楽に至る、実に多彩な構成となっています。これら全ての要素をオールドフィールドからの影響と一括りには出来ないのですが、やはり自分が好きな音のスタイルを羅列した珍しいスタイルの楽曲の中で、意識的にも無意識的も彼の音楽から受けた影響が散りばめられているというのが、今になって改めて聴き返してみる時に私が感じる印象ではあります。また、「Phase 2」の趣旨である“シンセサイザーを使って自分にとって理想の音を創造する”を考慮する場合、ここではアコースティック ギターを除く音の全てはシークェンサーで組んだプログラムをシンセサイザーで発音した自動演奏の音になりますので、そういう意味でも趣旨に沿った作品であると言えるかと思います。
そんな訳で最後に、「Part V」にて私がアコースティック ギターを使用するに際して、やはりインスピレーションとなった作品ということで、マイク オールドフィールド(Mike Oldfield)の「Taurus 3」(1983年)を下のビデオに紹介したいと思います。
Mike Oldfield - Taurus 3 (1983)
一聴したところシンプルな作風に聴こえる楽曲だとは思うのですが、実際に弾いてみるとリード パートはもとより、リズム楽器としてアコースティック ギターをリズミカルにかき鳴らすサビの部分なども、私レベルの素人には手に負えない代物です。。。
私がオールドフィールドの音楽に本格的に夢中になり始めるのは大学を卒業して以後のことであり、実質的に私にとって最後のバンドとなったCulotte(キロット/キュロット)の活動が終わりに近づいた1994年ぐらいに入ってからのことだったと記憶します。発売当時に買った『Amarok』(1990年)と『Tubular Bells II』(1992年)を別にすると、上述の「Moonlight Shadow」を収録した『Crises』(1982年)や『Islands』(1987年)あたりは94年頃に買って親しんだ記憶がありますし、それ以後にリリースされたアルバムになる『The Songs of Distant Earth』(1994年)、『Voyager』(1996年)、『Guitars』(1999年)については、ほぼ発売と同じ時期に購入し続けたことを覚えています。当然ながら、この期間中にリリースされたもう一枚のアルバム『Tubular Bells III』(1998年)も同様に購入した訳ですが、このテーマの第三弾として少し意外性を持った側面はあるものの、実に聴き応えのあるアルバムとして大いに気に入ったことを記憶しています。そんな訳で、まずはそのアルバムのクロージング曲だった「Far Above the Clouds」を紹介したいと思います。
Mike Oldfield - Far Above the Clouds (1998)
さて、このところ当ブログでは私が(恐らく)1998年に制作したThe Soft Core Project名義での「Phase 2」のデモ音源について集中的に記載している訳ですが、久しぶりに当時の私が暮らしていた状況についてここで振り返ってみたいと思います。前年の夏に失業手当を半年ほど受給していい加減な生活を送った末に、秋に入って入力100%の仕事を新しく登録した派遣会社から依頼されてフルタイムで働き始めたぐらいまでの経緯は過去の記事で紹介したかと思うのですが、この仕事は季節限定で繁忙期が年に一度だけある仕事で、その時期を除くと基本的には大暇な仕事でした。余りにもやる事がなく(朝の10分ぐらいで一日の仕事が終わってしまうのが普通でした)暇を持て余すのが日常であり、雇用している会社の側もそこら辺は承知していたことから、仕事中(と言っても何もする事がない状況の時)にはちょくちょく適当な言い訳をして外へ散歩に出かけて、近くの公園で読書をしたりして過ごしていました。それでもフルタイムで勤務した分の時間給が支払われていましたので、生活は安定していましたし、普通のオフィス勤務とは違って服装の規定などもなく、しかも通勤に際しては私の方が都心に近い場所に住んでいたことから通勤ラッシュに遭遇することもなく、改めて振り返ってみるとこの上なく好条件な仕事の日々だったと思い返されるのであります。また、私生活でも98年に入ってから年下の子と付き合うようになり、その方面も充実していました。そんな状況でしたので、「Phase 2」の製作はかなり精神面に余裕をもって進められる環境があったものと思われる訳です。
その一方で、この頃ぐらいまでに新しい音楽に対する興味は、ロックも含めてほぼ全面的に失われていました。たまに名前だけしか聞いたことのない新しいアーティストのCDをレンタルで借りて聴いてみることはまだありましたが、そのような状況の中で新譜が出るたびにアルバムを購入して聴き続けた唯一のアーティストが、マイク オールドフィールドになる訳で、私の中に蓄積された彼の音楽からの影響や憧れは、この頃ぐらいまでにピークに達していたと言っても過言ではないでしょう。そんな要素がグッと凝縮した作品としか言いようがないのが、今回の記事で紹介する「Phase 2」の「Part V」になります。
The Soft Core Project - Phase 2, Part V (demo, 1998)
この「Part V」を説明するに当たっては、少し過去に指摘した点を繰り返す必要があるのですが、第一に「Phase 2」の基本的なコンセントは“私が理想とする音をシンセサイザーを使って創造する”であったこと。第二に、YouTubeには6つのパートに分けてビデオをアップした訳ですが、制作していた時点ではこのような“区切り”は意識しておらず、全編が30分程度にわたる一つの長い楽曲を“理想的な音で”提示することが意図されていました。それをするに際して、当然ながら異なるキーの楽曲を自然に繋げていく必要が生じることから、各楽曲を繋ぐ役割を果たす“ブリッジ部分”を新たに作曲する必要が生じた点も既に指摘した訳でありますが、実は上に紹介したこの「Part V」は、前のパートと次のパートを繋ぐ目的で書かれた「ブリッジ部分」に、その全体が相当するのであります。
もちろん、単純にブリッジ部分の機能だけを果たすのであれば、ここまで手の込んだ作品にする必要はなかったのですが、これまでに登場してきたブリッジ部分みたいに単なる転調の役割を担うだけではなく、この「Part V」には次の部分に登場する作品群を紹介する“導入部”の機能を加えたことが、このような形態のブリッジ部分になった一因であったことも事実ではあります。その点については「Part VI」の記事で取り上げたいと思うのですが、今回の「Part V」は曲調が次々と変化する構成となっており、ジャンル的にも民族音楽調のイントロから始まってフルートを主体にしたプログレ調 → バロック調 → 弦楽四重奏のロックンロール → 笛とアコースティック ギターによるアイリッシュ調 → カントリー風のソロを聴かせるピアノ音楽に至る、実に多彩な構成となっています。これら全ての要素をオールドフィールドからの影響と一括りには出来ないのですが、やはり自分が好きな音のスタイルを羅列した珍しいスタイルの楽曲の中で、意識的にも無意識的も彼の音楽から受けた影響が散りばめられているというのが、今になって改めて聴き返してみる時に私が感じる印象ではあります。また、「Phase 2」の趣旨である“シンセサイザーを使って自分にとって理想の音を創造する”を考慮する場合、ここではアコースティック ギターを除く音の全てはシークェンサーで組んだプログラムをシンセサイザーで発音した自動演奏の音になりますので、そういう意味でも趣旨に沿った作品であると言えるかと思います。
そんな訳で最後に、「Part V」にて私がアコースティック ギターを使用するに際して、やはりインスピレーションとなった作品ということで、マイク オールドフィールド(Mike Oldfield)の「Taurus 3」(1983年)を下のビデオに紹介したいと思います。
Mike Oldfield - Taurus 3 (1983)
一聴したところシンプルな作風に聴こえる楽曲だとは思うのですが、実際に弾いてみるとリード パートはもとより、リズム楽器としてアコースティック ギターをリズミカルにかき鳴らすサビの部分なども、私レベルの素人には手に負えない代物です。。。
The Soft Core Project - Phase 2, Part IV (自作曲のデモ、1998年)
ゴング(Gong)というバンド、そしてそのギタリストだったスティーヴ ヒレッジ(Steve Hillage)の音楽との出会いについては、過去の記事で既に記したとおりであるが、彼らが1996年に来日した際に、私は渋谷でのライヴを見に行って、彼らが引き続き往年のプログレ路線の曲を演奏している姿を確認したことを覚えている訳であるが、その時のメンバーにはヒレッジの姿はなかった。ヒレッジの近況についてその当時は恐らく知らなかったものと記憶するのであるが、後になって彼が音楽的には宗旨替えをして、ダンス ミュージックみたいなものをやっていたらしいという情報をどこかから仕入れることになった。この情報を仕入れた時期や、どのように仕入れたのかは思い出せないのであるが、いわゆるダンス ミュージックと呼ばれる種類の音楽が90年代に幅を利かせるようになった頃ぐらいから、実は私もこの路線に「ロック ギタリストとしての新境地を見つけられるのではないか」と考えたことがあった。この種の音楽は12インチ用の長いインスト ミックスが制作されることが多く、無味乾燥に同じことを繰り返すだけで演奏時間を伸ばすのであれば、そこにこそギタリストとして長くソロを聴かせられる空間が切り開けるのではないかと考えたのであった。
私がこれまでに紹介してきた過去の音源にも、雰囲気的にダンス ミュージックを意識したスタイルの楽曲はあった訳ですが、そうした試みはただ単に時代に媚を売っていた訳ではなく、私なりにそのような可能性を模索する試みでもあったのですが、ヒレッジのようなスタイルのギタリストがダンス ミュージックにどんな風にアプローチをしていたのかについて、私の中ではいつも興味こそあったのですが、ついに耳を通すことなく今日に至ってしまいました。まあ、タイミングの問題など理由は色々とあったかと思うのですが、今回の執筆に当たって調べてみたところ、その種の音楽はヒレッジのソロ名義ではなく、彼がその目的で組んだSystem 7というバンド名義でリリースされていたことも、私が気付き損ねた一因ではあったのかもしれません。円熟期ゴングにおける彼のギター プレイは、この上なく私を魅了する要素で満ち溢れていた訳ですが、同じギタリストが異なるスタイルの音楽でどんな音を出すのか、随分と時間は経過したなかで、今回初めて「Listen」(聴いて)みることにしました。。。
System 7 - Listen (1991)
初めてこの曲を聴いてみた印象としては、いかにもヒレッジらしいリード ギターが途中から挿入されてはいるものの、決して全面的に弾きまくっている訳ではなく、全体的な印象としては彼がゴングの時代にやっていた音からは遠くかけ離れた音の世界を創り出したという印象だろうか。ジャンル的には“ダンス”の側面もない訳ではないが、基本的には“アンビエント”に分類される音楽であるらしい(私はこの種のジャンル分けには余り詳しくないのですが。。。) それでもハッキリしていることは、彼が“ロック”とは明らかに異なる音の世界で新境地を見い出そうとしたことであり、そこにギタリストとしての新しい活路を見い出そうとしたことに尽きると思う。
さて、このところ当ブログで集中的に紹介しているThe Soft Core Project名義での「Phase 2」という一連の作品群には、表面的にはSystem 7に通じる側面がなかった訳でもなかった。「Phase 2」においては、普段の私が奏でるスタイル(基本的には“ロック”)から離れて、自分が理想とするシンセサイザーをメインにした音の世界を創り出すことにより、私自身もギタリストとしての新しい活路を見い出そうと試みたことは、これまでの記事でもおおよそは説明してきたことに通じるかと思う。そのテーマに徹したのが「Part I」と「Part II」、少し路線を逸れてバラード系でギタリストとしての自身を表現しようとしたのが「Part III」というのが、前回までの流れだった訳ですが、下のビデオに紹介する「Part IV」では、さらに少し横道に逸れることになります。。。
The Soft Core Project - Phase 2, Part IV (demo, 1998)
「Part IV」も確かにシンセサイザーをメインに導入してはいるのですが、その使い方はPhase 2のテーマであった「Part I」等とは異なり、煌びやかでポップな要素を前面に出す手法を取りました。どうしてこうしたのか、今となっては思い出せないのですが、この部分で取り上げた過去の自作曲「She's Gone」と「Song of May」が、共にポップ色の強い曲調だったことに関連しているのかもしれません。両方の楽曲がメジャー キー(長調)の明るい曲調であるせいか、シンセサイザーのパートが弾けるような雰囲気を醸し出す一方で、おそらくアレンジ上では不要だったギターのパートを追加することにより、逆に“ロック色”が強調される箇所がちらほら見え隠れする皮肉な結果を引き起こしているように聴こえます。ロックの領域から離れて新境地を切り開く試みから始まった企画であったことを考えると、結果としてロックの世界から離れられない不器用な側面が自分の中にあったことを、この「Part IV」は自分に対して確認しているような作品だったのだと、今となっては思われるのであります。。。
さて、最後に原曲の紹介ですが、「She's Gone」の方はThe Soft Core Projectの『Phase 1 - Volume 2』で割と最近に紹介済みですので、同じ仮想アルバムでも取り上げた「Song of May」のデモ音源(1990年)を最後に紹介しておきたいと思います。
K. flies solo - Song of May (demo, 1990)
上に紹介したデモ音源については、既に過去の記事でも取り上げていますので、背景的なことはそちらを参照していただきたい訳ですが、こうして聴き比べてみると、むしろ原曲の方がロックの雰囲気がより少ないような印象を個人的には受けるような気がします。。。
私がこれまでに紹介してきた過去の音源にも、雰囲気的にダンス ミュージックを意識したスタイルの楽曲はあった訳ですが、そうした試みはただ単に時代に媚を売っていた訳ではなく、私なりにそのような可能性を模索する試みでもあったのですが、ヒレッジのようなスタイルのギタリストがダンス ミュージックにどんな風にアプローチをしていたのかについて、私の中ではいつも興味こそあったのですが、ついに耳を通すことなく今日に至ってしまいました。まあ、タイミングの問題など理由は色々とあったかと思うのですが、今回の執筆に当たって調べてみたところ、その種の音楽はヒレッジのソロ名義ではなく、彼がその目的で組んだSystem 7というバンド名義でリリースされていたことも、私が気付き損ねた一因ではあったのかもしれません。円熟期ゴングにおける彼のギター プレイは、この上なく私を魅了する要素で満ち溢れていた訳ですが、同じギタリストが異なるスタイルの音楽でどんな音を出すのか、随分と時間は経過したなかで、今回初めて「Listen」(聴いて)みることにしました。。。
System 7 - Listen (1991)
初めてこの曲を聴いてみた印象としては、いかにもヒレッジらしいリード ギターが途中から挿入されてはいるものの、決して全面的に弾きまくっている訳ではなく、全体的な印象としては彼がゴングの時代にやっていた音からは遠くかけ離れた音の世界を創り出したという印象だろうか。ジャンル的には“ダンス”の側面もない訳ではないが、基本的には“アンビエント”に分類される音楽であるらしい(私はこの種のジャンル分けには余り詳しくないのですが。。。) それでもハッキリしていることは、彼が“ロック”とは明らかに異なる音の世界で新境地を見い出そうとしたことであり、そこにギタリストとしての新しい活路を見い出そうとしたことに尽きると思う。
さて、このところ当ブログで集中的に紹介しているThe Soft Core Project名義での「Phase 2」という一連の作品群には、表面的にはSystem 7に通じる側面がなかった訳でもなかった。「Phase 2」においては、普段の私が奏でるスタイル(基本的には“ロック”)から離れて、自分が理想とするシンセサイザーをメインにした音の世界を創り出すことにより、私自身もギタリストとしての新しい活路を見い出そうと試みたことは、これまでの記事でもおおよそは説明してきたことに通じるかと思う。そのテーマに徹したのが「Part I」と「Part II」、少し路線を逸れてバラード系でギタリストとしての自身を表現しようとしたのが「Part III」というのが、前回までの流れだった訳ですが、下のビデオに紹介する「Part IV」では、さらに少し横道に逸れることになります。。。
The Soft Core Project - Phase 2, Part IV (demo, 1998)
「Part IV」も確かにシンセサイザーをメインに導入してはいるのですが、その使い方はPhase 2のテーマであった「Part I」等とは異なり、煌びやかでポップな要素を前面に出す手法を取りました。どうしてこうしたのか、今となっては思い出せないのですが、この部分で取り上げた過去の自作曲「She's Gone」と「Song of May」が、共にポップ色の強い曲調だったことに関連しているのかもしれません。両方の楽曲がメジャー キー(長調)の明るい曲調であるせいか、シンセサイザーのパートが弾けるような雰囲気を醸し出す一方で、おそらくアレンジ上では不要だったギターのパートを追加することにより、逆に“ロック色”が強調される箇所がちらほら見え隠れする皮肉な結果を引き起こしているように聴こえます。ロックの領域から離れて新境地を切り開く試みから始まった企画であったことを考えると、結果としてロックの世界から離れられない不器用な側面が自分の中にあったことを、この「Part IV」は自分に対して確認しているような作品だったのだと、今となっては思われるのであります。。。
さて、最後に原曲の紹介ですが、「She's Gone」の方はThe Soft Core Projectの『Phase 1 - Volume 2』で割と最近に紹介済みですので、同じ仮想アルバムでも取り上げた「Song of May」のデモ音源(1990年)を最後に紹介しておきたいと思います。
K. flies solo - Song of May (demo, 1990)
上に紹介したデモ音源については、既に過去の記事でも取り上げていますので、背景的なことはそちらを参照していただきたい訳ですが、こうして聴き比べてみると、むしろ原曲の方がロックの雰囲気がより少ないような印象を個人的には受けるような気がします。。。
テーマ : EDM (エレクトロダンスミュージック)
ジャンル : 音楽