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思い出シリーズ第四回:中村一義編

2009年10月08日 02:48

最初は「久々にくるり聴いたら良かったしなんか懐かしかったし、折角だからなんか書こう」と思って始めたこのシリーズ、完全に迷走しております。思い出関係ねえ(笑)ただの考察コーナーに成り下がってしまった(笑)でも始めたからには納得がいくまでやりたい所存でございます。

中村一義。97年組の中でもある意味一番存在感があるというか特殊というか。そもそもバンドじゃない時点でアレだし。でもやってる音楽は限りなくバンドサウンド、むしろどのロックバンドよりもバンドサウンドだったりするしで。そもそも他はバンドばかりの97年世代の代表四組の中で一人なのは彼だけだし、その「ひとりだけの音楽」で他のバンドと同等もしくはそれ以上の評価を受けている訳で何とも訳の分からない存在。そんな彼について、出来る限り何か述べてみたいと思います。

中村一義を語る際に最重要なのはその出自で、もう登場の仕方が圧倒的に特殊過ぎる。筆者は中村一義の二万字インタビューを読んだことは無いので酷く断片的にしか知らないが、少なくとも彼がいわゆる「引きこもり」から出発したアーティストであることが、彼を特殊な存在にさせている。……のだけど、単純な引きこもりでもないんだよなあ。どうやら彼の人生は特殊なことが多すぎて、何から手をつければいいのやら。

江戸川区小岩という実家の立地、両親のトラブルやそれに巻き込まれての虐待、地主の祖父母に育てられ、大学進学の為の金を使って機材を揃え、自室に引きこもって宅録に耽り、デビュー出来なかったら自殺を考えていて、でも何故かデビュー時には結婚していて、デビューは確か21歳で、デビュー直後雑誌に大きく取り上げられて。こんな不思議な人生を送っている人ってなかなかいないだろう。個人的には実家が裕福であったところは、彼が働かずに音楽を追究出来きるようにしたし、また彼のどことなくセールスや自身のファンの開拓などに無頓着な感じもそういうところから来ているのではないかと。また、こういった人生の中で彼が特殊な幼児性を形成し維持することが出来たのも彼の音楽に大きく関わってくる。

引きこもった彼は、自分の部屋を「状況が裂いた部屋」と名付けて(被害妄想的に見えるけど、きっとそうなんだろう。リスナーからは想像の及ばないほど酷かったんだろう。彼はことあるごとに「昔に戻りたくは無い」と言う)、そこで楽器や歌の練習、音楽研究、また様々な文化(音楽の他にもマンガや映画や本やその他諸々)を吸収し、独自の哲学を構築した。引きこもりが作る哲学なんて大抵歪でしょうもないものだけど、彼が作り上げた価値観は、まあ人目からすれば色々歪には見えるけれど、でも本人的には非常に信用出来るものだったのだろう、それを作品として自信を持って世に出せる程度に。

そして満を持して彼は世に出た。デビュー曲の鮮烈な冒頭「どう?」。ボブ・ディランが「How do you feel?」と尋ね、カート・コバーンが「Hello, how low?」と尋ね、そして彼は一言「どう?」そしてそれに続く言葉の強さ・辛辣さ、そして「何言ってんのこれ?全然分からない」感。60's~70'S的などっしりとした渋いロックを土台に展開される、極端にハイトーンで言い回しも複雑で裏声も多用し、言葉の音の響き方も非歌謡曲的、強いて言うなら桑田圭介だろうがそれよりももっと訳の分からない具合を、僅か21歳の青年がたったひとりで表現している。この訳の分からなさ。メッセージの鮮烈さと技法で新時代の旗手と評価され、また非常に成熟し切った音楽で評論家や「上の世代」のミュージックフリークのを強烈に振り向かせた。

そう、彼はライブハウスとも同世代のライブハウスに集まるような若者たちとも関係のないところからポンと出て来た。「町を背に僕は行く 今じゃワイワイ出来ないんだ」と言って立ち去り「同情で群れ成して非で通す(ありゃマズいよなあ)」とバッサリ、そして「皆嫌う荒野を行く ブルースに殺されちゃうんだ」と歌う彼は圧倒的に孤立した存在だった。泣き言ひとつ言わず、むしろ全ての欺瞞を通り越して真理をつかみ取ろうとする野心に燃えているようだった、それもひとりぼっちのままで、あの無邪気そうな童顔で。

そのスタンスのまま1stアルバム『金字塔』が創られる。97年世代の「僕たち若者」の声の代弁者がスーパーカーいしわたり淳治なら、中村一義はそもそもの巨大ないかんともしない雰囲気に向かって「どう?」から始まる疑問を叩き付けた。彼の歌で歌われるポジティブは全て彼の異形の人生経験を元にして創られる為、それを加味した時の説得力は圧倒的だ(まあそういう条件的な部分が通受けするところでもあるし敷居の高さでもあるが)。特にこの時期はまさに「引きこもっていた状態から何とか飛び出そうとしている時期」だけに、その重みやバックグラウンドとの密接な関連性が強烈であった。日常の情景描写の中にも意味が宿り、様々な示唆をしながらも、結局は最後に行き着く『永遠なるもの』のワンフレーズに辿り着くんだろうな。

「全ての人達に足りないのは、ほんの少しの博愛なる気持ちなんじゃないかなあ」

行動としてのスタートである『犬と猫』で始まり、理論としての根底である『永遠なるもの』で終わる(その後色々付いてくるけどさ)アルバムは強烈なメッセージ性とオヤジ受けを示した。

(『永遠なるもの』の動画貼りたかったけど無かった!)

そしてアルバム後に一枚シングルをリリース。もう「まさに!」って感じの歌。本人の主題歌だろう。

圧倒的な祝福感。ひとりぼっちで行く為には自分を奮い立たせなければならない。そういう苦痛と覚悟とそれでも前進する意志を強く感じさせる歌。そして、何で本当にこんなに素晴らしいんだろうと思う本人によるドラム。「青の時代を延々と行くのもまた一興だ」と本当に言えるのはそれでも生活していくことが出来る一握りの人だけ。彼はそれだけの実力を持っていた。ファンファーレとともに、彼が歩き始める。

続く2ndアルバム『太陽』では多くの外部ミュージシャンを起用。かのタナソーに「中村一義は『太陽』まで、正確には彼がドラムを叩いていた『魂の本』までが最高だった」と言わせて悔しがらせるほど。確かにサウンドは良くも悪くも安定し1stの衝撃のようなものは薄れたが、その代わりソングライティングは解放後の荒野を歩くような雰囲気がポップさと上手く合わさって力強くなった印象がある。アルバム冒頭の『魂の本』(何でこれも動画無いんだよお!)の渇いた荒野の空気を揺らすような力強さに震える。そしてデビューと同時期に結婚しておそらく彼を影で支えて来たのだろう妻・早苗さんに向けた優しい曲も増えた。彼は異議申し立て以外で外に向かってものを言うことを習得し始めた。

くそう『日の出の日』も動画無いのか。細野さん風味をぐっと力強くした名曲なのに。

美しいメロディに裏付けのあるポジティブなメッセージ。彼からは後が無いから言える類のポジティブさを感じる。そしていったいどれだけ『Hey Jude』を研究したんだろう。ポール・マッカートニーの一番勇敢な部分を引っ張って来るのが彼は本当に上手い。

しかし、「新時代の旗手」としてその斬新な部分を期待されていた為か、『太陽』はなんか評価低い部分も多い気がする。筆者は今のところ『金字塔』よりもこっちの方が好きです。外を散歩しながら聴こう!空気を感じながら。河原やらを行きながら。やばいですよ、これ。

で、その受けが芳しく無かったせいかどうかは知らないが、ここでまさかの契約切れ。しかしそれでも負けずに彼は新しいテーマを模索、そして発見する。再び「状況が裂いた部屋」にて曲を作り始める。彼が見据えたものは2000年そのもの、つまり「世紀末」だった。

インディからシングルをリリース。打ち込みやサンプリングを導入して変質していくサウンド。ゆとりを持ちながら、やっぱり圧倒的な祝福。「祝え!祝え!」と。祝福による混沌。彼の音楽の幾つかはそういうものを感じさせる。打算や暗い心からではなく、真っ直ぐな気持ちで鳴らされる、結果としての混沌。この辺の半ば天然のねじれ具合こそ彼なんだと思う。
どうにかまたメジャーレーベルと契約を結び、そして「部屋」にミュージシャンを呼びながらも、徹底的に編集し尽くして、彼の3rdアルバム『ERA』が完成する。それまではあまりサウンド的オルタナ要素を見せなかった彼が、『ジュビリー』以降からそういうサウンドをガンガンに導入しまくって作り上げた、執念の塊。正直かなり重たいけれど、彼のメッセージのスケールや、特に欺瞞に対する攻撃性はキャリア中でも最大級であろう。

アルバムでは『ジュビリー』の圧倒的な祝福感の直後にこの曲が来るのが非常に強烈。彼の曲の中でもその攻撃性は最大。「なら死ねよ」って裏声で歌うなんて聞いたことねえ。

そして一曲挟んで、この曲が来る。この辺の流れ、完璧過ぎるよなあ。

かなり歌詞が聞き取り易くなった。つまりそれだけ伝える思いがストレートで、強い。

アルバムの最後で遂により外に出て行くことに決めた中村君。ライブをすべくロッキンオンじゃパンフェスに出演しようとするも台風で中止に。アルバムがアルバムなだけにこの時のストレスは半端無かったろうなあ。

それにもめげずにメンバーを招集し、遂にライブ決行。そしてこの時のバンドが、この後の中村一義の旅の道連れになる。100sの登場。最初は中村名義のアルバム『100s』から。

仲間を得たせいか、それとも『ERA』で内面的・観念的イライラにかなりケリを付けたせいか、一気に世界が広がっていくような高揚感、そして仲間を得た喜びや輝きに満ち溢れている。偶然だろうがこの曲も2002年。他の97年世代主要バンド三者がバンドの寿命を削りながら「果て」を目指していたのと同調するような「果て」のキラキラを感じさせながらも、「ここからまた始まる」という力強さと可能性に満ちていて、なんか他三者のことを思うと「ああ、本当に良かったねえ……。」と思ってしまう。

『セブンスター』もいい曲だけど埋め込み無効だったのでリンクだけでも
アルバム通して風通しの良いサウンドが展開され、爽やかさとこれからの可能性に満ちたアルバムとなる。

その後、遂に名義を100sにして、バンドとなった中村一義。彼は「重めの作品」→「軽めの作品」のサイクルでアルバムを作るので、かくして100sの1st『Oz』も重たいアルバムに。収録時間は最長か。

一義本人が「100sの『Good Vibrations』」と自讃した名曲。この圧倒的な緊張感と純化された世界観のサウンドがアルバムのピークを作る。そして相変わらずのメッセージの強さ。「君が望むのなら、しな」だもの。「しな」って。

そして、アルバム最後にひっそりと置かれたこの曲で、遂に「状況が裂いた部屋」に別れを告げる。かつて孤独の果ての行き詰まりから出発した青年は、遂に仲間たちとともに部屋を出たのですね。楽曲的な善し悪しはともかく、彼個人の幸せを思うなら、ああ、どうか幸せに!と。

その後長いブランクを置いて、そして遂に今年の夏に、また大作、自分のルーツを暴きそれを普遍的なブルースに昇華させんと欲するアルバム『世界のフラワーロード』をリリースするに至るのです!え、『ALL!!!!!!』?何それ知らないなあ(笑)あ、このアルバムについては前にレビューを書きましたので、良かったらどうぞ!

またひとつ大切なテーマにケリを付けた中村君。中村君、太ったなあ……。これから彼が今度はどんなテーマをぶち上げてくれるのか。100sは正直サウンド的にネタを出し尽くした感じがあるけどこれからどうするのか。『世界のフラワーロード』が相当に良かっただけに、これからの彼や彼等に、無責任にもおおいに期待してしまいます!また彼にしか歌えない歌やテーマを引っさげて帰って来てくれることを祈って!


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