石川善一:情報局7(追想)
2024/12/1 | ||||||||
石川善一54才です。 | ||||||||
12月1日は母が最後に入院した日。 | ||||||||
21年も前の出来事だ。 | ||||||||
日付に気付かず通り過ぎてしまう年もあれば、 | ||||||||
今年のように母の事を追想する年もある。 | ||||||||
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心臓が悪かった母は1995年から2003年までの間、 | ||||||||
年に数回、一週間程度の入院を繰り返していた。 | ||||||||
21年前の今日この日、最後の入院をしたのを最後に、 | ||||||||
母は家に帰ってくることなく天国に旅立った。 | ||||||||
12月1日という日付を意識した今日、私が思い出した母とのエピソードは | ||||||||
同じく寒い時期の古く懐かしい出来事。 | ||||||||
あの日、疲れ果てた私は、乱れた布団を直す気力も無く眠っていた。 | ||||||||
寒さを感じた私は深い眠りからまどろみの状態になっていた。 | ||||||||
暗がりに母のシルエットが見える。 | ||||||||
私の布団を直してくれていた。 | ||||||||
「ありがとね…」 | ||||||||
次の瞬間…母は私をまたいだ時、バランスを崩したようだ。 | ||||||||
暗がりのシルエットが倒れ、ガツンと鈍い音がした。 | ||||||||
一瞬で覚醒した私は飛び起きて部屋の電気をつけると | ||||||||
母のおでこから血が流れていた。 | ||||||||
私の隣にあった小さなテーブルに頭をぶつけたらしい。 | ||||||||
私は咄嗟に母のおでこをつまんだ。 | ||||||||
その時の母の第一声は、「起こしちゃってごめんね」だった。 | ||||||||
母は倒れる時も声を出さなかった。 | ||||||||
きっと母の中で | ||||||||
【ヨシカズを起こしちゃいけない】という思いが大前提だったのだろう。 | ||||||||
3分?…5分?…10分?… | ||||||||
私は母のおでこをつまみ続けた。 | ||||||||
私を見つめる母は申し訳なさそうな表情をしていた。 | ||||||||
その時も…その後も… | ||||||||
母は「痛い」とは1回も言わなかった。 | ||||||||
傷口をティッシュで拭くと血は止まっているようだ。 | ||||||||
「頭をぶつけたんだから救急車呼ぶ?」 | ||||||||
「お母さん大丈夫だからもう寝なさい…ごねんね…ありがとう」 | ||||||||
私は傷口に薬を塗り、バンドエイドを貼った。 | ||||||||
私は母が寝付くまで眠れずにいた。 | ||||||||
3分?…5分?…10分?… | ||||||||
眠りについた母のバンドエイドに血のにじみは無かった。 | ||||||||
…ああ…良かった。 | ||||||||
こんな事になるなら布団が乱れたままで | ||||||||
私が風邪をひいた方がマシだった…と思いながら、 | ||||||||
寝相が悪い息子でごめんね…と母の寝顔にあやまった。 | ||||||||
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下の写真の母は左の眉の上にバンドエイドが貼ってある。 | ||||||||
この写真は母が温泉旅行に行った時の写真。 | ||||||||
母は6人兄弟の4姉妹で、叔母達とたまに旅行に行っていた。 | ||||||||
着ているコートは「少し若作りしなよ…」と私が選びプレゼントしたモノ。 | ||||||||
楽しみにしていた旅行に着てるじゃ~ん | ||||||||
似合ってるじゃ~ん\(^O^)/ | ||||||||
記念写真という訳でもなく、なんとなく撮ったであろう1枚だが、 | ||||||||
私にとっては思い出に溢れた1枚なのだ。 | ||||||||
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2003年…21年前の12月1日…母は最後の入院をした。 | ||||||||
そして12月27日に天国に旅立った。 | ||||||||
辛く悲しい27日間がスタートした今日この日。 | ||||||||
…だが今は母を懐かしく思い出す日になっている。 | ||||||||
バンドエイドのエピソードには、 | ||||||||
母から私へ、私から母へ… 「ありがとう」 と「ごめんね」がある。 | ||||||||
この2つの言葉はとても大切だと思う。 | ||||||||
お互いを思いやる親子の絆を表しているように思う。 | ||||||||
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私は今54才。 | ||||||||
母が旅立ってから21年になるが未だに親孝行したいと思っている。 | ||||||||
目の前に母が居た時は幾度となく【照れくさい】に親孝行を邪魔された。 | ||||||||
私がこのブログを書いた目的の1つは、 | ||||||||
読者のあなたには【照れくさい】を捨てて親孝行をしてほしいから。 | ||||||||
【親孝行の大切さを広める】… | ||||||||
…大袈裟かもしれないが、それが私の使命なのかもしれないとさえ思っている。 | ||||||||
こんなブログでもそれなりに読みに来てくれる人がいるからだ。 | ||||||||
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私と同じように既に母親を亡くされている人は、 | ||||||||
辛かったその日も懐かしく思い出す日に変わる事があるんだよ…と伝えたい。 | ||||||||
そしてたくさん思い出してほしい。 | ||||||||
思い出す事は良い供養であり親孝行だと私は思います。 | ||||||||
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1995年…母は初めての入院をした。 | ||||||||
その時に作った曲は【母よ】という歌。 幼い私が母と温泉旅館で撮った写真に曲を付けました。 | ||||||||
聴いていただけたら嬉しいです。
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